ハルキウ
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ハリコフ(ハリコフ、ハルキヴとも;ウクライナ語:Харківハールキウ;ラテン文字転写の例:Kharkiv、Charkiw;ハリコフ;ロシア語:Харьковハーリカフ;ラテン文字転写の例:Khar’kov、Kharkov、Char’kow)は、ウクライナ北東部の都市である。ハルキウ州の州都。人口は約200万人。人口ではキエフに次いでウクライナで2番目に大きな都市である。ウクライナの工業の中心で、旧ソビエト連邦においても、モスクワ、レニングラードに次ぐ第3の工業都市であった。特に、機械工業、兵器製造(戦車等)、航空機生産、トラクター生産が盛んである。
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[編集] 概要
17世紀中ごろにウクライナ・コサックによって建設された。ロシア帝国の要塞が築かれ、南部の軍事的拠点とされていた。19世紀以降、工業都市として急速に発展した。そのため、ロシア人の入植が大規模に行われ、また産業の発展に伴いユダヤ人人口も増加した。
1917年から1934年まで、ハルキウはウクライナにおけるボリシェヴィキ・ソビエト勢力の拠点とされ、同派のウクライナ人民共和国、ウクライナ社会主義ソビエト共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都となった。これは、国内戦期に民族主義の盛んであったキエフを避けてのことであったとされる。また、労働者(ロシア人・ユダヤ人)人口が多かったこと、都市が十分に発達していたことなどが、都市民に支持基盤を置くボリシェヴィキにとって都合のよい点であった。
第二次世界大戦でドイツ軍に占領されたが、1943年8月23日にソ連軍が奪回した。ドイツ軍の占領下で何万人もの住民が虐殺されたといわれる。
1805年に開設されたハルキウ大学があり、文化・教育の中心地でもある。2004年には建都350年が祝われた。
[編集] 有名な出身者
- アドルフ・ムーロン・カッサンドル - 1920年代から1930年代にかけてキュビズムの影響を受けた多くの作品を生み出したグラフィックデザイナー。
- サイモン・クズネッツ - 1971年にアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞を受賞した経済学者。
- ユーラ・ゾイファー - 1930年代にオーストリアで活躍した政治的作家。
- ウラジーミル・ドリンフェルト - 1990年にフィールズ賞を受賞した数学者。
- イゴール・ボブチャンチン - PRIDEリングで活躍する総合格闘家。