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ザ・ピーナッツ - Wikipedia

ザ・ピーナッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ザ・ピーナッツ
基本情報
別名 ピーナッツ
出身地 日本/愛知県常滑市
ジャンル 和製ポップス歌謡
活動期間 1959年2月11日1975年4月13日
レーベル キングレコード
事務所 渡辺プロダクション
旧メンバー
伊藤エミハーモニー
伊藤ユミメロディー
  

ザ・ピーナッツ(The Peanuts)は愛知県常滑市出身、同県名古屋市育ちの双子で、元女性歌手デュオ)である。略称「ピーナッツ」

伊藤エミ(本名、伊藤 日出代(いとう ひでよ))、妹 伊藤ユミ(本名、伊藤 月子(いとう つきこ))。ともに1941年4月1日、愛知県常滑市生まれ。ただしすぐに転居し、子供-学生時代は同県名古屋市で過ごす。

所属事務所はデビューより引退まで16年間一貫して渡辺プロダクションに、所属レコード会社は各社の争奪戦となり、ビクターレコード(当時は独立した会社ではなく日本ビクターの一部門であった)と契約寸前まで達したが逆転され1959年4月2日キングレコード契約した。

目次

[編集] 略歴

愛知県名古屋市立西陵商業高等学校(現・名古屋市立西陵高等学校)を中途退学後、主に名古屋市内などで「伊藤シスターズ」名義で歌っていたが、1958年に同市内のレストランにて渡辺プロダクション社長渡邊晋にスカウトされ(最初は名ドラマーとして知られたジミー竹内が渡邊に紹介したという)上京。同社長宅に下宿しつつ宮川泰に師事し、歌唱レッスンを受ける。1959年2月11日、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー、4月、「可愛い花」でレコードデビュー。1959年6月17日から1970年3月31日までフジテレビ系の歌謡番組『ザ・ヒットパレード』のレギュラーに抜擢される。その後1961年6月4日から1972年10月1日まで日本テレビ系の人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』でメイン司会を務めた。

日本国外でも活躍し、エド・サリバン・ショウアメリカ)やカテリーナ・バレンテ・ショウ(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、ダニー・ケイ・ショウ(アメリカ)にも参加した事がある。

また映画などにも数作出演。中でもモスラでの「小美人」役は現在もなお人気が根強くある。

和製ポップス[1]海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば即座に「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどの活躍振りも多くの芸能関係者に評価された。

1975年2月18日に当時有楽町にあった所属事務所である渡辺プロにて引退表明(1972年頃より引退を検討していた)。同年3月31日には多数出演をした「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)にて引退記念特集「さよならピーナッツ」[2]が組まれ、続く4月5日にはNHKホールにおいて、高橋圭三司会で「さよなら公演」を興行。[3]この時、渡辺プロの主要タレントがほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて大阪京都名古屋でも行われていた。同年4月13日の「さようならザ・ピーナッツ」を最後に芸能界を引退。[4]以後は現在に至るまで一切公の場には姿を現していない[5]

姉の伊藤エミは1975年6月4日に同じ所属事務所であった元・ザ・タイガース沢田研二結婚し、ハナ肇宅の隣に居を構えていた。その後1男を出産する。しかし1987年1月離婚した。

その後2005年12月23日より2006年1月15日まで東京都千代田区にある丸ビル「渡辺プロダクション創立50周年企画 「抱えきれない夢」 日本のエンターテインメントの50年」が開催され、会場内の「ザ・ピーナッツコーナー」の展示品に、上記のさよなら公演で使用されたマイクが伊藤エミ・ユミの提供により展示されていた。

二人が奏でるハーモニーとメロディは美しく温かく、抜群の歌唱力を持つ。ザ・ピーナッツ以降、数多くの双子歌手がデビューするが、ザ・ピーナッツ以上の音楽的才能を持った双子歌手は現れていない。今も数多くのファン及びザ・ピーナッツの現役時代を知らない世代を含めた各年齢層に、その歌声は愛され続けている。

[編集] 名付け親

元・日本テレビの敏腕プロデューサー井原高忠がグループ名、2人の芸名ともに名付けた。井原はのちにとんねるずの芸名も名付けている。

[編集] 伊藤エミとユミの相違点

[編集] 双子の見分け方

ほくろのある方が姉の伊藤エミ、ない方が妹の伊藤ユミ(初期は妹のユミもマジックで付けほくろをしていた)。

[編集] 歌のパート

ハーモニーが姉の伊藤エミ、メロディーが妹の伊藤ユミで歌うのが通常のパターンである。

[編集] 立ち位置

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[編集] 代表的な作品の一覧

[編集] 主なテレビ番組

  • 魅惑の宵(初レギュラー番組)
  • ザ・ヒットパレード
  • シャボン玉ホリデー

[編集] 主な楽曲

[編集] シングル

シングルで発表した主要な楽曲のみを記述。

など

[編集] CMソング

コマーシャルソングの一部を記述。

など。

[編集] 放送番組向けソング

[編集] 民謡

民謡関連の一部の曲目を記述。

など。

[編集] クリスマスソング

[編集] 出演映画

  • 素晴らしき十九歳(1959年7月14日、松竹)
  • 可愛い花(1959年11月3日、日活)
  • 右門捕物帖 地獄の風車 (1960年3月1日、東映)- 風車売りの姉妹
  • 情熱の花(1960年11月12日、日活)
  • 腰抜け女兵騒動(1961年1月26日、東宝)
  • 飛び出した女大名(1961年4月16日、大映)
  • モスラ(1961年7月30日、東宝)- 小美人
  • 私と私(1962年8月11日、東宝):主演映画 - 赤城増美(伊藤エミ)、山本まゆみ(伊藤ユミ)
  • 夢で逢いましょ(1962年9月15日、東宝)
  • 若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん(1963年6月30日、東宝):主演映画
  • モスラ対ゴジラ(1964年4月29日、東宝)
  • 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年12月20日、東宝)
  • 大冒険(1965年10月31日、東宝=渡辺プロ) - クラブの歌手
  • クレージー黄金作戦(1967年4月29日、東宝=渡辺プロ)
  • クレージーメキシコ大作戦(1968年4月27日、東宝=渡辺プロ)- メキシコショーの歌手

[編集] 主な記録

  • NHK紅白歌合戦に実の兄弟姉妹として史上初めて出場。また、兄弟・姉妹による16回連続出場という記録も持つ。

[編集] 支えた裏方達

主なマネージャー

  • 松下治夫(渡辺プロダクション元社員)
  • 諸岡義明(渡辺プロダクション社員(現・取締役)、後にキャンディーズも担当する)
  • 池田道彦(渡辺プロダクション元社員)
  • 大里洋吉(渡辺プロダクション元社員)

ザ・ピーナッツ担当のマネージャーは基本的に幹部候補生を数名抜擢した。これらの裏方は、後に何らかの形で出世している。

[編集] その他

  • ハナ肇とクレージーキャッツザ・ドリフターズとともに最強時代のナベプロを築き上げていた功績が評価されている。なお、前者との共演は比較的多かったものの後者との共演はほとんどない。特に志村けん加入後の後者との共演は茶の間の記録に残る範囲では1975年正月新春かくし芸大会と前述の「さよなら公演」(ただしドリフは会場で出迎えをしたのみ)、8時だョ!全員集合でのゲスト出演が数回ある程度である(「芸能ビジネスを創った男 ~渡辺プロとその時代~」と言う書籍の表紙の裏のページに1975年の新春かくし芸大会の写真が掲載されている)。
  • ザ・ピーナッツの愛車はプリンス自動車(後に日産自動車に吸収合併され現在会社は存在しないが、現在も日産販売店系列の名称に「日産プリンス」という形で名称が残っている)の桃(ピンク)色の車(車名不明)であった。
  • 同じ双子の歌手であったこまどり姉妹とはデビューした年も同一であったこともあり、公私共に交流があった。
  • 「シャボン玉ホリデー」の正式名称を「ピーナッツ・ホリデー」にする事が有力であったがスポンサー側の意向で立ち消えとなった。この為ザ・ピーナッツの冠番組は1番組も存在しなかった。
  • 夜のヒットスタジオ」には1969年1月13日に初出演(曲は「ガラスの城」)して以来、約6年間の間に40回に渡り出演。まだ「歌謡バラエティー」の色が強かった夜ヒットにおける常連歌手の一組であり、「シャボン玉ホリデー」での経験から当時の人気コーナー「歌謡ドラマ」にも率先して参加した。引退前最後の出演となった1975年3月31日放送では番組史上初の「サヨナラ」企画(その後、山口百恵南沙織ピンク・レディーなどの引退・解散時にも行われ、同番組の名物企画となった)が組まれた。このサヨナラ企画では、ハナ肇坂本スミ子伊東ゆかり中尾ミエこまどり姉妹ら歌手・タレント仲間が数多く駆けつけ、「情熱の花」や「心の窓にともし灯を」など計4曲を熱唱した。

[編集] ザ・ピーナッツを演じた女優

[編集] 参考文献

  • 野地秩嘉 『芸能ビジネスを創った男-渡辺プロとその時代』(新潮社 2006年

[編集] 脚注

  1. ^ 現代風に言えば「J-POP」と称される事もある。但し、若干意味合いが異なると定義されている。
  2. ^ これが同番組での「サヨナラ」企画第1号とされている。ザ・ピーナッツは夜のヒットスタジオには通算40回出演している
  3. ^ この当時は歌手の引退コンサートはまだ一般的ではなかった。また歌手として史上初めてのさよならコンサートとも言われている。
  4. ^ その後同年5月25日に「最後の最後のザ・ピーナッツ」が日本テレビで放送されたが「さよなら公演」等のVTRを主としたものであり、ザ・ピーナッツは直接出演はしていない。
  5. ^ 例外として1975年6月4日の比叡山延暦寺に於ける結婚式では一部メディアで報道されていた(1987年1月の離婚時は不明)。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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