日刊ゲンダイ
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日刊ゲンダイ(にっかん-)は、講談社系の新聞社(出版社)である株式会社日刊現代が発行する、タブロイド判夕刊紙。
1975年10月27日創刊(東京版、その他の地域は創刊年の項目を参考)。東京・大阪・名古屋の三大都市で発行(中部版は中部経済新聞社が発行)されている他、札幌では『日刊サッポロ』として発行されていたが2006年6月より『日刊ゲンダイ』として発刊されるようになった。
日本新聞協会に加盟を拒否されたため、雑誌扱い(日刊誌)となっている(理由及び詳細については後述)。公称発行部数168万2千部。
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[編集] 歴史
イギリスの大衆紙『ザ・サン』を参考に、反権威、センショーショナリズム、タブロイド判を特色として創刊された。紙面の構成は先行紙『夕刊フジ』に追随した。講談社の新聞界への進出は第二次世界大戦前に講談社創業者の野間清治が報知新聞の経営に失敗して以来、野間省一の悲願であったが、野間省一が倒れ、社内の反対論も強く『日刊ゲンダイ』の存在は講談社からすると鬼っ子的な扱いだった。
『週刊現代』編集長だった川鍋孝文は韓国大使館からの抗議が原因での重役との軋轢で閑職の開発室に廻されて『日刊ゲンダイ』を開発。株式会社日刊現代社長となる野間惟道講談社専務も事実上の経営トップだった服部敏幸副社長との不仲から、社内の派閥抗争の影響を受ける格好で『日刊ゲンダイ』の創刊にあたった。講談社が株式会社日刊現代への派遣を出向扱いでなく、退社扱いにしたことからも有力な役員や従業員は参加せず、川鍋孝文が指名した講談社従業員10数名のうち、参加したのは4名であった。
創刊時の編集メンバーは関口一喜(現:編集局次長)などのような文藝春秋社や新潮社の記者や、二木啓孝(元ニュース編集部部長。現在は退社)などのような「週刊現代」「週刊ポスト」の契約記者が多かった。こうして、講談社を挙げた形ではない創刊となった。
1975年10月の創刊時には25万部を発行。しかし、1975年11月と12月には実売で10万部を割り、1976年1月には1万部から2万部にまで落ち込む。この廃刊の危機を救ったのが、同年2月のロッキード事件の発覚であった。週刊誌的な紙面作りでロッキード事件の情報を毎日送り出す『日刊ゲンダイ』は一般紙と週刊誌の差別化に成功。この人気により、以後も、田中角栄元首相の動向を追う反権力的な政治記事などが定着して、1977年からは30万部を発行。1983年には公称110万部を謳うようになった。この間の1980年に惟道は『日刊ゲンダイ』成功の功績により講談社本社の社長に就任。
1981年11月16日、大阪版創刊。巻頭記事は「創価学会・池田大作名誉会長の醜聞が「月刊ペン事件」の裁判ですでにこれだけ暴露された」だった。この頃は経営的にも『日刊ゲンダイ』が講談社グループの大きな柱となっていた。
JRのキヨスクなど駅売りでは『夕刊フジ』『東京スポーツ』と競っている。
[編集] 論調
男性読者を対象に既存新聞とは一味違う観点から雑誌感覚でニュースを分析する「デイリー・マガジン」の形態を採り入れ、シニカルな報道姿勢から「シニカルな新聞」の代名詞となっている。
1面には大きく見出しを載せて記事は導入部のみ。見出しも時には2桁や3桁にもなるという創刊当時の『ゲンダイ』の表紙は新聞としては常識破りと評された。『ゲンダイ』にとって1面は記事を載せるのでなく、週刊誌と同じく表紙という位置付けとなっていた。
特に、政府・与党(特に自民党)、読売ジャイアンツ、サッカー日本代表、スポーツイベントに登場するタレントに対する激しい嘲笑と諷刺は名物となっている。
- 大阪発行分においては最終面で嘲笑・諷刺される対象は読売ジャイアンツではなく阪神タイガースであったが、最近は嘲笑や諷刺が抑えられ阪神ファン寄りの記事が増えている。関西では『夕刊フジ』(近畿2府4県で486,471部[1])が『ゲンダイ』(大阪版(滋賀県~山口県)342,000部[2])を上回っており、その理由として『夕刊フジ』が夕方にB版、C版を刷る事による速報性や阪神関連の批判記事を載せないことなどが挙げられる。
- そのためゲンダイは阪神ファンには不評であったが、これは東京から送られてきた原稿をそのまま掲載していたからで、現在最終面は大阪で原稿作成から編集までこなしている。阪神ファン寄りの記事が増えているのはこのためだが、逆に嘲笑・諷刺を好むアンチ阪神からの支持は失われつつある。
かつて嘲笑・諷刺していた人物・団体を一転して賛美したり、或いはその逆で賛美していた人物・団体を非難したり、昨日まで難めていた人物を翌日には褒め賛えるなど、論調姿勢が統一されていない部分が多く、極端なところでは論調が180度逆転する事もある。署名記事でない為に個々の執筆者の報道姿勢についてはあきらかではない(1面記事を含め執筆者が毎日同じでない事が理由の一つ)。これは記者がほとんどフリーランスで記者は ほとんど社員でないため一貫性がない。
[編集] 批判の対象
[編集] 政党・政治家
姿勢としては「権力を監視する」というジャーナリズムの基本をモットーととする体裁を取っており、政治家(立法)、官僚(行政)、司法、大メディアといった四権に対して批判を行うことが多い。特に、悪政や天下りを大きく報道し批判する記事を好む。土曜日発行版を除く紙面の1頁から2頁の多くは与党の政策についての記事を掲載し、これらを“悪政”として批判するスタンスをとっている。
非自民政権である細川政権や羽田政権を細川護熙を近衛文麿、小沢一郎を東条英機に擬えて批判していた為、反自民ありきというわけではない。1994年成立の村山富市政権成立当初は反小沢、反創価学会のスタンスから村山を讃える記事が有ったが、間もなく村山政権に対しても批判的な論説を展開するようになった。党派的には民主党に近いと思われているが、菅直人に対する執拗な批判を繰り返している為、定かではない。事実、菅が民主党代表を辞任して四国八十八箇所のお遍路巡りをした時に、自力で歩いていないことを日本のマスコミで唯一報道したりもした。
自民党、公明党など政権与党に対しては常に辛辣である。ゆえに保守派がゲンダイを嫌うのは確かではあるが、だからといって改革派系からの絶対的な支持を持つわけでもない。これは、金曜日付(木曜日発行)では、5頁に保守系である俵孝太郎のコラムを載せ、1頁から2頁の「権力を監視する」記事とは正反対の内容となっている事からも窺える。
特に公明党に関しては「ぬえ政党公明党が日本を破滅させる」キャンペーン記事を行うなど与党・野党時代を問わず一貫して批判を続けている。
また、新内閣が成立すると大臣の経歴を載せ過去の金銭スキャンダル等を穿りだして批判するのが常であるが、大した批判材料が存在しない場合には「毒にも薬にもならない。」という独特の表現で無理やり批判することが多い。
[編集] マスメディア・言論人
第四の権力として肥大した既存大メディア、特に朝日新聞に対する厳しい批判記事を、形を変えながら掲載し続けている[3]。2005年には魚住昭がコラムで大いに批判していた。「大マスコミの翼賛体質報道」といった批判を行う際に使用する戦前の新聞紙面写真はほとんどが朝日新聞の紙面写真を使用している。
筑紫哲也に対しては朝日新聞記者時代のテレビ出演以来、『NEWS23』キャスターの現在に至るまで執拗に批判を繰り返している。初期は大メディアの傲慢や独善を示す代表として、今日では老醜を晒しているとして一貫した批判を続けている。特に2002年3月29日の紙面では「ピンハネ議員を"国会のヒロイン"に仕立て上げた、この老害TVキャスターはもう退場したらどうか」と辻元清美を擁護した筑紫に引退を勧告した。
[編集] 大韓民国・韓国人
韓国及び韓国人を徹底的に批判している。これは元々、日刊ゲンダイを開発した川鍋孝文が週刊現代編集長時代に金大中事件で韓国政府批判を繰り広げたことにより、韓国大使館から抗議を受け、講談社役員との喧嘩となり編集長を解任されたことと、近年の韓流“ブーム”に騒ぐ主婦層への反発からである。
[編集] 芸能
芸能に関しても辛辣な論調である。いわゆる負け組サラリーマンの立場から記事が書かれているためか、記者の主観的な観点からの屁理屈や妬みに近い、単なる言いがかり、罵詈雑言ともとれる暴論めいた記事が多い。それが顕著に表れるのが女性芸能人の熱愛が発覚した時で、交際相手の男性を痛烈に批判する記事が見受けられる。また根拠のない事柄を「事情通」、「芸能関係者」といった実在するのか怪しい人物からコメントを取ったとする記事が多い。この事は後述の「えなりかずきに巨根伝説」に詳しい。批判だけではなく礼賛する記事もあるが、慇懃無礼な文章が記事の端々にあったりと純粋に礼賛したがらないという傾向がある。 テレビ番組に対しては内容や質に触れることはほとんど無く、視聴率の話題に終始する。視聴率が芳しくない番組は出演しているタレントや俳優の責任というスタンスが多い。一方で2008年東京マラソン中継(日本テレビ)の高視聴率(20.6%)に対して「ヒマな人が多い。」という記事を掲載した。
他のスポーツ新聞やワイドショーでは「報復」を恐れて書けない芸能記事を堂々と掲載する。例としては、フジテレビ系ドラマ『プライド』の収録中に、木村拓哉が放ったアイスホッケーのパックが観客に命中した事故をスクープし、2004年10月に起きた島田紳助暴行事件でも「チンピラ芸人」と口汚く罵るなど、他紙や民放ではタブーとされるジャニーズや吉本興業絡みの事件も他社に比べ積極的に取り上げる傾向にある。また、吉本興業でも特に島田紳助、ダウンタウンに対してのバッシング記事が多い。その他に北野武やオフィス北野に関連するタレントの批判も多い。宮崎県知事選挙の際は執拗に反東国原キャンペーンを行った。
女優評価の基準の一つとして「ヌードになるかならないか」というものがあり、作品で脱がなかったり脱ぎっぷりがよくなかったりすると、その女優に失望する記事を書く。
[編集] 宗教
宗教、霊能などに関与する人物やタレントを頭ごなしに批判する記事も目立つ。
他紙が及び腰な公明党や創価学会への批判も行う。創価学会系である潮出版社の全面広告を月2回(月刊雑誌「潮」と横山光輝の漫画)4頁に掲載するのにも関わらず、お構いなしである(既出の俵孝太郎も創価学会に批判的である)。
[編集] その他
日本新聞協会は発行元の株式会社日刊現代が週刊誌を発刊している講談社系の会社であることを理由に『ゲンダイ』創刊時に加盟を認めなかった[4]。
得手分野としては競馬を持ち、週末版には競馬に関する特集を組む。JRAに対する批判は殆ど掲載されない。なお、競馬欄の名物小説『止まり木ブルース』(塩崎利雄)は1986年から続く長期連載となっている。
テレビ朝日で放送されている『ワイド!スクランブル』の「夕刊キャッチUP」のコーナーでも記事が紹介されている。しかし、新聞協会非加盟であるため被疑者・被告に「○○容疑者・被告」とは付けずに呼び捨てで書くので『ワイド!スクランブル』では紹介記事に「容疑者・被告」と付けてアナウンサーが呼んでいる。
他者の不祥事を批判する割には自社の不祥事については黙して語らないことが多い。例えば2006年7月に自社の経理部長の5億円横領が発覚したが自社では全く報道しなかった。
[編集] 批判を浴びた記事 スキャンダル
2007年4月11日付(4月10日発行)に掲載された「美人フルート奏者と熱愛中のえなりかずきに巨根伝説」という見出しの記事を出し、「芸能ライター」の声として、えなりが 巨根であること、そして風俗通いを頻繁にしていると報じた。それに対しえなりが事実無根とし名誉毀損として約1,100万円の損害賠償と謝罪記事の掲載を求めて、東京地裁に提訴し、訴訟となった。半年後、日刊現代は記事は全て捏造であったと認め、えなり側に謝罪し和解した。同紙10月7日付(10月8日発行)の芸能面に「本紙2007年4月11号に掲載したえなりかずき氏に関する記事で、同氏の発言として報じた部分及び 同氏支援者が同氏を接待する方法について述べた部分は、いずれも事実に基づかないものでした。 この記事により、同氏の名誉を侵害し、同氏に多大なご迷惑をおかけしたことを謹んでお詫びいたします」との10月6日付社告を掲載した。
他にも野中広務、河井克行など複数の政治家に抗議され謝罪訂正報道を行っている。
[編集] ゲンダイネット
WEB版として1998年に開設した「ゲンダイネット」がある。「ゲンダイネット」は『日刊ゲンダイ』を元に作成・編集された情報をパソコンやモバイル端末を使って利用するサービスであり、兼松グランクス株式会社が株式会社日刊現代と業務提携し、企画・制作・運用・保守・営業業務を行っている。他に「インフォシーク」「エキサイト」「ライブドア」と提携して各ニュースサイトに芸能記事を提供している。2006年12月より、「Yahoo! ニュース」への記事提供も始まった。現在はインフォシークのバナー広告に見出しが掲載される確率が高い。 ただし、記者の偏見と悪意が露骨にでた記事やコラムも多いとの批判も出ている。とくにmixiニュースにおいては、記事を読むだけでもゲンダイとわかるほどの偏見と悪意に満ちた記事が掲載されている。
尚、「ゲンダイネット」は本来は有料サイトであるが、速報性にこだわらなければ上述のサイトで主だった芸能記事の全文が閲覧可能である。2006年以降は新聞発刊後数日遅れながら「ゲンダイネット」で無料閲覧可能となった。
また、「ゲンダイネット」と同様に1998年から始まった、電子メールを利用した「日刊ゲンダイ Dailymail」は2007年2月末の配信をもって、サービスを終了している。
[編集] 連載漫画
1977年から2003年まで連載された、横山まさみちによる『やる気まんまん』(原作牛次郎。途中より横山が原作も担当し、『それいけ大将』その他に改題)が有名。連載最終盤に横山は死去したが、生前に原稿は完成しており完結した。以後、同系統の艶笑漫画を3人の作家の執筆を経て、2005年より過去に掲載した『やる気まんまん』の傑作選(第1部~第3部)を2007年3月まで連載した。
過去には同時連載として複数の漫画が掲載されたこともある。ケン月影、とみ新蔵、さかもと瓢作、ももなり高、桜多吾作等が連載を行った。これらのうち単行本が出版されたのは、横山まさみちの『やる気まんまん第一部』、ケン月影の『戦神』、『石川五右衛門』、とみ新蔵の『魔界転生』(山田風太郎原作)、さかもと瓢作の『負けてたまるか』のみである。
2007年7月2日号(6月30日発売)より、『特命係長・只野仁 ファイナル』(柳沢きみお)の連載が始まった(6月30日以外月~金発売分に掲載)。
四コマ漫画は日替わりで、以下の作品を掲載していた(2007年に四コマ漫画の掲載をやめている)。
- 月曜日『イッパツくん』中村龍平
- 火曜日『下ネタ三昧』はしもといわお
- 水曜日『パロパロ白書』コジロー
- 木曜日『木よーびの真相』えびなみつる
- 金曜日『チンチロ源さん』若林健次
- 土曜日『サッカー政界カップ』柴昭一
また、20余年にわたってはらたいらが四コマ漫画『ゴシップちゃん』を連載していたこともある。
[編集] 連載コラム
[編集] 連載小説
- 大沢在昌『黒の狩人』
創刊当時は宇能鴻一郎の『人妻いじめ』や花登筺の『船場の女なかちゃん』等を掲載していた。
[編集] 日替連載コラム
- 月曜日『江上剛の経済・世相を斬るPARTⅡ』
- 月曜日『原田武夫 国際政治ナナメ読み』(隔週連載)
- 火曜日『吉川潮 TV見たまま思ったまま』
- 火曜日『金子勝の天下の逆襲』、『伊藤惇夫 自民民主全面戦争の深読み(小泉無気力政局の裏側、安倍翼賛政治の行方を改題)』(隔週交代連載)
- 水曜日『田中康夫の奇っ怪ニッポン』
- 水曜日『斎藤貴男 二極化・格差社会の真相』(隔週連載)
- 木曜日『俵孝太郎の辻斬り説法』、『春名幹夫 国際情勢を読む』
- 金曜日『高橋乗宣の日本経済一歩先の真相』
- 不定期連載『矢島正雄のサラリーマン楽観主義』
[編集] 過去の執筆者
[編集] 連載
- 『この人物のオモテとウラ』
- 『あの人は今こうしている』28年間継続している長寿連載
- 『失礼します』
- 『この人の身上調査書』
- 『社長の私生活』30年継続している長寿連載
[編集] 狐の書評
1981年2月から2003年7月まで連載されていた日刊ゲンダイの名物企画。当初は不定期掲載だったが、その後水曜日発売分に定着。新刊を書評した。連載中、筆者の「狐」は匿名の書評家であったが、随筆家の山村修が2006年7月に刊行した著作の中で、自らが「狐」であることを明らかにした。
[編集] 創刊年
[編集] 販売エリア
[編集] 東京版
宅配は東京新聞販売店が取り扱い(一部配達不可地域あり)、第三種郵便物扱いによる郵送購読も可能。
[編集] 大阪版
宅配は読売新聞販売店が取り扱い(一部配達不可地域あり)、第三種郵便物扱いによる郵送購読も可能。
[編集] 中部版
- 即日で購入可能な地域
- 愛知県、岐阜県、三重県(伊賀地方を除く)、静岡県(大井川以西の中日新聞販売店の店売り)
- 一日遅れで購入可能な地域
- 静岡県(大井川以西)、福井県、石川県、富山県(いずれもコンビニエンスストアにて販売)
宅配は中日新聞販売店が取り扱う(一部配達不可地域あり)。
[編集] 札幌版
[編集] 脚注
- ^ 株式会社産案の公式サイトより
- ^ 中部経済新聞の公式サイトより
- ^ 雑誌『月刊GON!』(ミリオン出版)は日刊ゲンダイの新聞協会加盟を拒否したときの会長が朝日新聞社長であったことに起因するのではと推測している。
- ^ 他の夕刊紙では『夕刊フジ』は加盟社の産経新聞社が編集発行している新聞であり『東京スポーツ』も新聞社なので加盟している
- ^ 愛知県、岐阜県、伊賀地方を除く三重県では中部版が創刊するまでは大阪版が販売されていたため現在でも大阪版の記事が多い。中部版は一部編集と発行が中部経済新聞社によって行われている。
- ^ 北海道では1981年12月1日に北海道日刊スポーツ新聞社の出資による『日刊サッポロ株式会社』から『日刊サッポロ』として創刊された。2006年6月1日付から、『日刊サッポロ』は題字を東京や大阪などと同じく『日刊ゲンダイ』に改めた。
[編集] 関連項目
- 二木啓孝(元ニュース編集部部長)
- 講談社
- 横山まさみち
- 五木寛之(エッセイ「流されゆく日々」を創刊時より連載)
- 宇能鴻一郎(長きに亘って官能小説を連載していた)
- 重松清(平日版に官能小説を連載していた)
- 大沢在昌(現在平日版に小説を連載)
- 小泉訪朝における空白の10分間事件(この事件となる記事を載せたのがゲンダイであった)
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[編集] 参考文献
- 栗林利彰 『ニュー・ジャーナリズム 「日刊ゲンダイ」第一面の研究』 汐文社、1978年。
- 『音羽vs一ツ橋 巨大出版社の研究』 創出版、1983年。
- 伊藤友八郎 『出版王国「講談社」』 オーエス出版、1994年。
- 針ケ谷良一 『夕刊戦国史』 文芸社、2000年。
- 長尾三郎 『週刊誌血風録』 講談社、2004年。
- 横山まさみち・牛次郎原作 『やる気まんまん性遊記』 ケント出版、1988年。
- 横山まさみち・牛次郎原作 『やる気まんまんザ・グレイトセレクション』 マガジン・ファイブ、2006年。
- さかもと瓢作 『喜劇・負けてまたるか』 徳間書店、1994年。
- とみ新蔵・山田風太郎原作 『魔界転生』 リイド社、2003年。