いすゞ・ジェミニ
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ジェミニ (Gemini) は、1974年から2000年までいすゞ自動車で製造(3代目まで)・販売されていた乗用車である。1993年からは、OEM供給による販売となっていた。[1]
目次 |
[編集] 概要
初代「PF型」は、提携先のゼネラルモーターズ (GM) の「ワールドカー構想」に基づく世界戦略車のひとつ、「Tカー」であった。オペル・カデットをはじめとして各国で姉妹車が生産されていた。
2代目「JT0型」と3代目「JT1型」は、GMの「Rカー」としてOEM生産(相手先ブランド供給)を視野に入れ自主開発されたモデル。特に2代目は、いすゞの乗用車史上最大の販売台数を記録。しかし、3代目へのモデルチェンジでは一転して販売台数が低迷した。
業績悪化により4代目以降は自社開発を断念、ホンダのOEM供給を受けることとなり、供給モデルの絶版に伴い5代目で販売を打ち切った。
[編集] 歴史
[編集] 初代(PF50型、PF60型、PFD60型)
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1974年11月登場。形式名は1974年に登場した1600ccガソリン車がPF50型、1977年に登場した1800ccガソリン車がPF60型。そして1979年に登場した1800ccディーゼル車がPFD60型となっている。
GMがベレットの生産継続を主張したのに対し、いすゞは市場性の見地よりモデルチェンジを要望、その結果、オペル・カデットを原型とするGMの世界戦略車構想の「Tカー」をベースにする事が決まった。
ボディーサイズは、カデットをベースにした為べレットより一回り大きくなり、フローリアンとの関係が不明確となった。
「ふたご座」の英名である「ジェミニ」を名乗った。ただし、ベレットの後継車としての位置を明確とするため、1975年までは「ベレット・ジェミニ」と称していた。
「Tカー」はオペル・カデットのほかに、シボレー・シェベット、ポンティアック・1000など世界中で姉妹車が生産されていた。
ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2種類。当初は1600ccシングルキャブのSOHCエンジンを搭載したPF50型のみのラインナップであったが、ベース車両となったオペル・カデットそのままに逆スラントノーズを採用し、直線を基調にした欧州風のボディデザインとなった。
ヘッドライトは、オリジナルは丸目2灯であったが1977年6月に角目2灯に変更。1979年にジェミニ単独のフェイスリフトが行われスラントノーズ形状に変更、ヘッドライトも丸目2灯に戻った。後に異型2灯に変更される。
1979年に大幅なボディデザインの変更を受け、ディーゼルエンジン搭載車と1800ccDOHCガソリンエンジン搭載のホットモデル「ZZ」(ダブルズィー)シリーズが追加された。また車名表記も「Gemini」から「GEMINI」と変更されている。
このディーゼルエンジンモデルは「第二次オイルショック」の時期と重なったことで、低燃費車として脚光を浴び、1982年には世界初の電子制御式ディーゼルエンジンモデルも登場した。このため、後期型の初代ジェミニは「80年代のディーゼル車」とも言われるように、ディーゼル乗用車の代表として広く認知される。
1985年に2代目の「FFジェミニ」が登場したのに伴い、同年販売終了。ただし、1800ccDOHCエンジン搭載のスポーツモデル「ZZ」シリーズのみは2代目に「イルムシャー」仕様が追加される1987年2月まで生産継続された。
初代ジェミニの総生産台数は768,537台(いすゞHPより)。
[編集] 機構
駆動方式は後輪駆動。エンジンは当初1600ccSOHCの「G161型」のみであったが、1977年6月より1800ccSOHCの「G180型」が追加。さらに、1979年のビッグマイナーチェンジ時に1800ccDOHCエンジンと1800ccディーゼルエンジンが追加された。
組み合わされるトランスミッションは当初4速MTのみでスタートするが、1975年に3速AT 、1976年に5速MTが追加された。
サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーン式、後輪が3リンク・コイルスプリング式で、ステアリングはラック・アンド・ピニオン式を採用していた。
[編集] 年表
[編集] 前期(逆スラントノーズ)型
- 1974年5月 前年に販売終了したベレットの後継車として「ベレットジェミニ1600」(PF50型)が発表。
- 1974年10月 1600ccガソリン車(PF50型)登場。クーペ、セダン共に「LD」、「LT」、「LS」の3グレードを用意していた。全車4速MT車。
- 1975年4月 安全対策向上の為に改良実施。また、これに合わせて車名からベレットの後継車という位置付けを明確にする為に付けていた「ベレット」という冠が取れ、「ジェミニ1600」となった。
- 1975年12月 昭和50年排ガス規制に適合。「LD」、「LT」に3速AT車を追加。
- 1976年5月 「LS」に5速MT車をオプション設定化。
- 1976年11月 昭和51年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。ヒルマン・ミンクスの再来のような外観の「LTミンクス」が追加。
- 1977年6月 1800ccガソリン車(PF60型)登場。同時に、ヘッドライトのデザインが丸目2灯から角目2灯に変更された。
- 1977年11月 1600ccガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。
- 1978年11月 1800ccガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。1800ccガソリン車セダンに「ミンクス」「ブラックジェミニ」を追加。同時に、1600ccガソリン車も一部改良を実施した。
[編集] 後期(スラントノーズ)型
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- 1979年6月 ビッグマイナーチェンジを受け、フロント部分は通称「逆スラ」からサイドマーカー付きのスラントノーズに変更され、ヘッドライトは銀縁の付いた角目2灯(一部のグレードは丸目2灯)に変更。リアテールレンズは大型化された。1800ccガソリン車クーペに「ミンクス」を追加。またチルト付サンルーフを国産初の試みとしてオプション設定した。
- このスラントノーズを採用したデザインはホールデン・ジェミニ、セハン・メプシ(後の大宇・メプシーナ)が採用。ジェミニ系車種のベースとなった姉妹車オペル・カデットは採用しなかった。
- 1979年11月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ」を追加。1800ccディーゼル車(PFD60型)登場。
- 1980年3月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-L」を追加。
- 1980年6月 LS相当のスポーティなディーゼル車の「ゴールドディーゼル」とエアコンとステレオ標準装備の1800「クリーンLT」(ガソリンとディーゼルに設定)
- 1980年9月 ジェミニのディーゼル車が「ディーゼル乗用車クラス」での販売台数1位になった事を記念して、「いすゞジェミニディーゼル感謝祭」を開催。合わせて特別仕様車を限定発売した。
- 1981年1月 1800ccディーゼル車に998000円の「LDスペシャル」を追加。
- 1981年4月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-R」を限定発売。当時参戦していた国内ラリーを意識したモデルだった。
- 1981年10月 マイナーチェンジでインパネのデザインが大幅に変更される。ヘッドライトが近代的な異型2灯に変更。リアは変更なし。1800cc車に「LG」、1800ccディーゼル車に「LJ」(クリーンLTの改称)「LS」(ゴールドの改称)を追加。
- 1982年10月 1800ccディーゼル車に初の電子制御噴射装置を内蔵して66馬力にパワーアップした「LT-E」「LJ-E」を追加。
- 1982年11月 一部改良。73馬力までパワーを上げた1800ccディーゼルターボ車(PFD60型)が登場。世界初の電子制御式のターボチャージャー搭載ディーゼルエンジンであった。
- 1983年10月 一部改良でドアミラーを採用。車種整理でカスタムシリーズを追加。
- 1984年12月 特別仕様車「エクストラシリーズ」を追加。
- 1985年3月 1800ccガソリン車の「ZZ」を改良。
- 1985年5月 2代目「FFジェミニ」が登場するが、継続生産される。
- 1986年6月 生産終了。同時に2代目はFFと言う冠が取れ「ジェミニ」となる。
[編集] 2代目(JT150・190・600)
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2代目は1985年5月、発売された。型式名は1985年に登場した1500ccガソリン車がJT150型、1988年に登場した1600ccDOHCガソリン車がJT190型。そして1500ccディーゼルと1500ccディーゼルターボ車はJT600型。
GMの世界戦略車構想の「Rカー」として、「クオリティ・コンパクト」というコンセプトで、いすゞが単独開発した(Rカーは1984年11月よりGM向けに供給を開始)。駆動方式は前輪駆動を採用。当初は初代(PF60型)の「ZZ」が併売されていた関係で、「FFジェミニ」と称していた。ボディサイズは小型車クラスから大衆車クラスへとサイズダウンされた。
117クーペ以来17年ぶりのいすゞオリジナル設計の乗用車で、モデルチェンジにあたり、アスカとの競合を避け、なおかつ米国市場をも意識して初代より一回り小型のクラス(現在のBセグメント)をターゲットとし、居住性と取り回しの良さを得るためにFF化、パワーステアリングやサーボブレーキなど特に操縦性を重視した設計とされた。このコンセプト内容は、かつて次期ベレット構想時にも検討されていた。
ボディデザインは有名デザイナーのジウジアーロが手がけた。ボディタイプは4ドアセダンと、先代の2ドアクーペに代わって3ドアハッチバックが設定された。
1987年2月に1回目のマイナーチェンジ。特に大きな変更を受けたのはフロントマスクで、サイドマーカーをサイドに回りこませた、通称「つり目」といわれるフォグランプ一体の異型ヘッドライトを採用、同時にグリル形状も変更された。室内も見直しが行われ、インパネやクラスタースイッチの形状変更などが行なわれた。
また、これと同時に先代ジェミニ(PF60型)の製造が終了。差別化の為に付いていた「FF」と言う冠が取れ、「ジェミニ」になった。
1986年には専用の電子制御式ターボ付き1500ccガソリンエンジン「4XC1-T型」を搭載し、足回りを旧・西ドイツのイルムシャー社がチューニングした「イルムシャー」仕様が登場。
1988年 には、1600ccの4バルブDOHCエンジン「4XE1型)を搭載し、足回りを英国のロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定(ZZ-SEのみ標準装備)した「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様が追加された。のちに同じエンジンを搭載した1600cc「イルムシャー」も追加される。
「イルムシャー」は高い走行性能を有するヨーロピアン・スポーツ車として、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」は高性能ながらも落ち着いた操縦性を有するラグジュアリ・アダルトスポーツ車としての性格付けがなされていた。また、いずれも前席にレカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。
そして1989年2月に2回目のマイナーチェンジ。サイドマーカーの位置がフェンダー部分に変更され、セダンのみ後ろ周りのデザイン変更が行われ、ナンバープレートの位置が、トランクリッド部分からバンパー中央部分に移動されている[2]。
2代目はトヨタ・カローラや日産・サニーなど、強力な競合車種が存在する大衆車クラスに変更された関係で、当初は販売面が憂慮された。しかし、「街の遊撃手」というキャッチコピーそのままに、ジェミニがパリの街並みを踊るように駆け抜けていくテレビCMが評判を呼び(当時の世界最高レベルのカースタント技術が使われていた)、カラーバリエーションも豊富で、一時は月間販売台数でカローラを抜くほどの販売台数を記録した。
2代目の総生産台数は 748,216台(いすゞHPより)。
[編集] グレード
グレード展開は当初「C/C」を基本グレードとして、実用仕様の4ドア「T/T」と3ドア「D/D」の実質2種類だった。その後、スポーツモデルの「イルムシャー」、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」が追加。また、1988年には「C/C」の上級モデルの「G/G」が追加された。
他にも「パティオ」、屋根がキャンバストップになった「C/Cユーロルーフ」、レカロシート装備のターボディーゼル「S/S」、特殊架装のピックアップモデルである「ドゥエドゥ」、ガソリン・ディーゼル共にNAVi5モデルなどが設定されていた。
[編集] 機構
駆動方式は前輪駆動を採用している。
搭載されたエンジンは1500ccSOHCの4XC1型および同ターボ付の4XC1-T型、1600ccDOHCの4XE1型、1500ccディーゼルの4EC1型および同ターボ付の4EC1-T型。
組み合わされるトランスミッションは当初、5速MTと3速ATでスタートしたが、1986年にコンピューター制御の5速オートマチックであるドライビングロボットこと「NAVi5」を搭載したモデル車が登場した。
サスペンションは四輪独立操架で、前輪にマクファーソンストラットコイル式、後輪にコンパウンドクランクコイルを採用。また、スポーツモデルの「イルムシャー」仕様にはメーカーオプション扱いでビスカス式LSDの装備も可能だった。
ステアリングはラック・アンド・ピニオン式。パワーステアリング仕様も選べた。また、ブレーキには全車サーボが標準装備されたのも特徴の一つである。
[編集] 年表
[編集] 初期型
- 1985年5月 フルモデルチェンジで2代目が登場。1500ccガソリン車(JT150型)のセダンとハッチバックが登場。先代ジェミニ(PF型)の一部モデルが継続販売であった為に「FFジェミニ」と言う名称で販売が開始された。
- 1985年11月 1500ccディーゼルターボ車、1500ccディーゼル車(共にJT600型)のセダンとハッチバックが登場。
- 1985年12月 セダン及びハッチバックの「C/C」が、日本産業デザイン振興会主催の1985年度グッドデザイン賞商品に選出された。
- 1986年1月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
- 1986年2月 特別仕様車「ブラック・ジェミニ」を限定発売。
- 1986年3月 特別仕様車「ブライトスプリング・ジェミニ」を限定発売。
- 1986年4月 一部改良で同時に1500ガソリン車のセダン及びハッチバックに、コンピューター制御の5速オートマチック「NAVI-5」搭載モデルが追加。
- 1986年5月 1500ガソリン車に、インタークーラー付きターボエンジンを搭載したのセダン及びハッチバックの「イルムシャー」(JT150型)を追加。
- 1986年7月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定販売。
- 1986年9月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
- 1986年12月 「C/C」ベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定販売。
[編集] 中期型
- 1987年2月 マイナーチェンジ。ヘッドライトの形状が変更され、同時にグリル形状やテールレンズも変更。室内もインパネやクラスタースイッチの形状が変更された。
- 1987年3月 いすゞ自動車創立50周年特別記念車として特別仕様の「C/C」を限定発売。
- 1987年4月 セダンの1500ccガソリン/ディーゼル車に「パティオ」を追加。通販会社ディノスと提携した専用モデルの「ディノス」を限定発売。グレード名は「E/E」(セダン「T/T」とほぼ同仕様)。
- 1987年5月 1500ccガソリン車のセダン及びハッチバックに「ユーロルーフ」モデルを追加。1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を台数限定発売。
- 1987年6月 1500ccガソリンターボ車のセダン及びハッチバックに、競技用ベース車両で時計、オーディオ、ホイールキャップ等の装備が省略された「イルムシャーR」を追加設定。同月、いすゞ自動車創立50周年特別記念車の第2弾として特別仕様の「C/C」と「イルムシャー」を限定発売。
- 1987年7月 1500ccディーゼルターボ車のセダン及びハッチバックに「NAVI-5」搭載モデルが追加。
- 1987年8月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定発売。
- 1987年9月 1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を200台の台数限定発売。
- 1987年11月 特別仕様車「ハイクオリティ・ジェミニ」を限定発売。
- 1988年2月 「NAVI-5」を一部改良。
- 1988年3月 1600ccのDOHCガソリンエンジン搭載車「ZZハンドリング・バイ・ロータス」(JT190型)を追加。1500ccガソリン車のセダンに「C/C」の上級グレードとして「G/G」を追加。
- 1988年4月 「C/Cユーロルーフ」ベースでバンパーやサイドプロテクターなどがシルバー(ベース車は素材色)に塗り分けられた2トーンカラーの特別仕様車「C/C-SE・スプリングキュート」を限定発売。
- 1988年5月 前年に限定発売した「ディノス」が、通販会社「ディノス」でのカタログ販売専用モデルとして追加。
- 1988年6月 1600ccガソリン車に「イルムシャー」と受注生産の「イルムシャーR」を追加。特別仕様車「クールサマー・ジェミニ」を限定発売。
- 1988年9月 特別仕様車「オータムエレガント・ジェミニ」を限定発売。
[編集] 最終型
- 1989年2月 マイナーチェンジ。外観の変更を行う。特別仕様車「スプリングフィット・ジェミニ」を限定発売。
- 1989年6月 1500ccガソリン車のセダンに「G/Gリミテッド」を追加。
- 1989年7月 1600ccガソリン車のセダンに「ZZ-SEハンドリング・バイ・ロータス」を追加。
- 1989年9月 特別仕様車「オータムフィット・ジェミニ」を限定発売。
- 1989年11月 特別仕様車「ウインターフィット・ジェミニ」を限定発売。「イルムシャーRS」を台数限定発売。
- 1990年1月 C/Cベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定発売。
- 1990年3月 販売終了。3代目にバトンタッチ。
[編集] 3代目(JT151・191・641)
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3代目は1990年3月登場。ボディサイズは2代目よりも拡大され、競合車種のトヨタ・カローラや日産・サニーなどとほぼ同じになっていた。
形式名は、1500ccガソリン車がJT151F型、1600ccDOHCガソリン車がJT191F型、1600ccDOHCガソリンインタークーラー付きターボ4WD車がJT191S型、1700ccディーゼルターボ車がJT641F型、同4WD車がJT641S型。
これらにホットモデルとして「イルムシャー」仕様および「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様がラインナップされている点は先代と変わらない。その中でもハイパワーエンジン+フルタイム4WDを搭載したJT191S型は「イルムシャーR」を名乗る最上位ホットモデルである。
デビュー当初4ドアセダンのみの設定だったが、1990年9月にクーペが、翌1991年3月に3ドアハッチバックが追加されている。
セダンは北米市場で「いすゞ・スタイラス」の名称で販売された。
また、派生車種として、米GM社のGEOブランド向けに、フロントフェイスが異なる2ドアクーペ「ジオ・ストーム(日本ではヤナセで販売されていたPAネロと同デザイン)が販売されていた。ジェミニクーペ、ハッチバックはこの「ジオ・ストーム」をフェイスリフトしたモデルとなっている。またストームはその後、2代目ピアッツァのベースになっている。
3代目は技術的に特徴が多く、販売当時ジェミニシリーズが活躍していたラリーフィールドを意識した設計が施されている。「カプセルシェイプ」と銘打った一体型ボディ構造を持ち、強度重視で厚い鉄板を使用したため、当時の1600ccクラス車としては車重は重い部類に入る。
足回りではリアサスペンションに、ストラット式をベースにトーコントロール機構を持たせた4WSの一種である「ニシボリック・サスペンション」が採用されたことが挙げられる。しかし、自動車評論家を招待して満を持して行なわれた試乗会では、サスペンションを誇張するチューニングをした試乗車を用いたため、「腰砕け」や「後席に座ると酔う」などの酷評が相次いだ[要出典]。とは言うものの、レースシーンでの評価は高く、特に日本の国内ラリーシーンにおいては"FF車ベースなのにFR車的なドリフトが出来る"と好評であった。現に1991年、 1992年の全日本ラリー選手権では連続でクラス優勝に輝いている。
デザインは中村史郎を中心にいすゞ社内でまとめられたものであるが、GMの意向が強く影響した点は否めず、欧州車の味わいが売りであったいすゞ車では異例の、アメリカンなデザインとなった。しかし、リアプレスドアがCピラーを兼ねるなど、他に例を見ない斬新なデザイン処理も見られる。
1500ccガソリン車の動力性能は著しく向上したが、肥大化した車体や、グリルレスのフロントフェイス、前が見づらい運転ポジションなど、従来からのいすゞユーザーから不評を買い、ディーラーからも「先代の客に代替で試乗させると売れない」などの声があった。さらに、販売面で重視したはずの米国市場でも販売が振るわず、結果的にこの不振が、いすゞの乗用車事業撤退の決定要因になったとも言われている。
1993年7月限りで生産終了。3代目の総生産台数は 406,625台(いすゞHPより)。
[編集] 機構
駆動方式は前輪駆動だが、イルムシャーR仕様と一部のターボディーゼル車については4WDを採用している。
エンジンは1500ccSOHCの4XC1型、1600ccDOHCの4XE1型、同インタークーラーターボ付、1700ccディーゼル4EE1型、同インタークーラーターボ付の5種類が搭載された。
特に、4XE1インタークーラー付きターボ仕様(180PS)は、ホンダシビックタイプRのB16Cエンジン(185PS)が登場するまで1600ccクラス最強のエンジンであった。
組み合わされるトランスミッションは5速MTと電子制御式4速AT。
サスペンションは四輪独立操架で、前輪がマクファーソンストラットコイル、後輪にはパラレルリンク・ロアアームのストラット形式をベースにナチュラル4WSと称したトーコントロール機構の一種であるニシボリック・サスペンションを装備する。
ステアリングはパワーステアリング付ラック・アンド・ピニオン式。ブレーキにサーボが標準装備されている点は先代と同様だが、本車はこのクラスではめずらしく全グレード前後輪ともディスクブレーキとなっている。
そのほか、ガソリン車の排気系パイプ類にステンレス材を採用したり、「C/C-X」以上のグレードにヒーター付きドアミラーを標準装備するなどコストを掛けたつくりとなっている。シートは先代のJT0型を踏襲した「ファニチャーシート」と呼ばれるヨーロピアンテイストのデザインだが、クッション硬度を上げたり、前後部別のハイトアジャスターを装備するなどより人間工学に配慮したものとなっていた(「C/C」シリーズのみ)。スポーツ系グレードの前席には先代同様、レカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。
[編集] 年表
[編集] 前期型
- 1990年3月 フルモデルチェンジで3代目が登場。当初はセダンの1500ccガソリン車(JT151F型)、1600ccガソリン車(JT191F型)、1700ccディーゼル車(JT641F型)がラインナップされた。グレード名は1500ccガソリン車と1700ccディーゼル車が「C/C」、「C/C-L」、「C/C-X」「ZZ」。1600ccガソリン車が「ZZハンドリング・バイ・ロータス」。
- 1990年5月 1600ccガソリン車に「イルムシャー」が追加。
- 1990年9月 2ドアクーペの1600ccガソリン車(JT191F型)が追加登場。グレードは「OZ」、「OZ-G」。
- 1991年3月 3ドアハッチバックの1500ccガソリン車(JT151F型)、1600ccガソリン車(JT191F型)が追加登場。グレードは「OZ」、「OZ-G」。1600ccガソリン車のクーペにフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR」と1700ccディーゼル車のセダンに「T/T」が追加。
- 1991年5月 1600ccガソリン車のハッチバックにフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR」が追加。
- 1991年6月 特別仕様車「ジョイフルサマー・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャーRS」(車体色はミスティックブルーマイカのみ)を100台限定で発売。
- 1991年9月 特別仕様車「ジョイフルオータム・ジェミニ」を限定発売。
- 1991年10月 セダンの1700ccディーゼルターボ車にフルタイム4WD(JT641S型)を追加。
- 1992年1月 初売りの特別仕様車として「初売り仕様車」(一部地域では「初売り・ジェミニ」や「お年玉・ジェミニ」等の名称)を限定発売。
- 1992年2月 特別仕様車「エンジョイスプリング・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャーDSP」(車体色はトーチレッドとエボニーブラック)を135台限定で発売。
[編集] 中期型
- 1992年3月 マイナーチェンジ。
- 1992年6月 特別仕様車「エンジョイサマー・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャー・タイプコンペティション」(車体色はトーチレッドのみ)を50台限定で発売。
- 1992年9月 特別仕様車「ジョイフルオータム・ジェミニ」を限定発売。
[編集] 後期型
- 1992年11月 マイナーチェンジ。フロントグリルの追加とテールレンズのデザインを変更。
- 1993年4月 量販グレード以外は全て注文生産へ。
- 1993年7月 いすゞ自動車が乗用車生産からの撤退を表明し生産打ち切りが決定。この報道により、在庫車もほとんどが即完売状態に。後継モデルはホンダからのOEM車となった。よって、この3代目が、最後のオリジナルジェミニとなったわけである。
[編集] 4代目(MJ1・2・3)
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1993年8月30日発表、同年9月3日発売。
いすゞ自動車が乗用車の自社生産から撤退したため、4代目以降はホンダよりドマーニのOEM供給となり、ボディタイプは4ドアセダンのみとなった。なお、ホンダで設定されていた1800ccDOHCエンジン搭載車は供給されなかった。先代よりラインナップが縮小され、ジェミニの売りだったホットモデル(イルムシャー/ハンドリング・バイ・ロータス)やディーゼル車は廃止された。
不評だった3代目と比較して「デザインは先代よりもジェミニらしい」「運転ポジションが悪かった先代より前が見やすい」という意見もあった。
折からのセダン車両の販売不振や広告展開も殆どされなかった事からこのモデル以降、地味な存在の車となった。だがドマーニ自体も売れ行きが芳しくないモデルであったため、OEM車両としてはそこそこ売れた口でもある。
型式名はE-MJ1(1600FF・ドマーニ「E-MA4」に相当)とE-MJ2(16004WD・ドマーニ「E-MA6」に相当)の2種類。
グレードは「1600G/G」[3]、「1600C/C」[4]、「1600C/C 4WD」[5]。
仕様はドマーニと殆ど同じだが、若干の違いがあった。ドマーニの「1600Ri」「1600Ri-F」は175/70R13が標準だったが、ジェミニの「1600C/C」「1600C/C 4WD」は175/65R14が標準とされた[6]等。
ボディカラーは『フロストホワイト』『ボーグシルバー・メタリック』『ハーバードブルー・パール』『ローザンヌグリーン・パール』の4色[7]。
1994年5月24日 一部変更。ベース車のドマーニと同じデュアルポンプ式4WDを採用。「1600G/G」にオートアンテナが標準装備。「1600C/C」のAT車に「助手席エアバッグ+ABS」をオプション設定。
1995年1月31日 VTEC-E(リーンバーン)エンジン搭載の「1500C/C」(型式・E-MJ3)を発表(発売は2月3日)。本家のホンダ・ドマーニに前年(1994年)2月追加されたVi-Eフォンテーヌ(型式・E-MA7)に相当する車種。旧ジェミニ保有の約半数を占めるディーゼル車ユーザーの代替ニーズへの対応車種として設定された。
1995年10月13日 マイナーチェンジ(発売は10月21日)。リヤの「ISUZU」と「GEMINI」のマークデザインを変更。フロントドアの「GEMINI」のステッカーは樹脂製のエンブレムに変更。14インチホイールカバーのデザイン変更(13インチは従来どおり)。「1500C/C」はベースモデルの「ドマーニVi-Eフォンテーヌ」と同様に、CDチェンジャーコントロール機能内蔵AM/FM電子チューナー付カセットステレオが標準装備となり、ドアミラーとドアハンドルがボディ同色となった。
ボディカラーは『ハーバードブルー・パール』『ローザンヌグリーン・パール』が廃止され、『ファントムグレー・パール』『サイプレスグリーン・パール』『ダークアメジスト・パール』を設定、等。
[編集] 5代目(MJ4・5・6)
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1997年2月 フルモデルチェンジ。ベースにしていたホンダ・ドマーニがモデルチェンジしたために代替わりした。
前後ウインカーの色や、フロントグリルの形状は、ドマーニよりもカナダで製造・販売されていたアキュラ・EL(初代)の前期型に近い外観である。
2000年9月 シビックのフルモデルチェンジに伴いドマーニ廃止。ジェミニも販売を打ち切り5代目で絶版となった。
[編集] 車名の由来
英語でふたご座を表し、いすゞとGMの協力で誕生したことから、両者のパートナーシップをふたご座に例えて命名。
ちなみに「Tカー」の中、アジア・オセアニア地域におけるオペル・カデットをベースにした車種は、Geminiの名称でいすゞの他に、韓国・セハン自動車(当時、現在のGM大宇)[8]、豪・ホールデンでも販売された。
[編集] CM
[編集] 初代
[編集] 2代目
「ジェミニダンシングシリーズ」。パリの町並みの中を、「花のワルツ」などをはじめとするクラシック音楽の名曲の旋律に合わせて、2台のジェミニがまるでワルツを舞うかのようにジャンプや旋回を繰り返したり、何台ものジェミニがぴったりと寄り添って一糸乱れぬ動きを繰り広げる、アクロバティック(ジムカーナ)なCM。当時はCGや合成等の映像技術がまだ発展途上だったこともあり、カースタントによる実写で行われた。CM業界で今もって語り草の伝説的なCMのひとつでもある。
キャッチコピーは、「街の遊撃手。」(句点が付かない場合もある)。コピーライターは、佐藤康明。1987年から。
カースタント監修は、レミー・ジュリアン(en:Rémy Julienne)。
- 第1弾:1985年(昭和60年)5月 - 12月頃…誕生・セーヌ川編 - 曲名不明
- 第2弾:1985年(昭和60年)5月以降 - 12月頃…パッシング編 - 曲名不明(第1弾と同曲)
- 第3弾:1985年(昭和60年)5月以降 - 12月頃…ターボD登場編 - 不明
- 第4弾:1986年(昭和61年)1月 - 3月頃・12月頃…ワルツ編 - 「花のワルツ」 チャイコフスキー
- 第5弾:1986年(昭和61年)4月 - 6月頃…雨編 - 「雨に唄えば」 TACO
- 第6弾:1986年(昭和61年)7月 - 9月頃…ターン編 - 「メリー・ウィドウ」 レハール
- 第7弾の30秒バージョンから10~20秒前後付近の映像を使い、上記BGMを流した同時ターンバージョンと2台併走している途中で突然1台が360度スピンターンする単独ターンバージョンの2種類ある。
- 第7弾:1986年(昭和61年)9月 - 11月頃…ジャンプ編 - 「コッペリア」 レオ・ドリーブ
- 第8弾:1987年(昭和62年)1月頃…片輪走行(V字型)編 - 「軍隊行進曲」 シューベルト
- 第9弾:1987年(昭和62年)2月 - 5月頃…ポワント編 - 「ラデツキー行進曲」 ヨハン・シュトラウス1世
- 第10弾:1987年(昭和62年)6月 - 8月頃…タンゴ編 - 「ブルー・タンゴ」 ルロイ・アンダーソン
- 第11弾:1987年(昭和62年)9月 - 12月頃…クロスジャンプ編 - 「トルコ行進曲」 ベートーヴェン
- 第12弾:1988年(昭和63年)1月 - 5月頃…メトロ編 - 「おおシャンゼリゼ」 ダニエル・ビダル [9]
- 第13弾:1988年(昭和63年)6月 - 8月頃…ロンド編 - 「女学生のワルツ」 ワルトトイフェル
- 第14弾:1988年(昭和63年)9月 - 12月頃…ファシネーション編 - 「魅惑のワルツ」 マルケッティ
- 第15弾:1989年(平成元年)1月 - 5月頃…遊園地編 - 「回転木馬」 グランツベルグ
- 第16弾:1989年(平成元年)5月 - 9月頃…ホップステップジャンプ編 - 「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン
- 第17弾:1989年(平成元年)9月 - 1990年(平成2年)2月頃…片輪走行編 - 「仔象の行進」 ヘンリー・マンシーニ [10]
[編集] 3代目
- テレビCMは男女の恋愛をテーマにしたものとなった。赤のセダンが彼女、緑又は青のセダンが彼氏と設定されていた。フランス語による会話がアフレコされて、日本語字幕も付いていた。
- キャッチコピーは、「才なクルマ。」
- 1990年(平成2年)3月 - 5月頃… 男と女(誕生・出逢い)編 - 「男と女」 フランシス・レイ [11]
- 1990年(平成2年)5月末 - 8月頃… 男と女(デート・見とれる)編 - 「幸せを売る男」 J.P.カルヴェット
- 1990年(平成2年)9月頃 - 不明…クーペ登場編 - 「『ピーターガン』のテーマ」 ヘンリー・マンシーニ [12]
- 1990年(平成2年)9月 - 1992年(平成3年)3月頃…浮気心編 - 「ベイビーフェイス」 ブライアン・ハイランド
- 1990年(平成2年)11月 - 1992年(平成4年)11月頃…男と女(映画館へデート)編 - 「パリのめぐり逢い」 フランシス・レイ
- 1991年(平成3年)2月 - 1991年(平成3年)12月頃…ハッチバック登場編 - 「私のシェリー」 リアーヌ・フォリー
[編集] 脚注
- ^ 販売休止後の2年後(2002年)にはいすゞは乗用車事業から完全撤退(休止)している。
- ^ このナンバー位置は3代目のセダンに引き継がれている
- ^ ドマーニ「1600Vi」に相当
- ^ ドマーニ「1600Ri」に相当
- ^ ドマーニ「1600Ri-F」に相当
- ^ ドマーニもABSを装備した場合には175/65R14
- ^ 白とシルバーはドマーニと共通だが、紺と緑はドマーニに設定されていた色ではなく、シビックフェリオに設定されていた色である。
- ^ 後に車名はメプシ(Maepsy)を経てメプシーナ(Maepsy-Na)に改名。
- ^ 後にダイハツ・ブーンのCMでも使用
- ^ 後にホンダ・ライフのCMでも使用
- ^ 後にホンダ・インテグラ、三菱・グランディスのCMでも使用
- ^ 後にマツダ・カペラセダン、ホンダ・ストリームのCMでも使用
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ISUZU GEMINI(公式サイト)
- 「いすゞ ジェミニの軌跡」 辻村百樹(PDFファイル)
- 社団法人自動車技術会の学生対象Web情報誌 『MotorRing(モーターリンク)』( " ring " は、ドイツ語で「仲間」の意味) No.15 - 2002年10月25日発行 に掲載された文章。