国鉄117系電車
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国鉄117系電車(こくてつ117けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流近郊形電車の1系列である。
国鉄117系電車 | |
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0番台・京阪神地区用 |
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起動加速度 | 2.0km/h/s(MT比2:1時) 1.7km/h/s(MT比1:1時) |
営業最高速度 | 110km/h(西日本車は115km/h) |
設計最高速度 | 115km/h |
減速度 | 3.5(常用最大) 5.0(非常) |
編成定員 | 座席60・立席8(先頭車) 座席64・立席8(中間車) 座席60・立席6(トイレ付き先頭車) 127(トイレ付き先頭車300番台) 129(トイレ無し先頭車300番台) 139(中間車) |
全長 | 20,000 |
全幅 | 2,946 |
全高 | 4,066 |
編成重量 | 31.3t(トイレ無し先頭車) 43.3t(モハ116型) 43.7t(モハ117形) |
軌間 | 1,067mm |
電気方式 | 直流1,500V(架空電車線方式) |
歯車比 | 1:4.82 |
駆動装置 | 中空軸平行カルダン撓み継手方式 |
制御装置 | 抵抗制御・直並列組合せ制御・弱め界磁制御(CS43A・電動カム軸接触器式) |
ブレーキ方式 | 発電ブレーキ・電磁直通ブレーキ 抑速ブレーキ |
保安装置 | ATS-SW、ST |
備考 | |
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目次 |
[編集] 概要
1979年から1986年までに216両が製造され、1987年の国鉄の分割・民営化時には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に144両、東海旅客鉄道(JR東海)に72両がそれぞれ承継された。
[編集] 製造の目的
京阪神地区の東海道本線・山陽本線で運行している新快速には、1972年からそれまでの113系に代えて、山陽新幹線岡山開業に伴う山陽本線急行の淘汰で余剰となった153系が投入された。153系はこの時点では113系と異なり、既に冷房装置を搭載していたが、製造初年が1958年と古く主電動機が非力[1]で、座席がボックスシートであり、並行する阪急電鉄京都線と京阪電気鉄道本線の特急車両がいずれも転換クロスシートを採用していたのに比べると見劣りしていた。また、本来は急行形として設計された車両であり、デッキを有する客室構造はラッシュ時の輸送に難点があった。
117系は153系のこうした問題点を解消し、かつ、並行私鉄に対抗できる客室設備を備え、京阪神地区の輸送事情に適合する車両として設計された。客室設備は1975年に北九州地区に投入されたキハ66系を基本としており、それまで一貫して車両の標準化を推進してきた国鉄が地域の事情に応じて設計、製造した嚆矢となっている。
1982年には東海道本線名古屋地区の快速に使用されていた153系の置換え用に、名古屋地区にも投入された。117系は当時の国鉄としては異例ともいえる構造の電車であり、大阪鉄道管理局が国鉄本社の反対を押し切って、私鉄との対抗上強引に導入したいきさつもあり、他地区への導入は国鉄本社としては拒否し続けたものであった。しかし、当時の名古屋鉄道管理局長・須田寛が国鉄本社に強力に働きかけたことや、この車両の導入で快速の編成を8両から6両に減車して153系を76両淘汰し、差引22両の電車を削減できるというメリット、並行する名古屋鉄道名古屋本線との競争があることから、名古屋地区に限って投入することになったものである。
その後に製造された本系列と類似の接客設備を持つ車両としては、1981年に関東地区に投入された185系、1983年に広島地区に投入された115系3000番台、1987年に瀬戸大橋線開業に備え岡山地区に投入された213系が挙げられる。
[編集] 構造
※ここでは製造当時の構造について述べる。
[編集] 車体
鋼製ながら、各種の腐食対策が施された車体構造である。2007年現在、後述する115系3500番台への改造車も含めて全ての車両が現存している。
全長20mの車体に片側2か所の半自動対応(名古屋投入分は省略)の両開扉を設置する。側面は戸袋部を除いて4枚1組のユニット窓が並び、中間車で2(1)D(1)2222(1)D(1)2(D:客用扉、(1):戸袋窓)という独特の形態である。側面形状はキハ66系・阪急電鉄2800系などに類似している。
前面も独自のもので、「鼻筋」の通った湘南型風の形状に高運転台、左右各2灯を腰部に備えた前照灯、中央窓下に設けられた列車種別表示器とタイフォン(警笛)、と従来にない配置となった。類似の形状は既存車には157系以外存在せず、以後においても本系列を基本に設計された185系に類例が見られるのみである。また、併結運転のため連結器には国鉄初となる自動解結装置と電気連結器が採用され、編成単位での増解結作業を容易化している。
塗装にはベージュ(クリーム4号)にマルーン(ぶどう色2号)の帯が入る塗装である。このベージュとマルーンの2色塗装は新快速のルーツである急行電車[2]に使用されていた、52系や、戦後の1950年に製造された80系の塗装に類似した、大阪鉄道管理局伝統のカラースキームに則った塗色が選ばれている。従来、国鉄の近郊形電車は電気方式が同じであれば同一の塗装を施すルールとなっていたが、本系列ではそのルールを打破し、系列専用色が採用された。このマルーンは新快速、ひいてはJR西日本のアーバンネットワークのイメージカラーとして221系他多数の車両にも使われている。
[編集] 主要機器
[編集] 主電動機
主電動機は当時の国鉄電車の標準機種の一つであり、113系などと共通のMT54系[3]を装備し、歯車比も従来の近郊形と同様の1:4.82とされた。起動加速度は基本的に113系・115系と同等で、4M2TというM車比率の高い編成でも競合各私鉄の特急用車両と同等以下[4]、2M2T編成では劣ると言って良い。
[編集] 主制御器
主制御器は381系や417系で実績のあったCS43系で、勾配抑速ブレーキ付きである。当時、113系では153系と共通のCS12系が、115系でも165系と共通のCS15系がそれぞれ搭載されており、カム軸機構の改良などにより内部動作の多段化が行われスムーズな加速を可能とした、当時最新のCS43の採用は異例の措置であった。
[編集] 台車
台車は高速走行時の走行特性やDT24系空気ばね台車を装着していた153系からの置き換えであることなどを考慮し、台車は近郊形標準のDT21系コイルバネ台車ではなく、特急・急行形で使用実績のあるインダイレクトマウント空気バネ台車であるDT32E(電動車)・TR69H(制御車)を採用し、最高速度は従来の100km/hから110km/hに引上げられた。
[編集] 車内設備
室内は全席転換クロスシート(隅部のみ固定式。座席間隔は910mm)で、窓と座席の間隔は全て一致しており、室内には木目調のメラミン化粧板が使われるなど、接客設備は急行形を上回るほど上質なものである。空調は、通常のAU75系集中式冷房装置のほか、同時期のキハ183系気動車などと同様、新鮮外気導入装置(ロスナイ)を設置している。天井は平天井となったが、両隅(荷棚上部)に境目があり角張っている。この処理は製造初年が近い781系や185系も同様であり、本系列以前では新幹線0系(但し平天井ではない)や京成AE形にも見られた特徴である。
[編集] 基本形式・番台区分
編成はMT比4M2T(TcMM'MM'Tc')の6両が基本とされ、制御車と中間電動車という国鉄の標準的な構成であり、各派生番台も含め中間付随車は存在しない。
[編集] 形式
- モハ117形(1~60、101~106)
- 主制御器、主抵抗器等を搭載する電動車(M)。前位寄りにパンタグラフを搭載する。モハ116形とユニットを組んで使用される。
- モハ116形(1~60、101~106)
- 電動発電機(MG)、空気圧縮機(CP)等の補助機器を搭載する電動車(M')。モハ117形とユニットを組んで使用される。
- クハ117形(1~30、101~112)
- 奇数(東海道本線基準で東京寄り=東)向きの先頭に連結される制御車(Tc)。本形式のみ、側面の種別・行先表示器を装備しない。名古屋地区向けの22~30はトイレを装備する。
- クハ116形(1~30、101~103、201~209)
- 偶数(東海道本線基準で神戸寄り=西)向きの先頭に連結される制御車(Tc')。200番台を除いてトイレを装備する。
[編集] 0番台
1979年から製造された基本番台である。1980年までに6両編成21本(126両)が宮原運転所(現・宮原総合運転所)に投入され、153系(クハ165形を含む)[5]を置き換えた。
名古屋地区用は扉の半自動機能(戸閉機械は従来車と同一)および自動解結装置の省略、クハ117形にもトイレを設置するなど若干の仕様の違いがある。大垣電車区に6両編成9本(54両)が投入された。
投入の経緯は上記#製造の目的を参照。
[編集] 100・200番台
国鉄の分割・民営化直前に実施された1986年11月1日のダイヤ改正にともなう、京阪神地区の新快速増発用および名古屋地区の編成短縮(6両→4両)による快速増発用に投入された増備車である。4年ぶりの増備であることから、各部の設計が変更されている。車端部の耐雪装備(雪切室)用であったデッドスペースを減らして扉回りの立席スペースが拡大され、側窓はユニット構造のまま下降式の1枚窓となった。これに伴い、下降窓からの雨水侵入で車体の腐食が著しかった157系の教訓から、車体裾部にステンレス材が使用されるなど台枠付近の防錆構造が強化されたほか、床面高さが45mm下げられている。台車は205系などと同様の軽量で構造が簡素なDT50C(電動車)・TR235B(制御車)ボルスタレス台車となり、座席もバケットタイプが採用されるなどの変更がある。その他の仕様は各地区向けの仕様に準じている。
京阪神地区用に6両編成3本(18両)、名古屋地区用に先頭車のみ18両(クハ117形、クハ116形各9両)、計36両が投入された。クハ117形は、0番台では名古屋地区向けの増備車からトイレ付きに変更されていたが、京阪神地区向けは従来車に合わせて再びトイレなしに変更された。一方、名古屋地区向け車は従来の6両編成を3両ずつに分割の上、それぞれに新造の先頭車を連結するという方式で投入されることとなった。よって、名古屋地区向けでは全ての編成で1両だけ形態の異なる先頭車が連結されることになった。なお、編成中のトイレを1箇所とするため、クハ117形100番台は京阪神地区向けと同仕様のトイレなしで、クハ116形は京阪神地区向けと異なりトイレなし仕様の200番台として投入された。名古屋地区向けは編成短縮と同時に神領電車区に転属し、中央西線快速の増発にも充てられた。
[編集] 民営化後の状況
京阪神地区への投入車は全車JR西日本に、名古屋地区への投入車は全車JR東海に承継され、両者間でのやりとり(連結・転属など)は現在まで皆無となっている。
[編集] JR西日本
[編集] 新快速運用からの撤退と転用
京阪神地区では、221系の投入により1990年3月10日のダイヤ改正から新快速の最高速度が115km/hとなった関係で、1990年に全車ブレーキ周りを改造して最高速度を115km/hに引き上げる工事が実施された。しかし、221系の増備により余剰が生じるようになったことと、1991年3月16日のダイヤ改正から早朝深夜を除いて新快速の最高速度が120km/hとなった関係で、同年からは福知山線(JR宝塚線)への転用(#300番台)、および編成短縮による奈良線、湖西線、草津線、山陽本線岡山地区の快速「サンライナー」(#岡山地区への転用)への転用が開始された。編成短縮で発生した余剰車は115系化(#115系3500番台への改造)され、初めて車両数の減少があった。
新快速用に残った117系も、片側2扉6両編成(ラッシュ時は12両編成)では乗客数の増加に対応できず、最高速度115km/hで120km/h運転にも対応できないことから日中とラッシュ時の新快速運用をこなすことが困難になり、1991年3月16日のダイヤ改正からダイヤと輸送力に余裕がある早朝と深夜のみの運用となった。これらは、1999年5月11日のダイヤ改正から一部時間帯において223系による西明石~草津間での130km/h運転が始まったのに伴い、1999年5月10日限りで新快速の定期運用から完全に撤退した。なお、221系も翌2000年に撤退している。
現在、当初新快速用として配属された車両は、京都総合運転所の6両編成2本12両(C1・C16編成:いずれもTc車の番号が編成番号になっている)までに減少。トイレの増設(クハ117形)とバリアフリー対応化改造が行われ、準団体用となっている。これらはJRマークの消去と登場当時の前面種別幕を使用(誤乗車を防ぐため、側面は「臨時」)するとともに連結、「リバイバル新快速」として2004年10月10日に一日限りではあるが再び新快速運用に就いた。
転用された車両も、2000年に221系による丹波路快速の運転開始に伴って福知山線(JR宝塚線)での運用を縮小し、同年3月からは日根野電車区に配属され和歌山線に進出。2001年には221系によるみやこ路快速の運転開始に伴って奈良線での運用から撤退などと、使用範囲の変化がある。特に100番台は2005年に全編成とも中間2両を抜いた状態で岡山電車区を経て下関車両管理室へ転出し、その後追加で配置された300番台2本と共に山陽本線下関地区で使用されるようになっている。なお、これらによってわずかに残っていた九州旅客鉄道(JR九州)の415系の運用が置換えられた。
度重なる転配属により、各番台・塗装が混結する編成も存在している。
[編集] 300番台への改造
JR西日本に承継された車両のうち、221系の増備に伴い余剰となり、1990年以降福知山線(JR宝塚線)へ転用されたグループ。車両番号は元番号+300。1992年・1993年・1995年に計58両が改造され、宮原総合運転所に配属された。
ラッシュ時に運用するには2扉構造が災いして乗降に時間がかかり、列車遅延の原因となったため、その対策として扉から中央寄りの転換クロスシートがロングシートに変更され、床面積を増やすことで定員増が図られている。それに伴いブレーキに応荷重装置が追加され、塗装は白に緑帯となった。なお、これの先行改造として座席を一部撤去したのみで運用に就いた車両が存在した。
しかし、それでもラッシュに対応し切れなくなり、ラッシュ時には乗客の流れと逆方向の福知山方面や早朝深夜の運用をメインとするようになった。2000年3月からは4両編成2本が日根野電車区へ転じる車両が発生(#紀勢本線・和歌山線への転用)し、残った車両もJR福知山線脱線事故を受けて同線にATS-Pが設置されたことを期に2005年6月18日限りで対応改造を受けないまま同線から撤退した。
福知山線撤退まで残存した各編成は現在は京都総合運転所へ転じ、山陰本線(嵯峨野線)・湖西線・草津線などの運用に使用されている。一部編成はATS-P車上装置が設置され、また、100番台の短編成化で余剰となったモハユニットを編入している編成も存在する。4両編成2本は前述の通り下関車両管理室へ貸出された。2006年10月21日から湖西線永原~近江塩津間5.8kmが晴れて直流電化されたが、依然として運行区間の北限は永原までとなっている(113系5700.7700番台も同じ、4両編成を超え8両編成までの普通列車は、同駅までしか入線できない)。
- 新旧番号対応
- モハ117/116-3~16・19・20・41・42→モハ117/116-303~316・319・320・341・342
- クハ117/116-2~8・10・18・20・21→クハ117/116-302~308・310・318・320・321
[編集] 岡山地区への転用
まず、1992年に0番台4両編成6本(24両)が岡山電車区に転用され、トイレの汚物処理装置を循環式からカセット式に交換し、外部塗色も白に赤のグラデーションに塗り替えられた上で快速「サンライナー」などで使用されている。また一部列車ではかつての新快速と同様の115km/h運転も行われている。これらは1999年にワンマン運転対応改造を施工されたが、車内で運賃を収受しないことから運賃箱などは設置されていない。転用車は次のとおり。
- E1 Tc 9 - MM'18 - Tc' 9
- E2 Tc11 - MM'22 - Tc'11
- E3 Tc13 - MM'26 - Tc'13
- E4 Tc15 - MM'30 - Tc'15
- E5 Tc17 - MM'34 - Tc'17
- E6 Tc19 - MM'38 - Tc'19
その後、先述の通り100番台4両編成3本(12両)が宮原総合運転所から借入し、一時的にE11~E13編成として岡山地区でのローカル運用を主体に一部は快速「サンライナー」にも使用されたほか、米子地区での多客輸送臨時列車としても使用された。この際、岡山電車区は100番台に装備されていたトイレの循環式汚物処理装置の抜き取り設備はなく、設備のある後藤総合車両所を拠点とする米子地区での運用時以外はトイレ使用停止状態で使用された。このことが運用上の制約を生む結果となり、2005年10月までに100番台4両編成3本は下関車両管理室へ又貸しされることになった。
[編集] 115系3500番台への改造
1992年に「サンライナー」転用にあたり、短編成化(6両→4両)によって発生した余剰中間電動車が山陽地区で使用されている115系の先頭車と混結できるよう、制御回路を改造されたものである。併せて前述の117系300番台と同様に、扉から中央寄りの転換クロスシートが一部ロングシートに変更されている。
これらの改造で形式がモハ115・114形3500番台に改められている。当初11ユニット22両が改造されたが、2001年に3ユニット6両が追加改造され、計28両が115系に編入された。詳細は当該項目を参照していただきたい。
- 新旧番号対応
- モハ117/116-17・21・23・25・27・29・31・33・35・37・39・303・315・316→モハ115/114-3501~3514
[編集] 紀勢本線・和歌山線への転用
2000年3月に、福知山線(JR宝塚線)用の300番台4両編成2本が福知山色のまま日根野電車区へ転属し、G801編成、G802編成として和歌山線全線で使用されるようになったのが始まりである。それまでの和歌山線専用の同区113系湘南色車(G416編成・G417編成)による朝夕ラッシュ時の運用をそのまま移管する形で運用された。なお、運用の間合いで阪和貨物線(関西本線(大和路線)久宝寺~阪和線杉本町間の貨物線・現在は休止中)の路線維持回送列車(錆取り列車)としても使用された。
運用上の常駐先であった新和歌山車両センターのトイレ汚物処理設備が同車の循環式に対応しておらず、トイレは使用停止とされていた。2編成配置2運用使用であったため、日根野電車区での検査実施時には同区113系(阪和色車または湘南色車)が代走した。
2001年3月、先述の通りみやこ路快速の運転開始によって宮原総合運転所所属車による奈良線運用が消滅したため、同所0番台の6両編成1本(C14編成)が原色のまま日根野電車区へ転属前提で貸し出された。このうち4両が予定通りG803編成として就役し、上記113系の検査代走の置き換えに使用された。
同年12月、宮原総合運転所で余剰となった300番台先頭車(共に308号)の2両と、上記G803編成とならなかった2両(40号モハユニット)が接客設備が異なったまま組み合わされ、ワンマン運転対応改造と外部塗装オーシャングリーン地にラベンダー帯化が施工された上で、「G804編成」として翌年1月から和歌山線で運行を開始した。その後同区配置の残りの編成も順次ワンマン改造・塗装変更が行われた。
2002年3月、宮原総合運転所から下関車両管理室に貸出され、宇部線「きらら博」臨時快速列車として使用されていた4両編成1本(C12編成)が返却時に転入し、現在の4両編成5本の陣容(G801編成~G805編成)となった。この時日根野電車区所属車の運用範囲が阪和線日根野~和歌山間、紀勢本線(きのくに線)和歌山~紀伊田辺間にも拡大。同時に全編成がワンマン対応、オーシャン色化され、和歌山線でワンマン運転が始まった。ただし、4両編成のために無人駅でも全扉開放となることから不正乗車の確率が上がるので、扉扱いや車内放送を行わない特別改札車掌が乗務して車内改札を行うことが多い。
この際、運用上の拠点も循環式汚物処理装置を扱える日根野電車区になったことから、トイレも使用可能となった。同年11月、所属が新和歌山車両センターに移り、阪和線と紀勢本線御坊~紀伊田辺間での定期運用が消滅したが、この際に各編成のトイレの汚物処理装置を循環式から使い捨てのカセット式へ交換することでトイレ使用可能状態を維持している。現在は和歌山線で運用されているが、日根野電車区の113系の臨時検査入場などで編成不足が起きた場合、代走役として紀勢本線を走行することもある。但し、不足が2本以上の場合は本系列は使われず、奈良電車区の221系を使用する。
- 転用車は下記のとおり。括弧内は日根野電車区所属の2002年3月までの編成番号
- G1(G805) Tc12 - MM'24 - Tc'12
- G2(G803) Tc14 - MM'28 - Tc'14
- G3(G804) Tc308 - MM'40 - Tc'308
- G4(G801) Tc318 - MM'305 - Tc'318
- G5(G802) Tc320 - MM'341 - Tc'320
[編集] JR東海
民営化直後は、JR東海名古屋地区都市圏輸送のフラッグシップとして重用された。しかし、混雑の激しい中央西線ではその車体構造ゆえ乗客をさばききれなくなり、1988年には3扉ロングシートの新製車211系5000番台に置換えられて撤退し全車が大垣電車区に転属した。東海道本線においては、後継の311系の登場によりメインの新快速を同系に譲ったものの快速用の主力として使用されてきた。しかし、1999年の運転速度引き上げにともなって東海道本線の日中のダイヤは快速が最高速度120km/hとなり、また普通についても211系5000番台3両編成(2M1T)の走行性能を基準とするダイヤ編成となったため、これに対応できない117系は日中の運用をほぼ失うこととなった。
2007年現在の運用は、朝晩のラッシュ時における金山~米原間の快速が中心であり、おもに4両編成を2本連結した8両編成で運転される。その他、日中には浜松~豊橋や大垣~米原間の運用が見られるが、ほとんどの編成は大垣車両区や熱田駅、大府駅、豊橋駅構内などに留置されている。2006年に313系の追加増備が行われ、同社の113系はほぼ淘汰されたが、本系列には具体的な置換え計画はなく、しばらくは現状通り名古屋地区で使用される予定であるが、313系の更なる投入も検討されているので、今後何らかの変化が予想される[6]。
車内は、運転席直後や車端部の転換クロスシートがロングシートに改造された車両が存在するが、特に改番等は行われていない。また、現在の運用状況を鑑み追加改造も行われていない[7]。また、車椅子スペースを設ける改造を受けた車両もない。
2006年10月改正以降は大垣~米原間の日中の普通運用の大半を占めるなど、多少運用が増加していた。
2008年3月改正以降は平日朝に増発された岡崎駅発着の新快速列車にも使用されている。
塗装は全車ともJR東海のイメージカラーである白にオレンジ帯に塗変えられた。塗替当初は雨樋に1本、窓下に太帯と細帯各1本の計3本の帯が入っていたが、1999年頃より塗装が簡略化され、窓下の帯2本をまとめた1本を引くのみになっている。
また前面の快速幕は、当時は白地に黄色で「快速」と書かれ、文字の周りが黒く縁取りされており、利用客から見にくいと苦情があったため塗装簡略化とほぼ同時に交換された。運転番号表示器はJR東海では本来の目的では使用されないため、当系列の場合には大垣車両区における編成番号を表示している。(S1~S18)
[編集] 廃車
2007年現在、改造による系列変更を実施された車両は存在するが廃車は発生していない。国鉄の直流近郊形電車で1両も廃車が発生していないのは本系列と121系のみである。
[編集] 脚注
- ^ 端子電圧375V時定格出力100kWのMT46を搭載。
- ^ 1935年から京都~神戸間で運転。急行と呼ばれていたが急行料金を徴収しない、現在の快速や新快速に相当する速達列車であった。
- ^ 端子電圧375V時定格出力120kW。
- ^ 例えば線形で劣る京阪電気鉄道の3000系は18m級の車体に昇圧前でさえ定格出力140kW(昇圧後は定格出力175kW)の主電動機を備え、4M3Tあるいは4M2Tで運行されていた。
- ^ 新快速用153系電車は、急行運用時に比べ短編成化されたため、当初から多数のクハ165形が混用されていた。なお、東海道新幹線開業後、当初から153系の制御車としての利用を前提に増備されたクハ165形もある。
- ^ JR東海、在来線の更新加速・「安全」「環境」アピール NIKEEI NET 2008.04.08
- ^ 2008年3月に浜松工場で全般検査を受けたS2編成の場合、ロングシートは存在しない。