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名鉄瀬戸線 - Wikipedia

名鉄瀬戸線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

名鉄瀬戸線
大曽根駅を出発する名鉄6750系電車
路線総延長 20.6 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V (直流)
uexWBRÜCKE WASSER
堀川
uexHST exKBFa
堀川駅 1976年廃止 市電:景雲橋電停
uexHST exBHF
本町駅 1976年廃止 市電:名古屋城電停
uexHST + uexHHST
exBHF
大津町駅 1976年廃止 市電:大津橋電停
uexHST exBHF
久屋駅 1944年廃止 市電:東外堀町電停
uexSTRrf exSTR
名古屋市電
exSTR
tSTR exSTR
←市営地下鉄:東山線
tHSTR
tHBHF + tBHF
exSTR
栄駅 栄町駅と徒歩連絡
eGRENZE legende tKBFa tSTR exSTR
0.0 栄町駅
tSTR tÜWul exÜWor
市営地下鉄名城線
tSTR exÜWo+l tÜWKu+r
tSTR exSTR tBHF
市役所駅 東大手駅と徒歩連絡
tBHF exBHF tSTR
1.5 東大手駅 1944休止、1978年移転再開
tSTR exSTR LUECKE
市営地下鉄:名城線↓
TUNNELe exBHF
土居下駅 1978年廃止
eABZlf exABZlg
お濠電車区間→ 1976年廃止
ELEVa
exSTR + uexHHST
←名古屋市電→:深田町電停
ELEV + AKRZu
exSTR
名古屋高速1号楠線
BHF-ELEV exBHF
2.2 清水駅
ELEV exBHF
師範下駅 1929年廃止
BHF-ELEV exBHF
2.7 尼ヶ坂駅
ELEV exABZlf exSTRlg
旧々線→ 1956年廃止
ELEV exSTR exBHF
社宮祠駅 1944年休止、1956年廃止
ELEV exSTR exBHF
坂下駅 1941年廃止
ELEV exABZrg exSTRrf
旧々線→
BHF-ELEV exBHF
3.6 森下駅
ELEV
exSTR + ueHSTR
uexABZ3lg + uexHHST
←名古屋市電→:大曽根電停
ELEV exABZlf exSTRlg
旧々線→ 1956年廃止
HLUECKE STRlg-ELEV ELEV exSTR exSTR
JR東海中央本線 名古屋方面
ELEV ELEV exSTR exBHF
駅前駅 1944年休止、1956年廃止
ELEV ELEV exABZrg exSTRrf
旧々線→
ELEV ELEV exSTR uexHSTe
↑名古屋市電:東大曽根電停
uKBFa-ELEV BHF-ELEV BHF-ELEV exBHF
4.6 大曽根駅
HLUECKE + uLUECKE
tUKRZo + ELEV
tUKRZo + ELEV
xKRZt tHBHF
←市営地下鉄:名城線→
uELEV
leer + STRlf-ELEV
ELEV + KRZo-ELEV
xHKRZo-ELEV HLUECKE
JR東海:中央本線 中津川方面→
uELEV uexHSTa ELEVe exSTR
↓名古屋市電:矢田町4丁目電停
uELEV uexSTRrf eABZrg exSTRrf
旧線→
uELEV BHF
5.9 矢田駅
uWBRÜCKE-ELEV WASSER WBRÜCKE1 WASSER
矢田川
uELEV eBHF
守山口駅 1944年休止、1969年廃止
uELEV eBHF
木ヶ崎駅
uELEV STR
ゆとりーとライン
uSTRlf-ELEV uHELEV
UKRZu + uHELEV
uHELEV + uHBHF
uHLUECKE
守山駅 守山自衛隊前駅と徒歩連絡
BHF
7.0 守山自衛隊前駅
BHF
7.6 瓢箪山駅
eBHF
笠寺道駅 1944年休止、1969年廃止
BHF
8.6 小幡駅
eBHF
小幡原駅 1944年休止、1969年廃止
exSTRrg eABZrf
喜多山検車区 2007年廃止
exKDSe BHF
9.9 喜多山駅
AKRZo
東名阪自動車道
BHF
10.7 大森・金城学院前駅
eBHF
霞ヶ丘駅 1944年休止、1969年廃止
AKRZu
東名高速道路
BHF
12.2 印場駅
BHF
13.1 旭前駅
eBHF
聾石駅 1942年廃止
KDSa STR
←尾張旭検車区
STRlf ABZlg
BHF
14.7 尾張旭駅
eBHF
平池駅 1944年休止、1969年廃止
BHF
16.1 三郷駅
eBHF
根ノ鼻駅 1944年休止、1969年廃止
BHF
18.0 水野駅
BHF
18.7 新瀬戸駅
HLUECKE HELEV HKRZo-ELEV HBHF-ELEV HLUECKE
瀬戸市駅 新瀬戸駅と徒歩連絡
STR
愛知環状鉄道愛知環状鉄道線
BHF
19.4 瀬戸市役所前駅
KBFe
20.6 尾張瀬戸駅

名鉄瀬戸線(せとせん)は、愛知県名古屋市東区栄町駅から愛知県瀬戸市尾張瀬戸駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線瀬戸電気鉄道を前身とすることから、今でも「瀬戸電」(せとでん)の愛称で親しまれている。

他の名鉄の路線と接続していない「孤立路線」である。ただし、以前は他路線との接続扱いの乗車券を瀬戸線の駅で買うことができた(連絡運輸参照)。大曽根駅 - 尾張瀬戸駅間では、ほぼ瀬戸街道と並行する。

運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。すべての駅でトランパスが使用できる。

目次

[編集] 路線データ

  • 路線距離(営業キロ):20.6km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:20駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 認可最高速度:95km/h

[編集] 運行形態

急行準急普通列車が運転されている。2005年のダイヤ改正で水野駅瀬戸市役所前駅が急行停車駅となったため、急行と準急では、印場駅旭前駅を停車するかどうかの違いしかない。なお、途中に追い抜きが可能な駅がないため平行ダイヤとなっており、優等列車による下位列車の待避は行われない。よって、各方面へは、先発列車が必ず先に着く。普通列車の全区間所要は40分前後で、急行より10分長い程度である。

平日の朝は、栄町方面の平日朝7時から8時までにおいては、尾張旭 - 栄町間は4分間隔で走る高密度ダイヤになっている。そのため、急行などの優等列車が設定できず、普通列車のみの運用となっている。同様の例は、東急田園都市線二子玉川駅 - 渋谷駅間にも見られる。なお平日朝ラッシュ時間帯の瀬戸方面は準急と普通が交互に走り、普通の大半と準急1本が尾張旭折り返しになる。

昼間時間帯では、平日休日問わず、毎時急行2本、準急2本、普通列車が4本ある。普通4本のうち、2本が尾張旭折り返しで、急行列車と尾張旭で連絡する。

平日夜間21時以降、休日夜間19時以降は、一部除いて普通列車のみの運用となっている。

また、以前は栄町 - 喜多山間の区間列車も数多くあったが、喜多山検車区の移転によって、現在では最終列車など、限られたものとなっている。

[編集] 準急・急行の存在意義

待避の設備がない瀬戸線における急行・準急の存在意義は「停車しない駅」がある列車を運転することによって、乗降客を「急行・準急停車駅」での乗降客と「普通のみが停車する駅」での乗降客とに分離することであろうかと思われる。似たような例としては岐阜市内線及び揖斐線・谷汲線(3線とも既に2005年4月1日廃止)に存在した市内線と揖斐線・谷汲線直通の「急行」が挙げられる。

以前は、普通を栄町 - 喜多山間の区間運用とし、急行停車駅を除き、名古屋市内の駅は普通、尾張旭市内・瀬戸市内の駅は準急という千鳥停車のような運用がされていた。

曲線区間が多い上に加速性能の悪い旧性能車が在籍し、新性能車と共通運用されているため、急行といえども実質的な最高速度は85km/h程度である。また車両性能が向上する度に停車駅も増えてきたので、全区間の所要時間は30分前後と600V時代の1966年から1977年に運行されていた特急からほとんど変わっていない。

[編集] 利用状況

[編集] 輸送実績

瀬戸線の近年の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年  度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/km・1日
特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合  計
1975年(昭和50年)            
1976年(昭和51年)            
1977年(昭和52年)            
1978年(昭和53年)            
1979年(昭和54年) 956.8 838.4 905.8 2701.2    
1980年(昭和55年) 1043.8 872.7 939.9 2856.5    
1981年(昭和56年)            
1982年(昭和57年)            
1983年(昭和58年)            
1984年(昭和59年)            
1985年(昭和60年)            
1986年(昭和61年)            
1987年(昭和62年) 1247.8 943.2 909.5 3100.5    
1988年(昭和63年) 1284.7 974.3 928.9 3187.9    
1989年(平成元年) 1295.2 983.0 955.0 3233.2    
1990年(平成2年) 1320.4 994.5 929.2 3244.1    
1991年(平成3年)            
1992年(平成4年)            
1993年(平成5年)            
1994年(平成6年)            
1995年(平成7年)            
1996年(平成8年)            
1997年(平成9年)            
1998年(平成10年)            
1999年(平成11年)            
2000年(平成12年)            
2001年(平成13年) 1290.4 729.2 960.6 2980.2    
2002年(平成14年) 1258.9 707.8 961.3 2928.0    
2003年(平成15年) 1248.8 708.9 968.2 2925.9 40,429  
2004年(平成16年) 1269.4 721.9 947.0 2938.3 40,471  
2005年(平成17年)            
2006年(平成18年)            
2007年(平成19年)            

[編集] 収入実績

瀬戸線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年  度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度
総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合  計
1975年(昭和50年)   ←←←←          
1976年(昭和51年)   ←←←←          
1977年(昭和52年)   ←←←←          
1978年(昭和53年)   ←←←←          
1979年(昭和54年) 1,054,035 ←←←← 1,317,595 1,943 2,373,574 52,991 2,426,566
1980年(昭和55年) 1,150,097 ←←←← 1,376,163 584 2,526,845 59,318 2,586,164
1981年(昭和56年)   ←←←←          
1982年(昭和57年)   ←←←←          
1983年(昭和58年)   ←←←←          
1984年(昭和59年)   ←←←←          
1985年(昭和60年)   ←←←←          
1986年(昭和61年)   ←←←←          
1987年(昭和62年)              
1988年(昭和63年)              
1989年(平成元年)              
1990年(平成2年)              
1991年(平成3年)              
1992年(平成4年)              
1993年(平成5年)              
1994年(平成6年)              
1995年(平成7年)              
1996年(平成8年)              
1997年(平成9年)              
1998年(平成10年)              
1999年(平成11年)              
2000年(平成12年)              
2001年(平成13年)              
2002年(平成14年) 2,233,061 407,382 2,664,224 0 5,304,667 249,654 5,554,321
2003年(平成15年) 2,212,232 409,139 2,671,942 0 5,293,313 267,131 5,560,444
2004年(平成16年) 2,236,955 414,482 2,614,816 0 5,286,253 277,036 5,543,289
2005年(平成17年)              
2006年(平成18年)              
2007年(平成19年)              

[編集] 車両

瀬戸線は前述のとおり名鉄の路線網から外れた位置に存在する孤立路線であり、また栄町駅 - 東大手駅間では地下を走るため、瀬戸線専用として登場した特徴的な車両がいくつか存在する。

列車はすべて4両編成で運行している。平日朝ラッシュ時は検査車両を除く全編成(18編成)で運行し、予備編成はない。そのため事故や故障で1編成でも車両が使えなくなると、数本の運休または区間運休をせざる得なくなる。運休となった場合は次の列車を利用するよう案内される。また、運休や遅れによって乗り換え予定の列車に乗り遅れてもその補償はしないといったことが駅の時刻表に掲示されている。

すべての編成に瀬戸線専用の自動放送装置が搭載されており、各駅到着前に地下鉄やバスのようにスポンサー企業の案内放送が入る。

なお、孤立路線であるため、新車両の導入や他線との車両の転属を行う場合は、道路上をトレーラーで輸送することになる(大曽根駅地上駅中央線に連絡する貨物設備があったころは、中央線経由で導入していた)。

6600系
1978年(昭和53年)、瀬戸線では架線電圧の昇圧と栄町駅乗り入れに併せて、瀬戸線用に新造されたのが6600系である。
同時期に製造されていた6000系をベースに製造されており、登場時は、クロスシートが採用され、すべて非冷房車であった。現在では、通勤ラッシュ時の混雑に対応し、すべての車両が、ロングシートが採用された4両編成固定の冷房車となっている。
6750系
1986年(昭和61年)、3900系電車の下回りを転用して、6600系電車に準じた車体を瀬戸線用に新造したのが6750系である。1次製造車は6650系と呼ばれることもある。
吊り掛け駆動方式を採用して製造された車両(AL車)としては、名鉄最後のものである。
6000系
名鉄本線などの本線系路線から転属してきたのが、6000系である。この車両は、正面が貫通型でかつ側面の窓の開閉が可能な5 - 8次車、俗に言う中期車である。転属と同時に6600系などの他の車両に合わせて、ドア上部の塗色を当時のグレーから赤一色に変更した(後に本線系路線のすべての6000系も赤ドア化された)。

名鉄の発表によれば、2008年度に1編成、2009年度 - 2010年度に9編成、合計40両を更新し、その後も残る8編成を順次置き換えていく予定となっている。

2007年(平成19年)に供用が開始された尾張旭検車区は、従来の旧喜多山検車区と異なり、塗装設備が整備されていないため、更新される車両はすべて、塗装の不要なステンレス車体の4000系電車に置き換えられることとなっている。それと入れ替わる形で、6000系電車は名古屋本線系路線へ再度転属される予定である。6600系電車やAL車の6750系電車の処遇は未定である(6750系は新性能化改造に対応可能ではあるが、同時期に登場したAL車の3300系(2代)は既に廃車されている)。

[編集] 歴史

[編集] 開業

瀬戸においては、古くから窯業(瀬戸焼)が盛んであり、貨物輸送の需要は高く、鉄道の敷設は悲願であった。しかし、明治20年代に国鉄中央線の誘致に失敗しまう。ただ、地元により鉄道を敷設すれば、接続点として中央線に大曽根駅の開設するとの国の意向を取り付けたため、瀬戸 - 大曽根間の鉄道敷設の気運が高まった。

その結果、早期に瀬戸からの鉄道敷設が実現し、瀬戸自動鉄道により1905年(明治38年)4月2日に開業した。しかし、矢田川を渡る橋の架橋工事が困難をきわめ、瀬戸街道沿いの瀬戸 - 矢田間の開業となった。翌1906年(明治39年)には、大曽根まで開業する。ただし、中央線大曽根駅の開業は、後述の「外濠線」が開業する、1911年(明治44年)まで待たなければならなかった。

開業当初は非電化で、セルポレー式蒸気原動車で運行していた(これが日本初気動車運行である)。この蒸気原動車は車両ごとにそれぞれA・B・C号と称し、瀬戸 - 矢田間を1時間半近くかけて走破していた。本数は1日わずか4往復であった。しかし上り坂で動けなくなるなどの故障が続出したため(不通時には人力のトロッコに乗客を乗せ換えて対処したという)、早くも1907年(明治40年)には全線電化し、社名を瀬戸電気鉄道に変更するとともに電気運転を開始した。ただし当時は名古屋電燈(現在の中部電力)が夜間の電力需要に対応するべく毎日午後6時以降の電力供給を停止していたので、1910年(明治43年)に喜多山駅に発電所(現在、解体工事中)が設けられるまでは、蒸気原動車も引き続き使われていた。

このような経緯で開業したにも関わらず、中央線の大曽根駅はなかなか開業されなかった。そのため、名古屋都心部への乗り入れが急務となった。名古屋都心部への乗り入れの計画としては、名古屋城の外堀を経路としてとる「外濠線」や車道沿いに新堀川に至る「車道線」などが計画されていた。これらのうち、瀬戸からの陶器など貨物を堀川を運航する貨物船へ積み替えるため、「外濠線」が建設され、1911年(明治44年)10月1日、堀川駅まで延伸した。この延伸区間は、「お濠電車」とも呼ばれていた。この区間には、名古屋城の外堀に線路を通すという特殊条件のもとで敷設されたため、用地買収が少なくて済むというメリットもあったが、ガントレットと呼ばれる単複線や、サンチャインカーブと呼ばれる急カーブなど特殊な線形が採用された。

このほか、開業当時には、小幡 - 龍泉寺、瀬戸 - 品野、瀬戸市内線などの新線建設が計画されていた。

瀬戸電気鉄道の本社は大曽根駅に設置され、1917年(大正6年)に建築された本社社屋は同駅の駅舎を兼ねたモダンな建物であり、名鉄合併後も後述する矢田 - 森下間の高架化事業の完成により解体されるまで駅舎として利用されていた。

[編集] 名鉄合併と戦争

その後、軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更され、全線が複線化されるなど、輸送力の増強と設備の近代化が図られた。開業以来、貨物輸送が収入の大きな割合を占めていたため、沿線の好況は瀬戸線の増収に結びついていった。

しかし、沿線へのバス路線の拡張や昭和恐慌による瀬戸の窯業の不況のあおりなどを受けて、業績は急速に悪化し、また、日中戦争の長期化による鉄道輸送統制強化の国の行政指導もあって、1939年(昭和14年)、瀬戸電気鉄道は名古屋鉄道と合併し、同社の瀬戸線となった。

第二次大戦中には、運行効率を上げるため、多くの駅が休止または廃止に追い込まれた。

[編集] 戦後600V時代

戦争が終わると、瀬戸線の運行も再開されたが、1948年(昭和23年)、印場 - 大森間で脱線転覆事故が発生し、多数の死傷者が出る瀬戸線史上最悪の惨事となってしまう。これを受けて、線形改良など、近代化がすすめられた。特に大曽根駅 - 尼ヶ坂駅間は、大曽根地区の戦災復興の土地区画整理に合わせて、経路を変更し、社宮祠駅と駅前駅を廃止の上、まったく新しく線路を敷設しなおした(旧経路は、尼ヶ坂駅 - 森下駅間は道路として、森下駅 - 尼ヶ坂駅間は東区北区の区界としてその痕跡を見ることができる)。

しかし、お濠電車の特殊な区間は輸送上のネックとなっており、名古屋鉄道は、当時名古屋市が計画していた地下鉄の南北線(今の地下鉄名城線地下鉄名港線)への瀬戸線の乗り入れを名古屋市と協議していたが、市内の鉄道整備を独自に行おうとする姿勢の強い名古屋市とは折り合わず、結局この協議は昭和30年代には実質上頓挫してしまう(その結果、名古屋市側は、市役所 - 大曽根間を独自に建設することとした上で、大曽根からの延伸部分として4号線を計画し、現在の地下鉄名城線の環状化が計画されることになる)。

また、都心乗り入れに関しては、堀川からそのまま直進して名古屋本線の栄生駅に連絡するルートも検討されていた。

[編集] 1500V昇圧と栄町乗り入れ

1966年(昭和41年)のダイヤ改正からは、特急を設定し、輸送力を強化した。詳しくは瀬戸線特急を参照。

しかし、昭和40年代には、都心部への乗り換え駅として主に機能していた大津町駅市電の廃止によってその機能を失い、さらに地下鉄名城線大曽根駅が開業すると、都心部への乗客の多くが大曽根で乗り換えてしまうようになったため、瀬戸線独自での都心部への乗り入れは急務となっていた。

最終的には、名古屋市と再度の協議の末、1972年(昭和47年)、新三河鉄道時代から名鉄が保有していた八事 - 赤池(現:地下鉄鶴舞線)の免許を名古屋市に譲渡する見返りとして(開通した場合に地下鉄名城線栄 - 大曽根と競合するため、路線認可には名古屋市の同意が必要だった)、路線免許を取得し、瀬戸線独自にへの地下新線を建設することとなった。

その工事開始に伴ってお濠電車区間である堀川 - 土居下が1976年(昭和51年)に廃止された。また、全線で昇圧工事も始まり、各駅のホームのかさ上げや四両編成に対応するための延伸工事が実施された。

1978年(昭和53年)にはいると、貨物営業が廃止され、1500Vへの昇圧が完了した。そして、ついに、1978年(昭和53年)8月、名鉄長年の悲願であった瀬戸線の都心乗り入れを果たした。都心乗り入れ区間の終着駅である栄の駅は、地下鉄と同じ栄とはせず、栄町とした。栄乗り入れにあたっては、久屋大通公園の整備も同時に行われ、栄町駅に接続するセントラルパーク地下街も開業した。

なお、栄町への乗り入れに伴い、建設費用回収のため、栄町駅 - 東大手駅間内、またはこの区間に跨って利用する場合は、キロ程で算出された運賃に別途30円(大人の普通運賃に対する)を加える加算運賃の制度が導入された。

[編集] 名古屋市内高架化と駅集中管理システムの導入

矢田 - 大曽根間は、旧瀬戸街道(現在の矢田本通商店街)沿いの経路を通っていたが、ここは江戸時代の矢田川の河道に沿ったところでもあり、大雨が降ると中央線のアンダークロス部分を中心に線路が浸水し、運行に支障が生じることがよくあった。また、大曽根駅北側の踏切は、東大曽根六叉路交差点(現在は五叉路)のすぐ東側にあって、ラッシュ時の東大曽根交差点の道路の渋滞は深刻なものになっていた。そこで、大曽根駅周辺の瀬戸線の高架化整備が急がれ、周辺の土地区画整理事業の進捗とあいまって、1983年(昭和58年)、森下 - 矢田間が高架化された。これに伴い、瀬戸電気鉄道の本社として建設された大曽根駅駅舎は解体された。

また、1990年(平成2年)には、国道19号線と国道41号線を跨ぐ東大手 - 森下間が高架化された。

2006年(平成18年)には、駅集中管理システムが導入され、主要駅を除き、多くの駅が大曽根駅から遠隔管理される無人駅となった。また、ストアードフェアシステムが導入され、全駅でトランパスが利用できるようになった。このシステム導入を機に、栄乗り入れ時に導入された加算運賃制度は、資本費の回収が進んだため、撤廃された。

2007年(平成19年)6月30日 開業時から使用されてきた喜多山検車区が廃止され、尾張旭検車区が供用を開始した。

現在、瀬戸街道上の踏切の立体化と検車区廃止後の喜多山駅の整備を中心とした、小幡 - 大森・金城学院前間(1.9km)の高架化事業が平成25年(2013年)度の完成をめざし進捗中である。

[編集] 年表

  • 1905年(明治38年)4月2日 瀬戸自動鉄道により矢田 - 瀬戸(現在の尾張瀬戸)間が開業。
  • 1906年(明治39年)3月1日 大曽根 - 矢田間が開業。
  • 1906年(明治39年)12月18日 瀬戸自動鉄道が瀬戸電気鉄道に社名変更。
  • 1907年(明治40年)3月17日 大曽根 - 瀬戸間が電化。電車運転開始。
  • 1911年(明治44年)5月23日 土居下 - 大曽根間が開業。
  • 1911年(明治44年)10月1日 堀川 - 土居下間が開業し全通。
  • 1913年(大正2年)8月14日 土居下 - 大曽根間が複線化。
  • 1915年(大正4年)6月16日 森下駅開業。
  • 1921年(大正10年)2月15日 大曽根 - 小幡間が複線化。
  • 1921年(大正10年)2月19日 瀬戸駅を尾張瀬戸駅に改称。
  • 1921年(大正10年)4月13日 全線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。
  • 1922年(大正11年)2月24日 新居駅を旭新居駅に改称。
  • 1924年(大正13年)12月17日 三郷 - 根ノ鼻(後に廃止)間が複線化。
  • 1927年(昭和2年)2月1日 横山(現在の新瀬戸) - 尾張瀬戸間が複線化。
  • 1927年(昭和2年)7月1日 喜多山駅、霞ヶ丘駅開業。
  • 1927年(昭和2年)7月2日 小幡 - 印場間が複線化。
  • 1927年(昭和2年)11月11日 印場 - 三郷間が複線化。
  • 1928年(昭和3年)12月27日 根ノ鼻 - 横山間が複線化。
  • 1929年(昭和4年) 清水 - 尼ヶ坂間の師範下駅廃止。
  • 1935年(昭和10年)6月1日 横山駅を尾張横山駅に改称。
  • 1936年(昭和11年)6月3日 瓢箪山駅開業。
  • 1939年(昭和14年)9月1日 名古屋鉄道が瀬戸電気鉄道を合併。瀬戸線となる。今村駅を水野駅に改称。
  • 1941年(昭和16年)2月10日 聯隊前駅を二十軒家駅に改称、
  • 1941年(昭和16年)2月24日 大津町 - 東大手間の久屋駅、社宮祠 - 森下間の坂下駅廃止。
  • 1942年(昭和17年) 守山口 - 二十軒家(現在の守山自衛隊前)間の木ヶ崎駅、印場 - 旭新居間の聾石駅廃止。旭前駅開業。
  • 1944年(昭和19年) 東大手駅、社宮祠駅、駅前駅、守山口駅、瓢箪山駅、笠寺道駅、小幡原駅、霞ヶ丘駅、印場駅、平池駅、根ノ鼻駅休止。
  • 1946年(昭和21年)6月1日 二十軒家駅を守山町駅に改称。
  • 1946年(昭和21年)9月15日 瓢箪山駅営業再開。
  • 1948年(昭和23年)1月5日 印場 - 大森間で脱線転覆事故発生。瀬戸線史上最悪の惨事となる。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 守山町駅を守山市駅に改称。
  • 1956年(昭和31年)10月15日 尼ヶ坂 - 森下間の社宮祠駅、森下 - 大曽根間の駅前駅廃止。
  • 1958年(昭和33年)1月20日 追分駅を瀬戸市役所前駅に改称。
  • 1966年(昭和41年)3月15日 守山市駅を守山自衛隊前駅に改称。
  • 1969年(昭和44年)4月5日 守山口駅、笠寺道駅、小幡原駅、霞ヶ丘駅、印場駅、平池駅、根ノ鼻駅廃止。
  • 1971年(昭和46年)11月1日 旭新居駅を尾張旭駅に、尾張横山駅を新瀬戸駅に改称。
  • 1976年(昭和51年)2月15日 堀川 - 東大手(1944年(昭和19年)から休止中)間が廃止。東大手 - 土居下間が休止。
  • 1978年(昭和53年)2月15日 貨物営業廃止。
  • 1978年(昭和53年)3月19日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
  • 1978年(昭和53年)8月20日 栄町 - 東大手間の地下新線が開業。東大手 - 土居下間が経路変更、営業再開。東大手駅営業再開、土居下駅廃止。栄町 - 東大手間に対して加算運賃を設定。
  • 1983年(昭和58年)8月21日 森下 - 矢田間が高架化。0.1km延長。
  • 1990年(平成2年)9月30日 東大手 - 森下間が立体交差化。
  • 1992年(平成4年)11月14日 大森駅を大森・金城学院前駅に改称。
  • 1995年(平成7年)12月22日 印場駅再開業。
  • 2001年(平成13年)4月14日 尾張瀬戸駅が移転。0.1km延長。
  • 2005年(平成17年)1月29日 瓢箪山駅の表記を正字から略字の「箪」に変更。水野、瀬戸市役所前駅を急行停車駅に格上げ。
  • 2006年(平成18年)7月25日 尼ヶ坂駅を皮切りに駅集中管理システムを順次稼働開始(同年12月16日までに急行通過駅と瀬戸市役所前駅・水野駅に導入)。
  • 2006年(平成18年)12月16日 栄町駅乗り入れ時の加算運賃と連絡運輸措置の廃止に伴う運賃改定実施。またストアードフェアシステムトランパス」導入。
  • 2007年(平成19年)6月30日 尾張旭検車区の供用開始に伴い、喜多山検車区が廃止。

[編集] 連絡運輸

栄町駅と名鉄名古屋駅金山駅通過連絡の措置がとられていたため、瀬戸線栄町駅と、名古屋本線名鉄名古屋駅または金山駅を経由して、他の名鉄線を相互に利用する場合に限り、通し切符が購入できた。この通し切符では、栄町 - 名鉄名古屋駅・金山駅間は連続しているものとみなして料金が計算されるキロ程通算特例措置が取られていた。瀬戸線と他の名鉄線の連絡は、名古屋市営地下鉄などを利用することになるが、運賃は名鉄分だけで地下鉄などの運賃は別途支払う必要があった。

この特例措置はストアードフェアシステムで対応することが困難であったため、同システムが導入された2006年12月16日をもって廃止された。なお、通学定期券に関しては、2009年12月15日購入分まで、この制度が引き続き3年間据え置かれて存続している。

[編集] 駅一覧

[編集] 営業中の区間

駅名 営業キロ 普通 準急 急行 接続路線 所在地
栄町駅* 0.0 名古屋市営地下鉄:東山線名城線栄駅 愛知県 名古屋市東区
東大手駅* 1.5   名古屋市中区
清水駅 2.2   名古屋市北区
尼ヶ坂駅 2.7  
森下駅 3.6   名古屋市東区
大曽根駅* 4.6 東海旅客鉄道:中央本線
名古屋市営地下鉄:名城線
名古屋ガイドウェイバス:ゆとりーとライン
矢田駅 5.9  
守山自衛隊前駅 7.0 名古屋ガイドウェイバス:ゆとりーとライン(守山駅:徒歩5分) 名古屋市守山区
瓢箪山駅 7.6  
小幡駅* 8.6  
喜多山駅* 9.9  
大森・金城学院前駅* 10.7  
印場駅 12.2   尾張旭市
旭前駅 13.1  
尾張旭駅* 14.7  
三郷駅* 16.1  
水野駅 18.0   瀬戸市
新瀬戸駅* 18.7 愛知環状鉄道:愛知環状鉄道線瀬戸市駅
瀬戸市役所前駅 19.4  
尾張瀬戸駅* 20.6  
●:全ての列車が停車 |:通過
*:有人駅、無印:無人駅

※:運賃計算の際は、瀬戸市役所前駅 - 尾張瀬戸駅間の営業キロは駅移転前の1.1キロを用いる。

[編集] 廃止された駅

駅名は廃止時のもの。廃止区間の駅については#廃止区間を参照。

  • 師範下駅 (清水駅 - 尼ヶ坂駅間)1929年廃止
  • 社宮祠駅 (尼ヶ坂駅 - 坂下駅間)1944年休止、1956年10月15日廃止
  • 坂下駅 (社宮祠駅 - 森下駅間) 1941年2月24日廃止
  • 駅前駅 (森下駅 - 大曽根駅間) 1944年休止、1956年10月15日廃止
  • 守山口駅 (矢田駅 - 木ヶ崎駅間) 1944年休止、1969年4月5日廃止
  • 木ヶ崎駅 (守山口駅 - 守山自衛隊前駅間)
  • 笠寺道駅 (瓢箪山駅 - 小幡駅間) 1944年休止、1969年4月5日廃止
  • 小幡原駅 (小幡駅 - 喜多山駅間) 1944年休止、1969年4月5日廃止
  • 霞ヶ丘駅 (大森・金城学園前駅 - 印場駅) 1944年休止、1969年4月5日廃止
  • 聾石駅 (旭前駅 - 尾張旭駅間) 1942年廃止
  • 平池駅 (尾張旭駅 - 三郷駅間) 1944年休止、1969年4月5日廃止
  • 根ノ鼻駅 (三郷駅 - 水野駅間) 1944年休止、1969年4月5日廃止

[編集] 廃止区間

大津町駅跡
大津町駅跡

堀川駅 - 本町駅 - 大津町駅 - (久屋駅) - (東大手駅 - 土居下駅 - 清水駅)

※1976年の廃線前に久屋駅は廃止、東大手駅は1944年から休止されていたが新線上で再開された。東大手 - 清水間は新線切り替え区間。

[編集] 関連項目


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