小山孝雄
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小山孝雄(こやま たかお、1943年12月13日 - )は、日本の政治家。元自由民主党参議院議員。
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[編集] 概要
山形県北村山郡大久保村(現村山市)出身。山形県立楯岡高等学校、山形大学文理学部卒業。1968年、宗教法人生長の家に就職し、生長の家政治連合職員。1980年に生長の家を退職し、自由民主党参議院議員村上正邦の政策担当公設秘書を務める。1995年、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例代表から出馬し当選(名簿順位第12位。第15位まで当選)。小渕内閣で労働政務次官に就任。
参議院議員当選後も村上の側近として活動し、村上同様に労働族議員でもあった。また埼玉県川越市に在住し、志木市在住の村上とともに自民党埼玉県連合会に所属。政治活動のあらゆる場面で村上と行動をともにし、「議員バッジをつけた秘書」と評される。埼玉県内でも浦和市や志木市周辺では村上の活動に同行し、他の議員や自治体首長の選挙運動の応援などもしていたものの、自身の地元川越市では目立った活動をしておらず、小山の自宅の周辺住民には近所に自民党の参議院議員が在住していることさえあまり知られていなかったという。
小山独自の活動としては歴史教科書問題における積極的な関わりがある。1997年1月に結成された新しい歴史教科書をつくる会に賛同。自民党の「教科書に関する分科会」座長を務める。歴史教育に関する議員連盟の設立を呼びかけ、1997年2月、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の結成に加わった。自民党地方支部の協賛を得て「つくる会」会長の藤岡信勝とともに各地で講演会を開催したほか、歴史教科書の記述や教科書採択問題について国会質問を行った。
KSD事件では汚職への関与が明らかにされた。労働政務次官の地位を利用してものつくり大学への補助金増額を働きかけたり、参議院労働委員会他でKSDを後押しするような質疑を行ったりした。一方、その見返りに秘書給与をKSDの関連団体に肩代わりさせるなど、利益供与を得た。これに伴い、2001年1月、自民党離党、間もなく受託収賄容疑で逮捕され、参議院議員辞職。2004年2月、東京地裁は懲役1年10ヶ月の判決を確定した。
翻って、1995年の比例区公認と当選もKSDの強力な後押しがあったと考えられる。比例区出馬には党本部への党員名簿提出が課せられているが、名簿上位への登載には多くの党員が必要となる。利益団体が党費を肩代わりする事件が他にも見られるように(久世公堯の項参照)、団体が党費を立て替え幽霊党員を募り、特定の候補を後押しするという構図がかつての参議院比例代表に存在した。参院選比例区における非拘束名簿式の導入はこの問題点を改革する目的で導入されたものといえる。
[編集] 役職
- 自由民主党副幹事長
- 神道政治連盟顧問
- 神道政治連盟国会議員懇談会事務局長
- 神道政治連盟参議院の会事務局長
- 真保守主義研究会所長
[編集] 現在
- 既に刑期を終え出所している。政界には関わっていない。