西洋美術史
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西洋美術史(せいようびじゅつし)
古代から現代までの西洋における美術の歴史を記述する。建築については、建築史を参照。
目次 |
[編集] 古代
[編集] 中世
4世紀末にローマ帝国が東西に分裂、コンスタンティノポリス(現在のトルコ領イスタンブル)を首都とする東ローマ帝国が誕生すると、東西の美術が混合したビザンティン美術が誕生する。東ローマ帝国のもと東ヨーロッパでは、聖人の肖像が描かれた板画であるイコンや教会堂のモザイク画など、独特なキリスト教美術として発展した。
西ヨーロッパでは西暦1000年を機に教会堂の復興が盛んになり、11世紀初頭から13世紀初頭にかけて、素朴な信仰心に満ちた美術様式であるロマネスク美術が修道院を中心に発展した。この時期絵画は文字の読めない人々にキリスト教を教える役割も持っていた。
13世紀以降の美術はゴシック美術と呼ばれ、フランス中心にヨーロッパ各国で発展した。ロマネスク美術に比べ、より自然な人体表現などがなされるようになった。修道士などに代わり、専門の画家が誕生してきた。また、ステンドグラスが作られるようになったのはこの時期である。教会堂はステンドグラスに彩られる空間となった。
[編集] 近世
[編集] ルネサンス
- ルネサンス美術を参照。
14世紀から16世紀にかけてイタリアを中心に古代ギリシア、ローマの学芸・文化を復興しようという文化運動が起こった(ルネサンス)。建築・彫刻においても古代ギリシャ・ローマの作品を模範として制作が行われた。絵画においては当時、古代の実作品は知られていなかったが、学問・科学の発達する時代にあって、遠近法、油彩画など革命的とも言える技法が確立された。フィレンツェで活躍したボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」は異教的ルネサンスの特質をよく示している。また、ラファエッロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの3人は盛期ルネサンスの三大巨匠といわれ、後の絵画に大きな影響を与えた。
16世紀後半には ティントレット、エル・グレコに代表されるマニエリスム という独自の様式がイタリアを中心に現れた。調和と均衡を特徴としたルネサンス的な理想からの逸脱が見られ、不均衡な構図、ねじれたような肉体表現、大胆にデフォルメされた遠近法などが特徴である。
[編集] バロック
17世紀には強烈なコントラスト、躍動感あふれる構図を特徴とするバロック美術が台頭してくる。イタリアのバロック絵画を代表するカラヴァッジオの絵画はコントラストを際立たせ、劇的な場面を描いている。また、ルネサンス期には理想的な姿で描かれた聖人画が、生活感あふれる庶民の姿で描かれたことも特徴的である(例:カラヴァッジオ「エマオの晩餐」)。バロック期には風景画、風俗画、静物画などの日常に根ざしたジャンルが確立し、現実世界への関心が高まった。この時期、ディエゴ・ベラスケスらはスペイン絵画の黄金時代を、ルーベンス、レンブラント、フェルメールらはオランダ絵画の黄金時代を築いた。またフランスのヴェルサイユ宮殿はバロック建築の代表作の一つである。
17世紀以降、文化・芸術の中心はイタリアからフランスに移ってゆく。18世紀、ルイ15世の治世における円熟した貴族文化を背景に、軽快で享楽的なロココ様式が流行した。アントワーヌ・ヴァトー、フランソワ・ブーシェなどの絵画、パリのオテル・ド・スービーズなどの手のこんだ建築装飾がこの様式の代表的な作品である。
[編集] 近代
[編集] 新古典主義・ロマン主義
フランス革命(1789年)によって貴族階級が没落すると、ギリシア、ローマ芸術のもつ高い倫理性を規範とした新古典主義が現れる。 ポンペイなどの古代遺跡が発掘され、古代への関心が高まっていたことも背景として挙げられる。新古典主義絵画の特徴は、静的で安定した構図と明快な描線である。代表的な画家としてダヴィッドや アングルが挙げられる。新古典主義は歴史画を中心に、国家への忠誠などの強いメッセージ性を持つ作品が多い。ナポレオンは自己宣伝のためにダヴィッドなどの画家を積極的に利用した。
新古典主義と対照的なのがドイツのカスパー・ダーヴィト・フリードリヒやフランスのウジェーヌ・ドラクロワに代表されるロマン主義絵画である。 18世紀末から19世紀半ばにかけて広まった様式で、躍動的な構図と強烈な色彩が特徴である。
19世紀半ばには、現実を美化せずに客観的に描くという美術上の試みがなされた。ギュスターヴ・クールベ、ジャン=フランソワ・ミレーらに代表される写実主義である。日常生活の情景など同時代のありのままの姿が主題として選ばれた。
[編集] 印象派
形態の明確な描写よりも、それをつつむ光の変化や空気感など一瞬の印象を捉え、再現しようとしたのが19世紀後半に現れた印象派である。エドゥアール・マネらによって創始されたこの革新的な様式は、官製のサロンに代表される伝統的な画家からは非難を浴びたが、新しい芸術運動として後の美術に多大な影響を与えた。代表的な画家としてクロード・モネ 、エドガー・ドガ、ピエール=オーギュスト・ルノワールなどがいる。
印象派では感覚的に捉えられていた色彩について、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャックは、色彩理論として体系化した新印象主義を展開した。絵具を混ぜずに純色の小さな点を配置することで描いたため、点描主義とも呼ばれる。
ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホの三人は後期印象派(ポスト印象派)として分類される。見たままの自然を描く従来の印象派とは異なり、これらを主観的表現として再構成した彼らの描き方は、20世紀美術に大きな影響を与えた。
[編集] 20世紀美術
色彩は自然を再現するものではなく、感動などの心の動きを表現するための道具として用いられるべきだとするフォーヴィスム(野獣派)によって、20世紀の美術は幕を開いた。フォーヴィスムは野獣(フォーヴ)に喩えられるような、原色を多用した強烈な色彩と激しいタッチを特徴とする。代表的な画家にアンリ・マティス、 アンドレ・ドランらがいる。
色の解放のフォーヴィスに対し、キュビスムは形の解放といえる。対象の形態を解体し、立方体で再構成するキュビスムはパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックらによって押し進められた。
その他20世紀初頭には、機械文明の価値観を芸術に取り込もうと試みた未来派、既成の秩序や常識を否定し無秩序や非理性を礼賛する ダダイスム、純粋な抽象表現を目指したロシア構成主義など、様々な主義・様式があらわれた。伝統的な美術の枠組みが崩れ、新たな美術を構築しようと模索がなされたのである。このような動きを端的に示しているのが、マルセル・デュシャンの問題作「泉」(1917年)である。この作品は便器に偽名のサインを書いただけのものであり、美術とは何かという強烈な問いかけであった。
このような模索を経て形成された大きな潮流が抽象絵画とシュルレアリスムである。
抽象絵画は絶対絵画とも呼ばれる。目に見える現実を描写するのではなく、色彩と形態などの純粋な造形的な要素だけによる表現を目指した。この運動は1910年代にワシリー・カンディンスキー、ピエト・モンドリアン を中心にして始まった。テオ・ファン・ドースブルフ、モンドリアンらが1917年に創刊した雑誌「デ・ステイル」は抽象絵画運動の一大拠点としての役割を果たした。
シュルレアリスム(超現実派)はダダイスムを母体として、1924年にアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」によって誕生した。精神の全的な解放と既成秩序の否定を唱え、創造における無意識の役割を重視した。代表的な画家にジョルジョ・デ・キリコ(年代や思想に一致しないところはあるものの彼を含める場合が多い)、ルネ・マグリット、サルバドール・ダリ(後に運動から除名)らがいる。
- 形而上絵画
- 素朴派(ナイーブ・アート、パントル・ナイーフ)
- ドイツ表現主義
- 新即物主義(ノイエ・ザッハリッヒカイト)
- エコール・ド・パリ
- アール・ヌーボー
- ロシア・アヴァンギャルド
- アール・デコ
- バウハウス
- 1930年代の抽象絵画
- プレシジョニズム
- 抽象表現主義
- キネティックアート
- アンフォルメル
- コブラ
- アウトサイダー・アート
- 具体
- ポップアート
- フルクサス
- ミニマルアート (ミニマリズム)
- オプアート
- コンセプチュアルアート
- ドイツ工作連盟
- アート&クラフツ
- デザインリフォーム運動
- バウハウス
[編集] 関連項目