桑名市
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桑名市(くわなし)は三重県北部の市で、愛知県と岐阜県に接している。蛤(はまぐり)料理に代表される食文化を有し、ナガシマスパーランド、多度大社、六華苑、東海道の七里の渡しなど、豊富な観光資源に恵まれた三重県下屈指の観光都市である[1]。また、名古屋から25km圏に位置し、名古屋のベッドタウンとして宅地開発が進んでいるほか、機械・金属系を中心とする工業都市でもある。市の無形文化財に連鶴の折り方である「桑名の千羽鶴」がある。
目次 |
[編集] 地理
三重県北部の市で、揖斐川の河口に位置する。 その地理的条件により、古くから東海道随一の宿場町として栄えた。
[編集] 河川
- 木曽川
- 長良川
- 長島川、新川 (県管理)
- 揖斐川
- 新堀川、大山田川、沢北川、東川、流石川、三砂川、新田川、多度川、肱江川 (県管理)
- 山江川 (市管理)
- 員弁川(町屋川)
- 三孤子川、弁天川、嘉例川 (県管理)
- 笹貝川、蓮花寺川 (市管理)
[編集] 池
- 平群池(へぐりいけ)
[編集] 山
[編集] 隣接している自治体
[編集] 歴史
桑名は古代から東海地方と畿内における交易の中継地として栄えた。室町時代には商人たちによる自由都市が形成され、堺、博多、大湊と並ぶ日本屈指の貿易都市となり、「十楽の津」とよばれた [2] [3] [4]。 江戸時代には揖斐川沿いの桑名藩11万石の城下町、および東海道の42番目の宿駅(桑名宿)として栄え、宮宿(名古屋市熱田区)との間の七里の渡しが有名である。幕末には、佐幕派の中核をなす、いわゆる一会桑体制(一橋慶喜、会津藩、桑名藩)の拠点の一つとなる。
【旧桑名市】
- 1889年(明治22年)4月 桑名町として町制施行。
- 1923年(大正12年)4月 赤須賀村と合併。
- 1933年(昭和8年)3月 益生村と合併。
- 1937年(昭和12年)4月 西桑名町と合併、市制施行。
- 1945年(昭和20年)7月17日、7月24日 桑名空襲。アメリカ軍のB29による空襲を受け、市街地の約90%を消失。
- 1951年(昭和26年)3月 桑部村・在良村・七和村と合併。
- 1955年(昭和30年)2月 深谷村・久米村と合併。
- 1956年(昭和31年)9月1日 城南村と合併。
【旧長島町】
- 1954年(昭和29年)10月23日 長島村が町制を施行し、長島町となる。
- 1959年(昭和34年)9月26日 東海地方を中心に襲った伊勢湾台風により、長島町のほぼ全町が水没し多くの犠牲者を出した。
- 1955年(昭和30年)4月1日 楠村と合併。
- 1956年(昭和31年)9月30日 伊曽島村を編入合併。
【旧多度町】
【新桑名市】
[編集] 都市情報
[編集] 市章
現在の市章は、合併を機に、全国から寄せられた公募から選ばれ、2004年12月6日に制定された[5]。 市章は1本の青色のライン(帯)と2本の緑色のラインで構成される。これらのラインを円周状に配置することで、「水と緑の交流の輪」を表現している。そして、中央の余白を名産の蛤の形状で浮き上がらせ、「市の文化や歴史」を表現している[5]。
[編集] 市名の由来
「桑名」の由来は諸説あるが、豪族・桑名首(おびと)の名前から採られたという説が有力である。
[編集] 人口
桑名市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 桑名市の年齢・男女別人口分布図 |
■紫色は桑名市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
総務省統計局 / 国勢調査(2005年) |
[編集] 行政・議会
[編集] 市長
- 2004年の新桑名市誕生に伴い、新市長就任までは、市長職務執行者として平野久克(旧長島町長)が就任した。
- 初代市長:水谷元(合併前の桑名市長も歴任)、任期は2004年12月19日~2008年12月18日
[編集] 議会
- 2004年の新桑名市誕生に伴い、合併前の在任特例規定の適用により、旧市町議員が2006年11月まで残った。
- 定数: 34(地方自治法の法定数上限)
- 次回市議選(2010年11月)より定数28となることが決定している。
[編集] 公共施設
[編集] 市役所・総合支所・消防本部
旧桑名市役所が市役所本庁舎に、それ以外の旧町役場が総合支所となっている。
- 桑名市役所
- 多度町総合支所(旧多度町役場)
- 長島町総合支所(旧長島町役場)
- 桑名市消防本部
[編集] 国等の機関
- 桑名税務署
- 津地方法務局桑名支局
- ハローワーク桑名
- 桑名簡易裁判所
[編集] 県等の機関
[編集] その他の公共施設
[編集] 経済
[編集] 産業
- 鋳物
- 桑名の代表的な地場産業であり、「東の川口、西の桑名」と言われるほど有名である。桑名には三重県全体の半数にあたる80社ほどの鋳物工場があり、2000人以上が従事している。製品出荷額は約660億円(平成3年度で4人以上の規模の桑名市内64事業所による。)で、全国でも有数の規模を誇っている。製造される鋳物製品は多種にわたっており、日用品、土木建築用資材(マンホール、グレーチングなど)、産業機械器具部品、電動機器部品などがある。さらには梵鐘などの伝統的鋳物産業も健在で、梵鐘は海外に輸出されることもある。地場産業としての鋳物が桑名で発達したのは明治時代以後だが、桑名鋳物の歴史は古く、本多忠勝が桑名藩主となり(1601年)、鉄砲の鋳造をはじめたのが起源とされている。当時の製品は銅合金による神社仏閣の灯籠、梵鐘、鍋釜類、農具などが主な物であった。桑名の鋳物師(いもじ)としては廣瀬、辻内の両家が活躍した。(鋳物師は朝廷の許可がなければ開業や家業継承ができなかったこともあり、当時、両家以外で桑名に鋳物師がいた記録はない。)廣瀬与左衛門による仏眼院の「喚鐘(かんしょう)」(桑名市指定有形文化財)と辻内善右衛門による桑名宗社の「春日神社の青銅鳥居」(三重県指定有形文化財)が現存しており、桑名鋳物を象徴する文化財となっている[6][7][8]。
- 桑名萬古焼
- 萬古焼の一種で、赤絵(赤い絵付け)を特徴とする。三重県指定伝統工芸品であるとともに、三重県指定無形文化財(工芸技術)である[9][10]。桑名の豪商、沼波弄山が開窯した古萬古は後継者の無いまま廃絶していたが、桑名・田町生まれの森有節(ゆうせつ)、千秋(せんしゅう)の兄弟によって、古萬古ゆかりの桑名藩領、小向(おぶけ)村(現朝日町)で再興された。(有節萬古と呼ばれる。)森兄弟は分解できる木型に棒で伸ばした薄い土を貼り付けて成形・量産する方法を編み出し、その方法は秘密とされた。しかし、急須木型の注文を受けた桑名の木型師佐藤久米造にその秘密が漏れ、佐藤が1840年頃に開窯することとなった。これが桑名萬古の始まりである。街道の土産物として人気を得るとともに、佐藤の弟子(水谷孫三郎など)や布山由太郎などの優れた陶工を輩出したことから、桑名萬古は質、量ともにの萬古焼における一つのブランドとして確立していった。幕末から明治初期にかけて最も盛業であったが、明治後期には販売戦略に優れた四日市萬古に合流、縮小していった[11][12]。
- 桑名盆(かぶら盆)
- 欅(けやき)、栓(せん)、檜(ひのき)などの木目が美しい木地に、漆の木地呂塗り(きじろぬり、木目が透けて見える塗り方)を施して作られた盆[9][13]。典型的には、丸盆で、かぶらの絵が描かれている。三重県指定伝統工芸品である。
- 桑名箪笥(たんす)
- 桑名刃物
[編集] 名産
- 蛤(はまぐり)
- 焼き蛤、時雨蛤、酒蒸しなどとして食され、「その手は桑名の焼き蛤」(「その手にはひっかからない」ことを意味し、「その手は喰わない」と「桑名の(名物の)焼き蛤」を掛けたもの[14]。)という言葉遊び(地口)があるほど全国的に有名である。蛤の主な漁場は木曽三川の河口域である。この河口域は淡水と海水が程よく混じった汽水域となっており、蛤の生育に最適な肥沃な干潟が形成されている[15][16]。この環境下で育った「桑名の蛤」は大型かつ美味上質となり[17]、条件の良いものは生食(せいしょく)も可能となる[16]。桑名産蛤が全国的に有名になったのは、桑名が交通の要所であったことに加え、上記のように良質の蛤が採れたことが理由であると考えられている[18]。また、桑名産蛤の貝殻は色彩が美しいことでも有名であり、貝合わせや貝絵や膏薬の容器のための加工用として珍重された[15]。
- 蛤が桑名の名産として全国的に認知されるようになったのは江戸時代頃からと考えられる[19]。歴代の将軍に桑名産蛤を献上するのが慣例となっていた[15][20]。江戸時代初期には、既に木曽三川河口域に漁村が存在した記録が残っている。当時の漁村の蛤漁は盛況で、蛤の貝殻で地面が厚く覆われるほどであったと伝えられている[21]。江戸時代後期の滑稽本『東海道中膝栗毛』では、「…熱田の神の慈眼(みそなは)す、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく、桑名につきたる悦びのあまり、めいぶつの焼蛤に酒くみかはして、…」[22]と、宮宿から船で桑名に渡って来た主人公の弥次郎兵衛と喜多八が、早速、名物の焼き蛤を楽しむ様が描かれている。
- 現在、地蛤(じはまぐり、じはま、桑名で繁殖した蛤)漁専業で生計を立てている漁師は、桑名の漁協所属の30名程である[要出典]。地蛤の年間漁獲高は、ピーク時には3,000トンを誇ったが、1995年には過去最低の0.8トンを記録した。近年の漁獲高は、資源管理、稚貝放流(栽培漁業)によって回復傾向にあり、2000年19トン、2001年15トン、2002年16トン、2003年20トン、2004年62トン、2005年52トン、2006年47トンとなっている[20]。焼き蛤など蛤料理を提供する店は多数あるが、代表的な老舗の例としては、「船津屋」(船馬町、大塚本陣跡)、「料理旅館 山月」(船馬町、脇本陣「駿河屋」跡)、「魚重楼」(南魚町)、「割烹 みくに」(川口町)などが挙げられる。
- 焼き蛤の調理方法
- 江戸時代、桑名周辺では、焼き蛤は松かさを燃やして加熱することで調理されていた。葛飾北斎の浮世絵にその様子が描写されている。この調理法では、松脂を含んでいるために火力が強い松かさで覆い、蝶番を切ってから加熱するため、殻が開くことなく短期間で調理できる。このため、一般的な調理方法よりも柔らかく蒸しあがる。なお、NHKの「ためしてガッテン」ではこの調理方法が紹介され、桑名市でこの再現された焼き蛤が住民に披露されたがその味は住民からは好評であった[23]。
- 時雨蛤(しぐれはまぐり)
- 蛤をたまり醤油、生姜などで煮た佃煮の一種。蛤の時雨煮。もとは「煮蛤(にはまぐり)」と呼ばれたが、松尾芭蕉の高弟、各務支考が「時雨蛤」と名付けたと言われている[24]。時雨蛤にすることで蛤の保存性が高まり、土産物として高い人気を誇った[25]。騒ぎ唄(広く宴席でうたう歌)の『桑名の殿様』で、「桑名の殿様、時雨で茶々漬」と歌われて有名である。なお、この唄に出てくる「桑名の殿様」とは、桑名藩主のことではなく、明治から大正にかけて米相場で儲けた桑名の大旦那衆(お大尽、成金)のことである。東京の料亭で盛大な酒宴を行い、芸者衆と大いに遊んだ桑名の大旦那衆が、宴会の最後に時雨蛤の茶漬けを食べた様を唄にしたのが、『桑名の殿様』である[26]。この唄は、神宮式年遷宮の御木曳木遣り唄の一種である『松前木遣り』がお座敷唄化したものと考えられている[27]。ちなみに、この唄の「~の殿様~で茶々漬け」のフレーズは、日本各地でその土地の名物、名産を読み込んだ替え唄となって楽しまれた[27]。
- 『桑名の殿様』の歌詞
- 桑名の殿様 ヤーレン ヤットコセー ヨーイヤナ 桑名の殿様 時雨で茶々漬け(ちゃちゃづけ)
ヨーイートナー アーレワ (アリャリャンリャン) ヨーイトーコ ヨーイトーコナー
あれは当麻(たいま)の あれは当麻の 中将姫だよ 泣き泣き入れるは 泣き泣き入れるは 六条さんの賽銭箱
源氏は白旗 平家は赤旗 天保山(てんぽうざん)は沖の旗 やれ出るそれ出る やれ出るそれ出る 矢橋(やばせ)の舟だよ
- 安永餅
- つぶ餡(あん)の入った細長く平らな焼餅。「ともち」、「牛の舌もち」とも称された。桑名の代表的銘菓で、江戸時代から安永立場(安永)において桑名宿を往来する旅人などに人気を博し、茶店で、または土産物として広く親しまれた[28][29]。現在、安永餅を製造、販売する店は2つあり、「永餅屋老舗」(1634年創業)と「安永餅本舗 柏屋」である。桑名で隠居していた松平定信(楽翁公)が非常時の食糧として安永餅を考案したという伝承がある。しかし、安永餅と同形態の餅を食する文化は桑名から四日市にかけて広く分布しており、創業当時の史料も残っていないため、安永餅の発祥は、はっきりしていない。
- アイス饅頭
- 饅頭を模した小豆が中に入った氷菓。マルマン(京町)、末廣屋(深谷町)、寿恵広(三ツ矢橋)などが製造販売している。特に寿恵広は知名度が高く、1950年からアイス饅頭の製造を開始し、デパート、スーパー、おかげ横丁(伊勢市)、インターネット通販などによって全国的に販売を行っている[30]。
- なばな
- アブラナの一種で若芽や茎を食用にするもの。長島町は「なばな発祥の地」である。
- 八壷豆(多度豆)
- 紅梅焼
- 鯉料理
- 江戸時代創業の鯉料理専門店「大黒屋」(多度町柚井)が有名である[31]。池波正太郎がお忍びで食事に訪れたことがあり、自身のエッセイでこの店の鯉こくを賞賛している[要出典]。
- 手延べうどん
- 多度の弾き猿
[編集] 学校
[編集] 高校
[編集] 中学校
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[編集] 小学校
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[編集] 友好都市
[編集] 交通
[編集] 鉄道
なお、1927年から1944年には、桑名電軌という全長1kmのミニ路面電車が桑名駅前と宿場町時代からの市街地を結んでいた。
[編集] 道路
[編集] 路線バス
[編集] 空港へのアクセス
- 中部国際空港高速バス 桑名ルート
- 三重交通と八風バスが、マイカル桑名-桑名駅前-中部国際空港(セントレア)間の高速バスを運行している。セントレアまでのおよその所要時間は、マイカル桑名から70分、桑名駅前から55分である。また、マイカル桑名には乗客用駐車場があり、パークアンドライドが可能となっている[32]。
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 名所・旧跡
- 大福田寺(桑名聖天)(東方)
- 十念寺(伝馬町)
- 海蔵寺(北寺町)
- 桑名別院本統寺(北寺町)
- 大智院(長島町西外面)
- 松尾芭蕉宿泊地
- 蕉翁信宿処石碑
- 願證寺(長島町又木)
- 長島一向一揆故地
- 春日神社(桑名宗社)(本町)
- 青銅鳥居
- 御膳水井
- 明治天皇が宿泊した際、この井戸の水が御膳水として供された。
- 山口誓子句碑、千葉兎月句碑
- 鎮国守国神社(吉之丸)
- 多度大社(多度町多度)
- 長島城跡(長島町西外面)
- 現・長島中部小学校、中学校地
- 桑名市指定天然記念物「大松」(長島中部小学校内)
- 蓮生寺(長島町又木)
- 旧長島城大手門
- 専正寺(せんしょうじ)(今中町)
[編集] 観光
- 九華公園(桑名城址)
- 桑名城の項も参照。
- 七里の渡し跡
- 六華苑(旧二代目諸戸清六邸)
- 諸戸氏庭園(旧初代諸戸清六邸)
- 長島温泉・ナガシマスパーランド・ジャズドリーム長島(アウトレットモール)
- なばなの里
- 長島スポーツランド
- 長良川河口堰・アクアプラザながら
- 国営木曽三川公園カルチャービレッジ・輪中の郷
- 千本桜通り
- 多度山・多度山上遊園地
- 多度峡・天然プール
- 走井山(はしりいざん)公園
- 伊勢大橋
- 石取会館(いしどりかいかん)
[編集] 祭り
- 桑名聖天大祭:4月1・2日(大福田寺)
- 金魚祭:5月2日・3日(鎮国守国神社)松平定信が金魚好きだったことに由来、金魚神輿を各町の子供が担いで練り歩く。
- 多度祭(上げ馬神事):5月4日,5日(多度大社)
- 桑名水郷花火大会:7月下旬
- 石取祭:8月第1日曜日とその前日(春日神社) 重要無形民俗文化財
- 桑名の殿様御台所祭・千姫折鶴祭:10月中旬(桑名別院本統寺、鎮国守国神社ほか)市民有志による実行委員会が運営する祭り。1989年に地元商店主らが始めた。桑名の食文化を体験する花街グルメパークや特設ステージでの古典芸能などの企画を楽しむ「桑名の殿様御台所祭」と、桑名でわずかな期間暮らした千姫と無形文化財の「桑名の千羽鶴」の「千」をかけた「千姫折鶴祭」から成る。千姫折鶴行列や千羽鶴ファイヤーセレモニーが行われる。
- 七福神まつり:11月23日(十念寺)
- 流鏑馬祭り:11月23日(多度大社)
- 伊勢太神楽:12月24日(増田神社) 重要無形民俗文化財
[編集] 出身の有名人
- 沼波弄山:萬古焼の始祖
- 森有節、森千秋兄弟:萬古焼中興の祖
- 森常吉:桑名藩士、新選組隊士、箱館新選組頭取改役
- 関川代二郎:桑名藩士、新選組隊士、警視庁抜刀隊員
- 立見尚文:陸軍大将
- 加太邦憲:貴族院議員、関西大学学長
- 駒井重格:経済学者、専修大学創設者の一人
- 矢田俊隆:北海道大学名誉教授
- 高木貞作:新選組隊士、一橋大学教授
- 瀬古利彦:マラソン選手
- 柴田勝頼:プロレスラー
- 後藤洋央紀:プロレスラー
- 伊藤旭彦:プロレスラー
- 桜井良太:バスケットボール
- 松田次生:レーシングドライバー
- 黒田研二:作家
- 水谷和彦:放送作家
- 北村けんじ:児童文学作家
- 水谷勝海:アナウンサー
- 前田阿希子:アナウンサー
- TAKA:La'cryma Christiのヴォーカル
- ナカムラヒロシ (I-dep):プロデューサー、DJ
[編集] 桑名に縁の有る人物
- 村正:刀匠 (妖刀村正で有名な伊勢国桑名の刀工)
- 本多忠勝:桑名藩初代藩主、徳川四天王
- 服部正就:3代目服部半蔵、桑名藩の名家・小服部家の始祖
- 服部正重:桑名藩家老、4代目服部半蔵、桑名藩の名家・大服部家の始祖
- 千姫:徳川秀忠の長女。(桑名藩主本多忠政の嫡子・忠刻の妻として一時期、桑名で暮らした。)
- 河合曾良:俳諧師 (松尾芭蕉の高弟・蕉門十哲の一人。一時期、長島藩藩主・松平康尚に仕える。)
- 各務支考:俳諧師 (松尾芭蕉の高弟・蕉門十哲の一人。時雨蛤の名付け親。)
- 松平定信:江戸幕府老中首座、将軍輔佐 (楽翁公)
- 諸戸清六(初代):実業家
- 松平定敬:桑名藩藩主、京都所司代
- ジョサイア・コンドル:建築家 (六華苑(旧諸戸清六邸)の設計者)
- 泉鏡花:小説家 (桑名を舞台とした小説『歌行燈(うたあんどん)』の作者)
- 増田淳:橋梁技術者 (伊勢大橋の設計者)
- 有本芳水:詩人 (詩『桑名にて』の作者、住吉神社境内に詩碑が設置)
- 中原中也:詩人 (詩『桑名の駅』の作者、桑名駅構内に詩碑が設置)
[編集] その他
桑名市では、2007年度現在、条例などを制定しないまま、一部の在日韓国・朝鮮人を対象に住民税を半減する特例措置がとられている[35]。なお、2008年度以降は、この措置を是正する方針が示された。詳細は「在日韓国・朝鮮人」の項を参照のこと。
[編集] 脚注
- ^ 「桑名市観光振興プラン」 桑名市
- ^ 「戦国時代、三重の各地に「公界」」三重県
- ^ 「郷土史研究の歴史(1) - 郷土史(郷土史研究の歴史)」桑名市
- ^ 「米の町、桑名」合資会社 後藤酒造場
- ^ a b 「市政の概要 平成19年版」 表紙等 桑名市議会事務局
- ^ 「桑名の鋳物」財団法人 三重北勢地域地場産業振興センター
- ^ 「桑名の鋳物史」三重県鋳物工業協同組合
- ^ 「桑名「鋳物」「時雨蛤」「かぶら盆」」佐藤誠也, 三重の伝統産業, 1980年4月号, 三重県教育文化会館 (1980)
- ^ a b 「三重の伝統工芸品(北勢地域)」 三重県
- ^ 「みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財・桑名萬古(赤絵)」 三重県教育委員会
- ^ 「歴史・文化の扉 萬古焼」 三重県立博物館
- ^ 「萬古焼の歴史【江戸時代.3】」 萬古陶磁器工業協同組合
- ^ 「かぶら盆」 ローカルみえ (2003)
- ^ 三省堂 Web Dictionary三省堂
- ^ a b c 「「桑名の蛤」復活へ」赤須賀漁業協同組合
- ^ a b 「ふるさと味自慢 こだわりの逸品(桑名のハマグリ)」 午後は○○おもいッきりテレビ, 日本テレビ, 5月16日放送 (2007)
- ^ 「桑名の蛤(ハマグリ)」 食文化アカデミー:美健賢食, 日清食品
- ^ 「焼蛤と時雨蛤(しぐれはまぐり)」 松下幸子 監修・著, 江戸食文化紀行 No.85 歌舞伎座事業
- ^ 「三重県の郷土料理」 三重県観光連盟
- ^ a b 「(三重)桑名産ハマグリ 復活の兆し」 読売新聞, 12月20日 (2006)
- ^ 「専正寺(せんしょうじ)」桑名市
- ^ 十返舎一九 著, 麻生磯次 校注 『東海道中膝栗毛』 岩波書店 (1958)
- ^ 「歴史グルメスペシャル 復活!北斎・幻のハマグリ」 ためしてガッテン, NHK, 4月23日放送 (2008)
- ^ 「コピーライターは松尾芭蕉の弟子だった!」(株)総本家新之助貝新
- ^ 「志ぐれの誕生秘話」(株)総本家新之助貝新
- ^ 「桑名の殿さんはいったい誰?」(株)総本家新之助貝新
- ^ a b 「日本の民謡 曲目解説<三重県>」日本の民謡~CDで聴く故郷の唄, 暁洲舎 (2000)
- ^ 「安永餅」 永餅屋老舗
- ^ 「桑名市観光ガイド・安永立場概要」 桑名市
- ^ 「店舗概要」 寿恵広
- ^ 「鯉料理の人」桑名市
- ^ 「中部国際空港高速バス 桑名ルート」三重交通
- ^ 「桑名市指定文化財 蛤墳」 桑名市教育委員会文化財ホームページ
- ^ 「七里の渡跡」桑名市
- ^ 「伊賀市、昨年度までの「在日」の減免認める 市県民税を半額に」 中日新聞 (2007)
[編集] 関連項目
- Category:桑名市
- Category:桑名市の画像
- Portal:日本の都道府県/三重県
- 伊勢国
- アマツヒコネ(天津彦根命):多度大社と桑名宗社(春日神社)の祭神で、地名「桑名」の由来とされる豪族・桑名首(おびと)の祖神。
- 東海道五十三次
- ヘリテージング100選:伊勢大橋と六華苑が入選。
- 美しい日本の歩きたくなるみち500選:「桑名城下町「水と歴史」を訪ねるみち」が入選。
- 水の郷百選:旧長島町の「歴史ある水郷のまち」が入選。
[編集] 外部リンク
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