スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜
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スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜(スキウタ こうはくみんなでアンケート)は、2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』の出演者選考に際して行われたアンケートである。
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[編集] 実施方法
2005年の『NHK紅白歌合戦』は「戦後60年」がテーマであり、そのテーマに沿って視聴者の意見を番組に反映させる為、アンケートを実施することになったものである。
アンケートは2005年8月1日〜10月31日の間、最大4曲を連記する方式で行われた。うち3曲はあらかじめ用意された600曲のリストから選択し、もう1曲はリストにない曲を記入するもの。
投票方法は下記の4種類。
[編集] 結果発表
- 投票期間中の10月6日に中間発表が行われ、得票数順に紅白各30曲を発表した。結果発表
- 11月21日、特別番組「発表! スキウタ上位100」において最終結果が発表され、紅白各100曲のタイトルを順位を付けずに発表した。
- なお選考に当たっては、4つの投票方法ごとに順位を集計し、その平均値の小さい順に上位100曲を選んでいる。
- 12月31日、紅白歌合戦の前に放送された「まもなく紅白! スキウタ・カウントダウンスペシャル」において、最終的な順位が発表された。
- 2006年1月1日、紅白歌合戦の公式ウェブサイト上で、スキウタに投票された約12500曲の全得票数と順位が発表された。
[編集] 投票数の内訳
- 総投票数:151万1481件、375万9996票
- はがき:116万3507件、293万1146票
- パソコン:15万9563件、45万6091票
- 携帯電話:14万6540件、31万812票
- データ放送:2万5875件、6万1947票
- 無効投票:1万5996件
[編集] 最終的な順位(上位100曲)
※同一楽曲で男女の歌手による歌唱が存在するものは、紅組でランクインされた楽曲は女性の、白組でランクインされた楽曲は男性の歌手のみを記載。
[編集] 投票方法別の順位(上位10曲)
はがき
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パソコン
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携帯電話
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データ放送
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[編集] 問題点
- 集計における問題
アンケートの投票に当たっては、パソコン・携帯電話・データ放送においては1人(1台)1回限りとされたものの、はがきのみ複数投票が認められ、総投票数(約376万票)のうちはがきの割合が約78%を占めた。この中には組織票も多数含まれていると見られ、信頼性に疑問を投げかける向きもある。また初期には関心の低さに焦りを感じたNHK自身が組織票を容認した姿勢にも疑問と非難の目が向けられている。
11月21日の発表では曲のタイトルのみが発表されたため(同名のタイトルが複数選ばれたケースを除く)、同名で複数の楽曲がある場合、どのアーティストが歌った曲かがわからないという苦情も見られる。
「戦後60年」を謳いながらも、11月21日に発表された200曲は1990年以降に発表された楽曲が115曲、2000年以降に発表された楽曲が60曲を占めるという年代の偏りも指摘されている。
- NHK紅白歌合戦への反映
上位100曲の中には、物故者による曲、引退した歌手の曲、解散したグループの曲、過去に紅白歌合戦への出演を拒否しているアーティストによる曲も含まれている反面、例年出演しているアーティストが選に漏れるなどしている。加えて奈良騒音傷害事件の容疑者の通称「引越しおばさん」が実際に投票されるなど悪戯もあった。
また制作サイドでも、「アンケートは参考資料とする」としていたものの、実際の出演者選考に当たってアンケートにない曲・アーティストが多数選ばれただけでなく、中間順位や最終順位で上位に入った松平健や橋幸夫、中森明菜、徳永英明などが落選する一方、同アンケート漏れ・当年ヒットに恵まれなかった山川豊が返り咲き出場する事態になるなど散々なものとなり、「これでは単なる受信料無駄遣いの失敗だったのでは?」という意見もあった。
以上の事からか、次年度である2006年の『第57回NHK紅白歌合戦』よりこのアンケートは廃止される事となり、一度限りの企画となってしまった。
[編集] キャンペーン担当アナウンサー
キャンペーンを実施するにあたり、男女各1名のアナウンサーが「スキウタPR大使」に指名され、投票呼びかけ、当日までの関連番組出演などを行った。
2人には「アイカとテツヤ」という愛称がつけられ、出身地を考慮して、神田が主に東日本を、高山が主に西日本を、それぞれ回って投票を呼びかけた。また、高山アナはキャンペーン用に『スキウタビバビバ』という曲を作製。2人で歌い、キャンペーンソングとして放送などで使われた。
神田アナは、当時入局3年目で、福岡で「修行中」の身であったが、このキャンペーンを機にバラエティーに目覚めたばかりでなく、全国的な知名度を大きく上げることとなった。神田アナは、紅白終了後直ちに東京へ転勤した小郷知子の後任として福岡で1年3ヶ月夕方のニュースを担当し、2007年4月に東京異動。高山アナも担当した『爆笑オンエアバトル』の司会となった。