土御門天皇
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土御門天皇 | ||
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第83代天皇 | ||
在位期間:1198年2月18日 - 1210年12月12日 | ||
在位中の時代 | 鎌倉時代 | |
在位中の年号 | 貞永建久 正治 建仁 元久 建永 承元 |
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在位中の首都 | 京都 | |
諱 | 為仁 | |
出生 | 1196年1月3日 | |
死没 | 1231年11月6日 | |
陵墓 | 金原陵 | |
皇子女 | 春子女王 覚子内親王(正親町院) 仁助法親王 静仁法親王 邦仁王(後嵯峨天皇) 秀子女王 道仁法親王 知子女王 尊守法親王 尊助法親王 道円法親王 増仁 信子女王 曦子内親王(仙華門院) 最仁法親王 諄子内親王 是子内親王 |
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中宮 | 大炊御門(藤原)麗子 | |
夫人 | 土御門(源)通子 美作掌侍 治部卿局 他多数 |
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父親 | 後鳥羽天皇 | |
母親 | 承明門院・源在子 |
土御門天皇(つちみかどてんのう、建久6年12月2日(1196年1月3日) - 寛喜3年10月11日(1231年11月6日))は鎌倉時代の第83代天皇(在位:建久9年1月11日 (1198年2月18日) - 承元4年11月25日(1210年12月12日)。諱は為仁(ためひと)。
目次 |
[編集] 系譜
後鳥羽天皇の第一皇子。母は、久我通親(源通親)の養女(実は法勝寺執行法印能円の女)承明門院・源在子。
- 中宮:大炊御門(藤原)麗子(1185-1243)
- 典侍:土御門(源)通子(?-1221)
- 第一皇女:春子女王(1211-1230)
- 第二皇女:覚子内親王(正親町院)(1213-1285)
- 第三皇子:仁助法親王(1214-1262)
- 第四皇子:静仁法親王(1216-1296)
- 第六皇子:邦仁王(後嵯峨天皇)(1220-1272)
- 第五皇女:秀子女王
- 宮人:美作掌侍
- 第一皇子:道仁法親王(?-1280)
- 第六皇女:知子女王
- 宮人:法橋覚宴の女
- 第二皇子:尊守法親王(1210-1260)
- 宮人:法院尋恵の女
- 第五皇子:尊助法親王(1217-1290)
- 宮人:治部卿局
- 第七皇子:道円法親王
- 第九皇子:増仁
- 第七皇女:信子女王
- 宮人:源有雅の女
- 第三皇女:曦子内親王(仙華門院)(1224-1262) - 伊勢斎宮
- 宮人:藤原円誉の女
- 第八皇子:最仁法親王(1228-1295)
- 宮人:雲顕の女
- 第八皇女:是子内親王
[編集] 系図
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(77)後白河天皇 |
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(78)二条天皇 |
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(79)六条天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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以仁王 |
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某王(北陸宮) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(80)高倉天皇 |
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(81)安徳天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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亮子内親王 (殷富門院) |
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守貞親王 (後高倉院) |
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(86)後堀河天皇 |
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(87)四条天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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式子内親王 |
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(82)後鳥羽天皇 |
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(83)土御門天皇 |
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(88)後嵯峨天皇 |
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覲子内親王 (宣陽門院) |
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(84)順徳天皇 |
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(85)仲恭天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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忠成王(岩倉宮) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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[編集] 略歴
1198年、後鳥羽天皇の譲位により4歳で即位。事実上後鳥羽上皇による院政がしかれていた。しかし、穏和な性格が幕府との関係上心許ないと見た後鳥羽上皇は、1210年退位を迫り、弟の順徳天皇に譲位した。
京都では、外祖父である源通親が別当として権力を掌握し、鎌倉では、1199年に源頼朝が亡くなり、事実上北条時政による御家人政治が行われていた。
1221年の承久の乱のおりには、土御門上皇は何も関与していなかったので処罰の対象にはならなかったが、父である後鳥羽院が遠流であるのに、自分が京にいるのは忍びないと、自ら申し出て土佐国に流された。後に、より都に近い阿波国に移された。鎌倉幕府も後鳥羽・順徳両上皇とは違って、守護に対して阿波の宮殿を造営させるなどの厚遇振りを見せている。
1231年10月に出家し、崩御。
一説には日蓮宗の開祖日蓮は、この土御門天皇の皇胤であると言われている。
[編集] 諡号・追号・異名
土佐、阿波に流された事から、土佐院、阿波院の別称がある。
[編集] 在位中の元号
- 建久 (1198年1月11日) - 1199年4月27日
- 正治 1199年4月27日 - 1201年2月13日
- 建仁 1201年2月13日 - 1204年2月20日
- 元久 1204年2月20日 - 1206年4月27日
- 建永 1206年4月27日 - 1207年10月25日
- 承元 1207年10月25日 - (1210年11月25日)
[編集] 陵墓・霊廟
京都府長岡京市金ヶ原の金原陵(かねがからのみささぎ)に葬られた。また、徳島県鳴門市には火葬塚がある。
[編集] 関連事項
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歴代天皇一覧 | |||||||||
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※註:橙に赤字は女帝 |