1987年のF1世界選手権
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1987年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第38回大会である。ブラジルのジャカレパグア・サーキットで開幕し、最終戦のオーストラリアのアデレード市街地コースまで、全16戦で争われた。
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[編集] 概要
[編集] 「4強+1」
翌年にターボ世代最後のシーズンを迎える事もあり、レギュレーションによりターボ車は積載燃料が195リッター、FIAより支給、装着が義務づけられたポップオフバルブにより、ブーストは4バールに制限された。ターボ(過給)エンジン搭載車とNA(自然吸気)エンジン搭載車の双方が参戦したが、上位チームは全てターボエンジン搭載車で占められていた。ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルがドライブするウィリアムズ・ホンダが圧倒的な強さを見せたが、マクラーレン・TAGポルシェも3勝、ロータス・ホンダとフェラーリもそれぞれ2勝をあげた。なおベネトンは優勝こそならなかったものの、3位表彰台2回を獲得した。
[編集] ホンダエンジンの活躍
前年に安定したパフォーマンスを見せたホンダエンジン搭載車がこの年も強さを見せ、ウィリアムズとロータスの両チーム併せて11勝を挙げた他、イギリスGPでは初の1−2−3−4フィニッシュ(マンセル、ピケ、セナ、中嶋)を達成する等、表彰台の常連となった。ウィリアムズは前年の傑作マシン、FW11を熟成させたFW11Bで9勝を挙げ、シーズンを圧倒。ピケとマンセルがチャンピオンを争う。ロータスはアクティブサスの熟成に手間取りながらもモナコ、デトロイトの公道コースで2勝を挙げた。
[編集] 中堅チーム
アロウズやリジェ、ブラバムなどの中堅チームも全てターボエンジンを搭載し、デレック・ワーウィックやエディ・チーバー、ルネ・アルヌーやリカルド・パトレーゼなどの高い経験値を持つドライバーを擁した。上位チームがリタイアしたレース(第3戦ベルギーGP・第14戦メキシコGP)でブラバムが3位表彰台2回を獲得するも、シーズン全般的には3チームともに速さ、信頼性が不足しており、上位チームを脅かすまでには至らなかった(ブラバム:入賞3回・獲得ポイント数10 アロウズ:入賞6回・獲得ポイント11 リジェ:入賞1回・獲得ポイント1)
[編集] 自然吸気エンジン向けタイトル
なお、1987年の1年限りの実施であったものの、自然吸気エンジンを使用するチームとドライバーを対象とした別規定賞典として「ジム・クラーク・トロフィ」(ドライバー向け)と「コーリン・チャップマン・トロフィ」(コンストラクターズ向け)が制定されている。これは、1989年からの過給禁止レギュレーションへの準備段階として、先に自然吸気エンジンを使用するチームとドライバーへの救済措置であったが、翌年は両者の性能差が少なくなった為に実施されなかった。
なお、ジム・クラーク・トロフィは安定した走りで数回ポイント圏に食い込んだティレルのジョナサン・パーマーが、コーリン・チャップマン・トロフィはマーチやラルース・カルメル、AGSなどとの戦いを制したティレルが獲得した。
[編集] 参戦チーム・ドライバー
チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | ドライバー |
---|---|---|---|---|
マクラーレン | MP4/3 | TAGP01(V6ターボ)(ポルシェ) | G | 1.アラン・プロスト 2.ステファン・ヨハンソン |
ティレル | DG016 | フォードDFZ(V8) | G | 3.ジョナサン・パーマー 4.フィリップ・ストレイフ |
ウィリアムズ | FW11B | ホンダRA167E(V6ターボ) | G | 5.ナイジェル・マンセル (5.)リカルド・パトレーゼ 6.ネルソン・ピケ |
ブラバム | BT56 | BMWM12/13(直4ターボ) | G | 7.リカルド・パトレーゼ (7.)ステファノ・モデナ 8.アンドレア・デ・チェザリス |
ザクスピード | ZK871 | ザクスピード871(直4ターボ) | G | 9.マーティン・ブランドル 10.クリスチャン・ダナー |
ロータス | 99T | ホンダRA167E(V6ターボ) | G | 11.中嶋悟 12.アイルトン・セナ |
AGS | JH22 | フォードDFZ(V8) | G | 14.パスカル・ファブル (14.)ロベルト・モレノ |
マーチ | 87P,871 | フォードDFZ(V8) | G | 16.イワン・カペリ |
アロウズ | A10 | メガトロン(BMW)M12/13(直4ターボ) | G | 17.デレック・ワーウィック 18.エディ・チーバー |
ベネトン | B187 | フォードGBA(V6ターボ) | G | 19.テオ・ファビ 20.ティエリー・ブーツェン |
オゼッラ | FA1F,FA1G,FA1H | アルファ・ロメオ890T(V8ターボ) | G | 21.アレックス・カフィ 22.ガブリエル・タルキーニ (22.)フランコ・フォリーニ |
ミナルディ | M186B,M187 | モトーリ・モデルニ615-90(V6ターボ) | G | 23.アドリアン・カンポス 24.アレッサンドロ・ナニーニ |
リジェ | JS29B,JS29C | メガトロン(BMW)M12/13(直4ターボ) | G | 25.ルネ・アルヌー 26.ピエルカルロ・ギンザーニ |
フェラーリ | F187 | フェラーリTipo033D(V6ターボ) | G | 27.ミケーレ・アルボレート 28.ゲルハルト・ベルガー |
ローラ | LC87 | フォードDFZ(V8) | G | 29.ヤニック・ダルマス 30.フィリップ・アリオー |
コローニ | FC187 | フォードDFZ(V8) | G | 32.ニコラ・ラリーニ |
[編集] 開催地及び勝者
開催日 | GP名 | 開催サーキット | 勝者 | チーム | 結果 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 4月12日 | ブラジルグランプリ | ジャカレパグア・サーキット | アラン・プロスト | マクラーレン・TAG | 詳細 |
2 | 5月3日 | サンマリノグランプリ | イモラ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
3 | 5月17日 | ベルギーグランプリ | スパ・フランコルシャン | アラン・プロスト | マクラーレン・TAG | 詳細 |
4 | 5月31日 | モナコグランプリ | モンテカルロ | アイルトン・セナ | ロータス・ホンダ | 詳細 |
5 | 6月21日 | アメリカグランプリ | デトロイト | アイルトン・セナ | ロータス・ホンダ | 詳細 |
6 | 7月5日 | フランスグランプリ | ポール・リカール | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
7 | 7月12日 | イギリスグランプリ | シルバーストン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
8 | 7月26日 | ドイツグランプリ | ホッケンハイム | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
9 | 8月9日 | ハンガリーグランプリ | ハンガロリンク | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
10 | 8月16日 | オーストリアグランプリ | エステルライヒリンク | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
11 | 9月6日 | イタリアグランプリ | モンツァ | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
12 | 9月20日 | ポルトガルグランプリ | エストリル | アラン・プロスト | マクラーレン・TAG | 詳細 |
13 | 9月27日 | スペイングランプリ | ヘレス | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
14 | 10月18日 | メキシコグランプリ | メキシコシティ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 詳細 |
15 | 11月1日 | 日本グランプリ | 鈴鹿 | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 詳細 |
16 | 11月15日 | オーストラリアグランプリ | アデレード | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 詳細 |
[編集] 結果
ウィリアムズ・ホンダとマクラーレン・TAG、フェラーリ、ロータス・ホンダの4強が常にトップ争いを見せたが、シーズン全般をみると中盤で連勝したウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケとナイジェル・マンセルのほぼ一騎打ちという様相を見せた。最終的に日本GPにドライバーズタイトル争いが持ち越されたものの、日本GP予選におけるクラッシュでマンセルが欠場となった為に、ピケの3度目(1981年と1983年)のドライバーズタイトルが確定した。
[編集] トピック
- 中嶋悟がロータス・ホンダより日本人初のフル参戦を行なったことや、1977年以来10年ぶりに鈴鹿サーキットで日本GPが開催されたことに併せてフジテレビジョンにより全戦テレビ中継が行なわれたことから、バブル景気に沸く日本において「F1ブーム」が始まることとなった。
- ロータス・ホンダが史上初の本格的なアクティブサスペンションを実戦に投入したが、熟成不足により誤作動などのトラブルが多発したことでこの年限りで使用を中止した。
- また、ロータス・ホンダの中嶋悟のマシンにはシーズンを通じて車載カメラがテスト的に搭載された。
- イギリスGPでは、前年以上の活躍を見せたホンダエンジン使用チームのウィリアムズとロータスが1位から4位までを独占するという快挙を達成した。優勝したのはウィリアムズに乗り地元出身でもあるナイジェル・マンセルで、2位は同じくウィリアムズのネルソン・ピケ、3位はロータスのアイルトン・セナ、4位がロータスの中嶋悟であった。マクラーレン・ポルシェのアラン・プロストは電気系のトラブルでリタイアするなど、多くのドライバーが、マシントラブルでリタイヤした。中嶋は2周遅れながら4位に入賞し、ホンダの1・2・3・4フィニッシュの一端を担った。中嶋はシルバーストーンでのレース経験があった為、それまでとは違う「序盤から飛ばして燃費のことは後で考える(本人談)」作戦を採った為、終盤ペースダウンを強いられた。「レース終盤で燃料セーブのためにペースを落としトップのネルソン・ピケに抜かせたことで2周遅れにならなければ、燃料が足りずフィニッシュライン300m手前で止まってしまい完走できなかっただろう」と当時のホンダ監督である桜井淑敏が述べている。
- GPの予選中に鹿が侵入し、ステファン・ヨハンソンが運転するマクラーレンTAGポルシェと衝突する事故が発生。さらに翌日の決勝スタート直後には、ホームストレートの狭さによる多重クラッシュが立て続けに2回発生し、共に赤旗再スタート。3度目のスタートでようやくレースが始まった。一連の事態を重要視したFIAは、翌年以降、安全性の問題からオーストリアGPをキャンセルする事となった。
- イタリアグランプリ期間中、ホンダは翌1988年のエンジン供給先はロータスとマクラーレンとなることを発表した。ウィリアムズとの契約は、1年を残して打ち切られることとなった[1]。
- 日本GPの予選中にマンセルがクラッシュにより負傷しレース出場ができなくなった為に、自動的にピケの優勝が決定することとなった。
- 日本のアパレル企業のレイトンハウスが、マーチF1チームのメインスポンサーとなった。なお同社はその後マーチを買収することになる。
- ブラバムチームがこの年の最終戦を最後に、1989年の開幕戦までの1シーズン活動停止した。
- アラン・プロストが第12戦ポルトガルGPでシーズン3勝目となる通算28勝目をマーク。当時ジャッキー・スチュワートが持っていた最多勝記録(27勝)を更新した。
[編集] 脚注
- ^ 「フジテレビオフィシャルF1イヤーブック」 ISBN 4-594-00191-2
年度別のF1世界選手権 |
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