尊守法親王
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尊守法親王(そんしゅほっしんのう、生年不詳 - 文応元年10月23日(1260年11月27日))は、鎌倉時代前期の皇族・天台僧。土御門天皇の皇子で、母は法橋覚宴(新日吉執行)の娘。後嵯峨天皇らの異母兄弟。高橋宮と呼ばれた。
承久3年(1221年)6月5日、妙法院の尊性法親王(後高倉院の皇子)の弟子となる。尊性法親王の入寂後、延応元年(1239年)12月、妙法院門跡領である河内国今津荘をはじめとする13箇所の荘園所領、大谷姫宮(順徳天皇の皇女)らの所領6箇所を相続した。寛元元年(1243年)4月、後嵯峨天皇の護持僧に任命される。文応元年(1260年)10月23日に没した。