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吉野鉄道モハ201形電車 - Wikipedia

吉野鉄道モハ201形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉野鉄道モハ201形電車(よしのてつどうもは201がたでんしゃ)は、吉野鉄道(現在の近鉄吉野線の前身)が保有した電車の1形式である[1]

本項では同系車である制御車のサハ301形についても併記する。

目次

[編集] 概要

大阪鉄道による古市久米寺間21.2kmの開業と、これに伴う大阪阿部野橋直通運転の開始に備え、1929年3月に川崎車輌兵庫工場でモハ201形201 - 206・サハ301形301 - 314の合計20両が製造された。

[編集] 車体

前年に同じ川崎車輌が手がけた上毛電鉄デハ101型と類似性の強い設計・工作法による、16m級2扉全鋼製車体[2]を備える。同時期に鉄道省が量産していた半鋼製のモハ31形と比較すると、車体寸法は同程度であったが、格段にリベットの数が少なくなっており、窓下の補強帯(ウィンドウシル)と車体裾部、それに扉周辺に打たれている程度に留まる[3]など、技術的には数年先行するものであった。

窓配置は2形式ともd1D(1)3(1)D2(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)で、いずれも前面3枚窓で貫通幌付きの貫通扉を中央に備え、片隅式の密閉型運転台を左側に設けていた[4]。この運転台側前面窓には同時期の川崎車輌製電車や気動車で多く見られた日除けの庇が取り付けられており、外観上のアクセントとなっていた。また、側窓は観光電車としての性格が強いことを考慮して、戸袋窓を含め全て上部の隅にRを付けた幅1mの優美な広窓[5]で統一されており、これは幅が600から700mm前後の窓を並べた電車が多かった当時としては破格の設計であった。

客用扉は多客時の円滑な乗降に備えて1,200mm幅の片開き式とされ、座席は全て奥行き525mmの深いロングシートとされた。また、本形式は片隅運転台式のため、運転台と反対側は妻面までロングシートが延びており、前面展望が楽しめる様になっていた。

前照灯は屋根上中央に1灯取り付けられ、標識灯は前面向かって左側窓下に1灯のみ取り付けられていた。

通風器はこの時期の川崎造船所→川崎車輌が多用した、いわゆるお椀形ベンチレーターで、扉間の屋根中央に1列に5基、屋根両端近くに左右2基ずつ、計9基が設置されていた。

[編集] 主要機器

主電動機は川崎車輌自社製のK7-1503-A[6]を4基装架し、この大出力により多客期にはモハ(M)1両でサハ(T)3両を牽引するMTTT編成や、2両のモハが3両のサハを挟むMTTTM編成で運行された。

制御器は在来車と同じ三菱電機製のHL手動加速制御器を搭載し、ブレーキはM三動弁を使用するAMM・ACM自動空気ブレーキを搭載した。

台車は、サハの将来的な電装によるモハ化を前提として、両形式とも同一品が装着された。これは先行する上毛電鉄デハ101型が装着した川崎車輌KO台車と同様に、ボールドウィンA形台車を基本としつつ枕ばねをコイルばね化したもの[7]であったが、吉野線や名古屋線の軌道条件に適合せず、1941年4月竣工として全車とも重ね板ばねを枕ばねとし、釣り合い梁や釣り合いばねを交換する台車改造工事が施工されている。

[編集] 運用

吉野鉄道の主力車たるべくして製造され、竣工直後の花見シーズンには同様に新造されたばかりの電機51形によるサハを連ねた団体列車も運行されたが、竣工直後の大阪鉄道で発生した暴走・衝突事故や昭和の大恐慌の影響もあって経営が破綻した吉野鉄道は、1929年8月1日付で大阪電気軌道へ吸収合併され、その鉄道線は同社吉野線となった。

本形式はサハ301形を含めその後もしばらくはそのまま使用されていたが、路線規模に比して余剰気味であった。このため、在来木造車の他社への売却も一部で実施されたが、1938年6月になって大阪電気軌道の傍系会社であった関西急行電鉄が旧伊勢電鉄線の延長線として桑名名古屋間23.6kmを開業した際に、同社が新造したモハ1形だけでは車両が不足したことから、親会社である大軌からの貸与車両として20両全車が同社線に転属となった。

ここでは勾配線向けの歯数比で高速性能が悪く、しかもHL式の手動加速制御器を備え伊勢電鉄由来の東洋電機製造製電動カム軸式自動加速制御器を備える各車とも、また三菱電機製ALF単位スイッチ式自動加速制御器を備えるモハ1形とも互換性の無かったモハ201形は運用上制約が多く不評で、主として支線区を中心に使用された。これに対し、運用数に比して絶対的な車両数が不足していた制御車は歓迎され、サハ301 - 310については一方の片隅運転台を撤去して便所・洗面所を設置した上で、全通なった名古屋線で急行運用に充当された。

このため、1941年9月の関西急行鉄道成立に伴う形式称号の整理に際し、モハは全車ともモ5201形に改称され、モ5201 - 5206と付番されたが、サハは名古屋線で急行用として重用されていたサハ301 - 310が6000番台の形式が与えられてク6501形6501 - 6510とされる一方、原形を保って普通列車や支線区で運用されていたサハ311 - 314の4両はク5511形5511 - 5514と付番された。

その後、名古屋線へ新造車が順次投入されたことでモ5201形は戦後全車が南大阪・吉野線系統へ戻され、同形車3両ずつで2編成を組み、中間車となるモ5203・5206を制御車代用として南大阪線の急行運用を中心に運用された。

また、ク5511形4両については一旦は便所未設置のまま片運転台化と制御器のABF制御器への交換により急行用に格上げされてク6511形に改称されたが、こちらも結局は1959年に実施された名古屋線の標準軌間への改軌工事時までに全車とも南大阪・吉野線系統へ戻されている。

このク6511形の返却に伴い、制御車代用であったモ5203・5206はク6511・6512と置き換えられて編成から抜き取られ、モ6601形の予備部品であるウェスティングハウス・エレクトリック(WH)社製WH-586-JP-5[8]電動機と同じくWH社製ALF制御器を搭載して再度電装が行われ、モ5211形5211・5212と改番された。

同時期に名古屋線急行車として重用されていたク6501形は南大阪・吉野線系統には戻されず、1959年の改軌の際にはク6501 - 6509は台車を標準軌間用に改造した日本車輌製造D-16に交換の上でその後も名古屋線急行用として運用され、残るク6510は元の台車のまま、国鉄直通貨物の都合ゆえに狭軌で残された養老線へ転用された。その後は1963年にク6509が狭軌化の上で養老線へ転用、名古屋線残存車の一部でノーシル・ノーヘッダー化や外板の全面的な張り替えを含む車体の更新工事が自社塩浜工場で施工[9]された。

1970年には高性能車の増備でク6502 - 6508が台車を狭軌用のD-18へ交換し、養老線へ転属となり、これらと置き換える形で未更新のク6509・6510が廃車された[10]

こうして本形式は、その堅牢な車体構造もあって、片隅式運転台の全室式化や車掌台側への乗務員扉の設置、前照灯のシールドビーム2灯化、標識灯の更新などを実施されつつ各線で長期に渡り使用されたが、老朽化により吉野線在籍車は1974年までに、養老線在籍車も1977年までに全車廃車となった。

廃車後の処置はいずれも解体で、保存車は存在しない。

[編集] 脚注

  1. ^ 形式称号については在来車と同じテハであったとする説や、デハであったとする書籍(『私鉄電車のアルバム 1A 戦前・戦後の古豪』(慶應義塾大学鉄道研究会、交友社、1980年)p146など)も存在するが、ここでは『鉄道史料 第7号』(鉄道史資料保存会、1977年)P41掲載の奥野利夫による関西急行鉄道大阪営業局報(1941年9月31日付)の調査結果に依拠してモハとする。
  2. ^ 最大寸法および自重はモハ201形が16,852(長さ)×2,735(幅)×4,135(高さ)mm・38t。サハ301形は長さと幅は同じだが、高さが3,800mm、自重28tとなる。
  3. ^ 窓上の補強帯であるウィンドウヘッダーも鋲接であったが、こちらは沈頭鋲が使用されて平滑化されていた。
  4. ^ このため、窓配置は左右いずれの側面から見ても同一配置となる。なお、モハは両端に運転台のある両運転台式であったが、サハは将来のモハ化を念頭に置いて設計されており、運転台スペースこそ両端に確保されていたが、片方にのみ機器を搭載する片運転台式であった。
  5. ^ 戸袋窓以外の側窓は全て1段上昇式で開閉可能である。
  6. ^ 端子電圧750V時1時間定格出力111.9kW。なお、在来車であるテハ1・テハニ101形は木造16m級車体に端子電圧750V時1時間定格出力41kWの電動機を4基装架しており、電動車同士の単純比較では3倍の出力アップとなった。
  7. ^ ただし上毛向けのKO台車と異なり、軸受は当初より平軸受であった。
  8. ^ 端子電圧750V時定格出力127kW/815rpm。
  9. ^ この更新工事は、同時期に塩浜工場が保守を担当する各車に対して順次施工されていたもので、ク6501形では6503などに対して実施されている。
  10. ^ もっとも、養老線転属車も同線近代化の過程でク6502 - 6506が名古屋線残存車であるク6501と共に1972年に除籍されている。

[編集] 関連項目


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