アッティラ
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アッティラ(Attila,ドイツ語ではエッツェル Etzel 、原語ではアキラ 406年? - 453年)はフン族の王。自らを「神の災い」と称した。大王とも呼ばれている(この場合の神とはキリスト教のことであり、キリスト教国に対して災いとなる、世界の大王を自称していた)。
433年、ローマへの侵入を繰り返していたフン族の圧力に耐えかね、西ローマ帝国がフン族にパンノニア(現在のハンガリー)を割譲。
434年、叔父の死後、兄弟ブレダとともに、フン族の王となる。
445年、ブレダを殺害し単独の王となる。東ゴート族などのゲルマン人一派を従え勢力を拡大、パンノニアに本拠を置きローマ帝国にも侵入を繰り返し、短期期間でライン川、ドナウ川、カスピ海に渡る巨大な帝国を築き上げる。
451年6月20日、ローマ帝国の征服を目指しガリアのカタラウヌムで、幼少の頃人質としてフン族に育てられたローマの将軍アエティウス指揮下の西ローマ、西ゴート連合軍と戦う。しかし、アエティウスの(フン族の戦術の裏をかく)巧みな戦術に敗れる。
452年戦略を修正し、直接西ローマ帝国に侵攻。北イタリアのミラノなどの都市を陥れ、西ローマ帝国から莫大な賠償金を手に入れる。しかし進軍を止めることなく首都ローマの征服を目指すが、教皇レオ1世の説得によって撤退したとされている。
- ※実際は、フン族の兵士にマラリアが蔓延したため、といわれている。
453年、40歳のアッティラは、自らの婚礼の酒宴の席で泥酔、そのまま死亡(従来は、鼻血による窒息死とされていたが、現在では脳溢血により死亡したとされている。
アッティラには多数の妃と子があり、後継者を指名せず急死したのが災いし、帝国は後継者争いにより分裂した (フン族は遊牧民であったため、領土や国家という概念が希薄であり、現在の概念としての国家を形作る事はなかった)。