ルビーの指環
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルビーの指環 | ||
---|---|---|
寺尾聰 の シングル | ||
リリース | 1981年2月5日 | |
ジャンル | 歌謡曲 | |
レーベル | 東芝EMI | |
チャート最高順位 | ||
ゴールド等認定 | ||
寺尾聰 年表 | ||
出航 SASURAI (1980年) |
ルビーの指環 (1981年) |
Long distance Call. (1982年) |
『ルビーの指環』(ルビーのゆびわ)は寺尾聰の5枚目のシングル。1981年2月5日発売。発売元は東芝EMI。
[編集] 解説
歌手・寺尾聰としては出世作であり、最大のヒット曲。
当時本人が所属していた石原プロの石原裕次郎社長が初めてこの曲を聴いた時、「まるでお経を唱えているようだ」と言って笑った、という逸話がある。発売当初は売り上げが乏しかったが、発売から約1ヶ月で急激に売上を上げていき、同年3月30日付のオリコンシングルチャートで自身初の1位を獲得。そして10週連続で1位の座を守った大ヒット曲となった。
同時期にTBS系『ザ・ベストテン』でも1位を記録し、12週連続1位という同番組の最長記録を樹立した。連続1位の最長記録が更新されるたびに番組より贈られたプレゼントは話題となり、現在でも同番組の総集編やスペシャル放送などで必ず触れられている。また、日本テレビ系『ザ・トップテン』と文化放送製作のラジオ番組『全国歌謡ベストテン』では10週連続1位を記録。同年のオリコン、ザ・ベストテン、ザ・トップテン、コーセー歌謡ベストテン(FM東京、現在のTOKYO FM)、全国歌謡ベストテンの年間ランキングでも1位を記録した。
本作のヒットにより、発売当初はヒットしなかった東芝EMI 3rd, 4thシングルの「SHADOW CITY」、「出航 SASURAI」も相乗効果でヒットし、記録上は本作以前に発売された寺尾聰のヒット曲となる。「SHADOW CITY」に至っては、発売から約9ヵ月後にオリコンシングルチャートで最高位となる3位を記録している(この時「ルビーの指環」が1位、「出航 SASURAI」が14位)。また、ザ・ベストテンでは本作と「SHADOW CITY」、「出航 SASURAI」の3曲が同時にベストテンにランクインした。
同年末には第23回日本レコード大賞を受賞。また、作詞者の松本隆は同賞の作詞賞、作曲者の寺尾は作曲賞、編曲者の井上鑑は編曲賞を受賞し、楽曲製作者に贈られる3タイトルを総なめにした。
ヨコハマタイヤ(横浜ゴム)『ASPEC』のCMソングとなり、音楽活動再開とも重なった2006年にはキリン『ラガー』のCMソングにも使われた。また翌1982年春開催の、第54回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用されている。
「ルビーの指環」がヒットした後に建てられた溜池山王の東芝EMIのビルは「寺尾ビル」と呼ばれ、1曲のヒットでビルが建つことを証明した。
オリコンでの最終的な累計売上は約134万枚を記録し、当時としては驚異的な売り上げであったことや、オリコンや特に『ザ・ベストテン』で長期間1位を記録していたことが人々の記憶に強く残り、現在しりとりで『ん』を除き一般用語が少ないといわれる『る』が周って来た際に、『ルビーの指環』が固有名詞として使用されることが少なくない。
なお、度々見られる『ルビーの指輪』は誤記である(同じような誤記がリヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指環』にもみられる)。
高音域でシャウトするような歌い方が主流の昨今のJ-POPのヒット曲に比べると、無理をせず音程の上下が少ない中低音のメロディーラインをつぶやくように歌う楽曲は異色であると言える。他の楽曲でも同様にこの歌い方をしている。
[編集] 収録曲
- ルビーの指環
- CINEMA HOTEL
[編集] 関連項目
オリコン週間シングルチャート第1位 1981年3月30日付~1981年6月1日付(10週連続) |
||
前作: シャネルズ 『街角トワイライト』 |
寺尾聰 『ルビーの指環』 |
次作: 松田聖子 『夏の扉』 |
オリコン年間シングルチャート第1位 1981年度 |
||
前年: もんた&ブラザーズ 『ダンシング・オールナイト』 |
寺尾聰 『ルビーの指環』 |
次年: あみん 『待つわ』 |
日本レコード大賞受賞作品 |
||||||||||||||
|
|
|
日本歌謡大賞受賞作品 |
||||||||||||||
|
|
|
ザ・ベストテン 年間ベストテン第1位 |
||||||||||||||
|
|
|
選抜高等学校野球大会入場行進曲 |
||||||||||||||
|
|
|