崎陽軒
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 神奈川県横浜市西区高島二丁目12番6号 |
電話番号 | 045-441-8851 |
設立 | 1908年4月 |
業種 | 食料品 |
事業内容 | 食品(シウマイ)製造販売、飲食店経営 |
代表者 | 野並直文(取締役社長) |
資本金 | 3億4000万円 |
売上高 | 202億8千万円(2005年度) |
従業員数 | 534人 |
外部リンク | www.kiyoken.com |
株式会社崎陽軒(きようけん)とは、神奈川県横浜市西区高島二丁目12番6号に本社を置く(登記上本店=実店舗の本店でもある=は13番12号)焼売で有名な食品会社である。
目次 |
[編集] 概要
横浜名物のシウマイ(崎陽軒の焼売はシウマイと表記する)、駅弁の「シウマイ弁当」を製造、販売していることで有名である。また、中華料理店やイタリア料理店など、レストランも経営している。
[編集] 名前の由来
創業者の久保久行が長崎出身である事にちなみ、長崎の事を漢文風に表す言葉でもあり、出島の別名でもある「崎陽」に由来する[1][2]。なお、崎陽軒の工場見学の案内では、長崎にある場所で太陽が昇る岬という意味を持つ「崎陽岬」を由来と説明している。
[編集] ひょうちゃん
ひょうちゃんは昭和30年から崎陽軒のシウマイの箱の中に封入されているしょうゆさしの名前で、多種多様な表情が描かれている。ファンも多く、ひょうちゃんコレクターも存在する。90年代頃にフタがコルク栓からゴム製のものに変わる。また、関連商品として同社からひょうちゃんサブレなども発売されている。ひょうちゃんの顔を書いていたのは「フクちゃん」を書いた有名なマンガ家、横山隆一の手によるものだったが、その後イラストレーターの原田治に変わった。しかしながら、現在はまた横山隆一の作品に戻っている。製造は愛知県瀬戸市にあるヤマキ電器が担当している。
[編集] 沿革
- 1908年 - 横浜駅(現在の桜木町駅)での営業許可が下りる。
- 1923年 - 合名会社崎陽軒が設立される。
- 1928年 - ホタテの貝柱を使う事により、さめても美味しい「シウマイ」を開発・販売開始。
- 1950年 - 宣伝のため横浜駅の構内に「シウマイ娘」を登場させる。
- 1954年 - シウマイ弁当発売開始。
- 1955年 - ひょうちゃんが横山隆一の手により誕生する。
- 1967年 - シウマイの真空パックが完成する(「真空パック」という言葉を使ったのは崎陽軒が最初である)。
- 2005年 - 地元横浜のサッカークラブ横浜F・マリノスに出資。
- 2007年11月 - 自社製品の一部において原材料表示が本来表示すべき重量順となっておらず、JAS法(加工食品品質表示基準)に違反していたことが発覚(後述)。
- 2007年12月 - 大丸京都店、大阪阪急サン通りから店舗を撤退。
[編集] 主な商品
崎陽軒が発売している主な商品は以下の通り。
- シウマイ弁当:シウマイを主なおかずとして盛り込んだ幕の内弁当で、崎陽軒の代表的商品。
- 横濱チャーハン:中華料理のチャーハン風のごはんとおかずをセットにしたもの。冷めてもちゃんとおいしく食べられる。シウマイも入っている。
- 横濱中華弁当:エビのチリソースなどをおかずとした中華風の幕の内。シウマイも入っている。
- 幕の内:和風の幕の内弁当。
- 鯛めし:パッケージが鯛の形。650円(2006年11月現在)
- 季節限定弁当:季節ごとにモデルチェンジされる幕の内系の弁当。
[編集] 原材料不適切表示問題
- 2007年11月28日、同年11月中旬に実施した社内調査にて「昔ながらのシウマイ」「真空パックシウマイ」「特製シウマイ」「フカヒレ粥」等9種類21品目(後に10品目22種類に変更)の自社製品の原材料表示について、本来表示すべき重量順となっておらず、JAS法(加工食品品質表示基準)[3][4]に違反していたことが発覚した[5][6]。
- これを受け、崎陽軒は「シウマイ辯当」以外の自社製品を店頭から一時撤去し、農林水産省による本社と工場の立入検査を受けることになった[5][6]。