村上正邦
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村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年8月21日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(4期)。福岡県田川郡添田町出身。
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[編集] 概要
1932年、福岡県嘉穂郡に生まれる。1956年、拓殖大学政経学部卒業後、東洋紡を経て、生長の家本部に職員として入る。自由民主党参議院議員玉置和郎の秘書を通算14年務める。
1974年の参議院議員選挙では、生長の家の組織票をバックに、全国区から自由民主党公認で出馬するも次々点で惜敗。再び玉置和郎の秘書を務めた後、1980年に参議院議員に初当選。以後4期当選。生長の家政治連合、神道政治連盟など、宗教票の取りまとめを得意とする。また、労働族議員でもあった。
福岡県出身だが、埼玉県志木市に在住していたことから自由民主党埼玉県連合会に所属。一時は埼玉県選挙区からの立候補や埼玉県からの衆議院議員転身も取り沙汰された。
比較的ハト派が多かった当時の参議院自民党の中にあって、「タカ派の武闘派」として頭角を現す。1982年、玉置が青嵐会に参加していたことが縁で、自由民主党総裁選挙において中川一郎を支持したが、中川の死去後は中曽根康弘に請われ中曽根派に入り、参議院での中曽根派の勢力拡大に力を発揮。その後参議院自民党国会対策委員長に就任してから日本社会党・民社党などの野党議員にも人脈を広げ、自身の影響力を参議院全体に拡大した。
1983年、生長の家が運動方針を一部転換し、政治活動を停止。以後、豊明会中小企業政治連盟(豊政連、KSD中小企業経営者福祉事業団(理事長古関忠男)関連の政治団体)を支持母体とした。
1991年4月、中小企業経営問題議員連盟(豊明議連)が発足、同議連の幹事長に就任。のち会長となる。更にKSDによる「国際技能工芸大学」(ものつくり大学)設立構想を支援する「国際技能工芸大学設立推進議員連盟(KGS議連)」会長にも就任。
1992年、宮沢改造内閣で労働大臣として初入閣。1995年、山本富雄の急死を受けて参議院自民党幹事長に就任する。1998年、参議院選挙を取り仕切り、このとき野中広務と公認問題をめぐり対立。選挙で自民党は惨敗し、参院幹事長を辞任。青木幹雄が後を継ぐ。
1998年12月、山崎拓グループ(山崎派)の派閥離脱を受け、渡辺派会長に就任。1999年3月に志帥会旗揚げで、同派最高顧問の中曽根康弘元首相の後押しもあり、初代会長を務める。同年7月、派閥会長の職を退いて自民党参議院議員会長に就任し、「参議院の法王」「参議院の尊師」「村上天皇」と異名を取るほど「参院のボス」として影響力を発揮する。
1999年11月12日、今上天皇の即位10周年にあたり国立劇場で行われた政府主催「天皇陛下御在位10年記念式典」の後、同日午後から皇居外苑において開催された「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」の主催者「天皇陛下御即位10年奉祝委員会」(稲葉興作会長。委員に森喜朗ほか)の委員となり祭典の運営に当たる。同祭典の第2部「祝賀式典」において奉祝委員会委員を代表して祝辞を述べた。
2000年4月、加藤紘一嫌いを公言していた村上は、小渕恵三首相危篤の際には、当時、次期総裁の最有力候補と目されていた加藤紘一前幹事長を妨害する形で五人組と呼ばれる密室談合政治を展開し、早々に森喜朗幹事長を後継総裁に決定する過程で最も主導的な役割を果たした。
2000年10月、KSDの不正経理疑惑発生(KSD事件)。翌2001年1月、村上の側近だった自民党参議院議員小山孝雄(村上の元政策担当公設秘書、生長の家出身)が逮捕され、村上の周囲にも疑惑が広がる中、自民党参議院議員会長を辞任。同年2月、KSD事件で賄賂を受け取ったと報道される。2月28日に証人喚問された際、訴追の恐れを理由にいくつかの質問に対して証言拒否をした。世間の混乱を招いたとして、自民党を離党し、議員辞職した。3月1日に受託収賄の容疑で逮捕。2003年5月20日、東京地裁で懲役2年2ヶ月、追徴金約7288万円の実刑判決を受ける。2005年12月19日、東京高裁でも一審判決と同じく懲役2年2ヶ月、追徴金約7280万円の実刑判決を受ける。2008年3月27日、上告が棄却され、実刑が確定。5月15日、東京高等検察庁により東京拘置所に収監された。
国会外では拓殖大学評議員、株式会社ハリカの最高顧問等を歴任。
郵政民営化を始めとする小泉純一郎元首相の政策や政治手法に対しては批判的で、2005年の郵政国会の際、参議院本会議で反対票が上回った理由に村上の影響力があったとされる。既に自民党を離党していることもあり、現在表立った政治活動はしていないものの、参議院自民党を中心としてなお政界に隠然たる影響力を有しているとされる。
[編集] その他
- 保釈後もしばらくの間メディアの表舞台には現れなかったが、近年再登場し、言論活動を行っている。
- ニュース番組のインタビュー取材等の形でテレビにも出演している。2006年4月30日、テレビ朝日系列のニュース番組「スーパーJチャンネル」に出演。堀江貴文保釈のニュースの中で、同様に逮捕・東京拘置所拘置経験者である鈴木宗男・佐藤優とともに奈良県吉野を訪れ、後醍醐天皇陵を参拝して再起を誓った後、鼎談する様子が放送された。
- 『世界』誌上で魚住昭のインタビューを複数回受け、連載。この連載は2007年10月、村上正邦/述・魚住昭/著『我、国に裏切られようとも 証言村上正邦』(講談社、ISBN 9784062143332)として書籍化され、刊行。
- 宮崎学のWebマガジン『直言』にも登場。
- 2007年5月、元参議院議員の平野貞夫・筆坂秀世と共に幻冬舎から『参議院なんかいらない』(幻冬舎新書041・ISBN 9784344980402)を上梓。同年7月の第21回参議院議員通常選挙の結果を受け、11月には再び平野・筆坂とともに『自民党はなぜ潰れないのか 激動する政治の読み方』(幻冬舎新書066・ISBN 9784344980655)を刊行した。両書とも「政界・三浪人の鼎談本」と銘打っている。
- 現在も永田町に事務所を構えており、「日本の司法を考える会」を開催するなど、政治活動再開への意欲も見せている。
[編集] 著書
- 『政治にスジを通す』 1973年9月 日本教文社
- 『混迷の東欧を探る』 1991年6月 読売新聞社 ISBN 4643910569
- 『汗にむくいる 徳おこし労相奮戦記 ちょっとガラッパチですが』 1994年7月 労務行政研究所 ISBN 4845240742
- 『参議院なんかいらない』(幻冬舎新書041)(平野貞夫・筆坂秀世との共著)2007年5月 幻冬舎 ISBN 9784344980402
- 『我、国に裏切られようとも 証言村上正邦』(村上正邦/述・魚住昭/著) 2007年10月 講談社 ISBN 9784062143332
- 『自民党はなぜ潰れないのか 激動する政治の読み方』(幻冬舎新書066)(平野貞夫・筆坂秀世との共著)2007年11月 幻冬舎 ISBN 9784344980655
[編集] 関連項目
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