能因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
---|
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
能因(のういん、永延2年(988年) - 康平元年(1058年)頃?)は、平安時代中期の僧・歌人。俗名は橘永愷(たちばなのながやす)。実父に関しては二説ある。橘忠望であるとするものと、忠望の子である橘元愷(もとやす)がそれで、一族の為愷の養子となったとするものである。没年も1050年や1058年の説があり不詳。中古三十六歌仙の一人。
文章生で肥後進士と号したが、出家した。藤原長能(ふじわらのながとう)に師事し、大江嘉言(おおえのよしとき)・源道済(みなもとのみちなり)などと交流している。甲斐国や陸奥国などを旅し、多くの歌を残した。
「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に65首が入集している。歌集に「能因集」があり、ほかに私撰集「玄々集」、歌学書「能因歌枕」がある。