須田開代子
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須田 開代子(すだ かよこ、1938年8月2日 - 1995年11月20日)は、プロボウリング選手。ライセンスナンバー1の女子第1期生。日本国内初の女子プロボウラーとしても知られる。通算タイトル43勝。日本ブランズウィック社所属。ジャパンレディスボウリングクラブ(JLBC)初代代表。
[編集] 来歴・人物
1967年の第1回全日本選抜選手権で優勝。1969年プロ入り。同期の中山律子や並木恵美子と共に、高度成長期を背景にボウリングブームを支えた。
オイルショックによりボウリングブームが一気に下火になる中、1976年須田は女性だけのボウリングクラブ「ジャパンレディスボウリングクラブ」を結成。自ら初代代表に就任した。(本人の意向で会長とは名乗らず、2代目藤原清子より会長となる。現在は中山律子が会長。)
私生活では男子プロボウリング選手だった西城正明との結婚・離婚、西城との間に生まれた長男の素行不良。自らを蝕んだ癌など苦悩に満ちていた。
一度は病魔を克服して復活を果たした須田であったが、1995年に療養先のアメリカバージニア州内の病院にて心不全の為に死去する。57歳だった。
須田のボウリング人生を記した著書に、『須田開代子という生き方―世界一ボウリングを愛した女(ひと)』(笹山生子著 チクマ秀版社版)がある。また、1971年には映画『起きて転んでまた起きて』(東京映画)にプロボウラー役として出演した。
歌手の田谷力三のファンであり、西城との結婚式では田谷が式中で歌った。