藤川優里
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日本の政治家 藤川優里 ふじかわ ゆり |
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生年月日 | 1980年3月8日(28歳) |
出生地 | 青森県八戸市 |
没年月日 | |
死没地 | |
出身校 | 帝京大学文学部心理学科 |
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サイン | |
公式サイト | 藤川ゆり |
八戸市議会議員 | |
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選挙区 | |
当選回数 | 1回 |
就任日 | 2007年5月 |
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その他の職歴 | |
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藤川 優里(ふじかわ ゆり、女性、1980年3月8日 - )は、日本の政治家。青森県八戸市議会議員である。保守系無所属で、保守系会派「自由民主クラブ」に所属。
目次 |
[編集] 概要
2007年4月、父親の県議会選挙における二度目の落選がきっかけとなり[1]、八戸市市議会議員選挙の告示5日前に出馬表明。無所属で立候補し、同年4月22日、八戸市市議会議員選挙史上最高の6962票を獲得し、トップ当選した。市議会では、民生常任委員会委員・環境先進都市推進特別委員会委員を務める[2]。 母親は父親の選挙においてうぐいす嬢を務めた。
[編集] 初立候補で首位当選
大学卒業後は政治家の秘書になることを考えていたが、父は専業主婦になることを望んでいたという[3]。 2007年4月8日、県議会選挙での父の落選後、八戸市内の選挙事務所を兼ねた自宅において、支持者に礼を述べると共に、「(2週間後に控えた)市議選市会議員に出たい」と表明した。両親共々反対したが、4月10日、土下座して出馬の訴えに父は容認し、その日の夕方、近くの写真店へ選挙ポスター用の写真を撮りに行ったという[4]。
介護予防事業の推進、介護保険料や介護サービスの利用料金の値下げや見直し、働くお母さん達のために病児保育の施設を作ることなどを訴える。 投票日は雨であったため、浮動票の低下を心配し、テレビのない自分の部屋で結果を待ったという[3]。 定数36に対し47人が立候補したこの市会議員選挙において、2位の3665票の倍近い6962票を獲得し、トップ当選した。八戸市議選史上、最多得票であり、20歳代の女性候補者というのも八戸市議選では初めてであった[4]。 若年層の投票増加により、12年ぶりに投票率が上昇した(55.95%)[4]。
[編集] 政策・活動
- スローガンは「食づくり、人づくり、まちづくり」[2]。
- 2007年12月12日、八戸市議会における初めての一般質問では「地方公共団体財政健全化法」、医療行政、福祉行政、災害対策などに関しての質問を行なった[5][6]。
- 調理体験型の食セミナーなどを推進している消費者グループ、「たんぽぽの会」に賛同し、食セミナーに参加している[2][7]。
- 「北東北若手議員の会」(通称“わらし塾”)に参加し、若手議員らとの連携作りに取り組んでいる[2]。
[編集] 略歴
- 1980年3月8日 誕生。
- 1986年4月 八戸市立長者小学校入学。
- 1992年4月 八戸市立長者中学校入学。
- 1995年4月 青森県立八戸東高等学校人文科(現在は「表現科」)入学。
- 1998年4月 帝京大学文学部心理学科入学。
- 2002年3月 フリーターとして過ごす。
- 2003年6月 八戸に戻る。
- 2004年2月 介護老人保健施設「ひばりの里」入社。
- 2006年 通信教育と東京都へのスクーリング (面接授業)で診療情報管理士の資格を取得。
- 2007年4月 「ひばりの里」退社。
- 2007年4月23日 八戸市議会議員選挙で初当選。
- 2007年7月 第21回参議院議員通常選挙で安倍晋三と共に自民党候補を応援。衆院議員、片山さつきと共に山崎力の応援演説を行う。
- 2007年12月12日 八戸市議会で初めての一般質問を行う。
[編集] 人物像
[編集] 趣味・特技
[編集] 嗜好
- 座右の銘:「花よりも花を咲かせる土になれ」[要出典]
- 好きな花:ユリ
- 好きな色:白
- 好きな食べ物:生ストロベリージュース
- 嫌いな食べ物:蒲鉾(かまぼこ)
- 好きなタレント:キルステン・ダンスト
- 感銘を受けた本:マリー・アントワネットの伝記
- 尊敬する人:両親
- 尊敬する政治家:津島雄二・三村申吾
- 恋人:父・八戸市
- 理想の男性像:自信と実力のバランスが取れている前向きな男性[3][8]
[編集] エピソード
- 優里という名前は、父がかつて秘書を務めていた衆院員議員、津島雄二の妻である津島園子(作家、太宰治(本名・津島修治)の長女)につけてもらったという[9]。
- 学生時代に一年半ほど『CanCam』、『Ray』などのファッション誌の読者モデルをしていた[10][11]ほかにバラエティ番組への出演歴もあるが、「あの時は、がんばりましたね」とタレント活動について肯定的な考えをみせている[12]。
- 青森朝日放送が“今年の注目の人”としてテレビで取り上げたことをきっかけに、「議員にしては美人で若い」と言うことからインターネット上(日本語)で人気が集まり、2008年1月22日には、藤川の公式ウェブサイトに23万件ものアクセスが集中し、数時間あまり、アクセス不能となる事態となった[13]。
- 注目を浴びていることについては、「光栄に思っており、これを機に政治に興味を持つ人が増えてくれたら嬉しい」としている。ただ、ルックスが注目を集めていることについては、多くの人と同様に自分の外見や内面にコンプレックスを持っており、「気が引ける」と述べている[3]。
- 東京都府中市で生活していた際、選挙カーに乗って自分の父を選挙応援する女性の姿に心を打たれ、自分も父の側にいてあげようと八戸市に戻ることを決めたという。また、名前は覚えていないが、この親子に会って礼を言いたいとしている[11]。
- 政治家としては異例だが、『週刊文春』(2008年3月6日号)の巻頭グラビアに登場した。藤川の後援会会長によれば、これはアイドル的な活動ではなく、彼女を通して八戸市に対する認知度を高めるための、あくまで市議会議員としての活動の一環であるとしている[10]。
- 殺到するメディアからの出演依頼に対応しきれなくなったため、公務・議員活動以外のマスコミ対応を「ポニーキャニオン」に委託している[14]。ただしマネージメント提携のみであり、芸能活動を目的とするものではない。
[編集] 脚注
- ^ 『産経新聞』2008年2月9日付
- ^ a b c d e 藤川ゆりオフィシャルサイト
- ^ a b c d 八戸市議会議員 藤川優里さんに聞く(八戸の月刊誌『うみねこ』2007年7月号)
- ^ a b c 『産経新聞』2008年2月10日付
- ^ 平成19年12月12日 八戸市議会定例会一般質問(八戸市公式ウェブサイト)
- ^ 藤川優里の一般質問 2007年12月12日
- ^ 食育について【季刊誌 楽園 2008年冬号】
- ^ Livedoorトレビアンニュース 「青森の美人議員 藤川優里(ゆり)に独占インタビュー!」(Livedoor2008年1月28日10時00分閲覧)
- ^ 『産経新聞』2008年2月11日付
- ^ a b グラビアの次はDVD!? 萌え議員ついにアイドルデビューか?(日刊サイゾー)
- ^ a b テレビ朝日系『スーパーモーニング』2008年1月25日放送
- ^ 『中日スポーツ』インタビュー 2008年6月1日付記事
- ^ 日本テレビ系『NNN Newsリアルタイム』2008年1月25日放送
- ^ 藤川優里議員、出演依頼殺到で大手レコード会社が窓口に(SANSPO.COM 2008年3月15日閲覧)
[編集] 外部リンク
- 【八戸市市議会 市議会議員】藤川優里 公式ホームページ(公式サイト)
- 八戸市議会
- 2007年4月八戸市議会議員選挙結果~ダントツでトップ当選~(『ザ・選挙』)