津島雄二
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生年月日 | 1930年1月24日(78歳) |
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出生地 | 東京都杉並区 |
出身校 | 東京大学 |
学位・資格 | 法学士・弁護士 |
前職 | 大蔵省大臣官房参事官 |
所属委員会 内閣役職 |
裁判官訴追委員会調査小委員会委員 国家基本政策委員会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 青森県第1区 |
当選回数 | 11回 |
所属党派 | 自由民主党(津島派) |
党役職 | 党税制調査会長 整備新幹線等鉄道基本問題調査会会長 衆議院議員総会副会長 他 |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館643号室 |
ウェブサイト | [Tsushima Web] |
津島 雄二(つしま ゆうじ、旧姓上野、1930年1月24日- )は、日本の大蔵官僚、政治家、弁護士である。自由民主党所属の衆議院議員(当選11期)。
妻は作家太宰治(本名:津島修治)の長女・津島園子。元衆議院議員の津島恭一は遠戚にあたる。
目次 |
[編集] 人物
1976年の初当選以来、宏池会(大平派→鈴木派→宮沢派)に属していたが、1993年に離脱。1994年、自社さ連立政権に反対し、内閣総理大臣指名選挙では非自民連立の統一候補となった海部俊樹を支持し、自民党を離党する。自由改革連合に参加後、新進党には加わらず、無所属を経て自民党に復党した。復党後は平成研究会(小渕派)に加入し、2005年11月4日、旧橋本派の後継会長に就任し、津島派を率いる。保守本流派閥と呼ばれた旧橋本派(竹下派→小渕派)の領袖に外様(元宮沢派)で出戻り(離党歴)という経歴を持つ津島が就任したことは自民党派閥の変化の一つとされている(ただし宏池会も保守本流である)。2006年には自民党税制調査会会長に就任。地方選出ながらふるさと納税には慎重な姿勢を示している。
日韓議員連盟所属。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。[1]
[編集] 経歴
- 東京府(東京都杉並区)生まれ
- 1946年3月 東京都立第一中学校(現 都立日比谷高等学校)卒業
- 1949年3月 旧制第一高等学校卒業
- 1952年11月 司法試験合格
- 1953年3月 東京大学法学部卒業
- 1953年4月 大蔵省入省
- 1955年7月 フルブライト留学生としてアメリカ留学(シラキューズ大学)
- 1959年 信濃中野税務署長に就任
- 1963年-1967年 在フランス日本国大使館三等書記官として赴任(在任中に一等書記官まで昇格)
- 1964年5月 赴任先のフランス・パリで結婚
- 1969年8月 日本専売公社管理調整本部総務課長に就任
- 1971年7月 大蔵省大臣官房参事官に就任
- 1972年7月 国税庁直税部法人税課長に就任
- 1974年11月 大蔵省大臣官房参事官に就任
- 1974年12月 大蔵省を退官
- 1976年12月 衆議院議員初当選(以後連続11回当選)
- 1981年12月 厚生政務次官に就任
- 1983年12月 運輸政務次官に就任
- 1987年11月 自民党経理局長に就任
- 1988年12月 衆議院社会労働委員長に就任
- 1990年2月 第2次海部内閣で厚生大臣に就任
- 1993年7月 自民党政務調査会会長代理に就任(橋本龍太郎政調会長)
- 2000年7月 第2次森内閣で厚生大臣に就任
- 2002年1月 衆議院予算委員長に就任
- 2003年11月 自民党税制調査会長に就任
- 2004年1月 衆議院予算委員長に就任
- 2005年2月 弁護士登録(第一東京弁護士会)
- 2005年11月 津島派(平成研究会)会長に就任
- 2006年11月 自民党税制調査会会長に就任
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
- ^ 『大蔵省権力人脈』(栗林良光, 講談社文庫, 1994年3月)
[編集] 外部リンク
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