デレク・ジーター
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デレク・ジーター Derek Jeter ニューヨーク・ヤンキース No.2 |
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニュージャージー州ペカノック |
生年月日 | 1974年6月26日(33歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5cm 195 lb =約88.5kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 遊撃手 |
プロ入り | 1992年 1巡目(全体6位)ニューヨーク・ヤンキース |
初出場 | 1995年5月29日 マリナーズ戦 |
年俸 | 21,600,000ドル[1](2008年) |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
デレク・サンダーソン・ジーター(Derek Sanderson Jeter、1974年6月26日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノック出身の野球選手。遊撃手、右投右打。現在はMLBニューヨーク・ヤンキース所属。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] アマチュア時代
アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノックにて黒人である父チャールズ、白人である母ドロシーの間に生まれ、ミシガン州カラマズーで育つ。家族には他に妹のシャーリーがいる。
大学野球でショートを守っていた父親の影響で5歳の頃から野球を始める[要出典]。お気に入りの選手はデーブ・ウィンフィールドで風貌が父親に似ていたことと、偶然にも父親と同じ分野の慈善事業に携わっていたことが大きいという[要出典]。高校時代から頭角をあらわし、1992年にはアメリカ野球コーチ連盟(The American Baseball Coaches Association)から高校年間最優秀選手賞(The High School Player of the Year)に選出されている。
[編集] マイナー時代
その年の6月1日のドラフトでニューヨーク・ヤンキースから1巡目(全米6位)で指名を受け入団し、その際には両親が、オフに大学へ通ってもよいという条項を入れさせた[要出典]。実際に1992年のオフに一学期間、ミシガン大学アナーバー校へ通った[要出典]。しかし、翌1993年オフは球団から守備の強化練習を命ぜられため大学のクラス登録に間に合わなかった[要出典]。。
マイナーリーグA級グリーンズボロからスタート。入団当初は守備に難があり、あまりのエラーの多さから遊撃のポジションから外されかけた経験がある[要出典]。家族への愛着がひときわ強く、ホームシックにかかり、給料のほとんどをつぎ込んで毎日長距離電話で両親に電話をしていたという[要出典]。その後順当にA級タンパ、AA級オルバニー、AAA級コロンバスと昇格していった。1994年にはマイナーリーグでの通算打率.344を残し、マイナーリーグ年間最優秀選手賞(Minor League Player of the Year)に選出される。
[編集] ニューヨーク・ヤンキース
1995年に怪我で戦列を離れたトニー・フェルナンデスの代役としてメジャー昇格を果たし、5月29日のマリナーズ戦でデビュー。13試合に出場し、打率.234・0本塁打・6打点の成績で6月11日にマイナーへ降格したが、9月3日にメジャー昇格を果たし、その後2試合に出場しシーズンを終えた[1]。
翌1996年には、1962年のトム・トレッシュ以来となるルーキーでの開幕スタメン遊撃手に抜擢され、ソロ本塁打を放つなど、インディアンスへの 7-1 の勝利に貢献している[2]。9月5日から9月27日にかけて17試合連続安打と新人選出しては球団史上ジョー・ディマジオの18試合に次ぐ最長記録となった[2]。この年にレギュラーに定着し、3割1分4厘の打率を残し新人王を満票で受賞[3]。同年のポストシーズンも活躍し、ヤンキースにとって18年ぶりのワールドチャンピオン奪取に大きく貢献した。
1997年は159試合に出場し、打率.291・10本塁打・70打点と前年以下の数字となった。1998年6月4日から初の故障者リスト入りとなり12試合に欠場した[4]。8月には50安打を放ち、球団史上ディマジオの53安打(1941年7月)以来の月間50安打を達成し[4]、月間MVPに選出された。この年トータルで打率.324・19本塁打・84打点を記録し、MVPの投票で3位に入った。本塁打数はロイ・スモーリーの遊撃手としての球団記録16を更新し、203安打を放ち、遊撃手として球団史上2人目となる200本安打を達成した[4]。
1999年、リーグ最多の219安打を放ち、リーグ2位の打率.339と134得点を記録した。
ヤンキースは1998年から2000年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成し、ジーターもその中で大きな役割を果たす。2001年にヤンキースと総額1億8,900万ドルの10年契約を結んだ。2003年6月には、ドン・マッティングリーが1991年 - 1995年に務めて以来空位となっていた、ヤンキース11代目のキャプテンに就任した。
2006年、ワールド・ベースボール・クラシックに米国代表の一員として出場し、チームは2次リーグで敗退したものの、自身はベストナイン(遊撃手部門)に選出された。その後開幕したシーズンでは打率.343(リーグ2位)、213安打(リーグ3位)と打撃面で好成績を残し、ゲーリー・シェフィールドや松井秀喜が故障離脱するなど苦しいチームを地区優勝に導いたとしてMVP候補の最右翼に挙げられた[5]。結果はジャスティン・モルノー(ツインズ)にMVPを譲ったものの、ハンク・アーロン賞とシルバースラッガー賞を受賞した。
[編集] ポストシーズン
ヤンキースは1996年と1998年から2000年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成し、ジーターはその中心選手として活躍。
2001年はアメリカ同時多発テロ事件の影響からワールドシリーズが史上初の11月開催となり、そこでの活躍から「ミスター・ノベンバー(Mr.November )」異名がつけられた。
[編集] 特徴
[編集] 打撃
- 1996年から2003年までの間、年間平均で約111もの三振を喫しており、2番打者としては比較的多かった。ただし、当時としては2番・遊撃というポジションでジーターほどの攻撃力を見せる選手はほとんどいなかった。
- アレックス・ロドリゲス、アルバート・プホルス、マニー・ラミレスなどのようなパワーが無く、個人成績で他を圧倒するものがないので超一流にはカテゴライズされないが、走攻(長打・打率・盗塁)という守備を除く全ての分野でどの選手と比較しても必ず何かで勝るという高い次元でバランスの取れた選手である。また、長期に渡り安定した成績を残してきた実績は高く評価されている。
- 常に全力を注ぐ彼のプレイスタイルに対する評価は高く、MLBニューヨーク・メッツのデビッド・ライトやNFLニューイングランド・ペイトリオッツのトム・ブレイディなど、ジーターに憧れて育った選手たちが各スポーツ界で活躍し始めている。
- ポストシーズンやワールドシリーズなど大舞台での活躍が多く、「ミスター・ノベンバー(Mr.November )」の異名を持つ。本来ワールドシリーズは毎年10月に行われるものであるが、2001年に限っては9・11テロの影響から史上初の11月開催となり、そこでの活躍からこの異名がつけられた。
- ネクストバッターズサークルで打順を待っているときに、よく観客席の子供と話をしている姿が見られる。以前にコーチ陣から集中力の妨げになるとたしなめられたこともあったが、「子供たちと試合を楽しみたいんだ。自分には集中力に関する問題はない」と自分のスタイルを貫きとおしている。
[編集] 守備
彼の一つの特徴として、強烈な印象を残す守備が挙げられる。もっとも象徴的なものとして語られるのが、2001年のアスレチックスとのALDS(アメリカンリーグ・ディビジョンシリーズ)第3戦で見せたプレイである。ヤンキースの1点リードで迎えた7回2死一塁からヤンキースの先発投手マイク・ムッシーナがアスレチックスのテレンス・ロングにライト線を破る長打を浴びる。右翼手のシェーン・スペンサーが本塁に返球したところ、中継に入った一塁手のティノ・マルティネスの頭を超える悪送球になってしまう。ボールが本塁数メートル前の一塁側ファウルラインのあたりを転がるところにジーターが飛び込み、右手でつかんだボールをそのまま捕手のホルヘ・ポサダにバックトス、走者のジェレミー・ジアンビを間一髪でタッチアウトにする。当時アスレチックスのジェイソン・ジアンビがフリーエージェントでヤンキースに入団した際、彼は真っ先に「おい、あのプレーの練習を見せろ」と言ったといわれている。
2007年8月に発行されたアメリカの雑誌『ベースボール・アメリカ』で発表されたアメリカンリーグ全監督の選考によるアメリカンリーグ部門別ベストツール選手ランキングにおいて、ジーターが「最も守備の上手いショート」部門で選出された。また、2004年から2006年まで3年連続でゴールドグラブ賞を受賞しており、一般に守備の評価は高い。ただしゴールドグラブ賞3年目である2006年に関していえば、セイバーメトリクスにおける守備力を測る指標であるゾーン・レイティング(ZR)、レンジ・ファクター(RF)、プラス・マイナス・システムではいずれもア・リーグの遊撃手中で低い数値であり、それ以外の様々な守備指標でも軒並み低い数値であった。以上のことから、上記の守備の評価を過大評価とするファンも少なくない。
[編集] ターン2ファウンデーション
慈善活動にも積極的で、ルーキー年の1996年9月に、子供たちを健全な生活スタイルに導くための組織を立ち上げたい意向を、当時ソーシャル・ワーカーをしていた父親に打ち明けるとともに仕事を止めて組織を運営してくれるよう依頼した。父親はジーターの決意が真剣であることを確認後、その方がより多くの人々を助けることができると考え承諾し、同年12月に「ターン2ファウンデーション」という組織を立ち上げた。やがて実務に忙殺される父親の体調を心配する母親と大学を卒業した妹も加わり、現在ではニューヨーク、ミシガン、フロリダ州タンパ地域で活動を展開している。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | 球団 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 長打率 | 出塁率 | OPS |
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1995 | NYY | 15 | 48 | 5 | 12 | 4 | 1 | 0 | 18 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 11 | 0 | .250 | .375 | .294 | .669 |
1996 | NYY | 157 | 582 | 104 | 183 | 25 | 6 | 10 | 250 | 78 | 14 | 7 | 6 | 9 | 48 | 1 | 9 | 102 | 13 | .314 | .430 | .370 | .800 |
1997 | NYY | 159 | 654 | 116 | 190 | 31 | 7 | 10 | 265 | 70 | 23 | 12 | 8 | 2 | 74 | 0 | 10 | 125 | 14 | .291 | .405 | .370 | .775 |
1998 | NYY | 149 | 626 | 127 | 203 | 25 | 8 | 19 | 301 | 84 | 30 | 6 | 3 | 3 | 57 | 1 | 5 | 119 | 13 | .324 | .481 | .384 | .864 |
1999 | NYY | 158 | 627 | 134 | 219 | 37 | 9 | 24 | 346 | 102 | 19 | 8 | 3 | 6 | 91 | 5 | 12 | 116 | 12 | .349 | .552 | .438 | .989 |
2000 | NYY | 148 | 593 | 119 | 201 | 31 | 4 | 15 | 285 | 73 | 22 | 4 | 3 | 3 | 68 | 4 | 12 | 99 | 14 | .339 | .481 | .416 | .896 |
2001 | NYY | 150 | 614 | 110 | 191 | 35 | 3 | 21 | 295 | 74 | 27 | 3 | 5 | 1 | 56 | 3 | 10 | 99 | 13 | .311 | .480 | .377 | .858 |
2002 | NYY | 157 | 644 | 124 | 191 | 26 | 0 | 18 | 271 | 75 | 32 | 3 | 3 | 3 | 73 | 2 | 7 | 114 | 14 | .297 | .421 | .373 | .794 |
2003 | NYY | 119 | 482 | 87 | 156 | 25 | 3 | 10 | 217 | 52 | 11 | 5 | 3 | 1 | 43 | 2 | 13 | 88 | 10 | .324 | .450 | .393 | .844 |
2004 | NYY | 154 | 643 | 111 | 188 | 44 | 1 | 23 | 303 | 78 | 23 | 4 | 16 | 2 | 46 | 1 | 14 | 99 | 19 | .292 | .471 | .352 | .823 |
2005 | NYY | 159 | 654 | 122 | 202 | 25 | 5 | 19 | 294 | 70 | 14 | 5 | 7 | 3 | 77 | 3 | 11 | 117 | 15 | .309 | .450 | .389 | .839 |
2006 | NYY | 154 | 623 | 118 | 214 | 39 | 3 | 14 | 301 | 97 | 34 | 5 | 7 | 4 | 69 | 4 | 12 | 102 | 13 | .343 | .483 | .417 | .900 |
2007 | NYY | 156 | 639 | 102 | 206 | 39 | 4 | 12 | 289 | 73 | 15 | 8 | 3 | 2 | 56 | 3 | 14 | 100 | 21 | .322 | .452 | .388 | .840 |
通算 | 13年 | 1835 | 7429 | 1379 | 2356 | 386 | 54 | 195 | 3435 | 933 | 264 | 70 | 67 | 39 | 761 | 29 | 129 | 1291 | 171 | .317 | .462 | .388 | .850 |
※数字は2007年までのもの。太字はリーグ1位。
[編集] 獲得タイトル・記録
- ア・リーグ新人王:1996年
- ワールドシリーズMVP 1回:2000年
- シルバースラッガー賞 2回:2006年、2007年
- ゴールドグラブ賞 3回:2004年 - 2006年
- ハンク・アーロン賞 1回:2006年
- ベーブ・ルース賞 1回:2000年
- MLBオールスターゲーム選出 8回:1998年 - 2002年、2004年、2006年、2007年
- オールスターMVP 1回:2000年
※オールスターゲームとワールドシリーズで、両方のMVPを同じ年に受賞した選手は現在のところジーターのみである。
[編集] 脚注
- ^ "Derek Jeter 2007 Career Highlights (英語)" 2008年5月25日閲覧.
- ^ a b "Derek Jeter 1996 Career Highlights (英語)" 2008年5月25日閲覧.
- ^ "Baseball Awards Voting for 1996 - Baseball-Reference.com (英語)" 2008年5月25日閲覧.
- ^ a b c "Derek Jeter 1998 Career Highlights (英語)" 2008年5月25日閲覧.
- ^ 出野哲也「ア・リーグMVP&サイ・ヤング賞 真のMVPは誰だ!!」 『月刊スラッガー』104号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、8-13頁。
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- Derek Jeter.com
- デレク・ジーター ヤンキース選手一覧 (日本語)
獲得タイトル・表彰 | |||||||||
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投手 | 63 ジョナサン・アルバラデホ / 64 アンドリュー・ブラックマン / 47 クリス・ブリットン / 33 ブライアン・ブルーニー / 62 ジョバ・チェンバレン / 48 カイル・ファーンズワース / 38 ダン・ギース / 22 ラトロイ・ホーキンス / 34 フィル・ヒューズ / 29 井川慶 / 58 ジェフ・カーステンス / 31 イアン・ケネディ / 71 ジェフリー・マルケス / 35 マイク・ムッシーナ / 39 ロス・オーレンドフ / 30 スコット・パターソン / 45 カール・パバーノ / -- オネリ・ペレス / 46 アンディ・ペティット / 36 エドワー・ラミレス / 43 ダレル・ラズナー / 42 マリアノ・リベラ / 77 ハンベルト・サンチェス / 61 ビリー・トレーバー / 41 ホセ・ベラス / 40 王建民 / 82 スティーブン・ホワイト / 65 チェイス・ライト |
捕手 | 85 フランシスコ・サーベリ / 19 チャド・モーラー / 26 ホセ・モリーナ / 20 ホルヘ・ポサダ / -- クリス・スチュワート |
内野手 | 14 ウィルソン・ベテミット / 24 ロビンソン・カノ / 25 ジェイソン・ジアンビ / 12 アルベルト・ゴンザレス / 2 デレク・ジーター / 72 フアン・ミランダ / 13 アレックス・ロドリゲス |
外野手 | 53 ボビー・アブレイユ / 28 メルキー・カブレラ / 18 ジョニー・デイモン / 17 シェリー・ダンカン |
指名打者 | 55 松井秀喜 |
監督・コーチ | 27 ジョー・ジラルディ(監督) / 59 ロブ・トムソン(ベンチコーチ) / 52 デイブ・アイランド(投手コーチ) / 54 ケビン・ロング(打撃コーチ) / 56 トニー・ペーニャ(一塁コーチ) / 50 ボビー・ミーチャム(三塁コーチ) / 60 リッチ・モンテレオーネ(特別投手インストラクター) / 57 マイク・ハーキー(ブルペンコーチ) |
公式サイト(英語)より 40人ロースター 監督・コーチ一覧 2008年6月18日更新 |
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2 デレク・ジーター / 12 ウェイド・ボッグス / 13 ジム・レイリッツ / 17 ケニー・ロジャース / 18 マリアーノ・ダンカン / 19 ルイス・ソーホ / 20 マイク・アルドレーテ / 21 ポール・オニール / 22 ジミー・キー / 24 ティノ・マルティネス / 25 ジョー・ジラルディ / 26 アンディ・フォックス / 27 グレイム・ロイド / 31 ティム・レインズ / 33 チャーリー・ヘイズ / 35 ジョン・ウェッテランド / 36 デービッド・コーン / 39 ダリル・ストロベリー / 41 ブライアン・ベーリンガー / 42 マリアノ・リベラ / 43 ジェフ・ネルソン / 45 セシル・フィルダー / 46 アンディ・ペティット / 51 バーニー・ウィリアムス / 52 デビッド・ウェザース 監督 6 ジョー・トーリ |
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2 デレク・ジーター / 11 チャック・ノブロック / 18 スコット・ブロシアス / 20 ホルヘ・ポサダ / 21 ポール・オニール / 22 ホーマー・ブッシュ / 24 ティノ・マルティネス / 25 ジョー・ジラルディ / 26 オーランド・ヘルナンデス / 27 グレアム・ロイド / 29 マイク・スタントン / 33 デービッド・ウェルズ / 36 デービッド・コーン / 38 リッキー・レディ / 42 マリアノ・リベラ / 43 ジェフ・ネルソン / 45 チリ・デービス / 46 アンディ・ペティット / 47 シェーン・スペンサー / 51 バーニー・ウィリアムス / 55 ラミロ・メンドーサ 監督 6 ジョー・トーリ |
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2 デレク・ジーター / 11 チャック・ノブロック / 13 ジム・レイリッツ / 17 リッキー・レディ / 18 スコット・ブロシアス / 19 ルイス・ソーホ / 20 ホルヘ・ポサダ / 21 ポール・オニール / 22 ロジャー・クレメンス / 24 ティノ・マルティネス / 25 ジョー・ジラルディ / 26 オーランド・ヘルナンデス / 28 チャド・カーティス / 29 マイク・スタントン / 36 デービッド・コーン / 38 ジェーソン・グリムズリー / 39 ダリル・ストロベリー / 42 マリアノ・リベラ / 43 ジェフ・ネルソン / 45 チリ・デービス / 46 アンディ・ペティット / 51 バーニー・ウィリアムス / 55 ラミロ・メンドーサ 監督 6 ジョー・トーリ |
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2 デレク・ジーター / 11 チャック・ノブロック / 12 デニー・ネイグル / 13 ホセ・ビスカイーノ / 14 ルイス・ソーホ / 18 スコット・ブロシアス / 19 ルイス・ポローニア / 20 ホルヘ・ポサダ / 21 ポール・オニール / 22 ロジャー・クレメンス / 24 ティノ・マルティネス / 26 オーランド・ヘルナンデス / 28 デービッド・ジャスティス / 29 マイク・スタントン / 31 グレナレン・ヒル / 33 ホセ・カンセコ / 35 クレイ・ベリンジャー / 36 デービッド・コーン / 42 マリアノ・リベラ / 43 ジェフ・ネルソン / 46 アンディ・ペティット / 51 バーニー・ウィリアムス 監督 6 ジョー・トーリ |
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投手 | 19 アル・ライター / 20 ヒューストン・ストリート / 22 ロジャー・クレメンス / 32 チャド・コルデロ / 35 ドントレル・ウィリス / 36 ジョー・ネイサン / 38 ゲイリー・マジュースキー / 39 ダン・ウィーラー / 40 ブライアン・フエンテス / 45 ジェイク・ピービー / 50 マイク・ティムリン / 54 ブラッド・リッジ / 59 トッド・ジョーンズ / 61 スコット・シールズ |
捕手 | 8 マイケル・バレット / 24 ブライアン・シュナイダー / 33 ジェイソン・バリテック |
内野手 | 1 マイケル・ヤング / 2 デレク・ジーター / 10 チッパー・ジョーンズ / 13 アレックス・ロドリゲス / 23 マーク・テシェイラ / 25 デレク・リー / 26 チェイス・アトリー |
外野手 | 3 ケン・グリフィー・ジュニア / 5 マット・ホリデー / 6 バーノン・ウェルズ / 7 ジェフ・フランコーア / 18 ジョニー・デイモン / 21 ランディ・ウィン |
監督・コーチ | 31 バック・マルティネス(監督) |