フン族
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フン族(フンぞく, Hun)はローマ帝国に侵入したことで知られる遊牧民の集団、あるいはそれによって構築された遊牧国家。
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[編集] 概要
王名などの分析から言語学的にはテュルクに属するという説があるがそれ以外の言語学的資料も少なく不詳。
また、漢代に分裂した匈奴(現代中国語ではション・ヌーに近い発音であるが、古中国語ではHungnu, フンヌと発音すると推定されている)のうち北匈奴と同一の部族とする説もある。この説は非常に有名であり、フン族について語られる時大抵は言及される。
ただし、論拠は事実上名称の類似のみであり、大半の学者はフン族と匈奴の関連性について、断定的な態度はとっていない。遊牧民の集団は首長家の婚姻や政治的連合によって集団構成要素が容易に変動するため、フン族集団が匈奴の西走集団と系譜的につながるとしても、中国北方で活動した匈奴国家の部民がそのままの形で西方にフン族として登場した可能性は疑問視されている。西ゴート族襲撃以前のフン族について、正確にわかることは何も無いのが現状である。
[編集] 移動理由
フン族の移動については、当時の北アジア・中央アジアに至る草原地帯の地域的気候変動が遊牧経済に打撃を与えたことが彼らの大移動の要因になっているとする説がある。
[編集] 歴史
- 3世紀頃 - 北匈奴がカザフスタンに移動、その後ヴォルガ川やドン川の流域に到達したとされる。
- 375年 - 東ゴート族を征服し西ゴート族を追い出し、ゲルマン民族の大移動の原因を作った。その後、パンノニア平原へ侵入し、ここを拠点とした。
- 433年 - 西ローマの将軍アエティウスとの取引により、軍事力提供の見返りにパンノニア(とイリュリクムの一部)の支配を西ローマ帝国に認められる。
- 441年頃 - アッティラ大王を戴いて東ローマ帝国に侵入、大帝国を築く。
- 451年 - ガリアに侵入するが、カタラウヌムの戦いに敗れ撤退する(史実的には痛み分け)。西ローマ帝国の勝利には傭兵となったゲルマン人の影響力は否定出来ない。
- 452年 - イタリアに侵入するが、教皇レオ1世の説得により引き返す。
- (実際は、フン族の兵士がマラリアに集団感染したため、と言われている)
- 453年 - 自身の婚礼の祝宴の席で40歳のアッティラが死亡する(脳溢血または脳梗塞という説が有力である)。アッティラの若すぎる死により、帝国は内紛により崩壊。統一がとれなくなったフン族はその後周辺の他民族と同化するなどしたため、フン族として統合された活動は歴史上から姿を消した。
- ※ヨーロッパでは、ローマ教皇の忠告を守らなかったアッティラに神の天罰が下り死亡、残された部下は天罰を恐れ、ローマ教皇の忠告を守り、夕日を背にして生まれ故郷の東方に帰っていった、という非常に有名な伝承が残っている。
- ※この事件をキリスト教が布教活動に利用。ヨーロッパでその後1,000年近く続く、王や諸侯よりも強大なキリスト教の権威が生まれる切っ掛けになった、と言われている。
[編集] 外部リンク
- Die Hunnen bei steppenreiter.de/
- Liste der hunnischen Könige
- Hsiung-nu (englisch)
- ZDF: Der Hunnensturm über Europa
- HomePage der Ausstellung Reitervölker aus dem Osten, Hunnen + Awaren, Burgenländische Landesausstellung 1996
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