荒汐部屋
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平成14年6月1日、時津風部屋の元小結の大豊昌央が創設した。
荒汐の名跡は以前は雷部屋の殿り政五郎が継承し、大正時代から部屋を経営していた。昭和18年1月春場所後、部屋を閉じて双葉山道場に弟子を譲った。そのときの弟子に、十両にいた新入幕直前の常陸海光久、幕下以下には後の小結潮錦義秋、後の十両豊ノ花光義、福の守尚がその中にいた。荒汐の名跡は豊ノ花が継いだが、部屋は興さず、時津風部屋所属の年寄として大豊に名跡を譲った。
一時期は弟子が一人となり、その弟子もいつ引退するかわからぬ状態で部屋存続の危機を迎えたが、中国・内モンゴル自治区から蒼国来をスカウトし、また荒汐夫人がホームページを通して部屋の飾らない日常を報じてアピールに努めた。弟子の過半数がホームページを見て入門を決めており、人材難に悩む角界におけるスカウトの成功例としてマスコミにも取り上げられるなど、注目されている。
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