三条天皇
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三条天皇 | ||
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67代天皇 | ||
在位期間:1011年6月13日 - 1016年1月29日 | ||
三条院(小倉百人一首) | ||
在位中の時代 | 平安時代 | |
在位中の年号 | 寛弘 長和 |
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在位中の首都 | 平安京 | |
諱 | 居貞 | |
出生 | 976年2月5日 | |
死没 | 1017年6月5日 | |
陵墓 | 北山陵 | |
皇子女 | 敦明親王(小一条院) 敦儀親王 敦平親王 当子内親王 禔子内親王 性信入道親王 禎子内親王(陽明門院) |
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皇后 | 藤原娍子 | |
中宮 | 藤原妍子 | |
父親 | 冷泉天皇 | |
母親 | 藤原超子 |
三条天皇(さんじょうてんのう、天延4年1月3日(976年2月5日) - 寛仁元年5月9日(1017年6月5日))は第67代の天皇。諱は居貞(おきさだ / いやさだ)。享年42。在位は寛弘8年(1011年)6月13日から長和5年(1016年)1月29日まで。
目次 |
[編集] 系譜
冷泉天皇の第二皇子に生まれ、母は摂政太政大臣藤原兼家の長女・贈皇后宮超子。花山天皇の異母弟。
七歳で母を失い、父冷泉上皇は精神病を患っていたため、その後見は薄弱であった。外祖父兼家に容姿が酷似して立派であったといい、兼家の鍾愛を受けて育ったことが『大鏡』に見える。
[編集] 系図
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(60)醍醐天皇 |
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(61)朱雀天皇 |
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広平親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(62)村上天皇 |
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(63)冷泉天皇 |
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(65)花山天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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兼明親王 |
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致平親王 |
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(67)三条天皇 |
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敦明親王(小一条院) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(源)高明 |
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為平親王 |
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禎子内親王 (後三条母、陽明門院) |
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(64)円融天皇 |
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(66)一条天皇 |
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(68)後一条天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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昭平親王 |
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(69)後朱雀天皇 |
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(70)後冷泉天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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具平親王 |
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(源)師房 〔村上源氏へ〕 |
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(71)後三条天皇 |
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[編集] 略歴
寛和2年(986年)7月16日、二重の従弟一条天皇(当時七歳)の即位にともない、兼家の後押しで皇太子となる。冷泉・円融両系の迭立に基づく立太子であったが、東宮の方が天皇より4歳年上の11歳であったため、「さかさの儲けの君」といわれた。
外舅にあたる道隆・道兼・道長三兄弟が先後して政権を掌握し、それぞれ一条天皇のもとで後宮政策を布いたため、三条天皇は25年という長い東宮時代を経て、36歳でようやく一条帝の譲りを受けて即位。皇太子には藤原道長女彰子腹の敦成親王(後一条天皇)が立った。
外孫の早期即位を図る道長と親政を望む三条天皇との関係は円滑を欠き、かつ三条天皇が納れた道長の次女・中宮妍子が両者の期待を裏切って女児を生んだこともあり、道長は天皇の眼病を理由にしきりに譲位を迫った[1]。病状の悪化もあり、三条天皇は第一皇子敦明親王の立太子を条件に、道長の勧めに従い退位した。翌寛仁元年(1017)4月に出家し、程なく42歳で没した。
三条天皇の死後、その長子敦明親王は道長に無言の圧迫を掛けられ、ついに自ら東宮を辞退する挙に出た。このことにより冷泉・円融両系の迭立に終止符が打たれ、皇位は永く円融天皇の直系に帰したが、三条天皇の血統もまた皇女禎子内親王を通じて以後の天皇家へ受け継がれていくことになる。
[編集] 歌
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退位の際に詠んだとされる歌が小倉百人一首に採られている。
- 心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな 三条院
[編集] 后妃・皇子女
[編集] 諡号・追号・異名
後院(譲位後の居所)の名称によって「三条院」と追号された。大正以後、「院」の号は廃止され、「三条天皇」とされる。
[編集] 在位中の元号
[編集] 陵墓・霊廟
陵墓は京都市北区衣笠西尊上院町にある北山陵(きたやまのみささぎ)。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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歴代天皇一覧 | |||||||||
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※註:橙に赤字は女帝 |