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デレク・ジーター - Wikipedia

デレク・ジーター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デレク・ジーター
Derek Jeter
ニューヨーク・ヤンキース No.2

基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ニュージャージー州ペカノック
生年月日 1974年6月26日(33歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5cm
195 lb =約88.5kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 遊撃手
プロ入り 1992年 1巡目(全体6位)ニューヨーク・ヤンキース
初出場 1995年5月29日 マリナーズ
年俸 21,600,000ドル[1](2008年)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

デレク・サンダーソン・ジーターDerek Sanderson Jeter1974年6月26日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノック出身の野球選手遊撃手、右投右打。現在はMLBニューヨーク・ヤンキース所属。

目次

[編集] 経歴

[編集] アマチュア時代

アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノックにて黒人である父チャールズ、白人である母ドロシーの間に生まれ、ミシガン州カラマズーで育つ。家族には他に妹のシャーリーがいる。

大学野球でショートを守っていた父親の影響で5歳の頃から野球を始める[要出典]。お気に入りの選手はデーブ・ウィンフィールドで風貌が父親に似ていたことと、偶然にも父親と同じ分野の慈善事業に携わっていたことが大きいという[要出典]。高校時代から頭角をあらわし、1992年にはアメリカ野球コーチ連盟(The American Baseball Coaches Association)から高校年間最優秀選手賞(The High School Player of the Year)に選出されている。

[編集] マイナー時代

その年の6月1日のドラフトでニューヨーク・ヤンキースから1巡目(全米6位)で指名を受け入団し、その際には両親が、オフに大学へ通ってもよいという条項を入れさせた[要出典]。実際に1992年のオフに一学期間、ミシガン大学アナーバー校へ通った[要出典]。しかし、翌1993年オフは球団から守備の強化練習を命ぜられため大学のクラス登録に間に合わなかった[要出典]。。

マイナーリーグAグリーンズボロからスタート。入団当初は守備に難があり、あまりのエラーの多さから遊撃のポジションから外されかけた経験がある[要出典]。家族への愛着がひときわ強く、ホームシックにかかり、給料のほとんどをつぎ込んで毎日長距離電話で両親に電話をしていたという[要出典]。その後順当にA級タンパ、AA級オルバニー、AAA級コロンバスと昇格していった。1994年にはマイナーリーグでの通算打率.344を残し、マイナーリーグ年間最優秀選手賞(Minor League Player of the Year)に選出される。

[編集] ニューヨーク・ヤンキース

1995年に怪我で戦列を離れたトニー・フェルナンデスの代役としてメジャー昇格を果たし、5月29日のマリナーズ戦でデビュー。13試合に出場し、打率.234・0本塁打・6打点の成績で6月11日にマイナーへ降格したが、9月3日にメジャー昇格を果たし、その後2試合に出場しシーズンを終えた[1]

1996年には、1962年のトム・トレッシュ以来となるルーキーでの開幕スタメン遊撃手に抜擢され、ソロ本塁打を放つなど、インディアンスへの 7-1 の勝利に貢献している[2]9月5日から9月27日にかけて17試合連続安打と新人選出しては球団史上ジョー・ディマジオの18試合に次ぐ最長記録となった[2]。この年にレギュラーに定着し、3割1分4厘の打率を残し新人王を満票で受賞[3]。同年のポストシーズンも活躍し、ヤンキースにとって18年ぶりのワールドチャンピオン奪取に大きく貢献した。

1997年は159試合に出場し、打率.291・10本塁打・70打点と前年以下の数字となった。1998年6月4日から初の故障者リスト入りとなり12試合に欠場した[4]。8月には50安打を放ち、球団史上ディマジオの53安打(1941年7月)以来の月間50安打を達成し[4]月間MVPに選出された。この年トータルで打率.324・19本塁打・84打点を記録し、MVPの投票で3位に入った。本塁打数はロイ・スモーリーの遊撃手としての球団記録16を更新し、203安打を放ち、遊撃手として球団史上2人目となる200本安打を達成した[4]

1999年、リーグ最多の219安打を放ち、リーグ2位の打率.339と134得点を記録した。

ヤンキースは1998年から2000年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成し、ジーターもその中で大きな役割を果たす。2001年にヤンキースと総額1億8,900万ドルの10年契約を結んだ。2003年6月には、ドン・マッティングリーが1991年 - 1995年に務めて以来空位となっていた、ヤンキース11代目のキャプテンに就任した。

2006年ワールド・ベースボール・クラシック米国代表の一員として出場し、チームは2次リーグで敗退したものの、自身はベストナイン(遊撃手部門)に選出された。その後開幕したシーズンでは打率.343(リーグ2位)、213安打(リーグ3位)と打撃面で好成績を残し、ゲーリー・シェフィールド松井秀喜が故障離脱するなど苦しいチームを地区優勝に導いたとしてMVP候補の最右翼に挙げられた[5]。結果はジャスティン・モルノーツインズ)にMVPを譲ったものの、ハンク・アーロン賞シルバースラッガー賞を受賞した。

[編集] ポストシーズン

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ヤンキースは1996年1998年から2000年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成し、ジーターはその中心選手として活躍。

2001年はアメリカ同時多発テロ事件の影響からワールドシリーズが史上初の11月開催となり、そこでの活躍から「ミスター・ノベンバーMr.November )」異名がつけられた。

[編集] 特徴

[編集] 打撃

  • 1996年から2003年までの間、年間平均で約111もの三振を喫しており、2番打者としては比較的多かった。ただし、当時としては2番・遊撃というポジションでジーターほどの攻撃力を見せる選手はほとんどいなかった。
  • アレックス・ロドリゲスアルバート・プホルスマニー・ラミレスなどのようなパワーが無く、個人成績で他を圧倒するものがないので超一流にはカテゴライズされないが、走攻(長打・打率・盗塁)という守備を除く全ての分野でどの選手と比較しても必ず何かで勝るという高い次元でバランスの取れた選手である。また、長期に渡り安定した成績を残してきた実績は高く評価されている。
  • 常に全力を注ぐ彼のプレイスタイルに対する評価は高く、MLBニューヨーク・メッツデビッド・ライトNFLニューイングランド・ペイトリオッツトム・ブレイディなど、ジーターに憧れて育った選手たちが各スポーツ界で活躍し始めている。
  • ポストシーズンワールドシリーズなど大舞台での活躍が多く、「ミスター・ノベンバーMr.November )」の異名を持つ。本来ワールドシリーズは毎年10月に行われるものであるが、2001年に限っては9・11テロの影響から史上初の11月開催となり、そこでの活躍からこの異名がつけられた。
  • ネクストバッターズサークルで打順を待っているときに、よく観客席の子供と話をしている姿が見られる。以前にコーチ陣から集中力の妨げになるとたしなめられたこともあったが、「子供たちと試合を楽しみたいんだ。自分には集中力に関する問題はない」と自分のスタイルを貫きとおしている。

[編集] 守備

彼の一つの特徴として、強烈な印象を残す守備が挙げられる。もっとも象徴的なものとして語られるのが、2001年のアスレチックスとのALDS(アメリカンリーグ・ディビジョンシリーズ)第3戦で見せたプレイである。ヤンキースの1点リードで迎えた7回2死一塁からヤンキースの先発投手マイク・ムッシーナがアスレチックスのテレンス・ロングにライト線を破る長打を浴びる。右翼手シェーン・スペンサーが本塁に返球したところ、中継に入った一塁手ティノ・マルティネスの頭を超える悪送球になってしまう。ボールが本塁数メートル前の一塁側ファウルラインのあたりを転がるところにジーターが飛び込み、右手でつかんだボールをそのまま捕手ホルヘ・ポサダにバックトス、走者のジェレミー・ジアンビを間一髪でタッチアウトにする。当時アスレチックスのジェイソン・ジアンビフリーエージェントでヤンキースに入団した際、彼は真っ先に「おい、あのプレーの練習を見せろ」と言ったといわれている。

2007年8月に発行されたアメリカの雑誌『ベースボール・アメリカ』で発表されたアメリカンリーグ全監督の選考によるアメリカンリーグ部門別ベストツール選手ランキングにおいて、ジーターが「最も守備の上手いショート」部門で選出された。また、2004年から2006年まで3年連続でゴールドグラブ賞を受賞しており、一般に守備の評価は高い。ただしゴールドグラブ賞3年目である2006年に関していえば、セイバーメトリクスにおける守備力を測る指標であるゾーン・レイティング(ZR)、レンジ・ファクター(RF)、プラス・マイナス・システムではいずれもア・リーグの遊撃手中で低い数値であり、それ以外の様々な守備指標でも軒並み低い数値であった。以上のことから、上記の守備の評価を過大評価とするファンも少なくない。

[編集] ターン2ファウンデーション

慈善活動にも積極的で、ルーキー年の1996年9月に、子供たちを健全な生活スタイルに導くための組織を立ち上げたい意向を、当時ソーシャル・ワーカーをしていた父親に打ち明けるとともに仕事を止めて組織を運営してくれるよう依頼した。父親はジーターの決意が真剣であることを確認後、その方がより多くの人々を助けることができると考え承諾し、同年12月に「ターン2ファウンデーション」という組織を立ち上げた。やがて実務に忙殺される父親の体調を心配する母親と大学を卒業した妹も加わり、現在ではニューヨーク、ミシガン、フロリダ州タンパ地域で活動を展開している。

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 長打率 出塁率 OPS
1995 NYY 15 48 5 12 4 1 0 18 7 0 0 0 0 3 0 0 11 0 .250 .375 .294 .669
1996 NYY 157 582 104 183 25 6 10 250 78 14 7 6 9 48 1 9 102 13 .314 .430 .370 .800
1997 NYY 159 654 116 190 31 7 10 265 70 23 12 8 2 74 0 10 125 14 .291 .405 .370 .775
1998 NYY 149 626 127 203 25 8 19 301 84 30 6 3 3 57 1 5 119 13 .324 .481 .384 .864
1999 NYY 158 627 134 219 37 9 24 346 102 19 8 3 6 91 5 12 116 12 .349 .552 .438 .989
2000 NYY 148 593 119 201 31 4 15 285 73 22 4 3 3 68 4 12 99 14 .339 .481 .416 .896
2001 NYY 150 614 110 191 35 3 21 295 74 27 3 5 1 56 3 10 99 13 .311 .480 .377 .858
2002 NYY 157 644 124 191 26 0 18 271 75 32 3 3 3 73 2 7 114 14 .297 .421 .373 .794
2003 NYY 119 482 87 156 25 3 10 217 52 11 5 3 1 43 2 13 88 10 .324 .450 .393 .844
2004 NYY 154 643 111 188 44 1 23 303 78 23 4 16 2 46 1 14 99 19 .292 .471 .352 .823
2005 NYY 159 654 122 202 25 5 19 294 70 14 5 7 3 77 3 11 117 15 .309 .450 .389 .839
2006 NYY 154 623 118 214 39 3 14 301 97 34 5 7 4 69 4 12 102 13 .343 .483 .417 .900
2007 NYY 156 639 102 206 39 4 12 289 73 15 8 3 2 56 3 14 100 21 .322 .452 .388 .840
通算 13年 1835 7429 1379 2356 386 54 195 3435 933 264 70 67 39 761 29 129 1291 171 .317 .462 .388 .850

※数字は2007年までのもの。太字はリーグ1位。

[編集] 獲得タイトル・記録

※オールスターゲームとワールドシリーズで、両方のMVPを同じ年に受賞した選手は現在のところジーターのみである。

[編集] 脚注

  1. ^ "Derek Jeter 2007 Career Highlights (英語)" 2008年5月25日閲覧.
  2. ^ a b "Derek Jeter 1996 Career Highlights (英語)" 2008年5月25日閲覧.
  3. ^ "Baseball Awards Voting for 1996 - Baseball-Reference.com (英語)" 2008年5月25日閲覧.
  4. ^ a b c "Derek Jeter 1998 Career Highlights (英語)" 2008年5月25日閲覧.
  5. ^ 出野哲也「ア・リーグMVP&サイ・ヤング賞 真のMVPは誰だ!!」 『月刊スラッガー』104号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、8-13頁。

[編集] 外部リンク

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