サンデーサイレンス
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サンデーサイレンス | |
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現役期間: | {{{時}}} |
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英字表記: | {{{英}}} |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 青鹿毛 |
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生誕: | 1986年3月25日 |
死没: | 2002年8月19日(16歳没) |
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登録日: | {{{登}}} |
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父: | ヘイロー |
母: | ウィッシングウェル |
母の父: | アンダースタンディング |
生国: | アメリカ合衆国 |
生産: | オーククリフ・サラブレッズ |
生産: | {{{生産者}}} |
馬主: | アーサー・ハンコック チャーリー・ウィッティングハム アーネスト・ゲイラード |
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調教師: | チャーリー・ウィッティンガム |
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厩務員: | {{{厩}}} |
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競走成績 | |
生涯成績: | 14戦9勝 |
獲得賞金: | 4,968,554ドル |
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サンデーサイレンス(Sunday Silence、1986年 - 2002年)は、アメリカ合衆国で活躍した競走馬であり、のちに日本に種牡馬として輸入されたサラブレッドである。1989年のケンタッキーダービー、プリークネスステークスに優勝し二冠を達成した他、同年のブリーダーズカップ・クラシックにも優勝しエクリプス賞年度代表馬に選ばれた。引退後は日本に輸入され種牡馬として供用されると、その産駒たちが次々と輝かしい成績を収め、日本競馬界に一大旋風を巻き起こし、競走成績、種牡馬成績共に非常に優秀な成績を収めた。
そのイニシャルを取ってSSと呼ばれることもある。また、サンデーサイレンスの子孫たちは日本競馬界においての大勢力となるに至り、サンデーサイレンスから伸びるサイアーラインはサンデーサイレンス系とも呼ばれる。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 誕生からデビューまで
G1競走を6勝し、後に数々の名馬を送り出したサンデーサイレンスの生い立ちは、その活躍ぶりとは対照的なものであった。父こそ名種牡馬ヘイローだが、母ウィッシングウェルは米G2競走に勝ったものの、血統が一流とは言えず、さらに生まれたときから脚が外に曲がっているという競走馬としての欠点も持っていた。当歳(0歳)の時には下痢から脱水症状になり生死の境をさまよったことがある。1歳時のセリでは2回も売れ残った。しかも売れ残ったセリの帰りにトラックの運転手が心臓発作を起こしたため馬運車が事故に遭ってしまい、同じ馬運車に乗っていた他の馬がすべて死んだ中でサンデーサイレンスだけが生き残った。2歳時のカリフォルニア州で行われたトレーニングセールでは3万2000ドルで一旦は売れたものの生産者のアーサー・ハンコックが買い戻し、彼の所有で競馬に出走することとなった。後に、調教師のチャーリー・ウィッティンガムが半分の権利を取得し、さらにウィッティンガムが取得した権利の半分を医師のアーネスト・ゲイラードが取得した。
[編集] 競走馬時代
2歳時を3戦1勝で終え、3歳の初戦を勝利すると、続くサンフェリペハンデキャップを勝ち、さらにサンタアニタダービーを11馬身差で大勝し、アメリカ三冠競走に挑んだ。
三冠競走では、良血馬イージーゴアがライバルとなり、生まれも育ちも対照的なこの2頭の争いとなった。ケンタッキーダービーでは、良血馬イージーゴアに人気が集まったが、馬場コンディションの悪い中で、最後の直線コースで鞭に反応して左右によれながらも、イージーゴアに2 1/2馬身差で勝利した。プリークネスステークスでは、最後の直線コースでサンデーサイレンスとイージーゴアの叩きあいとなり、最後はハナ差でサンデーサイレンスが制した。しかし三冠の期待がかかったベルモントステークスでは、いつもと違って逃げに出たイージーゴアに8馬身差の2着に敗れた。
その後スーパーダービーを勝ち、続くスワップスステークスでは2着の後、ブリーダーズカップ・クラシックに出走した。ここでは追い込んできたイージーゴアをクビ差振り切って優勝。この年のエクリプス賞の年度代表馬、最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得。翌1990年も現役を続け、4歳初戦のカリフォルニアンステークスに勝ったが、続くハリウッドゴールドカップではクリミナルタイプの2着。このレースの後に右前脚の靭帯を痛めて引退。通算14戦9勝2着5回と、3着以下になったことは無かった。
1996年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たした。また1999年に競馬専門誌のブラッド・ホース誌が発表した20世紀のアメリカ名馬100選では第31位となった。
[編集] 競走成績
出走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 着順 | 騎手 | 距離 | 着差 | 1着(2着)馬 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988.10.30 | サンタアニタパーク | 未勝利 | 2着 | P.ヴァレンズエラ | D6.5f | クビ | Caro Lover | |
1988.11.13 | ハリウッドパーク | 未勝利 | 1着 | P.ヴァレンズエラ | D6f | 10馬身 | (Moment of Time) | |
1988.12.03 | ハリウッドパーク | 一般競走 | 2着 | A.グライダー | D6.5f | アタマ | Houston | |
1989.03.02 | サンタアニタパーク | 一般競走 | 1着 | P.ヴァレンズエラ | D6.5f | 4 1/2馬身 | (Heroic Type) | |
1989.03.19 | サンタアニタパーク | サンフェリペH | GII | 1着 | P.ヴァレンズエラ | D8.5f | 1 3/4馬身 | (Flying Continental) |
1989.04.08 | サンタアニタパーク | サンタアニタダービー | GI | 1着 | P.ヴァレンズエラ | D9f | 11馬身 | (Flying Continental) |
1989.05.06 | チャーチルダウンズ | ケンタッキーダービー | GI | 1着 | P.ヴァレンズエラ | D10f | 2 1/2馬身 | (Easy Goer) |
1989.05.20 | ピムリコ | プリークネスS | GI | 1着 | P.ヴァレンズエラ | D9.5f | ハナ | (Easy Goer) |
1989.06.10 | ベルモントパーク | ベルモントS | GI | 2着 | P.ヴァレンズエラ | D12f | 8馬身 | Easy Goer |
1989.07.23 | ハリウッドパーク | スワップスS | GII | 2着 | P.ヴァレンズエラ | D10f | 3/4馬身 | Prized |
1989.09.24 | ルイジアナダウンズ | スーパーダービー | GI | 1着 | P.ヴァレンズエラ | D10f | 6馬身 | (Awe Inspiring) |
1989.11.04 | ガルフストリームパーク | BCクラシック | GI | 1着 | C.マッキャロン | D10f | クビ | (Easy Goer) |
1990.06.03 | ハリウッドパーク | カリフォルニアンS | GI | 1着 | P.ヴァレンズエラ | D9f | 3/4馬身 | (Stylish Winner) |
1990.06.24 | ハリウッドパーク | ハリウッドゴールドCHS | GI | 2着 | P.ヴァレンズエラ | D10.0f | アタマ | Criminal Type |
- "S"はステークス、"C"はカップ、"H"はハンデキャップの略。
[編集] 種牡馬時代
引退したサンデーサイレンスだったが、良血とは言い難かったこともありアメリカでは種牡馬として人気が出る見込みが薄かった。そこで、すでに4歳初頭にアーサ-・ハンコックの持つ所有権の半分(全体の25パーセント)を取得していた吉田善哉が1100万ドル(当時の為替レートで約16億5000万円)で購入、100パーセントの権利を取得したため、1990年に日本に輸入された。翌1991年より社台スタリオンステーションで種牡馬生活を開始した。
自身の血統にノーザンダンサー、ナスルーラといった、日本で流行したことのある血統が含まれていない事から、繁殖牝馬の選定の自由度も高く良質の繁殖牝馬に恵まれ、また、折しもスピード・時計面を追求して従来より軽くなっていった中央競馬の馬場に産駒がマッチした事もあり、最初の世代から活躍馬を多数輩出し、有馬記念など主要のG1レースで出走馬の大半をサンデーサイレンスの子や孫が占めるような事態も起こるなど、日本の血統図を根底から塗り替えた。
その後も数々の名馬を競馬場に送り出すが、2002年5月、それまでに怪我をしていた脚をかばった負担が原因となって左前脚に蹄葉炎を発症、懸命な治療の甲斐なく8月19日に衰弱性心不全のため死亡した。現役時代は日本で走っていないことから葬儀などは行われず、遺体は社台スタリオンステーションの小高い丘の上に埋葬されている。その産駒は2003年生まれがラストクロップとなった。生前使用していた馬房[1]は、現在ディープインパクトが使用している。
ちなみに繋養先ではメジロマックイーンと仲が良かったらしく、普段は気性の荒いサンデーサイレンスがメジロマックイーンがそばにいるとおとなしくなることが多かったという。そのせいもあってか、サンデーサイレンスとメジロマックイーンは隣同士の放牧地に放牧されていた。
[編集] 種牡馬成績
初年度産駒がデビューした1994年にフジキセキが朝日杯3歳ステークスを勝って産駒のGI級競走初勝利。翌1995年にはジェニュインが皐月賞、タヤスツヨシが東京優駿(日本ダービー)、ダンスパートナーが優駿牝馬(オークス)をそれぞれ勝って中央競馬クラシック3勝、重賞勝利多数となった。そしてこの年に、2世代のみの産駒だけで日本リーディングサイアーを獲得するという史上初の快挙を成し遂げた。以後13年連続(1995年~2007年)リーディングサイアーを保持している。
産駒の価格が高額な事もあり、ほぼ全ての産駒が賞金の高い中央競馬に入厩する為、地方競馬のリーディングサイアーランキングではほとんど実績が無い。2002年には6位に入っているものの、これは中央競馬所属のゴールドアリュールがダートグレード競走で活躍したことによる。
※下記の表は中央競馬のみの集計。
年度 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位(JRA) | 31位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 |
AEI(JRA) | 1.77 | 3.23 | 2.97 | 2.50 | 2.39 | 2.40 | 2.18 | 2.33 | 2.15 | 2.78 | 2.64 | 2.96 | 3.24 | 2.31 |
総出走頭数 | 32 | 89 | 134 | 166 | 211 | 260 | 337 | 374 | 413 | 429 | 499 | 468 | 361 | 249 |
総勝ち頭数 | 20 | 62 | 66 | 83 | 105 | 121 | 167 | 180 | 161 | 195 | 217 | 199 | 159 | 73 |
[編集] ブルードメアサイアーとしての成績
ブルードメアサイアーとしてもまずラインクラフトが桜花賞で勝ち、その後もGI馬を多数輩出している。2006年には中央競馬のみの集計ではあるものの、それまで15年連続で首位だったノーザンテーストを抑えて初めてのリーディングブルードメアサイアーの座を獲得した(日本総合ではノーザンテーストに次ぐ第2位)。さらに翌2007年にも2年連続で首位となった。
[編集] 主な記録
2007年1月20日の中山競馬第8競走をカフェリバティーが制し、産駒のJRA通算勝利数が2600勝に到達。 2008年2月3日の京都競馬第11競走京都牝馬ステークスをアドマイヤキッスが制し、産駒のJRA通算勝利数が2700勝に到達。 他にも、通算重賞勝利数、年間最多勝利数、年間最多獲得賞金、通算クラシック勝利数など自身亡き後もJRA記録を更新中。1999年7月10日にはサンデーセイラが七夕賞を制し、産駒がJRA開催の全競馬場10場の重賞を勝利した。また、サンデーサイレンスは日本競馬史上初めて牡(ディープインパクト・2005年)・牝(スティルインラブ・2003年)ともに三冠馬を輩出した種牡馬となった。さらに、フサイチパンドラが2006年のエリザベス女王杯を制したことにより全ての世代でGI級競走優勝馬が誕生したことになる。また、6頭の東京優駿優勝馬を輩出したが、これは戦前の大種牡馬であるトウルヌソルと並んで最多タイ記録である。
[編集] 産駒の傾向
数々の大レースで実証されている様に、瞬発力と勝負強さ、芝の高速馬場に向いたスピード、2歳時から活躍できる仕上がりの早さが産駒の特長として挙げられる。また、繁殖牝馬の長所や特徴を引き出す事でも知られ、母方の血統によっては芝・ダートを問わず活躍する馬やダート巧者も輩出している。距離適性も母方の血統に影響され、ダンスインザダークのようなステイヤーから、ビリーヴのようなスプリンターまで様々である。反面、勝負強さをもたらす激しい気性が、気性難、ゲート難となって現れることもある。こうした傾向は、特に牝馬、それも短距離馬において顕著なことが多い。
また、産駒が距離と芝・ダートを問わない活躍を収めながら、JRA賞年度代表馬は2004年にゼンノロブロイが選ばれるまで出ていなかった。不運な年もあり、1999年のスペシャルウィークはGI級競走3勝、2着2回とほぼ完璧な成績ながらサンクルー大賞優勝、凱旋門賞2着エルコンドルパサーが年度代表馬になるなど、なかなか年度代表馬を輩出することができなかった。また、サイレンススズカやアグネスタキオンなどは、故障によりシーズン途中でリタイア(前者についてはレース中の故障で安楽死処分)してしまったことも影響していよう。
繁殖牝馬の相性という点では、過去に10年以上連続でリーディングブルードメアサイアーを獲得したノーザンテーストとの組み合わせで重賞勝ち馬を複数出すものの長らくGI級競走馬を輩出できず、この組み合わせは相性が良くないとされている時期があった。しかし、まず短距離でデュランダルやアドマイヤマックスがGI級競走を勝ち、次いで中距離でもダイワメジャーやエアメサイアが出たことで、この話題に関しては一定の決着を見た[2]。2007年10月現在、上述の4頭がGI級競走を勝っているが、共に3頭ずつGI馬を出している、ニジンスキー[3]・ヌレイエフ・トニービンをおさえて、最も多くGI馬を出した組み合わせという事になる。
[編集] 海外での影響力
日本での活躍もあって、海外に産駒が輸出されたり、海外から牝馬が種付けに来たりしていた。オーストラリア産であるサンデージョイ(Sunday Joy)が、海外所属馬による海外G1勝利を達成している[4]。また、日本調教馬では海外G1を3勝[5]している。
孫の世代では、シーザリオ(父スペシャルウィーク)がアメリカンオークスインビテーショナルステークスを、デルタブルース(父ダンスインザダーク)がメルボルンカップを勝っている他、フジキセキ、タヤスツヨシ、バブルガムフェローといったシャトル種牡馬の産駒が南半球やドバイのG1優勝馬を輩出。更に仏国に輸出されたディヴァインライトの子であるナタゴラが、チェヴァリーパークステークスを制してカルティエ賞最優秀2歳牝馬を受賞し、さらに本場英国のクラシック1000ギニーを制するなど、その血は世界的な広がりを見せ始めている。
[編集] 未勝利のJRAGI級競走
[編集] 平地競走
- NHKマイルカップ
- ジャパンカップダート
[編集] 障害競走
- 中山グランドジャンプ
- マキシマムプレイズの13着が最高
- 孫世代はジェニュイン産駒ローレルロイスの3着が最高
- 中山大障害
- ウインマーベラスの2着が最高
- 孫世代のアドマイヤベガ産駒テイエムドラゴンが勝利している
[編集] 主な産駒
[編集] 日本調教馬
[編集] GI馬
2007年12月現在。勝ち鞍はGI級競走のみ表記。なお産出した12世代全てでGI級競走優勝を達成している。また、全ての世代で牡馬のGI級競走勝ち馬を出した事になる。
- 1992年産
- 1993年産
- 1994年産
- 1995年産
- 1996年産
- スティンガー(阪神3歳牝馬ステークス)
- アドマイヤベガ(東京優駿)
- トゥザヴィクトリー(エリザベス女王杯)
- 1997年産
- 1998年産
- 1999年産
- ゴールドアリュール(ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、東京大賞典、フェブラリーステークス)
- デュランダル(スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ(2003,2004))
- アドマイヤマックス(高松宮記念)
- 2000年産
- 2001年産
- 2002年産
- 2003年産
[編集] 重賞馬
重賞3勝以上の馬
- 1993年産
- 1994年産
- オレンジピール(重賞3勝)
- ビッグサンデー(重賞3勝)
- 1995年産
- ジョービッグバン(重賞3勝)
- 1996年産
- ロサード(重賞5勝)
- 1997年産
- ウインマーベラス(障害重賞4勝)
- 1998年産
- 1999年産
- リミットレスビッド(重賞8勝)
- 2000年産
- 2002年産
- 2003年産
- アドマイヤキッス(重賞4勝)
[編集] 海外調教馬
勝ち鞍はG1を含む主要競走。
- 1999年産
- 2000年産
- ダヌタ(Danuta):UAEオークス(UAE)、ムーンシェルマイル(UAE)
- 2001年産
- サンドロップ(Sundrop):カーディナルハンデキャップ(米G3)、プリンセスエリザベスステークス(英G3)
- 2002年産
[編集] 高額落札馬
以下に2億円を超える落札額の産駒を示す。なお、2007年現在獲得賞金が落札額を上回ったのは、アドマイヤグルーヴのみである。
- トーセンダンス(3億3500万円)
- フサイチジャンク(3億3000万円)
- カーム(3億2000万円)
- アドマイヤグルーヴ(2億3000万円)
- ミステリアスアート(2億2000万円)
- アサクサキンメダル(2億500万円)
[編集] ブルードメアサイアーとしての主な産駒
- 2002年産
- 2003年産
- フサイチリシャール:朝日杯フューチュリティステークス(父クロフネ・母フサイチエアデール)
- ソングオブウインド:菊花賞(父エルコンドルパサー・母メモリアルサマー)
- アドマイヤムーン:ドバイデューティーフリー、宝塚記念、ジャパンカップ(父エンドスウィープ・母マイケイティーズ)
- シャドウゲイト:シンガポール航空インターナショナルカップ(父ホワイトマズル・母ファビラスターン)
- 2004年産
- アサクサキングス:菊花賞(父ホワイトマズル・母クルーピアスター)
- 2005年産
- トールポピー:阪神ジュベナイルフィリーズ、優駿牝馬(父ジャングルポケット・母アドマイヤサンデー)
- Tale of Ekati:ウッドメモリアルステークス(父Tale of the Cat・母Silence Beauty)
- レジネッタ:桜花賞(父フレンチデピュティ・母アスペンリーフ)
[編集] 血統表
サンデーサイレンスの血統 (ヘイロー系/Mahmoud4×5=9.38%) | |||
父
Halo 1969 黒鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason 1958 黒鹿毛 アメリカ |
Turn-to | Royal Charger |
Source Sucree | |||
Nothirdchance | Blue Swords | ||
Galla Colors | |||
Cosmah 1953 鹿毛 アメリカ |
Cosmic Bomb | Pharamond | |
Banish Fear | |||
Almahmoud | Mahmoud | ||
Arbitrator | |||
母
Wishing Well 1975 鹿毛 アメリカ |
Understanding 1963 栗毛 アメリカ |
Promised Land | Palestinian |
Mahmoudess | |||
Pretty Ways | Stymie | ||
Pretty Jo | |||
Mountain Flower 1964 鹿毛 アメリカ |
Montparnasse | Gulf Stream | |
Mignon | |||
Edelweiss | Hillary | ||
Dowager F-No.3-e |
[編集] 脚注
- ^ 厩舎内で馬が住む部屋。一般的には独房である。
- ^ G1級競走の勝ち馬は短中距離に偏っている事になる。初期の産駒はクラシック獲得を期待され、サマーサスピション・ローゼンカバリーのように中長距離を使われた事情があり、結果が出るのが遅れた側面もある。ただし何れにしても統計的処理は施されておらず、試みられた配合機会の数に対して期待通りの結果が出たかについては判断の分かれるところである。
- ^ なお、母父ニジンスキーの3頭のGI馬は、全てダンシングキイの産駒である。
- ^ これだけの大種牡馬でわずか1頭というのも評価が分かれるが、地方競馬と同様に海外に輸出される産駒が少ない事情もある。米国におけるストームキャットや、欧州のサドラーズウェルズも、諸外国に流出した産駒の活躍は自国圏内程ではない。
- ^ ステイゴールド、ハットトリック、ハーツクライが各1勝。
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