鈴木竹雄
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鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日 )は、日本の商法学者。東京大学名誉教授。
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[編集] 略歴・人物
神奈川県生まれ。『商法』、『会社法』、『手形法・小切手法』、『商法第一部講義案』他著書・論文多数。1976年日本学士院会員、1989年文化勲章。1990年春の園遊会に招待された。1995年肺炎のため死去。晩年は東京都港区南麻布に住んだ。
財政学者で東京大教授等を務めた鈴木武雄と区別するために「バンブー鈴木」と呼ばれる事がある。
田中耕太郎に師事し、松田二郎判事の弟弟子にあたり、松田判事とはしばしば論争(共益権論争など)を繰り広げたが、結果、昭和の日本の商法学の発展に大きく貢献したといえる。
手形理論では創造説を主張し、体系書を執筆し現在でも大きな影響力を残している。
また、八幡製鉄事件で政治献金が会社の目的に含まれるか法廷で論争となったさいには、商法学者としての立場から肯定説を主張し、最高裁判決を支持したが、後述するような鈴木の血筋・経歴ともあいまって、体制より・資本家よりとの批判も受けた。また、鈴木の会社法理論は小規模な閉鎖会社を念頭においたものであり[要出典]、現在の高度に国際化した経済社会には対応できないという批判も受けている。
[編集] 学歴・経歴
- 東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)卒
- 第一高等学校(現東京大学教養学部)文科乙類首席卒
- 1927年 高等文官試験行政科試験合格。
- 1928年 東京帝国大学法学部卒業。東京帝国大法学部助手
- 1930年 同助教授
- 1940年 同教授。
- 1962年 法学博士(東京大学)(学位論文「手形法の理論」)。
- 1950年 北海道大学教授を兼務(1964年まで)。
- 1957年 東京大法学部長(1959年まで)。
- 1966年 東京大を定年退官し、同大名誉教授及び上智大学法学部教授に就任。
- 1976年 上智大退職。
- 法制審議会商法部会会長、文部省学術顧問、法務省特別顧問等も務めた。
[編集] 一族・関係者
鈴木商店(現味の素)創業者の鈴木三郎助は祖父。鈴木商店(現味の素)第2代社長の鈴木忠治の三男。妻は子爵の井上勝純の娘。兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。娘は日本放送協会報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。
[編集] 主要著書・論文
(表示された年は最終改訂年)
- 『会社法[第五版補訂版]』(弘文堂、1993年) - 法律学講座双書
- 『会社法[第三版]』(有斐閣、1991年) - 竹内昭夫と共著
- 『手形小切手法[新版]』(有斐閣、1992年) - 法律学全集。新版は前田庸が加筆。
- 『商法とともに歩む』(商事法務研究会、1977年)
- 『商法研究I総論、手形法』(有斐閣、1981年) - 主要論文を収録
- 『商法研究II会社法(1)』(有斐閣、1971年) - 主要論文を収録
- 『商法研究III会社法(2)』(有斐閣、1971年) - 主要論文を収録
- 『株主平等原則』(昭和5年)
- 『商人概念の再検討』(昭和14年)
- 『商行為法・保険法・海商法[新版]』(弘文堂、1993年) - 法律学講座双書
- 『証券取引法[新版]』(有斐閣、1984年) - 法律学全集。河本一郎と共著。
- 『幾山河 - 商法学者の思い出』(有斐閣、1993年)