一門 (相撲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大相撲には現在53の部屋があるが、その中には一門(いちもん)という大きな区切りがあり、現在5つある。
一門という枠組みはかつては強力で、現在は部屋別総当りである本場所の取り組みも、かつては一門系統別総当たり制であった。 一門だけで巡業を行うことも少なくなく、一門を超えて力士が交流するということもなく、またできるだけ他の一門に情報を明かさないようにしていた。
現在も、力は衰えてはいるものの、一門の枠組みは明確に存在し、2年ごとに行われる日本相撲協会の役員選挙は一門ごとに推薦を決めるほか、一部の年寄株や行司の名跡にも、襲名制限がある。
また、ある一門に所属していた親方が、別の一門に所属を変更して部屋を開いた場合、外様の扱いになる。現在は出羽海一門を破門された高砂一門の九重部屋が該当する。
例外として、1998年に高田川部屋が高砂一門を破門され、現在無所属である。
目次 |
[編集] 出羽海一門
大相撲の保守本流的存在で、明治末期から大正時代に活躍した横綱常陸山谷右エ門の出羽海が一門の開祖である。規律・統制が厳しい一門で、出羽海部屋には「分家独立ご法度」の掟があり、横綱栃木山守也が春日野部屋として独立したのが唯一の例外であった。これに大阪相撲の流れを組む三保ヶ関部屋(元大関増位山大志郎)を合わせて、3家(出羽海部屋・春日野部屋・三保ヶ関部屋)の体制が長く続いた。
このご法度が解け、出羽海本家から武蔵川部屋(横綱三重ノ海剛司)の分家が認められて以降、独立が相次いだ。 現在までに、出羽海部屋(関脇鷲羽山佳和)系統からは武蔵川部屋・境川部屋(小結両国梶之助)・田子ノ浦部屋(前頭久島海啓太)の3部屋、春日野部屋(関脇栃乃和歌清隆)系統からは玉ノ井部屋(関脇栃東知頼)・入間川部屋(関脇栃司哲史)・千賀ノ浦部屋(関脇舛田山靖仁)の3部屋、三保ヶ関部屋(大関増位山太志郎)系統からは北の湖部屋(一代年寄・横綱北の湖敏満)・木瀬部屋(前頭肥後ノ海直哉)・尾上部屋(小結濱ノ嶋啓志)の3部屋が独立している。
出羽海一門からの選出理事は3人で、北の湖・武蔵川・出羽海である。なお、監事に三保ヶ関を選出している。
[編集] 二所ノ関一門
長い大相撲の歴史の中でも新興勢力で、1960年代から勢力が急激に拡大していった一門。開祖であった横綱玉錦三右エ門が35歳の若さで現役中に死去したが、あとを継いだ関脇玉ノ海梅吉が積極的に分家独立を推奨したこともあり、他の一門と比べて結束力が弱い。現在は、新両国系・旧両国系・阿佐ヶ谷系から成り立っている。理事選では反出羽海派だった。
二所ノ関本家である両国系は、戦後二所ノ関部屋・佐渡ヶ嶽部屋・片男波部屋に分家していった。二所ノ関部屋は一代年寄の大鵬部屋(横綱大鵬幸喜)、分裂した押尾川部屋(大関大麒麟将能)に分かれた。佐渡ヶ嶽部屋からは尾車部屋(大関琴風豪規)、押尾川部屋からは阿武松部屋(関脇益荒雄広生)が独立していった。
両国系は大鵬を中心としていたが大鵬が脳梗塞で倒れてから、阿佐ヶ谷系を離れた間垣(横綱若乃花幹士 (2代))を担ぐ二所ノ関部屋・大鵬部屋(現大嶽部屋)・阿武松部屋などの新両国系、佐渡ヶ嶽部屋を中心に尾車部屋・押尾川部屋(尾車に合併)などが属する旧両国系の2系統になった。
阿佐ヶ谷系は、花籠部屋(前頭大ノ海久光)がここに部屋を構えたことに由来する系統で、二子山部屋(横綱若乃花幹士 (初代))が独立したのを始め積極的に分家独立を推し進めてきた。二所ノ関本家が反・出羽海なのに対し、親・出羽海派で一時期花籠一門として独立していたこともある。その後阿佐ヶ谷系が発言力を増したため、自然消滅している。 花籠部屋からは放駒部屋(大関魁傑將晃)が独立、さらにその放駒部屋から峰崎部屋(前頭三杉磯拓也)・芝田山部屋(横綱大乃国康)が独立している。 二子山部屋からは藤島部屋(大関貴ノ花健士)・間垣部屋・鳴戸部屋(横綱隆の里俊英)・松ヶ根部屋(大関若嶋津六夫)・荒磯部屋(小結二子岳武)・花籠部屋(関脇太寿山忠明)がそれぞれ独立したほか、一代年寄の貴乃花部屋(横綱貴乃花光司)がある。
現在、日本相撲協会の理事は3人選出しているが、旧両国系は二所ノ関、新両国系は間垣、阿佐谷系は放駒である。なお、監事に旧両国系の尾車部屋付きの不知火(関脇青葉城幸雄)を選出している。
[編集] 高砂一門
明治の風雲児だった高砂浦五郎 (初代)を開祖とする最も歴史の古い一門であり、高砂本家系統と、出羽一門を破門された九重部屋系統から成り立っている。かつては主流派であったが、出羽海系に主流を奪われて以来、反主流派の急先鋒だった。現在はそれほどでもない。
高砂部屋(大関朝潮太郎 (4代))系統からは、東関部屋(関脇高見山大五郎)・中村部屋(関脇富士櫻栄守)・高田川部屋(大関前の山太郎、現在は破門され無所属)・錦戸部屋(関脇水戸泉政人)が独立した。なお一度は分家した若松部屋(大関朝潮太郎(4代))は、本家を継承した。
九重部屋(横綱千代の富士貢)系統からは、八角部屋(横綱北勝海信芳)が独立している。
高砂一門からの選出理事は1人で2008年2月から高砂に代わって九重が就任した。監事は2008年現在選出していない。
[編集] 時津風一門
史上最高の名力士である大横綱・双葉山定次を開祖とする。1941年に直弟子10人を率いて立浪部屋から独立して双葉山道場(現時津風部屋)を開いた。角界では時津風部屋のことを今でも「道場」と呼ぶことがある。この時津風部屋に、江戸時代以来250年の伝統をもつ名門・伊勢ノ海部屋、それに元々は高砂一門だったが1944年(昭和19年)から1947年(昭和22年)まで双葉山道場に吸収合併させられていた井筒部屋が合流して時津風一門を形成した。2007年に時津風部屋で序ノ口力士集団暴行致死事件が発生、親方が解雇・逮捕されるという前代未聞の事態となった。
時津風部屋(前頭時津海正博)系統からは、立田川部屋(横綱鏡里喜代治、現在は閉鎖)・湊部屋(小結豊山広光)・式秀部屋(小結大潮憲司)が独立している。
伊勢ノ海部屋(関脇藤ノ川武雄)系統からは、鏡山部屋(関脇多賀竜昇司)が独立している。
井筒部屋(関脇逆鉾伸重)系統からは、陸奥部屋(大関霧島一博)・錣山部屋(関脇寺尾常史)が独立している。
時津風一門からの選出理事は1人で、伊勢ノ海。監事は高砂一門と連衡して、湊を選出している。
[編集] 立浪一門
もともとは縁の違う一門、独立した部屋の集合体で、名跡もしばしば変わっている。
春日山部屋所属だった、4代立浪の緑嶌友之助が大正時代に立浪部屋を創設したことに始まる。
この一門は立浪系の他に、楯山部屋出身の関脇・清瀬川を祖とする伊勢ヶ濱系、若松部屋出身の前頭・八甲山を祖とする高島系、大阪相撲の名門で後に東京相撲に合流した朝日山系の4系統からなる。
伊勢ヶ濱系統の一つであった朝日山部屋は本来、大阪相撲の系譜であり、友綱部屋は今の二所ノ関一門の元祖とも解釈できるが、高島部屋と名前を交換するなどして現在に至っている。追手風部屋も本来は立浪部屋の分家筋であるが、師弟間の問題もあり一度友綱部屋に移ってから分家独立しており、高島から分家した宮城野部屋は出羽海一門の北の湖部屋の出身力士が継承するなど、関係は難しい。本家-分家の関係にあるのは立浪部屋(小結旭豊勝照)ぐらいで、大島部屋(大関旭國斗雄)、武隈部屋(関脇黒姫山秀男、現在は閉鎖)が独立している。
なお、この一門は長く「立浪・伊勢ケ濱連合」の名(角界内では組合と呼ぶ)で親しまれてきたが、2007年2月に伊勢ヶ濱一門の本家・旧伊勢ヶ濱部屋が後継者不在のため消滅し、「立浪一門」に改称された。
親睦団体は「角清会」。
この一門からの選出理事は2名で、大島と友綱(関脇魁輝薫秀)。監事は選出していない。