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グランツール - Wikipedia

グランツール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

グランツール英:Grand Tour仏:Grands Tours西:Grandes Vueltas蘭:Grote Ronde)とはヨーロッパで開催される自転車のプロロードレースのうち、ジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャの3つのステージレースの総称である。三大ツールともいう。

目次

[編集] 概要

ステージレースはジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャ以外にも数多存在するが、この3レースはいずれも実施期間及び走行距離がとりわけ長く(およそ3週間にわたり3000km以上の距離を走る)、しかも平地・山岳・タイムトライアルというそれぞれ要求される能力が異なる種目で総合的な力を発揮できなければ良い成績を収められないという点において共通しており、「最大・最高のステージレース」という意味合いから「グランツール」の名が冠せられている。それゆえ過酷さも他のレースとは桁違いであり、優勝することはもとより完走することさえ困難である。しかし、その一方で知名度や賞金額も高いため、総合優勝者ともなれば最上級の賞賛が贈られるのはもちろんのこと、出場するだけでも名誉なレースである。

中でもツール・ド・フランスはグランツールの中で最も歴史があり、他の2レースと比較した場合、出場選手のレベルが相対的に高い。さらに知名度も高く、ロードレースに関心のない人もツールだけは特別に興味を持っていることが多く、大会期間中にテレビ中継等で観戦する人は世界で10億人を超すとも言われている。そのためツール・ド・フランスを「世界最大の自転車レース」と呼び、スポーツイベントとしてはオリンピックとサッカーワールドカップと同格の「世界三大スポーツ競技大会」に位置づける人もいる。

しかしながら、ツール・ド・フランスがグランツールの中で最も過酷なレースかというと必ずしもそうとは言えず、山岳コースの設定はジロ・デ・イタリアのほうが厳しいと見る人も多い。そのためツール・ド・フランスが「世界最大の自転車レース」ならジロ・デ・イタリアは「世界最高の自転車レース」と評されることがある。

[編集] 各グランツールの特徴

[編集] ツール・ド・フランス ~選手・チームの総合力が要求される~

ツール・ド・フランスにおいては、「山岳コースではなるべく消耗が少ない走りに終始し、個人タイムトライアルで一気に勝負をつける」という戦法[1]が定石とされる。5連覇を達成したミゲル・インドゥラインはそうした走り方の典型であったといえる。また1989年の大会で大逆転優勝を収めたグレッグ・レモンもプロローグを除くタイムトライアルで常に勝利したことが後の勝因に繋がった。

そのほかエディ・メルクスランス・アームストロング、後にドーピング疑惑で優勝を剥奪されたフロイド・ランディスら、山岳で積極的に攻撃を仕掛けたことで有名な選手たちも、タイムトライアルでは圧倒的な力を示している。逆に言えば、8度の表彰台を経験しながらも、ついに中央に立つことがなかったレイモン・プリドールや、6度の総合2位を経験しているヨープ・ズートメルクといった選手たちは、個人タイムトライアルで総合首位者に差を広げられるケースが多かった。

そう考えると、ツール・ド・フランスでは、とりわけタイムトライアルにかかる比重が大きいと言える。このため、総合優勝争いでは、タイムトライアルで得た(または得られると予想できる)タイム差、ないし失った(または失うと予想できる)タイム差を基にして、いかにそのタイム差を保つ(あるいは埋める)かが一番の鍵となる。よって、どのステージでどのような走りをするかを綿密に作戦立てるとともに、状況の変化に応じてそれを柔軟に変更していくことも要求される。さらにそれを確実に実行するには、選手個人の能力のみならずチーム全員が力をあわせて闘う必要があるため、まさに「総力戦」の形で挑まねば栄光には浴せないレースである。

[編集] ジロ・デ・イタリア ~選手個人のパフォーマンスが最大限要求される~

ジロ・デ・イタリアは、ツール・ド・フランスよりも山岳コースの設定回数が多く、また他のグランツールより山岳コースの難度が高い傾向がある。そのため山岳が得意な選手に有利な大会とされる。これを証明するように、総合優勝者にはアルフレッド・ビンダジーノ・バルタリファウスト・コッピといった、山岳コースで無類の強さを発揮した名クライマーが並んでいる[2]

また、ほかのグランツールにおいてポイント賞はスプリンター型の選手が獲得するのが常だが、ジロ・デ・イタリアの場合は、上りのあるレースにおいて実績を挙げている選手が獲得するケースも少なくない。これは、中間スプリントポイントが1ステージで1つしかなく、しかもポイント賞争いのポイントと関係がない(インテルジロ賞という別の賞のポイントになっている)年も多いため、実質的にゴール時のポイントのみでポイント賞が争われているという点も影響していると推測される。

さらに平坦と山岳にはっきりと分けられるような形でコース設定がなされていない傾向が見られるからか、最後は持久戦の様相を呈し、総合優勝争いが大混戦になるケースも多い。よってグランツールの中では最もタフなレースと見る者も多く、総合優勝のためには選手個人の絶対的能力が特に重要となる傾向が強いレースと言える。

1970年代から1990年代半ばの総合優勝者については選手の国籍が多様化していたが、ブエルタ・ア・エスパーニャ1995年に従来の春開催から夏場の開催へと移行したことや、ツール・ド・フランス7連覇中時代にランス・アームストロングがジロを回避し、ツール一本に照準を定める形を取っていたことから、それに倣う選手が増加しはじめたことが要因となり、1996年に優勝したパヴェル・トンコフロシア)以降、2008年アルベルト・コンタドールスペイン)が優勝するまで、イタリア国籍以外の優勝者が出ていなかった。このあたりの傾向についても、他の2レースとは様相を異にしている。

[編集] ブエルタ・ア・エスパーニャ ~山岳の多い地形と混戦をいかに制するか~

ブエルタ・ア・エスパーニャは、ツール・ド・フランスジロ・デ・イタリアのようにアルプス山脈が舞台になることがないため、高低差こそほかの2大会に比べて控えめなものの、山がちなスペインの地形上、しばしば厳しい勾配の激坂が登場する。そのためジロ・デ・イタリアと同様にホセマヌエル・フエンテルイス・エレラのような典型的なクライマーが優勝するケースが多く、ジロ・デ・イタリア同様、大混戦になる年も多い。そのため全体的に見ればジロ・デ・イタリアと似た特徴を持つ大会と言える。

ちなみに、かつて春期開催だった頃は、ジロ・デ・イタリアと開催期間が近い、ないし重なってしまうという日程的な問題があり、有力なオールラウンダーやクライマーはジロ・デ・イタリアやその後のツール・ド・フランスに照準を合わせる傾向があり、グランツールの中では最もローカル色が強く、格下の存在だった。その一方、有力スプリンターのなかには、グランツールの中でも特に厳しい上りが多いジロ・デ・イタリアよりもまだ実力を発揮しやすいブエルタ・ア・エスパーニャを選択する選手もおり、そのためスプリンタータイプの選手でも総合優勝を果たすことも多かった。

実際、全区間総合トップで優勝したことがあるフレディ・マルテンスをはじめショーン・ケリールディ・アルティヒらの総合優勝者もスプリンター型と言われた選手であり、ツール・ド・フランスジロ・デ・イタリアならポイント賞、山岳賞どまりの選手でも、ブエルタ・ア・エスパーニャでは総合優勝が十分狙えるといっても過言ではなかった。

しかし開催時期が1995年から現在の8~9月に移行してからは、ロベルト・エラスカルロス・サストレといったクライマータイプの選手が活躍することは相変わらずな一方で、有力なオールラウンダータイプの選手の活躍も多くなったためにスプリンタータイプの選手が総合優勝争いをすることは、なくなっている。

[編集] ダブルツールについて

一般的には、「ツール・ド・フランスジロ・デ・イタリアで優勝すること」、あるいはツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアという2つの大会そのものをダブルツールという形で呼ばれていた。

一方、ブエルタ・ア・エスパーニャの創設は1935年であり、上記の2つのグランツールよりも30年近く遅れて始まったことや、スペイン内戦等による国内情勢の不安や財政問題等が重なって、大会初期には中止が相次いだこと、またその影響を受け、チャレンジ・デスグランジュ=コロンボ(当時の年間表彰制度)の対象に入っていなかったことも重なり、加えて上記に示す通り、ブエルタ・ア・エスパーニャジロ・デ・イタリアについては、長らく実施時期が接近または重複するケースがあったことから、同一年度に全グランツールの出場を果たす選手はほとんどおらず、かつ総合優勝を狙うような有力選手はジロ・デ・イタリアに出場することが多かったことから、長らく過小評価されていた。

そして、1949年ファウスト・コッピが史上初めてツール・ド・フランスジロ・デ・イタリアを同一年に制覇したことから、ジロとツールを制することが真のチャンピオンであるという見方が広まったことがダブルツールという俗称を生み出した要因となっている。

しかし、現在は日程的にはグランツール全ての大会に出場することが可能であるほか、UCIプロツアーでは2007年までジロ・デ・イタリアブエルタ・ア・エスパーニャ同格とされていた(ただし2008年からグランツールはUCIプロツアーから離脱。詳細は後述)。

このためツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャ、あるいはジロ・デ・イタリアブエルタ・ア・エスパーニャという組み合わせでは、ダブルツールと言えないのかという疑問が呈される事態も生まれ、「ダブルツール」という呼称は以前より一般的な言い方とはされておらず、その意味合いも変わりつつある[3]

[編集] UCIプロツアー離脱問題

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

2005年からはじまったUCIプロツアーはグランツールの価値を高く認識していた。ツール・ド・フランスは最上級のカテゴリーA級に位置づけ、ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャはカテゴリーB級に位置づけていた。また、プロツアーとしては2007年までグランツールを対象レースに組み込んでいた。

しかしプロツアー参加チームに出場を限定するとしていた国際自転車競技連合(UCI)の考え方に対し、ASO(ツールの主催者)、RCS(ジロの主催者)、ウニパブリック(ブエルタの主催者)がプロツアー制定当初より猛反発。度々これら主催者側は主催者希望チーム枠の扱いを巡ってUCIとの対立姿勢を強め、制定初年度よりプロツアー離脱をほのめかしていた。

そしてプロツアー制定2年目となる2006年ジロ・ディ・ロンバルディアのレース終了後に、本来ならばプロツアーの表彰式が行われる予定であったにもかかわらず同レースの主催者であるRCSがこれを拒否したことから、UCIと主催者グループとの間の対立が表面化した。

UCIは懐柔策として、2007年のグランツールについては主催者側が希望するチーム(いわゆる「ワイルドカード」)枠を認めることで、グランツールのプロツアー離脱を防止した。しかし同年に発生したユニベットチームを巡る問題(詳細はUCIプロツアー#グランツールとの主導権争いを参照)を発端にUCIと主催者グループの対立構図は決定的となり、ついに主催者グループ側はUCIとの事実上の決別姿勢を明らかにした。

またUCIも主催者グループの主張を認め、2008年のプロツアーより、グランツールは全て離脱することになった。この他主催者グループが運営を行っている他のステージレースやワンデーレースにおいても離脱が相次いだことから、2007年においては対象となるレースが26だったが、2008年は17へ大きく減少する事態(ツアー・ダウンアンダーの格上げや開催地未定の新設レース(仮称:ファイナルレース)を含めて)となった。

[編集] ジロ、ブエルタはヨーロッパツアーに「格下げ」

一方、主催者グループ側は水面下でUCIプロツアーに代わりうる新シリーズの制定に動いていたが、UCIはこれを認めなかった。UCIは、ツールについては国別対抗戦形式である北京オリンピック世界選手権自転車競技大会とともに新設のUCIワールドツアーに組み込こむことを決定し、プロツアー参加チームにも積極的にツールへの参加を促す制度を制定した。しかしジロ、ブエルタについてはプロツアーのいわば「下部組織」という位置づけとなっている、UCIコンチネンタルサーキットの中のUCIヨーロッパツアーに組み入れられるという、事実上の「格下げ」処置を行うことになった。

コンチネンタルサーキットに組み入れられてしまうと、プロツアー参加チームの出場機会が著しく失われるばかりかレースの質そのものの低下も余儀なくされてしまう。この他UCIはツール以外のプロツアー離脱レースについては全てヨーロッパツアーへと組み入れた。UCIのこれまでの一連の動きを見る限り、明らかに主催者グループ側に対する「報復処置」を行っている。しかもUCIのこの処置については、形の上ではジロ、ブエルタが例えば同じステージレースでありながらも、ツール・ド・スイスなどのプロツアー対象レースよりも格下になるということをも意味している。

こうした一連のUCIの方策に対し、主催者グループ側は当然のことながら猛反発。またUCIも、コンチネンタルサーキットのレースは現在最高カテゴリーは「HC」となっているが、ジロ、ブエルタを含めたプロツアー離脱レースについてはHCを上回るカテゴリーの制定を検討している。

[編集] グランツールにおける主な記録

[編集] 全グランツール総合優勝達成者

過去に4人の達成者がいる(達成順に列挙)。


ジャック・アンクティル フランス
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 5回 1957年 1961年 1962年 1963年 1964年
ジロ・デ・イタリア 2回 1960年 1964年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1回 1963年


フェリーチェ・ジモンディ イタリア
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 1回 1965年
ジロ・デ・イタリア 3回 1967年 1969年 1976年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1回 1968年


エディ・メルクス ベルギー
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 5回 1969年 1970年 1971年 1972年 1974年
ジロ・デ・イタリア 5回 1968年 1970年 1972年 1973年 1974年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1回 1973年


ベルナール・イノー フランス
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 5回 1978年 1979年 1981年 1982年 1985年
ジロ・デ・イタリア 3回 1980年 1982年 1985年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 2回 1978年 1983年

なお、同一年度における全グランツール総合優勝達成者は2007年時点現在、一人もいない。

[編集] 主要3部門独占者

主要3部門とは総合優勝、ポイント賞、山岳賞の3つの賞。同一大会でそのいずれにおいても1位になることを指す。過去に3人の達成者がいる(達成順に列挙)。


エディ・メルクス ベルギー
大会名 達成年度
ジロ・デ・イタリア 1968年
ツール・ド・フランス 1969年


トニー・ロミンゲル スイス
大会名 達成年度
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1993年


ローラン・ジャラベール フランス
大会名 達成年度
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1995年

[編集] 同一年度全グランツール区間優勝達成者

過去に3人の達成者がいる(達成順に列挙)。


ミゲル・ポブレット( スペイン
達成回数 達成年度
1回 1956年


ピエリーノ・バフィ( イタリア
達成回数 達成年度
1回 1958年


アレサンドロ・ペタッキ イタリア
達成回数 達成年度
1回 2003年

なおグランツールの山岳賞に関連する項目は山岳賞、ポイント賞に関連する項目はポイント賞を参照のこと。


[編集] ダブルツールに関連する記録

一般的にダブルツール達成とは、同一年度にツール・ド・フランスジロ・デ・イタリアで総合優勝することを指す。しかし現在は「ダブルツール」そのものの意味合いが変化してきているため、そのほかの「ダブルツール達成」のケースも併せて紹介する。

[編集] ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア

過去に7人の達成者がいる(達成順に列挙)。


ファウスト・コッピ イタリア
達成回数 達成年度
2回 1949年 1952年


ジャック・アンクティル フランス
達成回数 達成年度
1回 1964年


エディ・メルクス ベルギー
達成回数 達成年度
3回 1970年 1972年 1974年


ベルナール・イノー フランス
達成回数 達成年度
2回 1982年 1985年


ステファン・ロッシュ アイルランド
達成回数 達成年度
1回 1987年


ミゲル・インドゥライン スペイン
達成回数 達成年度
2回 1992年 1993年


マルコ・パンターニ イタリア
達成回数 達成年度
1回 1998年


[編集] ツール・ド・フランスとブエルタ・ア・エスパーニャ

過去に2人の達成者がいる(達成順に列挙)。


ジャック・アンクティル フランス
達成回数 達成年度
1回 1963年


ベルナール・イノー フランス
達成回数 達成年度
1回 1978年


[編集] ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャ

過去に2人の達成者がいる(達成順に列挙)。


エディ・メルクス ベルギー
達成回数 達成年度
1回 1973年


ジョバンニ・バッタリン( イタリア
達成回数 達成年度
1回 1981年


[編集] トリプルクラウンに関連する記録

ツール・ド・フランスジロ・デ・イタリア両レースの総合優勝に加え、世界選手権の個人ロードレース種目も併せて同一年度に制覇することを「トリプルクラウン」と呼ぶことがある。過去に2人の達成者がいる(達成順に列挙)。


エディ・メルクス ベルギー
達成回数 達成年度
1回 1974年


ステファン・ロッシュ アイルランド
達成回数 達成年度
1回 1987年


なお全グランツールへの同一年度出場が日程的に可能となり、UCIプロツアーにおいてブエルタ・ア・エスパーニャジロ・デ・イタリアと同格の位置づけをされている上にレースの形態が違う世界選手権を同一視することは望ましくないという観点があり、現在ではこのような呼び方は適当ではないと考えられている向きもある。


[編集] グランツール歴代総合優勝者

ジロ・デ・イタリア ツール・ド・フランス ブエルタ・ア・エスパーニャ
1903年   モリス・ガラン  
1904年 アンリ・コルネ
1905年 ルイ・トゥルスリエ
1906年 ルネ・ポチエ
1907年 ルシアン・プティブルトン
1908年 ルシアン・プティブルトン
1909年 ルイジ・ガンナ フランソワ・ファベール
1910年 カルロ・ガレッティ オクタブ・ラピーズ
1911年 カルロ・ガレッティ ギュスタブ・ガリグー
1912年 アタラチーム[4] オディル・ドフレイエ
1913年 カルロ・オリアーニ フィリップ・ティス
1914年 アルフォンソ・カルツォラーリ フィリップ・ティス
1915年 第一次世界大戦の影響により中止
1916年
1917年
1918年
1919年 コスタンテ・ジラルデンゴ フィルマン・ランボー
1920年 ガエターノ・ベローニ フィリップ・ティス
1921年 ジョバンニ・ブルネーロ レオン・シウール
1922年 ジョバンニ・ブルネーロ フィルマン・ランボー
1923年 コスタンテ・ジラルデンゴ アンリ・ペリシエ
1924年 ジュゼッペ・エンリッチ オッタビオ・ボテッキア
1925年 アルフレッド・ビンダ オッタビオ・ボテッキア
1926年 ジョバンニ・ブルネーロ ルシアン・ビュイス
1927年 アルフレッド・ビンダ ニコラ・フランツ
1928年 アルフレッド・ビンダ ニコラ・フランツ
1929年 アルフレッド・ビンダ モリス・ドゥワエル
1930年 ルイジ・マルキシオ アンドレ・ルデュック
1931年 フランチェスコ・カミュッソ アントナン・マーニュ
1932年 アントニオ・ペゼンティ アンドレ・ルデュック
1933年 アルフレッド・ビンダ ジョルジュ・スペシエ
1934年 レアルコ・グエラ アントナン・マーニュ
1935年 バスコ・ベルガマスキ ロマン・マース グスタフ・デロール
1936年 ジーノ・バルタリ シルベール・マース グスタフ・デロール
1937年 ジーノ・バルタリ ロジェ・ラプビー スペイン内戦の影響により中止
1938年 ジョバンニ・パレッティ ジーノ・バルタリ
1939年 ジョバンニ・パレッティ シルベール・マース
1940年 ファウスト・コッピ 第二次世界大戦の影響により中止
1941年 第二次世界大戦の影響により中止 フリアン・ベレンデーロ
1942年 フリアン・ベレンデーロ
1943年 第二次世界大戦の影響により中止
1944年
1945年 デリオ・ロドリゲス
1946年 ジーノ・バルタリ ダーマシオ・ランガリカ
1947年 ファウスト・コッピ ジャン・ロビック エドゥアール・バンディック
1948年 フィオレンツォ・マーニ ジーノ・バルタリ ベルナルド・ルイス
1949年 ファウスト・コッピ ファウスト・コッピ 中止
1950年 ユーゴ・コブレ フェルデイ・クブラー エミリオ・ロドリゲス
1951年 フィオレンツォ・マーニ ユーゴ・コブレ 中止
1952年 ファウスト・コッピ ファウスト・コッピ
1953年 ファウスト・コッピ ルイゾン・ボベ
1954年 カルロ・クレリッチ ルイゾン・ボベ
1955年 フィオレンツォ・マーニ ルイゾン・ボベ ジャン・ドット
1956年 シャルリー・ゴール ロジェ・ワルコビャック アンジェロ・コンテルノ
1957年 ガストネ・ネンチーニ ジャック・アンクティル ヘスス・ロローニョ
1958年 エルコーレ・バルディーニ シャルリー・ゴール ジャン・スタブリンスキ
1959年 シャルリー・ゴール フェデリコ・バーモンテス アントニオ・スアレス
1960年 ジャック・アンクティル ガストネ・ネンチーニ フランツ・デ・ムルダー
1961年 アルナルド・パンピアンコ ジャック・アンクティル アンジェリーノ・ソレール
1962年 フランコ・パルマミオン ジャック・アンクティル ルディ・アルティヒ
1963年 フランコ・パルマミオン ジャック・アンクティル ジャック・アンクティル
1964年 ジャック・アンクティル ジャック・アンクティル レイモン・プリドール
1965年 ビットリオ・アドルニ フェリーチェ・ジモンディ ロルフ・ウォルフショール
1966年 ジャンニ・モッタ ルシアン・エマール フランシスコ・ガビーカ
1967年 フェリーチェ・ジモンディ ロジェ・パンジョン ヤン・ヤンセン
1968年 エディ・メルクス ヤン・ヤンセン フェリーチェ・ジモンディ
1969年 フェリーチェ・ジモンディ エディ・メルクス ロジェ・パンジョン
1970年 エディ・メルクス エディ・メルクス ルイス・オカーニャ
1971年 ゴスタ・ペーテルソン エディ・メルクス フェルディナン・ブラッケ
1972年 エディ・メルクス エディ・メルクス ホセ・マヌエル・フエンテ
1973年 エディ・メルクス ルイス・オカーニャ エディ・メルクス
1974年 エディ・メルクス エディ・メルクス ホセ・マヌエル・フエンテ
1975年 ファウスト・ベルトリオ ベルナール・テブネ アウグスティン・タマメス
1976年 フェリーチェ・ジモンディ ルシアン・バンインプ ホセ・ペサロドーナ
1977年 ミッシェル・ポランティエール ベルナール・テブネ フレディ・マルテンス
1978年 ヨハン・デミュンク ベルナール・イノー ベルナール・イノー
1979年 ジョゼッペ・サローニ ベルナール・イノー ヨープ・ズートメルク
1980年 ベルナール・イノー ヨープ・ズートメルク ファウスティーノ・ルペレス
1981年 ジョバンニ・バッタリン ベルナール・イノー ジョバンニ・バッタリン
1982年 ベルナール・イノー ベルナール・イノー マリノ・レハレタ
1983年 ジュゼッペ・サローニ ローラン・フィニョン ベルナール・イノー
1984年 フランチェスコ・モゼール ローラン・フィニョン エリック・カリトゥー
1985年 ベルナール・イノー ベルナール・イノー ペドロ・デルガド
1986年 ロベルト・ヴィセンティーニ グレッグ・レモン アルバロ・ピーノ
1987年 ステファン・ロッシュ ステファン・ロッシュ ルイス・エレラ
1988年 アンドリュー・ハンプステン ペドロ・デルガド ショーン・ケリー
1989年 ローラン・フィニョン グレッグ・レモン ペドロ・デルガド
1990年 ジャンニ・ブーニョ グレッグ・レモン マルコ・ジョヴァネッティ
1991年 フランコ・キオッチョーリ ミゲル・インドゥライン メルチョル・マウリ
1992年 ミゲル・インドゥライン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1993年 ミゲル・インドゥライン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1994年 エフゲニー・ベルツィン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1995年 トニー・ロミンゲル ミゲル・インドゥライン ローラン・ジャラベール
1996年 パヴェル・トンコフ ビャルヌ・リース[5] アレックス・ツーレ
1997年 イヴァン・ゴッティ ヤン・ウルリッヒ アレックス・ツーレ
1998年 マルコ・パンターニ マルコ・パンターニ アブラハム・オラーノ
1999年 イヴァン・ゴッティ ランス・アームストロング ヤン・ウルリッヒ
2000年 ステファーノ・ガルゼッリ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2001年 ジルベルト・シモーニ ランス・アームストロング アンヘル・カセーロ
2002年 パオロ・サヴォルデッリ ランス・アームストロング アイトール・ゴンザレス
2003年 ジルベルト・シモーニ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2004年 ダミアーノ・クネゴ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2005年 パオロ・サヴォルデッリ ランス・アームストロング デニス・メンショフ[6]
2006年 イヴァン・バッソ オスカル・ペレイロ[7] アレクサンドル・ヴィノクロフ
2007年 ダニーロ・ディルーカ アルベルト・コンタドール デニス・メンショフ
2008年 アルベルト・コンタドール

[編集] 脚注

  1. ^ ジャック・アンクティルが確立したとされる
  2. ^ ちなみにジロ・デ・イタリアで山岳賞が設けられたのは1933年ツール・ド・フランスも同年に最初に山岳賞が設けられたが、開催時期の点でグランツールにおける最初の山岳賞制定はジロ・デ・イタリアということになる。初代山岳賞受賞者はアルフレッド・ビンダであるが、同時に5度目の総合優勝を達成。過去4回の総合優勝を達成した際にも山岳コースでは圧倒的な強さを示しており、仮に1933年以前にも山岳賞があれば、ビンダが総合優勝と併せて受賞していたのはほぼ間違いないと見られる。
  3. ^ とりわけイタリア人にとってみれば、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアは同格の存在であるという意識も影響しているようである。イタリアでは、ツールとジロを同一年に制した選手に対して、カンピオニッシモと呼ぶケースもあるようだが、フランス人やスペイン人はそのような言い方はまずしない。
  4. ^ 個人優勝表彰としてはカルロ・ガレッティ、ジョバンニ・ミチェレット、エベラルド・パヴェシの3人が対象。したがってカルロ・ガレッティがジロ・デ・イタリア史上初の総合3連覇を達成した形となる。
  5. ^ 後日自身の口から当時禁止薬物を使用していたという告白がなされ、それに基づき国際自転車競技連合(UCI)がマイヨジョーヌの返還を求めている。
  6. ^ 総合首位は当初ロベルト・エラスだったが、レース後行われたドーピング検査の結果失格となり、同2位のデニス・メンショフが繰り上げ優勝となった。
  7. ^ 全レース終了後に行われたドーピング検査において、総合1位となったフロイド・ランディスの体内から多数の禁止薬物が検出された。これを受けランディスの総合優勝は保留とされ、その後公聴会などの調査が続けられた。1年以上に亘る調査の結果、2007年9月20日に「アメリカ合衆国反ドーピング機関」(USADA)が後日ランディスの総合1位記録を取り消し、失格とする告知を出したことからオスカル・ペレイロの繰り上げ優勝はこの時点で決定的となった。21日には、UCIが正式にランディスの失格とペレイロの優勝を認定し優勝が決定。そして同年10月15日に総合ディレクターのクリスティアン・プリュドムより優勝ジャージ(マイヨ・ジョーヌ)が授与された。

[編集] 関連項目

ジロ・デ・イタリア
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ツール・ド・フランス
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ブエルタ・ア・エスパーニャ
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