横浜市立横浜商業高等学校
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過去の名称 | 横浜商法学校 横浜商業学校 横浜市立商業学校 |
国公私立の別 | 公立学校(市立) |
設置者 | 横浜市 |
学区 | 商業科、別科・県内全域 国際学科・横浜市内全域 |
設立年月日 | 1882年3月20日 |
開校記念日 | 6月2日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 商業科 国際学科 |
別科 | 理容科 美容科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒232-0006 |
神奈川県横浜市南区南太田2-30-1 | |
電話番号 | 045-713-2323 |
FAX番号 | 045-713-3969 |
外部リンク | 公式サイト |
横浜市立横浜商業高等学校(よこはましりつよこはましょうぎょうこうとうがっこう)は神奈川県横浜市南区にある、全日制の商業科および国際学科と別科(理容科・美容科)を持つ市立高等学校。
目次 |
[編集] 概要
校章及び学生帽、および野球部のユニフォームのマークからY校(ワイこう)という愛称で親しまれている。
現存する神奈川県内の公立高校としては、最も古い歴史を持つ。校歌は、森鴎外(森林太郎)によって作詞された。
同窓会は進交会(しんこうかい)。同会は、Y校と横浜市立大学(市大)、および市大の前身である横浜市立横浜商業専門学校(Y専)の3校の卒業生を会員とする。
[編集] 沿革
- 1882年(明治15年) - 横浜商法学校設立。
- 1888年(明治21年) - 横浜商業学校と改称。
- 1905年(明治38年) - 現在地に校舎が落成し、移転。
- 1917年(大正 6年) - 横浜市立商業学校と改称。
- 1924年(大正13年) - 本科の上に2年制の専修科を置く。神中(神高)戦[1]が開始される。
- 1928年(昭和 3年) - 専修科を母体に横浜市立横浜商業専門学校(通称Y専)を設置。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により横浜市立横浜商業高等学校となる。
- 1949年(昭和24年) - 横浜市立港高等学校を統合し、男女共学となる。商業科、普通科、家政科、別科として理容科が設置される。
- 1954年(昭和29年) - 普通科の募集を停止。横浜市立港高等学校(全日制/現・南高校)が開校。
- 1982年(昭和57年) - 創立100周年記念式典挙行。
- 2003年(平成15年) - 国際学科を設置。
- 2005年(平成17年) - 定時制閉課。
[編集] 部活動
[編集] 野球部
野球部は1896年(明治29年)に創部された。創部のきっかけとなったのは同年5月23日と6月5日に行われた、旧制一高(現在の東京大学)野球部と横浜アマチュア米国人ベースボールチームとの対戦試合である。この試合で旧制一高野球部はそれぞれ29対4、32対9で大勝するが、Y校関係者はこの試合の応援に駆けつけ、勝利した一高野球部員と懇意になり、応援のお礼として一高側はボールとバットを贈り、その後の野球部創立となった。創部時のコーチは一高投手の青井鉞男であった。
Y校野球部は創部以来、関東における高等中学校野球 - 高校野球の牽引役となった。1923年(大正12年)夏、神奈川県の学校として初めて甲子園(全国中等学校優勝野球大会。現全国高等学校野球選手権大会)に出場した。以後、春(選抜高等学校野球大会)9回、夏7回、甲子園に出場している。昭和58年の春と夏には、準優勝した。
横浜高等学校との試合は「YY決戦」と呼ばれ親しまれている(横浜スタジアムでの横浜高校との試合の時には、横浜商のスコアボードのチーム名表記は「Y」となる)。ただしY校が公立高校であるのに対して横浜高校は私立高校と言う違いがある。
[編集] 交通
[編集] 主な出身者
OB間の結束が強い。実業系の高校であるが4年生大学を始めとした進学者の割合が比較的高い。
- 長坂健冶 - 東北楽天ゴールデンイーグルス
- 河原隆一 - 元プロ野球選手
- 荒井幸雄 - 元プロ野球選手
- 三浦将明 - 元プロ野球選手
- 武藤孝司 - 元プロ野球選手
- 中村大伸 - 野球選手。外野手。1996年アトランタオリンピック野球チーム主将銀メダリスト。1994年社会人ベストナイン章受賞。横浜商業高等学校⇒日本体育大学卒業⇒NTT東京
- 大谷泰司 - 元プロ野球セントラル・リーグ審判。関西審判部に所属していた
- 山本小鉄 - 元プロレスラー、レフェリー、解説者
- 鈴木忠治 - 元鈴木商店社長、元東信電気社長、鈴木竹雄の父、横浜商業学校卒
- 松信泰輔 - 元有隣堂社長
- 野並豊 - (株)崎陽軒代表取締役会長
- 田川誠一 - 元自治大臣
- 中村全宏 - 丸全昭和運輸(株)創業者、元社長・会長
- 宮澤健一 - 経済学者、元一橋大学長、同大名誉教授
- 左右田喜一郎 - 経済学者、帝国学士院賞、元左右田銀行頭取、元貴族院議員
- 古屋文雄 - 横浜商業高校野球部元監督(Y校を春夏全国準優勝に導いた名監督である)
- 河野安通志 - 東京六大学野球・早稲田大学投手、野球殿堂
- 山口鉄也 - ダイヤモンドバックスルーキーリーグ(02~05)-読売ジャイアンツ育成選手(06~)
- 井上和彦 - 声優
- 服部桂吾- 俳優
- 森貴美子- モデル
- 宮内亮治 - 元ライブドア最高財務責任者
- 加藤龍昭 - 横浜市議会議員
- 須田開代子 - プロボウラー
- 滝沢涼子 - 女優
[編集] 脚注
- ^ 神奈川県立横浜第一中学校(希望ヶ丘高校)との体育対抗戦。1969年まで行われ、通算成績は本校の18勝24敗1分であった。