山形県立寒河江高等学校
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形県 |
設立年月日 | 1921年4月 |
5月1日 | |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型・連携型共になし |
分校 | なし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
設置学科 | 普通科、果樹園芸科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 06112D |
所在地 | 〒991-8511 |
山形県寒河江市六供町2丁目3-9(普通科) 北緯38度22分51.3秒東経140度16分9.8秒 〒990-0524 山形県寒河江市大字高松49(果樹園芸科) 北緯38度23分53.9秒東経140度14分37.3秒 |
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電話番号 | 0237-86-2196 |
FAX番号 | 0237-86-1466 |
外部リンク | 公式サイト |
山形県立寒河江高等高校(やまがたけんりつさがえこうとうがっこう)は山形県寒河江市にある県立高等学校である。地元では頭文字を音読みして「寒高(かんこう)」と呼ばれ、地域密着型の高校である。
カヌー部が全国屈指の強豪、剣道部が県内でも強豪校である。
生徒は寒河江市をはじめとする西村山地方[1]出身が多い。また、山形市をはじめとする東南村山、東根市、村山市、さらには上山市から来る生徒もいる。
目次 |
[編集] 沿革
前身は1921年4月に開校した山形県立寒河江中学校であるが、さらにさかのぼって1902年4月に開校した西村山郡立西村山中学校(翌年起こった火災により1904年に閉校)が本来の前身と言える。なおこの学校の創立記念日には、記念式典や聖火リレー[2]や卒業生による記念講演が行われる。
- 1902年4月 西村山郡立西村山中学校(寒高の前身)
- 1904年3月 前年の火事のため閉校する。
- 1921年4月 寒河江中学校開校
- 1926年3月 第1回卒業証書授与式挙行。このときの卒業生70名
- 1936年3月 明治神宮競技大会にて弓道部全国優勝
- 1948年4月 学制改革により山形県寒河江高等学校となる
- 1948年5月 定時制課程設置
- 1949年12月 校内放送開始
- 1952年2月 神保光太郎作詞、芥川也寸志作曲による校歌制定
- 1952年3月 山形県立高松高等学校並びに西川分校が寒河江高等学校高松分校並びに西川分校となる
- 1962年7月 山形県立寒河江工業高等学校準備委員会設置
- 1963年4月 山形県立寒河江工業高等学校第1回入学式を寒高体育館において挙行、8月まで本校舎で授業を行う
- 1964年7月 旧プール竣工
- 1965年4月 西川分校の4年生が関西旅行中、静岡県内をバスで走行中、大型ダンプカーと衝突、生徒2人死亡、数名の重傷者を出す。
- 1973年 全国高校総体にて女子剣道部が団体戦優勝、市内パレードを行う
- 1981年11月 創立60周年を記念し桜10本植樹
- 1987年4月 農業校舎果樹園芸科設置(農業科、生活科募集停止)
- 1988年 西川分校募集停止
- 1991年3月 西川分校閉校
- 1991年5月 創立70周年記念式典挙行
- 1993年3月 農業校舎実習用地 清助新田冨沢の水田120.99m²を東北電力に譲渡
- 2001年4月 普通科定員が6学級240名になる。
- 2006年 文部科学省から学力向上拠点形成推進事業の指定を受ける
- 2006年5月 創立85周年記念に澤地久枝氏の記念講演を開催
- 2007年10月 2階渡り廊下に自動体外式除細動器設置
- 2007年4月 授業時数が毎週水曜と1、2年生の2週間に1回の火曜以外は55分×6コマで、毎週水曜と1、2年生の2週間に1回の火曜は55分×7コマとなる。第二体育館が使用停止になる
[編集] 歴代校長
寒河江中学校時代から28人の校長が受け継いでいる。
- 初代:有堀市三郎(1921年3月7日~1924年11月8日)
- 2代:市原真次(1924年12月1日~1933年1月24日)
- 3代:山元兵七(1933年1月25日~1936年9月3日)
- 4代:岩下富蔵(1936年10月19日~1938年9月6日)
- 5代:内藤理八(1938年9月7日~1940年5月29日)
- 6代:半沢儀一郎(1940年6月20日~1946年3月29日)
- 7代:上倉裕二(1946年3月30日~1946年7月30日)
- 8代:池田清(1947年1月31日~1950年3月31日)
- 9代:永山信良(1950年4月1日~1955年3月31日)
- 10代:佐々木俊光(1955年4月1日~1957年3月31日)
- 11代:渋谷忠太郎(1957年4月1日~1962年3月31日)
- 12代:小関守之助(1962年4月1日~1965年3月31日)
- 13代:阿部酉喜夫(1965年4月1日~1970年3月31日)
- 14代:山田博夫(1970年4月1日~1973年3月31日)
- 15代:堀口昌太(1973年4月1日~1976年3月31日)
- 16代:国井董(1976年4月1日~1978年3月31日)
- 17代:川内芳夫(1978年4月1日~1981年3月31日)
- 18代:松田善夫(1981年4月1日~1983年3月31日)
- 19代:堤睦水(1983年4月1日~1985年3月31日)
- 20代:五十嵐和夫(1985年4月1日~1988年3月31日)
- 21代:佐々木周榮(1988年4月1日~1991年3月31日)
- 22代:逸見大吉郎(1991年4月1日~1994年3月31日)
- 23代:佐々木亮(1994年4月1日~1996年3月31日)
- 24代:佐藤浩平(1996年4月1日~1999年3月31日)
- 25代:森義矩(1999年4月1日~2001年12月6日) 12月6日に逝去されたため。
- 26代:鈴木宏毅(2001年12月25日~2004年3月31日)
- 27代:佐藤通隆(2004年4月1日~2006年3月31])
- 28代:大滝潤二(2006年4月1日~現職)
[編集] 教育目標
遠大な開拓者精神とはつらつとした自由の精神を基盤に、資実剛健と気品清純の気風を継承発展させる。
- 自ら学ぶ姿勢を培い、英知ある人間を育てる。
- 健康なからだと豊かなこころをもった人間を育てる。
- 創造力に富み、責任感と実践力をもって、たくましく生きる人間を育てる。
- 広い視野を持ち、自己の可能性を最大限に発揮できる人間を育てる。
[編集] 校章
校章は山査子(さんざし)をモチーフにしており、校内にも木が植えられている。その英語名のメイフラワーに関連して、新入生はメイフラワーセミナーというものに参加する。以前は蔵王へ合宿という形がとられていたが、2005年より学校での集中勉強、歌唱指導、卒業生の講演などの措置となった。
[編集] 制服
- 男子
- 夏季(6月~9月)
- 上着は学校指定のポロシャツとする。無飾りのの白Yシャツも可能。この場合は左胸に校章バッチを付ける。
- 女子
- 冬季(10月~5月)
- 上着のデザインはシャネルスーツ。
- スカートは20車、裾エンジライン2本打ち込み。
- ブラウスは布地は交織ビエラ(白)
- セーターを着用する場合、派手ではないV字襟とする。
- 夏季(6月~9月)
- ベストのデザインはスペンサータイプ。
- 盛夏服として、布地がポプリン、イタリアンカラーのオーバーブラウス。両襟に刺繍入り。
以前、制服を廃止し、私服化する計画があったが生徒の反対により無くなった。女子の夏服にポロシャツを導入する計画もあった。
[編集] 授業
寒高は2006年度から3か年、文部科学省より学力向上拠点形成推進事業の指定を受け様々な事業を行っている。毎年新学年になると、「シラバス」が渡される。また一日の勉強時間を書く「find」という冊子も配られる。
寒高の授業時数は毎週水曜は55分×6コマで、毎週水曜と1、2年生の2週間に1回の火曜は55分×7コマとなる。これは毎週水曜にLHR(ロングホームルーム)が、1、2年生の2週間に1回の火曜には総合的な時間、「メイフラワータイム」があるためである。さらに、教科によっては毎週時間数が違うことがある。[3]この2つの週を区別するため、寒高では片方を「A週」、もう片方を「B週」と呼んでいる。
寒高では2007年度より2週間に1回、土曜登校学習を開始した。これは土曜日に普段通りに登校し1~3時間目の間教室で自学自習(一部授業や外部模試)することで生徒に自主学習を習慣づけるためにやるものだが、生徒からの不満もある。
[編集] 進路指導
進路指導も充実しており、教室棟2階進路室には教室では見られない様々な進路に関する書籍及び書類またはDVDがある。進路室前には近辺の大学の資料などがある。
進路講演も1年生のうちから行われる。成績上位者が参加できる集会もある。先輩方が受験生活を綴った合格体験記や、過去の卒業生の受験結果が載せてある「進路の指針」という冊子のように寒高独自で作っている書物もある。
2006年度は延べ112人、2007年年度は115人の国公立合格者が出た。
[編集] 校舎構造
普通科の校舎は長岡山の山腹にあるため、校舎は市街地より標高が高く、冬は降雪が多い。校舎は教室棟、特別棟、学習センター、第一体育館(新体と呼ばれる)、第二体育館(旧体と呼ばれる、現在立ち入り禁止)、そして長陵会館に分かれる。
新体側の門を通ると、正面に急な石段がある。この石段は寒河江中学校時代からあるもので、所々に苔がついている。非常時は使用できない。なお、石段の脇にはこれまた急な上り坂がある。
- 教室棟
1~3年生の教室と職員室がある。1年生は4階、2年生は3階、3年生は2階となる。1階には生徒昇降口を望む職員室、職員玄関を挟んで事務室、校長室、応接室、印刷室、長陵会館と特別棟に続く渡り廊下を挟んで放送室、保健室とある。職員室からは昇降口前を見渡せるようになっている。職員玄関正面には今までに獲得した部活動などのトロフィーや賞状が展示されている。昇降口前には授業変更の紙が張られている。
- 特別棟
教室棟の北側に中庭を挟んである。3階建てになっており、山側(東側)の1階が化学室、2階が生物室、3階が物理室となっている。中庭を面する中盤の教室は1階は第二研修室、2階は地理の授業で使われる第一研修室、3階は美術室となっている。生徒昇降口側(西側)の1階が調理室で、毎年9月の第1土曜日の寒高祭のときは3年生にとっての出店の拠点となる授業以外でも大切になる教室である。2階は被服室、3階は音楽室となる。音楽室の隣に水道場がある教室が隣接されてあるが、ここはかつて書道室があった教室である。書道室は6クラス化に伴って学習センターに移転した。教室棟と連絡する渡り廊下は1階と、2階の生徒昇降口側にある。
- 学習センター
1989年3月にできた教室棟の西側にある建物である。3階建てになっており、1階は生徒のための自転車置き場。2階は図書館、3階は第一多目的室、第二多目的室、情報教室がある。それぞれ冷暖房完備。南側には非常時の避難階段がある。
- 第一体育館
1990年10月にできた屋内運動場である。2階の教室棟とは渡り廊下で連絡している。しかし地形上第一体育館は教室棟より下にあるので2階階段を下りることになる。1階には柔剣道場があり、隣には野球部とサッカー部が雨天または冬季利用するピロティーがある。昔は第一体育館の場所にプールがあった。
- 第二体育館
特別棟から渡り廊下を渡ったところにある。下には各部の部室がある。広さは二畳ほど。この体育館は老朽化が進んでおりとても危険な為、2007年4月から使用停止になった。そのため部室が移転されてプレハブが建てられることになるが、山形県との話は進まず、現存のプレハブを使用することになった。そして特別棟とを繋ぐ渡り廊下の途中には創立当時からあり創立80周年を記念してリニューアルされた講堂、文化部(ギター部など)の部室、トレーニングルームがあるプレハブが佇んでいる。
- 長陵会館
教室棟の南側にある。三階建て構造であり、1階が風呂場、2階が食堂、3階が宿泊所の合宿所になっている。食堂は昼休みになると生徒たちで賑わう。長陵会館の脇には弓道場がある。
- 新グラウンド
校舎から離れている。陸協公認の400mの土グラウンドに4面のテニスコートと両翼90m、中央120mの野球場がある。門の近くに管理棟があり、陸上競技の競技用具が収納されている。部活動をする際は生徒が学校から鍵を持っていき開錠する。
[編集] 校舎周辺
寒高の周辺には、寒河江市管理の野球場がある。内野に簡素な観客席があるが、外野には観客席がない。毎年7月、体育祭はここで行われる。さらに長岡山の山頂付近には寒河江市営陸上競技場がある。トラックは土でできており一周300mである。ここで体育祭のオープニングを飾るリレー競技が行われる。そのそばにはつつじ園を望む寒河江公園があり、園内は自由に散策することができる。山の麓には昔の西村山郡役所を復元した郷土資料館がある。郷土資料館のの近くにある展望台からは朝日連峰を望める。
寒高の正門を出て真直ぐ進むと寒河江八幡宮の裏参道が見える。ここは毎年寒高と同じく桜が咲き乱れる神社であり、花見客が大勢やって来る。部活動の新入生歓迎会も行われたりする。
この学校周辺にはコンビニがない。
寒河江駅に向かった所に「フローラSAGAE」という建物がある。この建物は商用スペースと文化スペースが同居する中心市街地活性化センターである。勉強スペースもあり、学校が閉まっている際はこの場所で勉強する生徒もいる。水曜日は定休日になる。
跨線橋を下りて駅前の道を真っ直ぐ行くと、寒河江工業高校があり、寒河江工業団地も近い。
目の前の道路には山交バスのバス停があるが、間沢方面からのバス停と宮宿方面からのバス停は離れた場所にあるので注意。
[編集] 生徒会
生徒会は下記の役員、委員会、そして全校生徒から成り立っている。生徒会規約もあり、第62条まである。
[編集] 生徒総会
生徒総会は生徒が参加して行われる会合である。毎年5月と11月に行われるが、次のような場合は臨時に招集することができる。
- 代議員会、もしくは会長が必要と認めた場合
- 会員(生徒)の5分の1の要請があった場合
- 校長の希望があった場合
総会は会員の3分の1が参加して行われるが、現在は全員が参加するような流れになっている。内容は主に予算の決定、学校及び生徒会への要望が話し合われる。中でも学校及び生徒会への要望が最も長い。執行部役員の態度、会長への不満など多くの意見が上げられているからである。
[編集] 執行部役員
- 会長
- 副会長
- 常任委員
- 会計委員
- 監査委員
- 生徒会議長
- 生徒会副議長
- 書記
これらの役員は任期中でも辞任または解任することができる。
- 本人が辞意を表わし、代議員会が出席員の3分の2以上の多数で認めたこれを場合
- 会員の過半数が署名してこれを選挙管理委員会に申し出た場合
- 校長が不適任と認めた場合
[編集] 委員会
- 学級委員会
- 生活委員会
- 選挙管理委員会
- 交通安全委員会
- 図書委員会
- LHR実行委員会
- 保健委員会
- 体育祭実行委員会
- 寒高祭実行委員会
[編集] 部活動
寒高で活動している部活の一覧である。*印が校舎で活動している部、'印が新グラウンドで活動している部を表す。
[編集] 運動部
- 野球部 '
- ソフトボール部 *
- 男女ソフトテニス部 *
- 男女バスケットボール部 *
- 男女バレーボール部 *
- 陸上競技部 '
- 水泳部 *
- 山岳部 *
- 柔道部 *
- 剣道部 *
- 男女バドミントン部 *
- ハンドボール部 *
- 弓道部 *
- 男女卓球部 *
- サッカー部 '
- カヌー部(* 乗艇での練習ではない場合)
- 男女テニス部'
[編集] 文化部
なお応援団に関しては過去に存在したが廃団となった。現在、生徒会で設置を検討している。
[編集] 校歌・応援歌
- 寒河江高等学校校歌
-
- 作詞 神保光太郎
- 作曲 芥川也寸志
- 寒河江中学校校歌
-
- 作詞 土井暁翠
- 作曲 梁田貞
- 緑ヶ丘
-
- 作詞作曲者不明
- 嗚呼繚乱と
-
- 作詞 井上五郎
- 作曲 秋葉光市
- 桜にかおる
-
- 作詞 井上五郎
- 作曲 松田光郎
近年歌われていない。
- 飾るさんざし
-
- 作詞 橋本宏
- 作曲 菊地義美
近年歌われていない。
これらの曲は入学する前の新入生オリエンテーションでCDで配られる。入学した後に行う歌唱指導の為である。
[編集] 年中行事
寒高は3学期制になっている。ここには寒高生が関係してくる行事も挙げた。
- 4月
- 入学式
- 毎年240名の新一年生が入学する
- 課題テスト
- 春休みの課題から出題される。3年生の場合は学力テストと言う。これは春季課題の中から出ないものまで出題するからである。
- 1年歌唱指導
- 校歌と応援歌を生徒会執行部が1年生に熱心に指導する。
- メイフラワーセミナー(1年生)
- 1年生に受験という意識を植えつけさせる。
- 文化部会・運動部会
- 1年生はこの会をもって正式入部する。
- 5月
- 創立記念式典
- 毎年5月1日に行われる
- 高校地区総体
- 中間試験
- 1年生にとって初の定期考査になる。
- 生徒総会
- 学校の今後を決める重要な総会である。
- 県大会出場部の壮行式
- 6月
- 県高校総体
- 陸上は5月下旬に行われる
- SHSイングリッシュイマージョン
- 7月
- 期末試験
- 体育祭
- 下記参照
- 終業式
- すぐに夏季休業ではない。
- 夏期講習
- 1週間程度行われる。3年生は希望制になる。
- 夏季休業
- 8月
- 始業式
- 課題テスト
- 夏季休業の課題から出題される。
- 9月
- 寒高祭
- 下の項目参照
- 地区新人大会
- メイフラワーカレッジ
- 様々な分野の大学から講師を招き、テーマ別に分かれて講義を受ける。
- 立会演説会
- 生徒会執行部の入れ換えのためにある。
- 新グラウンド除草
- 授業の後に新グラウンドに行き1、2年生で草取りをする。主にトラック部分になる。
- 10月
- 県新人大会(屋外)
- 中間試験
- 県高校総合文化祭
- マラソン大会
- 男子8.8km女子5.3km走る。
- 11月
- 県新人大会(屋内)
- 修学旅行(2年)
- 毎年関西方面へ行く。仙台空港発着の3泊4日の日程。
- 生徒総会
- 期末試験(3年)
- 12月
- 期末試験(1、2年)
- 2学期の成績を決める。
- 終業式
- 冬期講習
- 冬季休業
- 1月
- 始業式
- 課題テスト(1、2年)
- 出陣式
- センター試験前日に3年生を集め決意を固める。
- センター試験
- 今までしてきた成果を十二分に発揮する。この間1、2年生は外部模試を受ける。
- 2月
- 高校推薦入試
- 寒高の推薦入試は毎年倍率が高い。県内で1、2を争う高倍率である。
- 国公立大学前期試験
- 表彰式
- 同窓会入会式
- 3月
- 卒業式
- 3年生との最後の別れ。
- 学年末試験
- 高校入選
- 次に入ってくる1年生の考査をする。山形県では毎年3月10日に行われる。寒高の一般入試は倍率が高い年と低い年がある。
- 公立大学中期試験
- 国公立大学後期試験
- 特別時間割での授業
- 高校入試合格発表
- 修了式
- 離任式
- 新入生オリエンテーション
- 新入生が合格して初めて全体で集まる。受験番号順に並び、先生から寒高生の心構えについて聞く。また靴や定期券の販売もある。
- 春季休業
- 追認試験
- 学期末赤点だった人はこの試験を受けなければならない。
[編集] 体育祭
体育祭ではバスケットボール、バレーボール、ソフトボール、キックベースボール、卓球、長縄跳び、クラス対抗リレーをする。生徒はクラス内でチームを作り、クラスのTシャツを着て2日間の熱戦に挑む。先生方は教員チームとして参加する。体育祭までの練習は体育の授業や、LHRを使う。3年生になると部活動を引退しているので朝や放課後も使い、中には寒河江市民体育館や大江町民体育館などの周辺体育施設を借りて練習するクラスもある。
2007年からは卓球も競技として加わった。これは旧体が使用停止となり、従来のバスケットボールとバレーボールのチーム数では賄えなくなってしまったためである。
体育祭は外でやる種目もあるので、雨が降ると中止になり普通授業になる。中止の判断は体育祭前日にする。中止になった場合は予備日を使って行われるが、いつ雨が降るかわからないので、6つの開催パターンが作られている。また、この時期になると野球の全国高等学校野球選手権大会山形県予選が被ってくる為、野球部が公認欠席(公欠と呼ばれる)となる場合がある。その際人員不足が起きてしまうチームが出てくる。
[編集] 寒高祭
寒高祭は2日にわたる大イベントである。運営は生徒からの「寒高祭実行委員会」によって運営される。寒河江市文化センターでの1日目は1年生による合唱コンクールをはじめ、有志発表、吹奏楽部発表、演劇部発表、全校生参加のゲームなどの催しが行われる。2日目は校舎で一般公開のクラスでの催しが行われる。2年生はクラス発表、3年生は屋台を出す。平行して文化部の展示、生徒が先生方の似顔絵を描く似顔絵コンテスト、全校から力自慢の生徒が集まり腕相撲をする「力王」などもある。動員は山形市内の高校の文化祭よりは多くないが、日程が被らない為[4]、中学校時代の友人が来たりして大変盛り上がる。講堂では有志でライヴが行われる。模擬店の収益は福祉団体への寄付やクラス運営費、打ち上げなどとして使われる。
[編集] 暁鳴
暁鳴(ぎょうめい)は毎年3月に配られる生徒会誌である。生徒から成る暁鳴編集委員会により編集される。中身は今年1年を振り返る内容で、部活動の記録、生徒会行事を振り返り、特集、修学旅行、クラス紹介などが載っている。
毎年後ろの見開きには、「暁鳴」という名を命名した井上五郎氏の『「暁鳴」解題』が載っている。
[編集] 最寄り駅
[編集] その他
- この学校の皆勤賞の基準は、「一日も休まない、且つ遅刻しない[5]」「授業中に退出しない(保健室に行ったら駄目になる)」「早退しない」である。この条件を達した生徒には、1年間の皆勤で賞状と図書カード1000円分、3年間の皆勤で賞状と副賞が貰える。副賞は毎年違うものになっている。
- 教室には冷房は設置されていないので夏は暑い。そして山の山腹にある学校なので虫に悩まされている。冬になるとボイラーが稼動するが、このボイラーは普通の暖房機具より性能が劣る。
- 寒高には普通科と果樹園芸科の2つがあるが、校舎が離れているため盛んに交流が行われていない。体育祭にクラスで参加したり、マラソン大会に参加したりする程度である。
- 寒高ではチャイムが鳴らない。これは生徒に時間の意識を持って欲しいからである。
[編集] 参考資料
以上の一部の文章は山形県立寒河江高等学校生徒手帳からである。沿革、歴代校長の項目は長陵同窓会誌から抜粋した。年間行事は平成19年度年間計画表によるものである。
[編集] 出身有名人
- 板垣清一郎(元山形県知事)
- 松浦東介(元自由民主党衆議院議員)
- 菅野晴夫(癌病理学者)
- 斎藤脩(JFEエンジニアリング社長)
- 中村晃(作家)
- 鬼海弘雄(写真家)
- 佐藤誠六(寒河江市市長)
- 宮崎和加子(看護師 / 訪問看護の先駆け)
- 片桐千晶(秋田テレビアナウンサー)
- 安孫子真哉(銀杏BOYZ)
[編集] 関連項目
- 山形県高等学校一覧
- 日本の農業高等学校一覧
- 学校記事一覧
- 旧制中学校
- 神奈川県立寒川高等学校 寒河江市と友好都市である神奈川県寒川町にあり、略称が同じく「寒高」となっている。