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マニー・ラミレス - Wikipedia

マニー・ラミレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マニー・ラミレス
Manny Ramírez
ボストン・レッドソックス No.24

打席に立つマニー・ラミレス

基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 ドミニカ共和国 サントドミンゴ
生年月日 1972年5月30日(36歳)
身長
体重
6' 0" =約182.8cm
200 lb =約90.7kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 左翼手
プロ入り 1991年 ドラフト1巡目
初出場 1993年9月2日
年俸 $18,929,923[1](2008年)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

マニー・ラミレスManuel Arístides "Manny" Ramírez1972年5月30日 - )はドミニカ共和国サントドミンゴ出身のアメリカメジャーリーグボストン・レッドソックスの外野手。右投げ右打ち。現代メジャーリーグ屈指の好打者であり、スラッガーである。驚異的に打点を稼ぐことからアメリカではRBI Machineとも呼ばれる。

目次

[編集] 経歴

ドミニカ共和国のサント・ドミンゴで生まれ、13歳の頃に家族と共にニューヨークへ移り住む。ジョージ・ワシントン高校を卒業後、ドラフト対象選手となりクリーブランド・インディアンスに1位(全米13位)指名を受け入団。

プロ1年目の1991年はルーキーリーグで59試合に出場し19HR、63打点で2冠王となる。他にも打率.326で3位、長打率・塁打数でもリーグ1位、4試合連続本塁打を記録するなどし、ベースボール・アメリカにショートシーズン・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。1992年1Aでプレー。この年はケガによる欠場もあったが、5月1日から6月30日にかけて47試合で47打点を記録するなど活躍した。

[編集] クリーブランド・インディアンス

1993年はAA級とAAA級で129試合に出場し打率.333、31本塁打、115打点を記録。9月1日にメジャーへ昇格、翌日のツインズ戦でメジャー初出場を果たす。デビュー戦の成績は4打数無安打に終わるが、翌日のヤンキース戦ではメジャー初安打に加えメジャー初本塁打も記録する。この日は4打数3安打、二塁打1・本塁打2・打点3・得点3と大活躍であった。この年のメジャーでの出場は22試合、打率.170、2HR、5打点を記録。この年のマイナーリーグ・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。

1994年にメジャーに定着し、安打数、二塁打、本塁打、打点など、ほとんどの打撃カテゴリーでア・リーグの新人中2位の成績をあげ、ア・リーグ新人王投票でも2位となる。

1995年にインディアンスの外野の定位置を確保(右翼)し137試合に出場。5月には打率.394、11本塁打、27打点、8二塁打の成績で初の月間MVPを獲得。8月4日ホワイトソックス戦では自身初の満塁本塁打を記録。また、監督推薦による初のオールスター出場を果たし、チームのワールドシリーズ進出にも貢献した(自身初のワールドシリーズでは本塁打も記録したが、ブレーブスに2勝4敗で敗退)。レギュラー・シーズンの成績は打率.308、31HR、107打点でシルバースラッガー賞を初受賞。因みに、23歳以下で30本塁打・100打点を記録した選手は大リーグ史上25人目(チーム史上2人目)、アルバート・ベルと共に放った本塁打の合計81本はコンビ合計本塁打のチーム歴代新記録である。また、チームと2000年シーズンまで4年の延長契約を結んでいる。

1996年は年間のグランドスラム3発はア・リーグトップタイ。また、ア・リーグ最多となる19の外野補殺を記録。

1997年チームの2年ぶりのワールドシリーズ進出に貢献した(7戦でマーリンズに敗退)。

1998年は前年から打率は下がったものの本塁打を量産し、監督推薦により2度目のオールスター出場を果たす。シーズン終盤の打撃は特に凄まじく、9月15日ブルージェイズ戦に1試合3本塁打、翌日にかけて4打数連続アーチ、更に9月15 - 19日の5試合で8本塁打と打ちまくった(5試合で8本塁打は1968年フランク・ハワード以来史上2人目)。ア・リーグMVP投票では6位に食い込んだ。また、この年の日米野球のメンバーとして来日し特大の本塁打を放っている。

1999年この年は打撃が好調で本塁打と打点を量産、「シーズン200打点を記録するのでは」と話題になり、オールスターにも初めてファン投票で選出される。9月30日のブルージェイズ戦、それまで161打点を稼いでいたラミレスは3ランホーマーを放ち、1936年にハル・トロウスキーが記録したシーズン162打点のチーム記録を更新する。結局147試合に出場し、打点王となる165打点の成績を残す。160打点以上は1938年に大打者ジミー・フォックスが175打点を記録して以来61年ぶり、2年連続の130打点以上はインディアンス史上初の快挙であった。また、1試合あたり1.12打点は1931年ベーブ・ルース1935年ハンク・グリーンバーグに並ぶ歴代10位タイ。打者の三冠部門においてすべてア・リーグ5位以内に入る活躍で、この年に設けられたハンク・アーロン賞、2度目のシルバースラッガー賞を受賞、MVP投票でも3位となる。

2000年4月9日デビルレイズ戦で通算200号本塁打を放つも5月にメジャー昇格後、初めて故障者リストに入る。39試合ぶりの復帰からシーズン終了までに71試合で打率.371、25本塁打、75打点と活躍するが、彼の長期離脱はチームに大きく影響しインディアンスはポストシーズン進出を逃してしまう。自身は6月18日アストロズ戦で通算1,000本安打、8月15日から9月5日まで自己最高となる20試合連続安打を記録。4度目となるオールスターにファン投票により選出されている。また、この年のオフにFAとなるラミレスの動向はシーズン前から注目されており、彼のシーズン最後の打席では地元ファンによる残留を求める熱烈な声援が送られた。彼はこの打席で特大の本塁打を放つが、結局これがインディアンスでの最後の打席となる。

FAの超目玉であるラミレスが示した希望額は8年1億6000万ドルという破格の金額であった。また、長くプレーしたいと思っていたラミレスは、将来的にDHになることを考えていたためア・リーグのチームを希望していた。これに対しヤンキースを始め複数の球団が獲得の意思を示したが、最終的には、ラミレス自身がプレーしたいインディアンスと、ラミレスの希望額の満額を唯一提示したレッドソックスに絞られた。インディアンスは球団の方針として、一人の選手に対してチームの合計サラリーの29%を超える年俸は支払わないことを決めていた為その範囲で支払える満額をオファーしていたが、ラミレスの希望額には及んでいなかった。結局、悩みぬいた末にラミレスはレッドソックスを選択、会見でレッドソックスのユニフォームに袖を通すと「ヤンキースが勝つのはもう見飽きた」とコメントし、打倒ヤンキースを誓う。これ程のラミレスの契約はアレックス・ロドリゲスの10年2億5200万ドルに次ぐ大型契約であった。

[編集] ボストン・レッドソックス

2001年レッドソックスへと移籍したラミレスのオープン戦での成績は打率.138、本塁打はたったの1本と散々な数字で批判が相次いだが、いざレギュラーシーズンに入るとその実力を発揮する。開幕戦からヒットを放つと、本拠地フェンウェイ・パーク初打席の初球をいきなり3ランホームラン。移籍後初のヤンキース戦では延長10回にマリアノ・リベラから2点タイムリーを放つなど、4月は打率.408、9HR、31打点の活躍で月間MVPを獲得する。優勝、個人タイトルは逃したものの、ノマー・ガルシアパーラら主力のケガ人が相次いだレッドソックス打線を引っ張り、MVP投票では9位にランクされた。また、シーズン前、伝統のレフトかDHかと話題になったポジションは、55試合でレフト、それ以外は主にDHであった。

2002年5月11日マリナーズ戦で、3回に味方のヒットで二塁から一気にホームへ突入するが、ヘッドスライディングの際に手の指を骨折してしまう。結局、故障者リスト入りしてしまうと39試合の欠場を余儀なくされ、復帰後も不調で打率が.310まで急降下してしまう。しかし夏場には本来の調子を取り戻し8月の月間打率は.373、とくに8月13日からシーズン最終戦までの44試合では打率.414を記録し、終わってみればシーズン通算で打率.349を記録し初のア・リーグ首位打者を獲得する。更に119試合の出場にとどまりながらア・リーグ9位となる33本塁打、打点は107で5度目のシルバースラッガー賞を獲得し、MVP投票でも9位につけた。また、この年6度目のオールスター出場も果たしている(4年連続となるファン選出)。

2003年、打率は1厘差でア・リーグ2位、本塁打は7位で185安打も自己ベスト。5年連続6度目のシルバースラッガー賞を受賞、MVP投票でも6位につける。オールスターにも先発出場を果たした。この年、チームメイトのデビッド・オルティーズトロット・ニクソンとはそれぞれ9回ずつアベックアーチを記録しており、年間の回数ではチーム歴代5位タイである。因みにこの年のレッドソックスはチームの年間長打率のメジャー新記録を樹立した。シーズンオフ、球団にアレックス・ロドリゲスとのトレードの動きがあったが成立寸前に破談となる。しかし、このことが原因でラミレスと球団フロントとの間に軋轢が生じることとなる。

2004年は43本塁打で初のア・リーグ本塁打王となり、打率・打点・本塁打の打撃主要3部門全てを獲得した打者となる。30本塁打・100打点以上は7年連続(この7年では他にアレックス・ロドリゲスだけ)。満塁弾も2本放っており通算17本は歴代5位、当時の現役ではロビン・ベンチュラに次ぐ2位。7度目のシルバースラッガー賞受賞、MVP投票では3位、8度目のオールスターではロジャー・クレメンスから2ランアーチを放っている。また、同僚のオルティーズとは、ア・リーグでは1931年のベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグのペア以来となる、共に3割・40本塁打・100打点を記録したペアとなり、大リーグ史上初の、共に40本塁打・40二塁打を記録したペアとなった。この年、米国籍も取得している。プレーオフでは全14試合に出場し60打数21安打、打率.350、2本塁打、11打点を記録。自身3度目となるワールドシリーズでは17打数7安打、打率.412、1本塁打、4打点と活躍。第3戦ではジム・エドモンズの飛球を捕るとすかさず本塁へダイレクト送球、見事にラリー・ウォーカーをしとめるファインプレーなどでチーム86年ぶりの世界制覇に大きく貢献し、ワールドシリーズMVPに選出されている。

2005年は9度目のオールスター出場(5年連続ファン選抜)、8度目のシルバースラッガー賞受賞、MVP投票では4位につける。歴代8人目の8年連続30本塁打・100打点プレーヤーとなる。12.3打数に1本の本塁打率、3.8打数に1打点の打点率、外野補殺17は全てア・リーグ1位。グランドスラム3本はア・リーグトップタイ。通算満塁本塁打数を20に伸ばしゲーリッグの23本に次ぐ歴代2位としている。本塁打はア・リーグ3位、打点は2位の記録である。この2シーズン(2004年・2005年)のオルティーズとのコンビは特に凄まじく、2年で打った合計の本塁打は共にメジャー最多の88本、打点はオルティーズがメジャートップで計287打点、2位がラミレスで274打点を記録。これらの数字は1930年-31年にルースが49HR・153打点と46HR・163打点、ゲーリッグが41HR・174打点と46HR・184打点を記録して以来の数字である。因みに2人共に2年連続40HRは球団史上初の快挙。また、05年だけでも、2人で計92HRは球団新記録、計292打点は1949年テッド・ウィリアムズとヴァーン・ステフェンズが記録した318打点(159+159)に次ぐチーム歴代2位、共に40本塁打・140打点以上は1931年のルース、ゲーリッグ以来となるメジャー史上74年ぶりの記録であった。オフには、もうレッドソックスではプレーしないと公言し、球団側もトレード交渉を進めるが高額のサラリーがネックとなりことごとく破談に終わっている。また、WBCドミニカ共和国代表に選出されていたが大会直前になって突然辞退した。

2006年は8年連続9度目のシルバースラッガー賞。開幕から16試合本塁打なしと出遅れたが、6月10日レンジャーズ戦で、史上31人目となる通算450号本塁打を達成。7月1日マーリンズ戦では通算2000本安打を本塁打で達成した。さらに8月3日のインディアンス戦では史上46人目となる1500打点を達成するなど、節目となる記録が相次いだ。また、7月15日から8月12日まで27試合連続安打を記録した。オールスターにファン投票で外野手1位の得票を集めて選出されるが、怪我のため辞退。8月中盤には打撃3部門いずれも5位までに入るなど安定感を見せていたが、右膝を痛めて休みがちとなり、チームのプレーオフ進出が困難となった8月終盤以降は数試合に出場するのみであった。

前年に引き続き主に4番打者として出場したが、3番オルティーズが54本塁打、長打率.636という成績だったこと、また5番にそれほどの打者がいなかったことで、彼の打席はオルティーズの一発で走者がいないか、走者がいても一塁が空いていれば四球で歩かされることが多く、彼にしては打点数が伸びず、一方で出塁率はトラビス・ハフナーと並ぶメジャートップの.439、四死球も少ない出場試合数で自己最多の100に上った。オフにはやはりトレード騒動が持ち上がった。チームが松坂大輔取得にあたって要する多額の資金を、ラミレス放出で埋め合わせするのではないかとの憶測のもと、ドジャースジャイアンツなど具体的な球団名とともに盛んに報道されたが、12月に入り、結局残留の方向で落ち着いた。

2007年シーズンは当初かつてないほどの不調に陥り、4月は.202、3本塁打、13打点と散々なスタートであった。5、6月は持ち直し、ともに月間3割を超える打率を残したが、打点と本塁打は低調のまま推移。結局.284、11本塁打、45打点で前半戦を終えたが、首位を独走するチーム状況もあって大きな批判を浴びることはなかった。オールスターのファン投票では外野手4位となり、9年連続のファン投票選出はならなかったが、選手間投票により10年連続の選出。8月末からわき腹痛となり、チームのプレーオフ進出が確実だったこともあって、残り試合の多くを欠場。前半の不振も祟って2006年まで9年連続で継続してきた30本塁打、100打点には届かなかった。

ワールドシリーズ優勝までの全14試合に出場して46打数16安打、打率.348、16打点、4本塁打を記録。最終戦を除く全試合に出塁し、出塁率は.508に及んだ。レギュラーシーズン終盤の休養も奏功してか、やや不本意だったシーズンの鬱憤を晴らす、八面六臂の活躍を見せた。地区シリーズ第2戦で劇的なサヨナラ3ラン。古巣インディアンスを相手にしたリーグ優勝決定戦では、初戦でオルティーズとあわせて全10打席に出塁。ワールドシリーズ終盤はやや失速したが、3年ぶりの世界制覇に大きく貢献した。このシリーズで、ラミレスは多くのポストシーズン記録に名を連ねた。バーニー・ウィリアムスの持つ22本を超えて単独トップとなる24本塁打、リーグ優勝決定戦第5戦までに記録した15試合連続安打(ピート・ローズと並ぶ歴代最多タイ)、1ポストシーズン最多の3押し出し四球などがそれである。

[編集] 特筆

  • A-ロッドケン・グリフィーJrボンズ、最近ではプホルスオルティーズハワード等の台頭もあって日本では常に他のスター選手の影に隠れがちだが、アメリカでは常に前述の選手たちと共に名を挙げられる存在である。
  • メジャーでもトップクラスと言われる打撃能力がある一方、守備や走塁に難があり、度々評論家から批判の的とされている。特に守備に関しては酷く、肩は悪くないが打球の追い方と処理に問題があり、Stats Inc.が統計として出したPBP(プレイ・バイ・プレイ)のデータによると、仮にグリーンモンスターの影響を加味したとしても平均左翼手に比べて32ポイントも低く、メジャーで圧倒的に最悪な左翼手との結果が出ている[1]。マイケル・リットマンが考案し、現在メジャーリーグで高い信頼を受けているアルティメット・ゾーン・レーティングによると、この緩慢な守備のせいでレッドソックスは2006年のシーズンを通してみて平均的な左翼手を置いた場合に比べ、その高い得点能力を差し引いて考えても合計で13得点も損をしている[1]。ただし、レッドソックスの本拠地であるフェンウェイ・パークの名物"グリーンモンスター"の処理に関しては慣れもありとても巧み。
  • 好人物と言われているが気まぐれな発言(「ボストンにいるとプライベートが無いよ!」等)や、あからさまにやる気のないプレー(レフトの定位置で観客と一緒になってウェーブに興じる等)を見せるなど気持ちの波が大きく、これらが原因でここ数年来、彼のトレードを巡る騒動はシーズン中のトレード期限間際やシーズンオフの風物詩となっている。ファンやメディアは以前はこのトレード騒動を冷ややかな目で見ていたが、最近では「チームを出たいと言いつつも仕事はこなす変人」と好意的に見るようになりつつある[2]
  • ボストンの地元マスコミとの間で歪曲された報道が多いということもあり、2005年から地元のマスコミに対して一切コメントしなくなったが、2007年10月6日のアメリカンリーグディビジョンシリーズ第2戦(対ロサンゼルス・エンゼルス戦)でサヨナラ3ランホームランを打ったときには、その沈黙を破りインタビューで喜びを爆発させた。その後も、リーグチャンピオンシリーズやワールドシリーズでもインタビューに答え、2008年以後もインタビューに応じている。なお、日本のマスコミに対しては、親しみを持ってコメントをしている。

[編集] 獲得タイトル・記録

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 長打率 出塁率 OPS
1993 CLE 22 53 5 9 1 0 2 16 5 0 0 0 0 2 0 0 8 3 .170 .302 .200 .502
1994 91 290 51 78 22 0 17 151 60 4 2 0 4 42 4 0 72 6 .269 .521 .357 .878
1995 137 484 85 149 26 1 31 270 107 6 6 2 5 75 6 5 112 13 .308 .558 .402 .960
1996 152 550 94 170 45 3 33 320 112 8 5 0 9 85 8 3 104 18 .309 .582 .399 .981
1997 150 561 99 184 40 0 26 302 88 2 3 0 4 79 5 7 115 19 .328 .538 .415 .953
1998 150 571 108 168 35 2 45 342 145 5 3 0 10 76 6 6 121 18 .294 .599 .377 .976
1999 147 522 131 174 34 3 44 346 165 2 4 0 9 96 9 13 131 12 .333 .663 .442 1.105
2000 118 439 92 154 34 2 38 306 122 1 1 0 4 86 9 3 117 9 .351 .697 .457 1.154
2001 BOS 142 529 93 162 33 2 41 322 125 0 1 0 2 81 25 8 147 9 .306 .609 .405 1.014
2002 120 436 84 152 31 0 33 282 107 0 0 0 1 73 14 8 85 13 .349 .647 .450 1.097
2003 154 569 117 185 36 1 37 334 104 3 1 0 5 97 28 8 94 22 .325 .587 .427 1.014
2004 152 568 108 175 44 0 43 348 130 2 4 0 7 82 15 6 124 17 .308 .613 .397 1.009
2005 152 554 112 162 30 1 45 329 144 1 0 0 6 80 9 10 119 20 .292 .594 .388 .982
2006 130 449 79 144 27 1 35 278 102 0 1 0 8 100 16 1 102 13 .321 .619 .439 1.058
2007 133 483 84 143 33 1 20 238 88 0 0 0 8 71 13 7 92 21 .296 .493 .388 .881
通算 15年 1950 7058 1342 2209 471 17 490 4184 1604 34 30 2 82 1125 167 85 1543 213 .313 .593 .409 1.002

※数字は2007年終了時。太字はリーグ1位。

[編集] 参考資料

  1. ^ a b "Manny being Manny is hurting the Red Sox" ニューヨーク・タイムズ. 2007年3月18日閲覧.
  2. ^ 『メジャーリーグ完全データ選手名鑑2007』 P75 ISBN 9784331512135

[編集] リンク

先代:
アレックス・ロドリゲス
ア・リーグ本塁打王
2004年
次代:
アレックス・ロドリゲス
先代:
イチロー
ア・リーグ首位打者
2002年
次代:
ビル・ミラー
先代:
フアン・ゴンザレス
ア・リーグ打点王
1999年
次代:
エドガー・マルティネス
先代:
n/a
アレックス・ロドリゲス
ア・リーグハンク・アーロン賞
1999年
2004年
次代:
カルロス・デルガド
デビッド・オルティーズ


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