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大谷泰司 - Wikipedia

大谷泰司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大谷 泰司(おおたに たいじ 1932年 - )は神奈川県横浜市生まれの元プロ野球セントラル・リーグ審判

目次

[編集] 来歴・人物

横浜市立横浜商業高等学校に進んだが、同校が春の選抜夏の選手権の全国大会に進めないという暗黒の時代に突入していたため、在学中甲子園の全国大会に進めなかった(当時は浅野高等学校、湘南高等学校が夏の甲子園に出場していた時期である)。卒業後1960年にセントラル・リーグの審判部に入局。甲子園への思い入れが強かったからか、関東出身でありながら関西審判部所属を希望。受理され1984年1月の退局まで同部の所属となる。

若い頃から視力が落ちており、一時メガネをかけてジャッジしていたが、1969年のとあるゲームで判定に激昂した当時の中日監督水原茂からメガネをむしりとられるというアクシデントに見舞われてからはコンタクトをかけてジャッジするようになる。オールスターゲームは一度のみ(1968年)・日本シリーズの出場はゼロだった。セントラル・リーグの優勝決定試合では球審こそないものの審判として立ち会っている。(ゲームについては後述。)

晩年はコンタクトが合わないほどの視力の低下に見舞われた事により、一軍での出場機会が減少。1980年以降はほとんどなかった。退局後の所在は不明でいまや忘れられた存在となっている。

英語が堪能で、米国の野球事情にも通じており、セでは国友正一に次いで2番目に早くインサイドプロテクターを使用した審判員である。

[編集] 大谷審判が立ち会った優勝決定試合

  1. 1966年9月23日川上巨人のセ・リーグ初連覇(後楽園での対阪神ダブルヘッダー第1試合)
  2. 1970年10月22日の巨人セ・リーグ6連覇(中日球場での対中日戦:当時の連覇新記録)
  3. 1973年10月22日の巨人のセ・リーグ9連覇(甲子園での対阪神戦)
  4. 1976年10月16日長嶋・巨人のセ・リーグ初制覇(広島での対広島東洋戦)

[編集] セ・リーグ最後の「没収試合」宣告審判

大谷泰司審判が球史に名を残しているのは『セ・リーグ最後の没収試合宣告審判』だからである。

大谷審判は1967年9月23日、甲子園での阪神対大洋〔現:横浜〕戦で球審を勤めているが初回の表大洋は先発バッキーに襲い掛かりいきなり3点を取りなおも2死満塁。このときの打者森中千香良は三球三振で交代…と思いきやなんと球はワンバウンド。捕手の和田徹がタッチもしないままベンチへ走り去ってしまった。ルールでは振り逃げの扱いになるから当然大谷球審は『ストライク・チェンジ』とコールなぞしない。大洋ベンチが「森中、振り逃げだ。走れ。」と森中を促し森中は一塁へ進塁し三塁走者がホームインして一点追加。…と普通なら何もトラブルにもならず珍プレーで終わるところだがなんと「藤本老」こと藤本定義監督(当時)が大谷球審に「ストライク・チェンジじゃないか!!」と詰め寄ったのだ。

なぜ藤本老が抗議したか?これには伏線がある。当時阪神は投手陣はしっかりしていたが打線がお話にならないほどの貧打線で主砲といえるのは遠井吾郎しかいないという有様であった。当然のっけから3点を取られては敗色濃厚でさらに…ではまずいというわけだった。こういう事情があったからというわけだが大谷球審は藤本老の抗議をはねつけた「『ストライク』とはいったが『チェンジ』とはいってないぞ」。頭に来た藤本老は大谷球審を小突いた。その時点で退場宣告とはならなかったがいざ試合再開となった所で大谷球審が「藤本定義監督を退場処分とする。」と宣告した。憤慨した阪神ベンチが「試合再開に応じないぞ」と臍を曲げてしまった。これで大谷球審もキレてしまった。

「試合再開に応じないので没収試合を宣告する。」

こうして初回の表も終わらないうちに没収試合が宣告され9対0で大洋の勝ちとなってしまった。

ちなみに試合後暴動は起きなかったが当時阪神は「伝統の阪神・巨人戦」以外は外野席とアルプススタンドを閉鎖していたため甲子園のお客が入らずいつも…とはならなかったからである。(実際あの日の観客は球団発表で3000人だった。)

大谷審判は有名な巨人V9のゲームで塁審をつとめているがこちらは満員で試合後阪神ファンが乱入して暴動となっているが他の5審判と共に試合終了と同時に一目散に逃げ事なきを得ている。

[編集] 監督・村山実を退場させた審判

阪神の大エース、村山実は現役時代2度退場を宣せられているが一度目は『涙の抗議』と今なお語り草になっている国友正一審判に暴言を吐いた件である(※ 村山は退場宣告された後『こっちも命がけでやっとるんや!だから審判も命がけでジャッジしてくれっ!!』と叫び泣き崩れた。これで村山は「どこまでも本気の男」のイメージが終生付きまとう。)が二度目が監督兼任投手時代、1971年4月22日阪神ヤクルト6回戦で判定に激昂して審判を体当たりした件であるが体当たりされたのが大谷審判である。

大谷審判はその日のゲームで一塁塁審を務めていたがある回にヤクルトの外国人選手デイヴ・ロバーツが阪神の遠井吾郎のゴロを捕球して併殺にしとめているが当時の兼任監督村山は遠井の足が速いと見てアウトの宣告をした大谷塁審に「セーフやぞ!!!」と詰め寄ったがその際に大谷塁審を突き飛ばした。これで退場。当時の村山は兼任であるとはいえ監督であったから大谷審判は監督・村山実を退場させた審判として球史に名を残しているのである。


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