田口壮
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田口 壮 フィラデルフィア・フィリーズ No.99 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県西宮市 |
生年月日 | 1969年7月2日(38歳) |
身長 体重 |
5' 10" =約177.8cm 170 lb =約77.1kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1991年 1位 |
初出場 | NPB / 1992年4月4日 MLB / 2002年6月10日 |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
田口 壮(たぐち そう、英語表記:So Taguchi、1969年7月2日 - )はフィラデルフィア・フィリーズ所属のプロ野球選手である。ポジションは外野手(時に内野手)。兵庫県西宮市出身。妻は、元TBSアナウンサーの香川恵美子。代理人はアラン・ニーロ。背番号は99。
目次 |
[編集] 来歴・人物
岡山市立平福小学校(クラレ中社宅・子供会ソフトボール遊撃手)・西宮市立平木中学校・兵庫県立西宮北高等学校・関西学院大学を経て、1991年ドラフト1位指名を受けてオリックス・ブルーウェーブに入団(日本ハムファイターズも1位指名したがオリックスが交渉権獲得、日本ハムは上田佳範を獲得)。大型内野手(遊撃手)としての入団であった。[1]
プロデビュー戦は1992年の開幕戦の千葉ロッテマリーンズ戦で、新人で開幕戦からショートでスタメンであったが、1回裏の守備機会からゴロを裁いたが一塁手への悪送球になってしまう(記録は一塁手がジャンプで好捕したのでアウト)。
田口のデビュー当時の土井正三監督の厳しい指導からスローイングノイローゼ(イップス)、ストレスから突発性難聴に陥り、守備ではエラーを続けた。しかし、「強肩病」とイチローが絶賛していた強肩を生かして1994年に外野手に転向。補殺王、ゴールデングラブ賞等の常連になるほど、好守の外野手として、レギュラーに定着する。イチロー、そして本西厚博との外野手トリオは、当時球界一の守備力と言われたほど。
シュアなバッティングと堅実な外野守備でオリックスの1995年・1996年シーズンの連覇に貢献。2000年には松坂大輔・中村紀洋らとともに、シドニーオリンピック野球日本代表として出場。[2]
2001年オフにFA宣言、カージナルスに移籍。MLB移籍後はメジャー昇格とマイナー降格を繰り返していたが、3年目の2004年シーズンに開幕メンバーに残り、109試合に出場、チーム新人王となる。その年カージナルスはワールドシリーズに進出を果たし、自身も第1戦で先発出場して安打を放ったが、ボストン・レッドソックスに4連敗を喫し、チャンピオンリングを獲得することはできなかった。
2003年9月12日のヒューストン・アストロズ戦で、セカンド守備につき、日本人初の内野守備を経験[3]。
2006年10月27日のワールドシリーズ対デトロイト・タイガース戦で8番左翼で先発出場し、7回から右翼に移り、勝利を収めた。右翼の守備についていた田口は、世界一が決まった瞬間フィールドに立っていた初の日本人となった。
2007年シーズンに際して、年俸調停を申請していたが、1月16日に回避。92万5000ドルで1年契約に合意している。
2007年シーズンはリーグトップの代打打率.406を記録(通算32打数12安打)。同年オフ、カージナルスは田口との契約にある来季の選択権を行使しないことを発表、12月24日にフィラデルフィア・フィリーズが田口と年俸100万ドルの1年契約を結んだ。なお2009年は球団側が契約オプションになる。
[編集] 略歴
- 出身地:兵庫県西宮市
- 球歴・入団経緯:岡山市立平福小学校(クラレ中社宅・子供会ソフトボール) - 西宮北高 - 関学大 - オリックス・ブルーウェーブ(1992年 - 2001年) - セントルイス・カージナルス(2002年 - 2007年)- フィラデルフィア・フィリーズ(2008年 - )
- プロ入り年度・ドラフト順位:1991年(1位)
- 血液型:B型
- 小学生(4年生)の時には、父親の仕事の関係で岡山県にいて、地元のソフトボールチームに在籍し、岡山市の強豪地区で代表チームにとなり本大会では優勝した。また、翌年父親の転勤で関西へ行く事になっていたが、夏の市の本大会に出たいが為に残り見事連続出場する。しかし連覇をすることはできなかった。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | 球 団 |
背 番 号 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1992年 | オリックス | 6 | 47 | 123 | 12 | 33 | 10 | 0 | 1 | 46 | 7 | 5 | 9 | 0 | 8 | 1 | 26 | 1 | .268 | .318 | .374 | .692 |
1993年 | 31 | 83 | 12 | 23 | 7 | 1 | 0 | 32 | 5 | 3 | 4 | 0 | 3 | 0 | 12 | 2 | .277 | .302 | .386 | .688 | ||
1994年 | 108 | 329 | 55 | 101 | 17 | 1 | 6 | 138 | 43 | 10 | 5 | 4 | 23 | 3 | 62 | 6 | .307 | .354 | .419 | .773 | ||
1995年 | 130 | 495 | 76 | 122 | 24 | 2 | 9 | 177 | 61 | 14 | 25 | 7 | 43 | 4 | 80 | 7 | .246 | .308 | .358 | .666 | ||
1996年 | 128 | 509 | 74 | 142 | 24 | 1 | 7 | 189 | 44 | 10 | 23 | 4 | 29 | 4 | 61 | 15 | .279 | .321 | .371 | .692 | ||
1997年 | 135 | 572 | 92 | 168 | 32 | 4 | 10 | 238 | 56 | 7 | 16 | 3 | 49 | 3 | 74 | 4 | .294 | .351 | .416 | .767 | ||
1998年 | 132 | 497 | 85 | 135 | 26 | 2 | 9 | 192 | 41 | 8 | 23 | 2 | 48 | 3 | 68 | 13 | .272 | .338 | .386 | .724 | ||
1999年 | 133 | 524 | 77 | 141 | 21 | 1 | 9 | 191 | 56 | 11 | 14 | 1 | 29 | 1 | 91 | 9 | .269 | .308 | .365 | .673 | ||
2000年 | 129 | 509 | 77 | 142 | 26 | 3 | 8 | 198 | 49 | 9 | 11 | 0 | 55 | 3 | 80 | 12 | .279 | .353 | .389 | .742 | ||
2001年 | 134 | 453 | 70 | 127 | 21 | 6 | 8 | 184 | 42 | 6 | 26 | 1 | 43 | 1 | 88 | 7 | .280 | .343 | .406 | .749 | ||
2002年 | STL | 99 | 19 | 15 | 4 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | .400 | .471 | .400 | .871 |
2003年 | 43 | 54 | 9 | 14 | 3 | 1 | 3 | 28 | 13 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 11 | 2 | .259 | .310 | .519 | .829 | ||
2004年 | 109 | 179 | 26 | 52 | 10 | 2 | 3 | 75 | 25 | 6 | 10 | 3 | 12 | 2 | 23 | 6 | .291 | .337 | .419 | .756 | ||
2005年 | 143 | 396 | 45 | 114 | 21 | 2 | 8 | 163 | 53 | 11 | 2 | 4 | 20 | 2 | 62 | 11 | .288 | .322 | .412 | .734 | ||
2006年 | 134 | 316 | 46 | 84 | 19 | 1 | 2 | 111 | 31 | 11 | 9 | 2 | 32 | 2 | 48 | 9 | .266 | .335 | .351 | .686 | ||
2007年 | 130 | 307 | 48 | 89 | 15 | 0 | 3 | 113 | 30 | 7 | 3 | 1 | 23 | 6 | 32 | 10 | .290 | .350 | .368 | .718 | ||
NPB通算(10年) | 1107 | 4094 | 630 | 1134 | 208 | 21 | 67 | 1585 | 404 | 83 | 156 | 22 | 330 | 23 | 642 | 76 | .277 | .333 | .387 | .720 | ||
MLB通算(6年) | 578 | 1267 | 178 | 359 | 68 | 6 | 19 | 496 | 154 | 36 | 27 | 10 | 93 | 12 | 177 | 38 | .283 | .336 | .391 | .727 | ||
日米通算(16年) | 1685 | 5361 | 808 | 1493 | 276 | 27 | 86 | 2081 | 558 | 119 | 183 | 32 | 423 | 35 | 819 | 114 | .278 | .334 | .388 | .722 |
[編集] タイトル・表彰・記録
[編集] 日本プロ野球
- ベストナイン:1回(1996年)
- ゴールデングラブ賞:5回(1995年 - 1997年、2000年、2001年)
- 月間MVP:1回(1998年9月)
- オールスター出場:4回(1995年 - 1997年、2001年)
[編集] メジャーリーグ(ナショナルリーグ)
- シーズン得点圏打率1位:.407(2005年)
[編集] エピソード
- 野球以外の活動としては、自身のwebサイトで公開中の日記を編集した「何苦楚(なにくそ)日記」(主婦の友社、2004年)を執筆。webサイトの日記は文章構成がプロ並の出来と評判が高い。ちなみに、カージナルスの傘下チームで活動していたころは「日記しか書けないマイナーリーガー」と言われていたが、近年では「日記も書けるメジャーリーガー」と呼ばれるようになった。
- アメリカに移って1年半が過ぎた2003年の秋にイエス・キリストを信じ、クリスチャンになった。「自分の心に響きました。理解でき、実感することができました。これが本物だってわかったんです・・・妻との関係や、人生が困難に陥った時に助けてくれるのはイエス・キリストだと、今では思ってます」と語った。カージナルスにはジョン・ロドリゲス、ブレイデン・ルーパー、アルバート・プホルスなど信仰心の厚さで知られる選手もいる。田口は、「プホルスはとても優しくしてくれますね。彼は、言語を理解できないつらさをわかってくれるし、信仰の手本となるクリスチャンでもある。みんなとても親切にしてくれますね」とコメントしている。
- カージナルス内では古参の部類に入るほど長く在籍していたため、地元人気が高い選手だったが、球団ホームページの彼のプロフィールにある出身大学名は「Kansai Gakuin, Osaka」(※「かんせいがくいん」は兵庫県の大学)のままで全く訂正されずじまいだった。2008年には新たにフィリーズでのキャリアをスタートさせたものの、やはり直っていない。[1]
- 低反発マットレス「 トゥルースリーパー プレミアム」を愛用。同製品のCMにも出演し、遠征先のホテルにも持参していると語っている。
- 日本では通算67本の本塁打を記録しているが、このうち満塁本塁打は6本あり、11.1本に1本の割合は通算満塁本塁打が6本以上の選手の中では歴代1位である。またメジャー移籍後は通算得点圏打率.337、通算満塁打率.500と、打数は少ないながらチャンス面で高打率を残している(いずれも2007年シーズン終了時点)。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 田口壮オフィシャルサイト
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、The Baseball Cube
[編集] 脚注
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投手 | 49 ジョー・バイセニウス / 52 ファビオ・カストロ / 55 クレイ・コンドリー / 37 チャド・ダービン / 21 アダム・イートン / 45 トム・ゴードン / 35 コール・ハメルズ / 66 J.A.ハップ / 38 カイル・ケンドリック / 54 ブラッド・リッジ / 63 ライアン・マドソン / 47 スコット・マシーソン / 50 ジェイミー・モイヤー / 39 ブレット・マイヤーズ / 16 J.C.ロメロ / 48 フランシスコ・ロサリオ / 57 ルディ・シアネス / 59 マイク・ザガースキー |
捕手 | 27 クリス・コステ / 23 ジェイソン・ハラミーヨ / 51 カルロス・ルイス |
内野手 | 4 エリック・ブラントレット / 19 グレッグ・ダブス / 7 ペドロ・フェリス / 18 ブラッド・ハーマン / 6 ライアン・ハワード / -- オスカー・ロブレス / 11 ジミー・ロリンズ / 26 チェイス・アトリー |
外野手 | 12 T.J.ボーン / 5 パット・バレル / 10 ジェフ・ジェンキンス / 99 田口壮 / 8 シェーン・ビクトリーノ / 28 ジェイソン・ワース |
監督・コーチ | 41 チャーリー・マニエル(監督) / 17 ミック・ビルメイヤー(捕手コーチ) / 30 リッチ・ダビー(投手コーチ) / 31 ラモン・ヘンダーソン(ブルペンコーチ) / 15 デイビー・ロープス(一塁コーチ) / 3 ジェリー・マーティン(一塁コーチ代行) / 2 スティーブ・スミス(三塁コーチ) / 25 ミルト・トンプソン(打撃コーチ) / 22 ジミー・ウィリアムズ(ベンチコーチ) |
公式サイト(英語)より 40人ロースター 監督・コーチ一覧 2008年6月8日更新 |
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3 プレストン・ウィルソン / 4 ヤーディアー・モリーナ / 5 アルバート・プホルス / 7 ロニー・ベリアード / 12 アーロン・マイルズ / 15 ジム・エドモンズ / 16 クリス・ダンカン / 22 デビッド・エクスタイン / 23 アンソニー・レイエス / 26 スコット・スピージオ / 27 スコット・ローレン / 28 ゲイリー・ベネット / 29 クリス・カーペンター / 32 ジョシュ・ハンコック / 34 ランディ・フローレス / 36 ジェフ・ウィーバー / 37 ジェフ・スーパン / 41 ブレイデン・ルーパー / 43 フアン・エンカルナシオン / 48 ブラッド・トンプソン / 50 アダム・ウェインライト / 52 ジョシュ・キニー / 53 ジョン・ロドリゲス / 61 タイラー・ジョンソン / 99 田口壮 監督 トニー・ラルーサ |
オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ) 1991年ドラフト指名選手 |
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1位:田口壮 / 2位:萩原淳 / 3位:本東洋 / 4位:鈴木一朗 / 5位:北川晋 / 6位:西芳弘 / 7位:山本大貴 |