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登山 - Wikipedia

登山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

登山のメッカ、ヒマラヤ連峰のアンナプルナⅢ峰
登山のメッカ、ヒマラヤ連峰のアンナプルナⅢ峰
クレバスをいく登山者
クレバスをいく登山者

登山とざん)とは、に登ること。

その対象は、簡単に登れる近隣の丘陵からヒマラヤ山脈まで。その触れ方は、現代では、信仰だけでなく、娯楽スポーツ職業として、広範な人に親しまれている。

目次

[編集] 歴史

多くの宗教では、山は崇拝信仰の対象であり、神そのものであるとされる場合もあった。そのため、様々な聖典や伝説で登山が記録されているが、これらの検証は困難である。121年にローマ帝国のハドリアヌス帝が朝日を見るためにエトナ山を登頂したのが、宗教目的以外で記録されている初めての登山である。

[編集] ヨーロッパ

13世紀になるまでヨーロッパでは、登山は記録されていないが、これは単に文盲率が高く記録を残さなかったためなのか、それとも登山自体が行われなかったのかは議論の余地を残す。1336年4月26日にイタリア詩人ペトラルカが弟ジェラルドを連れてフランスのアビニョン近郊ヴァントゥ山の登山に挑み、その頂上まで登った。その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っている。このことから、ペトラルカは登山の父と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としている。これは、文化史家のヤコブ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されている。旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の出来事である。

ルネッサンスの始まりと共に趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王シャルル8世1492年にAiguille山の登頂を命じたのは、この範疇に入る。レオナルド・ダ・ヴィンチはヴァル・セシア郊外の雪山に登り、様々な実験や観察を行った。16世紀にはスイスチューリッヒを中心に登山を賞賛する動きがあり、コンラッド・ゲスナーとジョシアス・シムラーが度々登山を行っていたことが記録されている。2人はロープとピッケルを使ったが、一般には広まらなかった。奇妙な事に17世紀のヨーロッパには登山の記録がまったく残されていない。

19世紀スイス・アルプス英国人登山者のメッカとなり、アルプスの主峰39座のうち、31座の初登は英国人によって達成された。

ジョージ・マロリーが「そこにそれがあるから-Because it is there.-」と答えたのはあまりに有名であるが、記者の「なぜ"未踏峰(エベレスト)"に登るのか」という質問への答えであることはあまり知られていない。北極南極に次ぐ第3の極地エベレストは、征服すべき対象であるとも説明している。

[編集] 日本

日本においては、717年泰澄和尚が開山した白山701年に越中の国司の息子有頼が開山した立山など、宗教にまつわり山を開いた記録が残っている。鎌倉時代(1185年頃~1333年)・室町時代(1336年~1573年)以降、山に関する記録が減っていくが、上記のヨーロッパについてと同様、何らかの理由で記録を残さなかったのか、実際に人が山に入らなくなったのかは、わからない。[1]

日本において、宗教目的以外で記録される著名な登山といえば、安土桃山時代1584年(天正12年)12月の佐々成政による「さらさら越え」(北アルプス越え)である。しかも、これは比較的容易な無積雪期ではなく、冬季の積雪期に敢行されたという点でも注目されている。ルートは、立山温泉~ザラ(佐良)峠~平の渡し(黒部川)~針ノ木峠~籠川(かごかわ)の経路が有力視されているが、確証はない。立山の一の越~御山谷ルート、別山~内蔵助谷ルートをとったという説もある。

ザラ峠とは安房峠(古安房峠)のことを指す、佐々成政は安房峠を越える鎌倉街道を通って越中富山-遠江浜松を往復したのだ、という説もある。[2]

同様の軍事的な意味合いの登山としては、武田信玄の配下の武将山縣政景が、1559年(永禄2年)に飛騨を攻めるのに上高地から安房峠(古安房峠)を超えて入った事例が知られている。[3][4]

1640年(寛永17年)に加賀藩によって設置され1870年(明治3年)まで続いた黒部奥山廻役は、藩林保護のための検分登山を行い、北アルプスの主峰のほとんどを登って回った。[3]

文化・文政期(1804年~1829年)、1819年の明覚法師と永昌行者による乗鞍岳1828年播隆上人による槍ヶ岳など、開山が相次ぐ。また、立山講や御岳講などの中登山がさかんになる。寛政期(1789年~1800年)に寺社詣でが解禁され、東海道中膝栗毛(1802年~1822年)が人気を博すなど、民衆の間に旅行人気が広まったことが背景として考えられ、参加する者の多くにとっては、宗教的な意味合いよりも、物見遊山としてのものだったと考えられる。[1]

江戸時代文人画池大雅医者川村錦城、医学者橘南谿画家谷文晁などが、山そのものを味わうために山に登ったことが知られている。[3]

江戸幕末北アルプス麓にある入四ヵ村で年に薪五千間、板子八万梃を伐採しに二ノ俣あたりまで入っていたなど、多くは記録に残っていないが、歴史を通じて、杣人や狩猟採鉱などの山仕事でたくさんの人が山に入っていたと考えられる。[1]

江戸幕末以降、複数の欧米人が富士山に登った。1860年(万延元年)7月、オールコックが、人100名余り、馬30頭の一隊を組んで箱根を越え、山頂に登っている。1867年(慶応3年)10月にはパークス夫人が、1868年(明治元年)7月にサトウが登っている。[3]

明治時代1868年1912年)、複数の欧米人が日本アルプスに登った。アトキンソンアーネスト・サトウウィリアム・ゴーランドウォルター・ウェストンバジル・ホール・チェンバレン、フランシス、ミルン などである。15版まで重版されるベストセラーとなった志賀重昂の『日本風景論』が1894年(明治27年)10月に出版されるまでの時期を、明治時代日本アルプス登山史の第一期とする見方がある。[5]

その見方では、それ以降陸地測量部による1913年(大正2年)の地図刊行までをその第二期とする。第二期には、冠松次郎木暮理太郎、小島烏水、近藤茂吉、三枝守博、武田久吉、田部重治、鳥山悌成、中村清太郎 らが北アルプスに登った。[5]第二期を、小島烏水は日本登山史上の探検時代と呼んでいる。[3]

明治期の日本アルプスの登山では、信州の内野常次郎、上條嘉門次梓川渓谷)、小林喜作(中房渓谷)、遠山品右衛門(高瀬川渓谷)、横沢類蔵、越中の宇治長次郎、佐伯源次郎、佐伯平蔵 など、地元の猟師が案内をした。[5][6]

日本の「近代登山」のはじまりをどの時点に置くかは、人によって解釈が様々であるが、1874年(明治7年)に六甲山における、ガウランド、アトキンソン、サトウの三人の外国人パーティによるピッケルとナーゲルを用いた登山が、日本の近代登山の最初とされることが多い。ガウランドは1881年(明治14年)に「日本アルプス」を命名した人物としても知られる。1889年(明治22年)には、ウエストンによってテント・ザイル等が持ち込こまれ、ウエストンの助言で小島烏水らが1905年(明治38年)に日本で最初の山岳会「山岳会」(後の「日本山岳会」を設立した。この年を近代登山のはじまりとする説もある。また今西錦司の言うように1918年(大正7年)の第一次世界大戦の終戦時をもって近代登山の幕開けとされることもある。

明治時代、北アルプスの地元では、学校登山が行われた。1883年(明治16年)に窪田畔夫と白馬岳に登った渡辺敏は、長野高等女学校校長時代、理科体育教育の目的で、1902年(明治35年)より毎年、戸隠山白馬岳富士山などへの登山を実施した。富山師範学校教諭の保田広太郎は、1885年(明治18年)ごろより、学生を連れて立山などに登った。河野齢蔵は1893年(明治26年)から動植物採集の目的で北アルプスの山々に登り、大町小学校校長のとき、学校で登山を奨励した。[7][8]

明治時代、測量地理学的な目的での登山が行われた。1882年(明治15年)8月 内務省地質測量長ナウマン博士の命令による横山又次郎一行の南アルプス横断、1885年(明治18年)全国地質測量主任ライマンの助手坂本太郎の槍ヶ岳-薬師岳縦走、1889年(明治22年)大塚専一の針ノ木岳-立山-後立山縦走などである。[3]

陸地測量部によって、1907年(明治40年)までに、日本アルプスの主峰のほとんどに、三角点が設置された。[3]

明治末から大正にかけて、日本アルプスへ登山する人たちが増え始めた。[9]

これを受けて、1907年(明治40年)に松沢貞逸が白馬岳山頂近くに橋頭堡を築いて営業を開始したのにはじまり、1916年(大正5年)に松沢貞逸が白馬尻小屋を、1918年(大正7年)に穂苅三寿雄がアルプス旅館(槍沢小屋)を、1921年(大正10年)に赤沼千尋が燕ノ小屋(燕山荘)を、百瀬慎太郎が1925年(大正14年)に大沢小屋、1930年(昭和5年)に針ノ木小屋の営業を開始するなど、山中で登山者が休憩・宿泊する山小屋の営業が始まった。[9]

また、1917年(大正6年)の百瀬慎太郎による大町登山案内者組合結成をはじめ、1918年(大正7年)の赤沼千尋の有明登山案内者組合、1919年(大正8年)の松沢貞逸の四ツ谷(白馬)登山案内者組合、1922年(大正11年)の奥原英男による島々口登山案内者組合結成など、山案内人(山岳ガイド)の利用料金および利用者と案内人の間のルールの明示・統一が試みられた。[9]

[編集] 道具

[編集] 登山の種類

[編集] レクリエーションとしての登山

レクリエーションとしての登山の魅力は、ゆっくりと傾斜を歩くことによる有酸素運動や、新陳代謝の活性化、あるいは景観や自然の風景そのものを楽しむことにある。他にも、森林浴(リラクゼーション効果)を楽しんだり、共に登山をする人との交流、冬山を登る際にはスキー滑走を目的とする場合もある。その目的は人により千差万別であり、それぞれの目的に合った登山の方法がある。また日本は山の国であって、散歩の延長で登れるような手ごろな山から、踏破に3~4日かかるものまで様々な山を歩くことが出来る。またひとつの山でも簡単なルートや難所の多いルートなどがあり、各々の力量や体力にに合わせ登山を楽しむことの出来る場所が多い。日本においては、以前は登山というとワンダーフォーゲル山岳部のイメージが強く、厳しく辛く、特殊な世界と見られがちであった。しかし近年、登山靴や登山用具の発達・軽量化によって、中高年世代においても一種の登山ブームと言える現象が起きた。高齢者でも気軽に登山やトレッキングが出来るように整備がなされ、体力にあった登山ルートで無理なく景色や運動を楽しむことが出来るようになってきている。

一方で登山人口における高齢者の割合が高くなるにつれ、遭難事故件数も増えつつある(登山における諸問題参照)。

[編集] 競技としての登山

高校総体においては、競技の一環として登山を取り入れている。体力や装備、あるいは天気図に関する技能・知識や、高山植物応急処置の方法等を点数として、審査員がそれらの達成度を計数し、高校ごとに順位を決定する。隊列に遅れず登頂を目指すのも体力点として高得点ではあるが、他にもマナーや態度、知識や服装等にも気を遣う必要がある。4日間をテントで過ごし、食事も寝床もすべて自分達で持ち歩き準備しなければならない登山競技は、インターハイにおいては最も厳しい競技のひとつである。 更に、地方大会では実力の優劣をはっきりとさせるために重量規制があり、現段階では4人で60kgと言う規定がある。 その60kgに、飲料として使用する分の水、怪我の治療などとして使用するために綺麗な水などを要するため、実質70kgにも75kgにも及ぶことなどが多々あるという。

また、国体においても山岳競技があり、縦走競技とクライミング競技の2種目で構成される。縦走競技は、規定の重量を背負い、決められたコース完走する時間を競う。クライミング競技は、人工壁をフリークライミングのスタイルで登り、到達高度を競う。

他にも岩を登る行為の派生競技としてフリークライミング、山道を走ってその順位を争うトレールランニング等の競技がある。いずれも、競技とは言え山や岩場でのスポーツになるため、安全対策や体調管理に十分に注意する必要がある。

[編集] 職業としての登山

純粋に登山そのものを職業として行うのは、主に登山ガイドや登山家などである(登山ガイドは広義の登山家に含まれる)。

登山ガイドは登山の初心者やその山に不慣れな登山者のガイドを請け負い、山を案内して収入を得る。そのためその山に対する深い知識と、不慣れな登山者を安全に案内するための経験や技能が必要となる。なお、日本アルパインガイド協会では、登山ガイドの育成・認定を行っている。

また、著名な登山家の一部は、海外の8000M級の山を、単独で登ったり無酸素登攀したりと言う難しいアタックをする際、テレビ局や大きな企業をスポンサーに持つことが多い。アタックが成功した場合は企業の広告塔としてCMに出演し、利益を得ることもある。

こういった山岳ガイドや登山家の中でも広く名前を知られているものは、講演活動をし、本を出版することも少なくない。

一方、自然資源を得るための登山も存在する。東北地方に存在するマタギと呼ばれる狩猟集団や、山菜を採って販売する地元住民等の入山理由がそれである。山菜採りは自然環境に影響を与えるほどの量を採ることはせず、狩猟をする場合も個体数に影響を与えるだけの乱獲は避けるのが望ましいとされる。

麓から山頂まで荷物を人力で輸送するため登山する職業を歩荷(ボッカ)あるいは強力(ごうりき)という。

[編集] 登山活動における諸問題

[編集] 遭難事故

登山の際にもっとも気をつけるべきことは、遭難である。遭難は一人から数十人規模の大量遭難まで多種多様であり、人数が多いからといって安心できるとは限らない。主な原因としては、

  • 地図の誤読によるルート間違い、あるいは地図未携帯によるルート間違いからの遭難
  • 登山道から外れた為の遭難(山菜採り・茸採りの登山者に多い)
  • ホワイトアウト(冬山での地吹雪や吹雪による視界不良)による遭難
  • 雪崩・土砂崩れ等に巻き込まれた場合の遭難
  • 天候不良・日没による下山不能状態
  • 怪我人が出るなどした場合の、単独行動による遭難
  • 遭難者救出のために入山し、自身も遭難するケース(二次遭難)
  • 火山ガス硫化水素など)の吸引
などがある。これらの回避策としては、
  • パーティ全員が地図を携帯し、各々確認を繰り返しながら進む
  • 事前に十分天気予報等で気象状況を把握し、天候のもしもの場合は登山そのものを中止する措置を取る
  • 天候の急激な悪化に際しては、無理に進まず、引き返す、一旦止まる等の適切な対処をする
  • 事前に計画を立てる際は、パーティメンバーの体力を考慮し、決して無理な計画は立てない。また、緊急時の下山ルート等も調査し計画しておく。
  • 時間に余裕のある計画を立て、少々のトラブルがあっても日没までには目的地に着けるようにする
  • 雪崩や土砂崩れは大概起こる場所が決まっているため、できるだけそのルートを避けるか、事前に申し合わせ注意しつつ素早くその地点を通過する。また地形を良く把握し、雪崩が起こりそうな場所を予めチェックするのも有効である。
  • 怪我人や急病人が出た場合、移動が可能な時は速やかに下山し、不可能な場合は直ぐに医療機関か警察に連絡を取る
  • 山菜採りなどで登山道以外の場所へ立ち入る際は常に自分の位置を確認し、決して深入りしないようにする
  • 安易に遭難者救出に向かわない
などが挙げられる。また、遭難した際にも本来の到着時間や取るべきルートを救出隊が確認できるように、出発前に入山届を書いておくのも重要である。

[編集] 自然破壊

近年、登山人口が増加したことによる自然に対するダメージが目立ってきている。例としては、ゴミやタバコを持ち帰らずポイ捨てする、むやみに木や枝を折る、遊歩道を歩かず、貴重な植物を踏んでしまう等がある。これらは本来、登山者にとって守るべきマナーであるが、登山を始めたばかりの登山者の中にはそれを知らず結果的に自然や景観に影響を与えてしまうことがままある。以下に具体的な例をあげる。

ごみの問題

登山の途中に発生するゴミは、原則的に当人が持ち帰らなければいけない。プラスチックやペットボトルなどの化学合成品は分解が遅く、長く自然界にとどまるため生態系に悪い影響を及ぼすとされる。また、生ゴミであれば捨てて良いというわけではなく、過多な栄養はその地に住む動植物の生態系を変え、結果的にはそれまでの生態系を破壊してしまう結果にもなる。

植物の盗掘

また、よくあるのが植物の持ち帰りである。高山植物は学術的にも貴重であり、ほとんどの山で持ち帰りが禁止されている。しかし、それを知らないがために野の花を摘むようにもって行ってしまう登山者がある。あるいは、高山植物の生息域にロープ等で立ち入り禁止が示されているにも関わらず、自宅での鑑賞のために持って帰ってしまう者、悪質なものは土を掘り返し根元から大量に持ち去ってしまうこともある。代表的な高山植物であるコマクサは、その美しさに愛好家も多い花だが、山からの盗掘もまた多い。逆に、盗掘した植物を、本来その植物が自生していない別の山に移植してしまうケースも発生している。

動物生態系への影響

多くの登山者が山に入ることによる、野生動物が安心と思う住領域の縮小、また人間の持ち込んだごみにより、野生動物の食環境の変化、また人間が出すごみを好む動物が増えてしまうなどの影響が考えられる。また犬を連れての登山を禁止している山もある。これは犬が病原菌を持ち込んだり野犬となったりして、野生動物の生態が乱されるのを恐れての処置である。犬連れ登山禁止に対しては、長年犬は山小屋、猟師等で飼われてきたが、犬から野生動物への病気感染があったか疑問である、人間の方が犬より環境インパクトが大きいなどの反論がある。

排泄物の処理

槍ヶ岳剣岳八ヶ岳尾瀬など、人気のある山においては山小屋での排泄物の処理が問題となる。以前はし尿の処理は土に返すだけの処理であったが、登山人口の増加に伴って人間の排泄物が自然に与える影響が無視できない状況になってきた。加えて、排泄物に含まれる大腸菌等によって湧き水が汚染され、飲用できなくなる事態も発生している。そこで、現在ではヘリコプター等で排泄物を運搬、しかるべき施設で処理する方法や微生物で分解するバイオトイレなどへと変化して来ている。運送費や諸経費の調達のため、場所によっては山小屋の利用料を値上げしたり、トイレの使用料を取る山小屋もある。登山における休憩中の排泄も人数が多くなれば悪臭や栄養過多で影響を与えるため、簡易トイレの使用も推奨されている。

丹沢山地・大倉尾根の大きくえぐられた登山道。前方は登山道が二本に分かれ、中央が島のようになっている。
丹沢山地大倉尾根の大きくえぐられた登山道。前方は登山道が二本に分かれ、中央が島のようになっている。
登山道の荒廃

近年の中高年の登山ブームにおけるオーバーユースによって登山道の荒廃が広がっている。加えて、えぐれた登山道では雨が降るとぬかるみ、それを避けるために登山道脇を歩くことによって植生は失われ、登山道が広がり中には車が通れるほどの広さになっている登山道もある。 また、最近では登山時に腰や膝の負担を軽減する目的でステッキやストック等を使用する人が多くなってきているが、それらで登山道の土が掘り起こされ、柔らかくなった土が雨で流出するなど登山道が荒れる原因になっている。

[編集] 登山国道

国道は、定義の通りであって、道路の規模によって国道になるわけでは無く、車両が通れず、歩行者のみが通れる登山道が国道になっており、酷道の一種になっている。地図上では地図によって登山道部分が通常の道路と同じく線で描かれていたり、破線(点線国道)で描かれていたり、登山道部分が線・破線共に描かれていないなど、様々なパターンがある。そのうち国道289号は登山道に国道標識があり、登山国道として有名である。現在登山国道の多くは将来、車道として開通する予定であるが、自然環境の保護(国道401号尾瀬部分など)や財政難などの理由により車道として開通する予定が無いものもある。

この他に都道府県道市町村道が登山道になっているものが全国的に存在する。

[編集] 参考文献

[編集] 脚注

  1. ^ a b c 『北アルプス この百年』2003年(平成15年)著 菊池俊朗 文春新書 ISBN 4166603477 P11~72
  2. ^ 『峠の歴史学 古道をたずねて』 2007年 著 服部英雄 朝日新聞社 ISBN 978-4-02-259930-8 P105~155、P61~104
  3. ^ a b c d e f g 『北アルプス博物誌 Ⅰ 登山・民俗』第5版 1974年(昭和49年) 編者 大町山岳博物館 発行所 信濃路 発売元 社団法人農村漁村文化協会 P260~273 日本の登山小史 山崎安治
  4. ^ 『峠の歴史学 古道をたずねて』 2007年 著 服部英雄 朝日新聞社 ISBN 978-4-02-259930-8 P136, 138-155
  5. ^ a b c 『黎明の北アルプス』1994年 著 はまみつを 郷土出版社 ISBN 4-87663-255-3 P165~171
  6. ^ 『北アルプス博物誌 Ⅰ 登山・民俗』第5版 1974年(昭和49年) 編者 大町山岳博物館 発行所 信濃路 発売元 社団法人農村漁村文化協会 P2
  7. ^ 『北アルプス博物誌 Ⅰ 登山・民俗』第5版 1974年(昭和49年) 編者 大町山岳博物館 発行所 信濃路 発売元 社団法人農村漁村文化協会 P48 山でつくられた郷土の科学者 高橋秀男
  8. ^ 『北アルプス この百年』2003年(平成15年)著 菊池俊朗 文春新書 ISBN 4166603477 P60~62,156~169
  9. ^ a b c 『北アルプス この百年』2003年(平成15年)著 菊池俊朗 文春新書 ISBN 4166603477 P74~125,170~187

[編集] 関連項目


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