ローマ美術
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ローマ美術(ローマびじゅつ)とは、古代ローマ帝国の美術であり、時間的には共和制末期とコンスタンティヌス1世以前の帝政期の美術を指す。空間的には地中海地域(アフリカ北岸も含む)とライン以西の欧州、ユーフラテス以西の近東地域での美術である。
ローマ帝国の主流となった美術は、作者が主としてギリシャ人であったので、ヘレニズム美術の延長となった。彫刻と絵画の領域では、古典期~ヘレニズム期のギリシャ美術を古典・典範とする見方が主流であり、模倣的な傾向が強い。
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[編集] 建築
建築におけるアーチ・ドームの発展は技術的発展のみならずニームの水道橋、パンテオン(ローマ)などの建築美術を生み出しただけでなく、ビザンティン美術・イスラム美術など後世に大きな影響を遺した。
[編集] 彫刻
肖像彫刻が発達した。現実の人間や事件をテーマにして造形芸術で表現するという習慣は、多くの個性的な肖像彫刻や、トラヤヌス円柱浮彫などの壮大な叙事作品を遺した。これは、戦勝祝を神話で比喩的に表現するギリシャの習慣とは異なる、ローマ美術の特色である。
一方、ウェヌスやメルクリウスなどの神像としては、ギリシャ彫刻の模刻が大量に制作された。今日、ギリシャ時代の巨匠の原作は殆ど消失しているので、ローマ時代の模刻(ローマンコピー)を通してのみ作風を知ることができる。ルネサンス以来の西欧におけるギリシャ彫刻のイメージは、ローマ人のフィルターを通しているのである。
[編集] 絵画
保存されにくく、ほとんど消失していると考えられるが、1世紀前半と推定されるポンペイとその周辺の壁画、モザイク、エジプト出土のミイラに付属した肖像画(後2~4世紀、蜜蝋画)が主要な遺品である。
1,2世紀の作品には、ヘレニズム絵画を受け継ぐ古典的写実主義が顕著であるが、3世紀以降には、矮小化抽象化が目立ってくる。ポンペイ秘儀荘の壁画、ルーブルの美少女(ミイラ肖像画、蜜蝋画、アンティノエ出土、2世紀初)、また絵画の複製として1世紀のアレクサンダーモザイク(ポンペイ出土、ナポリ美術館)、3世紀の皇帝の別荘(シチリア アルメリーナ荘)のモザイクは代表作である。
[編集] 工芸
1世紀初頭前後に、吹きガラス技術がローマ帝国内で発明され、ガラス工芸が大きく発展した。成分としてソーダガラスを主とし、鉛ガラスはほとんど無い。カメオ、ゴールドサンドイッチ、ミルフィオリなど多くの製法が開発され、現代、再発見された技術もあるほどである。帝国の外、東アジアにまで輸出された。神話の情景をカメオに彫った「ポートランドの壺」(大英博物館)が有名である。また、ヒルデスハイムの銀器のような優れた銀工芸品が制作された。