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平成5年8月豪雨 - Wikipedia

平成5年8月豪雨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平成5年8月豪雨(へいせい5ねん8がつごうう)は、1993年8月1日鹿児島県姶良郡を中心とした地域を襲った集中豪雨いわゆる8.1豪雨8.1水害)と、同年8月6日鹿児島市を中心とした地域を襲った集中豪雨いわゆる8.6豪雨8.6水害)の総称。鹿児島県内のマスコミ各社ではいわゆる8.6豪雨(8.6水害)のことを指すことが多く、同年9月の台風13号も「8.6水害のあった1993年の台風13号」と紹介される。

目次

[編集] 豪雨前後の状況

1993年6月から7月にかけて、梅雨前線の影響により鹿児島県を含む九州南部各地で総降水量が1000mmを越え、土石流や浸水の被害が発生した。7月9日に九州南部地方は梅雨明けの発表が出されたが、1週間も経たずに再び梅雨前線が南下し、戻り梅雨が続いた。同年7月27日には台風第5号が大隅半島を縦断し、さらに同29日から30日にかけて台風第6号が九州の西側海上を通過し長崎県に上陸、各地に大雨を降らせた。7月27日から30日までの雨量は九州南部各地で100mmから300mmに達した。長期間の降雨により地盤が緩んでいたところに以下の集中豪雨が重なった形となった。

8.6豪雨以後も天候不順が続き、その3日後の8月9日には台風7号が九州西海上を通過し、再び土砂災害を引き起こした。台風7号通過後は一時的に天気は回復したが、その後は再び前線が停滞し、九州地方は雨の降る日が多くなった。8月下旬は晴天に恵まれたが、7月9日の梅雨明け宣言は撤回され、結局は梅雨明けを特定することができなかった。そして、9月3日には大型で非常に強い台風13号が中心気圧930ヘクトパスカルの勢力で鹿児島県に上陸したため、再び大災害が発生した。

[編集] 8.1豪雨

  • 1993年8月1日午後から鹿児島県姶良郡を中心とした地域で1時間あたり最大104mm(観測地点:溝辺町)の強い雨が数時間降り続いた。溝辺町(現在の霧島市溝辺町)の雨量は一日で450mmに達し、鹿児島県中央部の各地で死者23名を出した。
  • 各所で土石流が発生し、九州自動車道国道10号をはじめ多くの道路が通行止めとなった。桜島サービスエリアの建物も土石流の直撃を受けた。日豊本線国分駅-大隅大川原駅間は線路の盛り土が崩壊するなどの被害を受け長期間にわたって不通となり、バスによる代替輸送が行われた。
  • 鹿児島県姶良郡(現在の鹿児島県姶良郡及び霧島市)及び国分市(現在の霧島市国分)を流れる天降川が増水し、流域各所で被害が発生した。上流部の横川町(現在の霧島市横川町)中心部において244戸が浸水の被害を受け、中流部に点在する新川渓谷温泉郷の宿泊施設も被害を受けた。また、下流部に架かる新川橋と日当山橋が破損し通行止めとなり、いずれの橋もその後に架け替えられた。

[編集] 8.6豪雨

  • 1993年8月6日午後から鹿児島市を中心とした地域で1時間あたり最大99.5mm(観測地点:郡山町)の強い雨が数時間降り続いた。鹿児島市の雨量は一日で259mmに達し、鹿児島市内を中心として死者48名、行方不明者1名を出した。この豪雨で水没した市内や竜ヶ水地区で土石流に巻き込まれ、土砂に埋もれて大破した電車の様子は新聞、テレビなどで大々的に報道された。
  • 鹿児島市中心部を流れる甲突川が増水し、江戸時代に架けられた甲突川五石橋のうち新上橋と武之橋が流失した[1]。また、川からあふれた水により流域の約12000戸が浸水の被害を受けた。川沿いを通る国道3号は鹿児島市草牟田付近で深さ約2mの水に浸かり、鹿児島市小山田町付近も陥没するなどして長期間にわたって通行止めとなった。
  • 鹿児島市吉野町の花倉病院では裏山で発生した土砂崩れが直撃し、巻き込まれた入院患者と避難住民の15人が死亡する惨事となった。その後、花倉病院は1年に渡って休診となった。
  • 鹿児島市北部の竜ヶ水地区では約4kmの区間内に22カ所の土石流が発生し、この地区を通過する国道10号では約1200台の車が動けなくなり、ほぼ陸の孤島状態となった[2]。孤立した人の中には土石流に巻き込まれ鹿児島湾に投げ出される人もいた。また、日豊本線竜ヶ水駅で立ち往生した旅客列車が土石流に巻き込まれて大破したが、ほとんどの乗客は乗務員の指示により避難した後であった[3][4]。住民と列車の乗客や車の運転者を含めた約2500人が周囲から孤立し、近隣の漁船と桜島フェリーによって海上から救出された[5]。国道10号はその後しばらく通行止めとなり、復旧後この区間には雨量計が設置され連続総雨量が200mm以上になると通行が制限されるようになった。日豊本線鹿児島駅-国分駅間は同年9月18日まで不通となり、加治木港からの船舶や、バスによる代替輸送が行われた。

[編集] 注釈

  1. ^ 武之橋崩落の瞬間は、たまたま現場に居合わせた人によって撮影された映像が残されている
  2. ^ 孤立した人の中には、たまたま現場を通りがかった土屋鹿児島県知事もいた。
  3. ^ 当時避難救助活動に従事した乗務員は、その後過労死で亡くなり、最終的に労災が認定された。
  4. ^ 乗務員の指示に従わず降車を拒否した乗客3名が犠牲となった。
  5. ^ このときの救出の様子が、偶然現場付近で検問中であった警察官を中心にNHKプロジェクトX〜挑戦者たち〜に取り上げられた。

[編集] 参考文献

  • 鹿児島県総務部消防防災課編 『平成5年夏鹿児島県豪雨災害の記録』 鹿児島県、1995年

[編集] 外部リンク


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