第21回全国中等学校優勝野球大会
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出場校 | 22校 |
参加校数 | 666 |
優勝 | 松山商業学校(初) |
試合数 | 21試合 |
本塁打数 | 0 |
第21回全国中等学校優勝野球大会は1935年(昭和10年)8月13日から20日に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で実施された全国中等学校優勝野球大会である。
この年から入場式のブラスバンドが登場し、山田耕筰作曲・指揮の『(野球)大会行進曲』による入場を行うようになった。
目次 |
[編集] 出場校
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[編集] 試合結果
[編集] 1回戦
- 育英商 5 - 4 米子中
- 甲府中 10 - 3 青島中
- 大分商 10 - 0 北海中
- 千葉中 16 - 9 石川工
- 呉港中 3 - 2 飯田商
- 日新商 3 - 1 福島師範
[編集] 2回戦
- 松山商 3 - 0 海草中
- 嘉義農林 4 - 1 平安中
- 愛知商 13 - 0 新義州商
- 秋田商 4 - 0 桐生中
- 育英商 11 - 0 甲府中
- 大分商 3 - 2 千葉中(延長12回)
- 早稲田実 7 - 1 佐賀商
- 呉港中 11 - 10 日新商
[編集] 準々決勝
- 松山商 5 - 4 嘉義農林(延長10回)
- 愛知商 5 - 2 秋田商
- 育英商 5 - 0 大分商
- 早稲田実 5 - 0 呉港中
[編集] 準決勝
- 松山商 4 - 0 愛知商
- 育英商 4x - 3 早稲田実(延長10回)
[編集] 決勝
- 松山商 6 - 1 育英商
(松)中山-筒井良 (育)佐藤-西谷
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
松山商 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 |
育英商 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
[審判](球)池田(塁)横沢・有田・町田
1回表、松山商は4番筒井修の適時打で先制。その裏、育英商も4番田代が適時打で同点に追いついた。その後も押し気味に試合を進めたが得点できなかった。逆に松山商は4回表、一死から安打、四球、失策で満塁とする。ここで何でもない右飛が落球となって2点追加。その後二死二塁となって安打、失策、2連打と攻めて計5点を奪い、試合を決定付けた。このリードをエース中山が守りきり、松山商は念願の初優勝を遂げた。
[編集] 大会本塁打
なし
[編集] 主な出場選手
- 赤根谷飛雄太郎(秋田商-法政大-帝国石油-東急-秋田商監督)
- 皆川定之(桐生中-阪神-東急)
- 五味芳夫(甲府中-名古屋金鯱軍-朝日軍(太陽))
- 飯島滋弥(千葉中-慶應大-日立航空-東京セネタース)
- 宇野錦次(平安中-阪急-大洋-阪急-西鉄)
- 日高得之(平安中-阪急)
- 富永嘉郎(平安中-同志社大-南海)
- 大館勲夫(平安中-武道専門学校-全京都-阪神-毎日)
- 木村進一(平安中-立命館大-名古屋軍-平安高校監督)
- 本堂保弥(日新商-阪神-太陽-阪神-毎日)
- 田中実(日新商-名古屋軍)
- 佐藤平七(育英商-法政大-函館オーシャン-毎日-阪急)
- 岩出清(海草中-南海)
- 井上親一朗(米子中-慶應大-米子鉄道管理局-国鉄)
- 田川豊(呉港中-法政大-近畿(南海)-大洋-近鉄-大映)
- 藤村富美男(呉港中-阪神)
- 伊賀上潤伍(松山商-阪神-大映)
- 中山正嘉(松山商-名古屋金鯱軍-大洋-広島)
- 筒井修(松山商-巨人)
- 筒井良武(松山商-大東京軍-イーグルス)
- 千葉茂(松山商-巨人)
- 菅利雄(松山商-立教大-イーグルス(黒鷲軍))
- 児玉利一(大分商-明治大-全大分-名古屋軍)
- 長沢正二(大分商-門司鉄道管理局-星野組-南海-東急)
- 呉昌征(嘉義農林-巨人-毎日)