八角部屋
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八角部屋(はっかくべや)は日本相撲協会に所属し、かつ高砂一門に属する相撲部屋。
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[編集] 沿革
1992(平成4年)5月場所限りで引退した九重部屋(第52代横綱・北の富士)の元第61代横綱・北勝海は、年寄・八角を襲名して九重部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、1993年(平成5年)10月に4人の内弟子を連れて九重部屋から分家独立して八角部屋を創設した。現在その内弟子から、北勝力ら2人の幕内力士が育っている。師匠の現役時代の四股名であった「保志」「北勝」の字がついた力士が多い。
八角部屋は北の富士がかつて利用していた井筒部屋・九重部屋を使用しており、九重部屋の部屋付き親方全員(陣幕、君ヶ濱、谷川、錦戸(現・陣幕))も八角部屋に移籍している。このため、九重部屋からの分家独立というより、かつての井筒部屋(第52代横綱・北の富士)が師匠・名称を変えて再興されたと見ることもできよう。
[編集] 所在地
[編集] 師匠
[編集] 力士
[編集] 現役の幕内経験力士
[編集] 幕内
- 関脇
- 北勝力英樹(栃木)
- 小結
- 海鵬涼至(青森)
[編集] 十両
(括弧内は出身地)
[編集] 所属年寄
[編集] 関連項目
- 鈴木宗男(後援会会長)
[編集] 旧八角部屋
雷部屋(第15代横綱・初代梅ヶ谷)所属の元関脇・大鳴門が師匠死去後に二枚鑑札で八角を襲名し、八角部屋を経営していた。そして、1928年(昭和3年)に雷部屋の力士たちを預かっていた白玉親方(関脇・玉椿)が亡くなると、雷部屋の力士たちは八角部屋に移籍した。しかし、幕内・雷ノ峰伊助はすぐに立浪部屋に移り、残った弟子たちの中から番神山政三郎が十両に昇進したにとどまり、1933年(昭和8年)に鏡山部屋に弟子を譲って部屋を閉じた。
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