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高橋圭三 - Wikipedia

高橋圭三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

たかはし けいぞう
高橋 圭三
プロフィール
出身地 日本 岩手県花巻市
生年月日 1918年9月9日
没年月日 2002年4月11日(満83歳没)
血液型 A型
最終学歴 高千穂大学
所属事務所 圭三プロダクション
職歴 元NHKアナウンサー
参議院議員
活動期間 1942年2002年
出演番組・活動
過去 のど自慢素人演芸会
ジェスチャー
私の秘密
NHK紅白歌合戦
新春かくし芸大会
輝く!日本レコード大賞
  

高橋 圭三(たかはし・けいぞう、1918年9月9日 - 2002年4月11日)は、日本のアナウンサー参議院議員勲三等旭日中綬章日本初のフリーアナウンサー血液型はA型。日本におけるアナウンサービジネスを確立するとともに、後進の育成にも尽力した。彼の放送界に残した功績は大きい。長男は圭三プロダクション社長の高橋了。

目次

[編集] 略歴

岩手県花巻市生まれ。両親は呉服店を営んでおり、幼い頃は病弱な子供であったという。

[編集] NHKアナウンサーとしての活躍

当時の高千穂高等商業学校(現・高千穂大学)を卒業後、一旦は電機メーカー(富士電機)に就職したものの、1942年、当時社団法人だった日本放送協会(NHK)のアナウンサー募集の新聞広告に目が止まり、採用試験を受け、合格。アナウンサーに転職した。この時の同期には後に最大のライバルにして盟友となる宮田輝がいた。

戦後、『のど自慢素人演芸会』、『話の泉』などの司会を務め、その名は徐々に全国的に浸透した。しかしNHKが現在の特殊法人となった1950年、肺結核を患い、1年以上もの療養を強いられた。復帰から間もない1953年2月1日にテレビ本放送が開始され、NHKでは恐らく最初のテレビ向けクイズ・ゲーム番組となる『ジェスチャー』の司会を担当。またこの年より大晦日に放送されることとなった『NHK紅白歌合戦』(1953年は2回<1月3日、12月31日>放送・開催されている)の白組司会に抜擢された。

その後、紅白歌合戦では1961年まで9回連続で白組司会を担当。

  • 特に1959年から3年連続でコンビを組んだ中村メイコとの完全アドリブ、タイムテーブルの調整を任された中での軽妙な舌戦は、その後の歴代司会者のなかでも秀逸との評価があり、紅白を国民的行事へと押し上げる土台がこの時代に完成されたといっても過言ではない。
  • またデビュー戦となった第4回紅白では、トリとして登場した国民的歌手である藤山一郎に「1コーラスだけに歌の時間を縮めてほしい」と頼み込み、藤山は生放送の時間テーブルを優先してこれを快諾した、という話は紅白史上の「伝説」の一つとして現在も語り継がれている。

レギュラーでの担当番組としては、『ジェスチャー』、1954年の『親子クイズ』を経て、1955年からスタートした『私の秘密』の初代司会を担当。藤原あき藤浦洸などの著名人をレギュラー解答者に迎え「事実は小説よりも奇なりと申しまして…」という冒頭部のセリフで始まり、様々なゲストの持つ秘話などを探求し応えるというこの番組は瞬く間に国民的な人気を博すこととなり、高橋のNHKアナウンサー時代における最も代表的な司会番組となった。

[編集] 日本初のフリーアナウンサーへ

高橋は1961年にNHKを退職したが、1962年3月まで1年間の専属契約を締結、引き続き『私の秘密』司会を務めた。

そして、契約切れとともに完全にNHKを去り、独立プロ「圭三プロダクション」を立ち上げ、『圭三訪問』(TBS)、『今週のヒット速報』、『テレビナイトショー』(共にフジテレビ)、『心で歌う50年』(東京12チャンネル)などの司会を担当、日本初のフリーアナウンサーとしての道を歩み始めた。

  • 1965年からは『新春かくし芸大会』(フジテレビ系)の司会を務めた。
  • 1969年からは、この年より大晦日の放送となった『輝く!日本レコード大賞』(TBS系)の司会に抜擢され、年末・年始のテレビの顔として長年定着することとなり、「どうも、どうも」という有名なフレーズに集約されるその温かい人柄と長年のアナウンス人生のなかで完成された独特の重厚感を持つ「圭三節」でテレビの前の多くの視聴者に感動を伝えてきた。
  • 1975年NHKホールで開催された『ザ・ピーナッツ・さよなら公演』の総合司会を務めた。

[編集] 国会議員として、晩年の活動

1977年、ライバル・宮田輝と同じく、第11回参議院議員通常選挙の全国区に無所属で出馬し当選。当選後は自由民主党に所属し、1期務めた。翌1978年、数人の有志とともにボランティア法人「虹の会」を設立し、最晩年まで老人ホームへの巡回・講演活動を行うなど福祉活動にも積極的に参加した。

1983年、比例代表名簿導入後初の選挙となった第13回参議院議員通常選挙に2期目を目指して立候補したが落選。これを契機として徐々に一線から離れることとなった。

  • この年を最後に日本レコード大賞の司会を降板、審査委員に転向した。
  • 1985年を以って新春かくし芸大会の司会も降板。

その後は第一線から身を引いたものの、年に数回はテレビにも出演し、また、アナウンス塾を開講し後進の指導を続けるなど、テレビ創世記の時代を駆け抜けた放送業界の大物としての影響力は晩年まで衰えることは無かった。

  • 1988年、長年の放送業界に対する貢献により、勲三等旭日中綬章を受章している。
  • 1994年、岩手県人連合会の会長に就任、『花巻まつり』に毎年顔を出すなど、郷土の発展にも尽力した。

2000年、この年の『花巻まつり』に参加。しかし帰郷した直後から体調を崩し入院、以後回復することなく、2002年4月11日、腎不全のため死去した。享年83。

[編集] エピソード

[編集] NHKアナウンサー時代

  • 新人時代、なかなか東北弁の訛りが取れず苦心し、毎日、自分の出番がないときは局舎のトイレに篭って何時間も発声・アクセント練習を繰り返し、訛りを克服した。
  • 先輩の和田信賢から、「フルコースのできるアナウンサーになれ」とアドバイスされた。「フルコース」とは、軽妙な司会で番組を進めてゆく芸能番組から重厚な語り口でその日の出来事を淡々と伝えるニュースに至るまで、全てにおいて一流のアナウンサー技術を身につけるべき、という意味であり、そのアドバイスが終生高橋の司会者・アナウンサー生活のモットーとなっていた。
  • また、高橋自身も後輩アナウンサーに対する指導には熱心であり、小川宏には「顕微鏡で調べて望遠鏡で放送しろ」(事前にその日の番組にかかわる事柄は事細かく調べ、本番の時には、その中から、放送の流れに沿って的確な一点の事柄に絞って話を進めるべきとの意味)、山川静夫には山川の紅白初司会のときに「新品の靴ではなく、履きなれた靴を履いて司会に臨みたまえ」(新品の靴では妙に身構えてしまい、普段の実力を発揮できないままで終わってしまう、との意味)など絶妙なアドバイスを数々与えている。これらのアドバイスも和田のいうところの「フルコースのアナウンサー」を目指して自己鍛錬を重ね、司会・アナウンサー業の頂点に登りつめた高橋の数々の経験・苦労に裏打ちされたものであった。

[編集] フリー化後

  • 1962年テレビ情報誌の草分け(日本初)「週刊TVガイド」の記念すべき創刊号の表紙を飾っている。
  • 「紅白」「新春かくし芸大会」「レコード大賞」という年末年始の放送界あげての3大ビッグイベントの司会を全て長期に渡り担当したことから、大型番組を行うに際して彼を司会に起用すれば事は何とか収まる、との評価が放送業界に長年定着するほどに彼の司会における安定性・重厚さには定評があった。特に番組収録時において何かとハプニングやトラブルが多かった「新春かくし芸大会」では、率先して事の収拾、仲裁に当たり、見事に番組の空気を元通りにさせる手腕には感服させられた、と長年コンビを組んだ芳村真理は回顧している。
  • ピンクレディーがレコード大賞を受賞した際の受賞曲披露の前に感動的なコメントを述べて、ミーケイは感激の余り号泣した。その全容は以下のとおりである。
  • 「美鶴代ちゃん、恵子ちゃん、おめでとう。今、あなた方が夢にまで見たレコード大賞を手にした。どうですか?感激でしょう。この二人はご存知のようにデビュー以来、圧倒的な人気を誇り続けてまいりました。しかし、その陰には、眠る時間も削って、そして病をおして歌い続けたということを私たちは知っております。しかもいつでも笑みをたたえ、そして、全力投球で歌いましたこの二人、その慎ましさ、優しさというものは、まさに現代の天使だろうと思うのでございます。今、全国のお茶の間からちびっ子たちが先頭に立ってワァーッと拍手してるの聞こえませんか?どうですか?聞こえるようでしょう?どうぞ、今までどおりあなた方はちびっ子たちもそして私たちの幸せを思って、今までどおり歌って、天使としての任務を尽くしてください。おめでとうございました!」

この高橋のコメントを聞いて、初めて芸能人としての自信を持つことができるようになったと述べている。

[編集] 主な司会担当番組

[編集] レギュラー番組

[編集] 新春・年末番組

[編集] 関連項目・人物

[編集] 外部リンク

先代:
宮田輝
第4回第5回第6回
第7回第8回第9回
第10回第11回第12回
NHK紅白歌合戦
白組司会
1953-1961
次代:
宮田輝


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