坂口力
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生年月日 | 1934年4月1日(74歳) |
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出生地 | 三重県一志郡白山町(現・津市白山町) |
出身校 | 三重県立大学(現・三重大学)大学院医学研究科 |
学位・資格 | |
前職 | 三重県赤十字血液センター所長 |
所属委員会 内閣役職 |
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世襲 | 無 |
選出選挙区 | 比例東海ブロック |
当選回数 | 9回 |
所属党派 | 公明党 |
党役職 | 副代表 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館617号室 |
ウェブサイト | http://www.s-chikara.com/ |
坂口 力(さかぐち ちから、1934年4月1日 - )は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(9期)。医師。医学博士。
目次 |
[編集] 経歴
- 1934年4月1日 三重県一志郡白山町(現・津市白山町)に生まれる。
- 松阪北高校(現・松阪工業高校)、三重県立大学(現・三重大学)医学部卒業。三重大学大学院医学研究科博士課程修了。
- 1976年12月 第34回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。党委員長竹入義勝の下で党政策審議副会長に就任。以後、10年に渡り務める。
- 1980年6月 第36回衆議院議員総選挙で落選。
- 1986年12月 公明党大会で党委員長矢野絢也の下で党政策審議会長に就任。
- 1990年2月 第39回衆議院議員総選挙で落選。党政策審議会長を党副委員長神崎武法に譲り退任。
- 1993年7月 第40回衆議院議員総選挙で当選。
- 1993年8月 細川内閣が発足し労働大臣に就任。
- 1994年4月 首相細川護熙の退陣により労働大臣を辞任。
- 1994年12月 公明分党により新進党結成に参加。
- 1995年8月 党首海部俊樹の下で党政策審議会長代理に就任。
- 1997年10月 新進党の解党前に党内派閥の公友会を結成。
- 1998年1月 新党平和を結成し、党代表の神崎武法の下で党副代表兼政策審議会長に就任。
- 1999年9月 自自公連立内閣の発足に伴い改造人事を行い、党政策審議会長を党政審副会長北側一雄に譲り退任。党副代表は留任。
- 2000年12月 第2次森内閣で厚生大臣兼労働大臣に就任。
- 2001年1月 省庁再編で統合された厚生労働省の初代大臣に就任。
- 2001年4月 第1次小泉内閣の発足で約4年に渡り厚労大臣に就任。
- 2004年9月、厚労大臣を退任。
[編集] 人物
- 公明党に所属する衆議院議員の中では最多の当選回数(9回)かつ最高齢(74歳)。
- 独特のヘアスタイルが格好の4コママンガのネタにされていた。
- 狂牛病問題のときに鳥インフルエンザとも絡めて「モウ、ケッコウ」と洒落とも怒りともつかない発言をして失笑を浴びた。
[編集] 役職歴
- 公明党
- 副代表
- 参議院選挙対策本部副本部長
- 社会保障制度調査会顧問
- 税制調査会顧問
- 憲法調査会顧問
- がん対策推進本部顧問
- 三重県本部顧問
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- http://www.s-chikara.com/(公式サイト)
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母体:創価学会 | |||||||
歴代代表 |
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