JR九州キハ200系気動車
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キハ200系気動車(キハ200けいきどうしゃ)は、九州旅客鉄道(JR九州)の一般形気動車。旧・日本国有鉄道(国鉄)時代に製造され、筑豊地区に集中配置されたキハ66形・キハ67形の後継的存在である。
1991年(平成3年)に開発され、JR九州の地方路線用大型気動車として現在まで増備されている。
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[編集] 製造・配置
まず1991年(平成3年)に直方気動車区(現・筑豊篠栗鉄道事業部)に配置され、筑豊本線・篠栗線の快速列車に投入された。この際、車体色に因んで「赤い快速」の列車愛称が命名された。その後、1992年(平成4年)7月15日改正で指宿枕崎線の快速「なのはな」用として投入され、1994年(平成6年)3月1日改正では大村線経由で佐世保~長崎間を運行する快速「シーサイドライナー」にも投入された。
1997年(平成9年)には豊肥本線熊本近郊の輸送改善を目的に増備が再開された。この際従来の0番台・1000番台に代わりワンマン運転対応の100番台・1100番台、および両運転台車のキハ220形が登場し、一部は三角線や鹿児島本線の普通列車でも使用された。また、同年夏にはキハ200形のトイレなし・ロングシート仕様である500番台・1500番台およびキハ220形1500番台を香椎線に投入した。
1999年(平成11年)10月に豊肥本線熊本~肥後大津間電化にともない、豊肥本線熊本口で運用されていた車両は、阿蘇地方や香椎線、筑豊・篠栗線に転用された。
2001年(平成13年)に篠栗線・筑豊本線(福北ゆたか線)電化により筑豊地区配属車は長崎、鹿児島、大分などに転属し、大村線や豊肥本線・久大本線のローカル運用に使用されるようになった。その後、2003年(平成15年)3月に香椎線からキハ200系は全面撤退し、大分地区や指宿枕崎線へ転用された。 また、鹿児島地区では2004年(平成16年)の九州新幹線開業にあわせ、キハ220-1102の車両中間部に展望スペースを設けた指定席車両を連結した特別快速「なのはなDX」に改造、リニューアルされた車両が登場した。
2006年(平成18年)には新区分番台となったキハ220形200番台が増備され、同年7月29日から大分地区で運行を開始した。
[編集] 構造
車体は普通鋼製20m車体で、片側3箇所にステップ付きの両開き扉を設置しており、前面は貫通扉を設けた構造となっている。ブレーキシステムを電気指令式とし、自動空気ブレーキの在来車両との併結は考慮していないため、連結器は電車と同じ密着式のものを採用している。
室内構造は番台により異なるため、「個別形式」の節で記述する。冷房装置は、バス用の機関直結式のものを使用している。
331kW(450ps)の高出力エンジンと、爪クラッチ機構を採用し直結段を2段とした変速機を組み合わせ、キハ40系に代表される在来型気動車に比べて車両性能を向上させた。また、この変速機は自動・手動を切り替えることができる。営業運転での最高速度は110km/hである。
[編集] 車体塗装
車体デザインは水戸岡鋭治率いるドーンデザイン研究所が手がけており、基本的には赤色一色でドアのみ銀色である。長崎地区の車両は青一色でドアのみ赤色である。鹿児島地区の車両は製造当初は他地域と同じ赤色であったが、1995年(平成7年)にキハ200-7・5007が「いぶすきキャンペーン」の一環として黄色一色でドアが銀色の塗装に変更され、1997年から他の車両も順次同じ色に塗り替えられた。
鹿児島地区の車両のうち特別快速「なのはなDX」用のキハ200-9・キハ200-1009・キハ220-1102は車体に表記されているロゴが他の車両と異なっている。
[編集] 個別形式
キハ200系気動車には、片運転台車キハ200形、両運転台車キハ220形の2形式がある。本節では製造順に記述する。
[編集] キハ200形
[編集] 0番台・1000番台
1991年から製造されている基本番台で、トイレ付きの0番台とトイレなしの1000番台の2両で1本の編成を構成する。座席は転換クロスシート(車端部および客用扉寄りは固定式、以下他の転換クロスシート車も同様)である。最初に投入された筑豊本線・篠栗線からは撤退し、大村線経由の快速「シーサイドライナー」・豊肥本線・久大本線・指宿枕崎線で使用されている。
15編成が製造された。このうち、1007は1993年(平成5年)8月6日に日豊本線竜ヶ水駅構内で豪雨による土石流によって、1011は2003年3月31日に大村線川棚駅~小串郷駅間で発生した踏切事故によって廃車された。[1]
登場時はワンマン運転に対応していなかったが、2000年(平成12年)までに全車がワンマン運転対応とされ、その際にレシップ製運賃表示器も設置された。さらに乗客への視認性を高めるため2006年末より「優先席」表示がされたシート枕カバー(白色)が装着されている。
なお長崎地区での本系列の検査等による車両不足時には大分鉄道事業部所属の11+5011の編成が貸し出されることがある。[2]
[編集] 5000番台
災害・事故廃車となった1007,1011の代替として5007と5011の2両が製造された。車両番号の末尾が代替元と揃っている。基本仕様は1000番台に準ずるが、座席は1番と2番のAB席が存在せず車椅子スペースとなっており、客室内の蛍光灯カバーが廃止されているほか乗務員室の構造が大きく異なっている。[3]
[編集] 100番台・1100番台
1997年に豊肥本線向けとして製造された車両である。トイレ付きの100番台とトイレなしの1100番台の2両で1本の編成を構成する。車内は0番台・1000番台と同様の転換クロスシートで、当初からワンマン運転に対応した構造となっている。同時期に落成した813系200番台と同様に、製作コスト削減のためトイレ部分の小窓が省略されたほか、客室内の蛍光灯カバーが廃止されている。
2008年現在、豊肥本線・久大本線等で使用されている。
[編集] 500番台・1500番台
1997年に香椎線向けに3編成が製造された車両である。500番台と1500番台の2両で1本の編成を構成し、ワンマン運転に対応している。運用線区が距離の短い通勤通学路線であることから座席はすべてロングシートとなっている。落成時点ではトイレが設けられていなかった。
筑豊篠栗鉄道事業部(博多運用)に配置されたが、2003年3月15日のダイヤ改正で香椎線から撤退し、鹿児島総合車両所に転属。現在は指宿枕崎線で使用されている。鹿児島に転属後、同年内に500番台にトイレを設置し、さらに乗客への視認性を高めるため、2006年末より「優先席」表示がされたシート枕カバー(白色)が装着されている。
[編集] キハ220形
[編集] 1100番台
1997年に熊本地区向けに2両製造された転換クロスシートの両運転台車。ワンマン運転対応で単行および増結用として久大本線・豊肥本線・指宿枕崎線で使用されている。1102は2004年に「なのはなDX」の指定席車として使用するため、座席が回転クロスシートに改造された。また中央の乗降扉を廃止し、一枚窓の展望スペースとしている。1101は2007年度にトイレ設置改造がなされた。また、トイレ設置部分の窓は埋められたが、200番台のようなロゴは貼り付けられていない。これらの改造によって登場時の原形を保つ車両は消滅した。
[編集] 1500番台
1997年にキハ200形500・1500番台と同時に香椎線向けとして4両製造されたロングシートの両運転台車である。ワンマン運転対応。2003年にキハ200形とともに香椎線から撤退、大分車両センター(当時は豊肥久大車両センター)に転属した。2008年1月現在、一部の車両には1100番台 (1101) とともに身障者対応トイレ設置工事が施工されている。
[編集] 200番台
2006年7月29日から豊肥本線大分~肥後大津間と、鹿児島本線鳥栖~久留米間および久大本線久留米~大分間に投入されたワンマン運転対応の両運転台車で、9両が製造され、大分鉄道事業部に配置された。
前面・側面の行先表示器は従来の字幕式に代わり、バス用のLED式を流用したものに変更されている。このため前面上部と側面の一部のデザインが変更されている(下のギャラリーの写真を参照)。
車内は転換クロスシートとロングシートの折衷(セミクロスシート)で、バリアフリー対応トイレと車椅子スペースが設けられている。運転席上部と中央ドア上部の箇所に液晶モニタが2台ずつ設置され、行先や路線図、乗車時の注意等が表示される。窓ガラスは紫外線カットの「UV96」でカーテン等は省略されている。車内のカラースキームは白を基調としている。
セミクロスシートの座席構造を生かして、1100 (1101) ・1500番台と組んで2両で運用に入ることがある。
なお機能面では本区分番台よりエンジンにコモンレール式電子制御燃料噴射装置を搭載している。[4]
[編集] 関連商品
グリーンマックスよりNゲージ鉄道模型が販売されており、「車体塗装」節で述べた三種の塗装が存在する。
タイトーから発売されている電車でGO!シリーズに、運転できる列車として登場する。(通勤編・プロフェッショナル2)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- JR九州の在来線車両 (■国鉄引継車を含む全一覧 / ■カテゴリ) ■Template ■ノート