オアシス (バンド)
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オアシス | |
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オアシス(右が兄のノエル、左が弟のリアム 2005年撮影) |
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基本情報 | |
出身地 | イングランド マンチェスター |
ジャンル | ロック ブリット・ポップ |
活動期間 | 1992年 - |
レーベル | クリエイション SME |
影響 | ビートルズ |
公式サイト | Oasis - Official website (英語) |
メンバー | |
リアム・ギャラガー(ボーカル) ノエル・ギャラガー(ギター) ゲム・アーチャー(ギター) アンディ・ベル(ベース) ザック・スターキー(ドラムス) |
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旧メンバー | |
ポール "ボーンヘッド" アーサーズ(ギター) ポール "ギグジー" マクギーガン(ベース) トニー・マッキャロル(ドラムス) アラン・ホワイト(ドラムス) |
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オアシス (Oasis) はイングランド・マンチェスター出身のロックバンド。 1992年結成。 Oasis の発音は 「オウェイスィス」 に近い。
ブリットポップ・ムーヴメントの代表格であり、英国を代表するロックバンド。 美しく壮大なメロディはムーヴメント後も人気が高い。
バンドの核となるギャラガー兄弟は、同じくアイルランド系英国人 ・労働者階級出身であるビートルズを大変敬愛しており、ビートルズの 『アイ・アム・ザ・ウォルラス』 や 『ヘルター・スケルター』 などを時折演奏したり、ファッションや、自身の曲においてもその影響を見る事が出来る。
また、ドラッグや暴力沙汰などのロックではおなじみのスキャンダルとともに、彼らの発言に対しても非難の声が上がることもよくあるが、それらの数々は攻撃的でありながらも機知に富んでおり、世界中のロックファンに楽しまれている。
目次 |
[編集] メンバーと主な担当楽器
[編集] 現メンバー
- デビュー当時はジョニー・ロットン とジョン・レノン を足して割った声と評される。 オアシスの初期メンバーの一人。 自身もジョン・レノンを敬愛している。
- 本名ウィリアム・ジョン・ポール・ギャラガー; William John Paul Gallagher
- バンドの主要な作曲家・作詞家。 6歳の頃にギターに触れ始め、16歳で本格的にギターを弾き始める。 リアムに代わってメインヴォーカルを務める事も少なくない。 リアムの実兄。
- 本名ノエル・トーマス・デイヴィッ・ギャラガー; Noel Thomas David Gallagher
- 元 「ヘヴィ・ステレオ」 のフロントマン兼ギタリスト。 「ゲム」 の名称はもともとスコットランドのサッカー選手の名前からきていて、本名はコリン・マーレイ・アーチャー; Colin Murray Archer。
- 元々、「ライド」、「ハリケーン#1」 などのバンドでフロントマンやギタリストとして活動。 オアシス加入以前までは、ベースを触ったことも無かったらしいが、何故かオアシスではベースを担当している。 過去の在籍バンドでのヒット曲作りの実績を買われたと考えられる[要出典]。
- 本名アンドリュー・ピラン・ベル; Andrew Piran Bell。
- 元ビートルズのメンバーであるリンゴ・スターの息子で、ザ・フーなどで活動。 6thアルバムのレコーティングとツアーに参加するも、ザ・フーの兼ね合いから未だ正式メンバーではない。 メンバーとの関係も良好で、ノエルは 「親父(リンゴ・スター) のサインを持ってきてくれたらいつでも正式なメンバーにする」 と冗談めかして語る。[1]
初期はノエルが作曲した曲ばかりであったが、現在はリアム、ゲム、アンディら作曲の作品もアルバムに収められることが多い。
[編集] 旧メンバー
- ポール・"ボーンヘッド"・アーサーズ (guitar)(Paul "Bonehead" Arthurs)
- ポール・"ギグジー"・マッギーガン (bass)(Paul "Guigsy" McGuigan)
- トニー・マッキャロル (drums) (Tony McCarroll)
- アラン・ホワイト (drums)(Alan White)有名なドラマーのアラン・ホワイトとは別人である。
[編集] 来歴
- ボーンヘッド、ギグジー、クリス・ハットン(ヴォーカル) が前身バンド 「The Rain」 を結成。 The Rain の初演は、地元 Manchester の Burnage にあるカードゲームクラブで、ドラムマシーンを使って行われた。 後に、ドラマーとしてトニーが加わる。 1991年、音楽関係の仕事をしていたノエルのコネを狙って、ボーンヘッドがクリスをクビにし代わりにリアムを加入させ、リアムはバンド名を 「Oasis」 と改名(「Oasis」はリアムの部屋に貼ってあったインスパイラル・カーペッツのポスターからとった名前である)。 その後、リアムの実兄であるノエルがライヴを観に行き、メンバー一同に対して 「お前たちはどうしようもないクズバンドだ。 だがリアムのパフォーマンスには少しだけ光るものがある。 俺の曲を演じてビッグになるか、このままマンチェのクズバンドで終わるか、どっちだ?」 と言い放ち、すべてのリーダーシップを自分に委ねることを条件にバンドに加入。
- 1994年、クリエイション・レコーズからシングル 『Supersonic』 でデビュー。 アルバム 『Definitely Maybe』 発売。 デビューまでの騒動がマスコミで取り上げられていたこともあり、英国で初登場1位のヒットとなり、アルバム最速売り上げ記録を更新。 当時のメンバーはノエル、リアム、ボーンヘッド、ギグジー、トニー・マッキャロルの5人。 12月にシングル 『Whatever』 を発売。 現在までアルバム未収録。
- 1995年4月、メンバーとの関係が希薄で、技術的に問題のあったドラマーのトニー・マッキャロルが解雇され、代わりにアラン・ホワイトが加入する(アラン・ホワイトは、ポール・ウェラーのバンドで活躍中のスティーヴ・ホワイトの実弟)。 同月、シングル 『Some Might Say』 が発表され、初めて全英1位を獲得。 6月、加入したばかりのアランとともにグラストンベリー・フェスティバルに出演。 当時としては新記録となる10万人以上の観客を動員するが、ステージで未発表の新曲を多数演奏したために暴動騒ぎが起こった。
- 1995年8月、メディアに煽られる形で始まったオアシスvsブラーの争いは、オアシスのシングル 『Roll With It』 とブラーのシングル 『Country House』 の同日発売で頂点を迎える。 結局ブラーが1位、オアシスは2位に終わるが、これにはオアシスの方に集計ミスなどが多数あったとされ本当の意味でのブラーの勝利かどうかは不明である。 10月に2ndアルバム 『(What's The Story) Morning Glory?』 発売。 UKチャート1位。 アルバム売上枚数は全世界で1800万枚とも2000万枚とも言われ、ビートルズの持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新(現在はクイーンとビートルズに抜き返されている)。 その完成度の高さから、当初全曲シングルカットの企画もあったが断念された。 11月にはロンドンのアールズ・コートで2日間4万人を動員するライヴを開催。 ヨーロッパの屋内ライヴとしてはこれがギネス記録。 また、このときオーディエンスの鳴らす振動が地震として計測されるほどの盛り上がりだった。
- 1996年、この年は95年に発売された 『(What's The Story) Morning Glory?』 からの3枚目のシングル 『Wonderwall』 がアメリカでもじわじわとチャートを上昇。 オアシスは MTVアウォード(EURO) でベストグループを受賞するが、酔ったリアムがステージでゲロを吐く。 MTV絡みでは、オアシスがMTVアンプラグドに出演した際、収録直前にリアムが喉の不調を訴えキャンセル。 代わりにノエルが全曲で歌を披露した。 MTVアンプラグドの映像内でバルコニー席に座り酒を飲むリアムの姿が見られることから、ただのさぼりではないかという意見もある。 この年は4月のマンチェスターメインロード 2daysに続き、8月、ロンドン郊外の Knebworth にて2日間で25万人を集める。 名実ともにオアシスがスタジアムバンドにまで登り詰めた年である。
- 1997年8月、3rdアルバム 『Be Here Now』 発売。 UKチャート1位、USチャート2位を獲得した。 しかし内容には賛否が分かれる。
- 1998年2月に日本武道館で3日連続公演を行う。 滞在したホテルはビートルズと同じキャピトル東急ホテル。 11月、クリスマス商戦に向けBサイドアルバム 『The Masterplan』 を発売。 UKチャートで最高2位。 ファン投票で選ばれた曲が収録されている。 当初は 『Whatever』 の収録も噂されたが結局なかったことに。 『I Am The Warlus』 と 『Listen Up』 が一部編集されている。
- 1999年、ボーンヘッドが脱退。 元 「ヘヴィ・ステレオ」 のゲム・アーチャーが加入。 後を追うようにして脱退したギグジーの後任は紆余曲折があった末、元 「ライド」 「ハリケーン#1」 のギタリスト、アンディ・ベルが加入する。 デビュー以来所属していたクリエイション・レコーズが倒産。
- 2000年2月、4thアルバム 『Standing On The Shoulder Of Giants』 を発売。 UKチャート初登場1位。 前年のクリエイション・レコーズ倒産に伴い、この年から自ら立ち上げた 「Big Brother」 レーベルからのリリースとなる。 プロデューサーには過去3作を担当したオーウェン・モリスの手を離れ、ポール・スパイク・ステイシーを起用。 リアムが書いた曲 『Little James』 が初めて収録される。 先行シングル 『Go Let It Out』 のPVではアンディの加入が間に合わなかったため、リアム(形式的だがギターをプレイ)、ノエル、ゲム、アランの4人で演奏を行っている。 CDリリースと同時にワールドツアーを横浜アリーナよりスタートさせる。 マリンメッセ福岡公演ではリアムが、体調不良を訴えて途中で退場している。 5月、ツアー中にノエルが一時離脱、過去最大の解散危機を迎える。 急遽、代役のギタリストとしてマット・デイトンが起用。 バンド史上初めてノエル抜きでライヴが行われる。 このときの 『Aquiesce』 はノエルパートを丸々観客に歌わせていた。 ノエル復帰後、11月、ロンドン Wembley Stadium での公演を収録したライヴアルバムとライヴDVD、『Familiar To Millions』 を発売。 CD2枚組と1枚組が存在する。 Wembley では7月に2日間コンサートが行われ、リアムの調子が良かった1日目がライヴアルバム、DVDとしてリリースされた。 2日目は二日酔いのリアムがフラフラでステージに立つシーンが見られる。 このときの模様は有料放送でヨーロッパ中に放映され、日本でもWOWOWが放映した。 リアムの弁明: 「2日公演なのを知らなかった」。
- 2001年年の頭より、南米ツアーをスタート。 5月にブラック・クロウズと北米ジョイントツアー "Brotherly Love ツアー" を敢行。 夏は野外ロックイヴェントフジ・ロック・フェスティバルで初日のトリを務める。 またこの年の秋から冬にかけてバンド結成10周年小規模クラスのツアー "10 Years of Noise and Confusion Tour" が行われた。
- 2002年、5thアルバム 『Heathen Chemistry』 発売。 UKチャートで1位を獲得。 また、このアルバムではリアムがソングライターとしての腕を上げ、3曲を提供。 ゲムとアンディもそれぞれ一曲ずつ手がけた。 このツアーよりライヴの最後の曲がザ・フーのカヴァー 『My Generation』 になる。 5月、MTV The Super Dry Live、MTV Video Music Awards Japan 2002 出演を含めた来日プロモーションを果たし、数々のメディアへ出演を果たす。 9月から10月にかけては東京(代々木第一体育館)、福岡、大阪、仙台、広島で来日ツアーも敢行。 福岡公演(会場は福岡国際センター) では前回のライヴに続いて(そのときとは事情が違うものの)、リアムが途中退場するハプニングもあった。
- 2005年、6thアルバム 『Don't Believe The Truth』 発売。 UKチャート1位を獲得。 イギリスでシングル 『Lyla』 も初登場1位を獲得。 これで Oasis の No.1シングルは7枚目、またシングル・アルバム総チャートイン週は766週に。 日本ではアルバムがオリコン初登場1位を記録。 これは英国のバンドのオリジナル・アルバムとしてはベイ・シティ・ローラーズ以来、30年ぶりである。 6月30日~7月3日にかけては、9年ぶりに地元チームマンチェスター・シティのホームグラウンド (シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム) で3日間のライヴを開催。 8月にはサマーソニック'05のトリを務める。 11月に再び来日し大阪城ホール、東京の代々木第一体育館でライヴを行なった。
- 2006年、3月、映画 『GOAL!』 のサントラに3曲を提供。 そのうち1曲はノエルがヴォーカルを取る新曲。 また11月15日(本国イギリスでは11月20日) にノエルの選曲による初のベストアルバム 『Stop The Clocks』 を発売。 6thアルバム 『Don't Believe The Truth』 に続いてオリコン初登場1位を獲得。 ほぼ同時に、ツアーの模様を収めたロードムーヴィー 『Lord Don't Slow Me Down』 が公開される(ただし試写会のみ。 2007年10月のDVD化)。 また、世界各地でノエルがゲム、サポートドラマーのテリーとともにアクースティック・ライヴを披露する。 日本でも11月15日に笑っていいともへ生出演し、MySpace主催によるシークレットライヴが恵比寿LIQUIDROOMにて行われた。 翌16日には 『Lord Don't Slow Me Down』 の特別試写会後にノエルが登場し、ノエルへのインタヴューやQ&A、ノエル単独でのアコースティック演奏がSHIBUYA-AXにて行われた。 また2006年10月からは、ソニー 『ウォークマン』 のイメージキャラクターを務め、テレビCMやカタログに登場している。 『Sシリーズ(NW-S700F)』 のCMには 『Lyla』 が、『Aシリーズ(NW-A800)』 のCMには 『Morning Glory』 が使用されている。 日本映画 『シュガー&スパイス 風味絶佳』 にも、主題歌の 『Lyla』 を筆頭に、多くの既発曲を提供。
- 2007年ビートルズの Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 40周年記念アルバムへ Within You Without You のカヴァー曲を提供。 現在、バンドは、前作同様 Dave Sardy のプロデュースを予定した 7thアルバムを製作中である。 しかしながらノエルはリアムの声の不調が改善しなければニューアルバムをリリースすることはできないとも語っている。 10月21日にはバンド初のダウンロード限定販売シングル 『Lord Don't Slow Me Down』 がリリース。 本国イギリスでは10月29日にロードムーヴィー 『Lord Don't Slow Me Down』 がDVDでリリース(日本盤は12月5日発売)。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- 1位 7xプラチナム(UK)、世界総売り上げ750万枚
- 1995年『モーニング・グローリー』 - (What's The Story) Morning Glory?
- 1位 14xプラチナム(UK)、世界総売り上げ1800万枚
- 1位 6xプラチナム(UK)、世界総売り上げ800万枚
- 2位 プラチナム(UK)、世界総売り上げ200万枚
- 2000年『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』 - Standing On The Shoulder Of Giants
- 1位 2xプラチナム(UK)、世界総売り上げ300万枚
- 2000年『ファミリアー・トゥ・ミリオンズ』 - Familiar To Millions 【ライヴ】
- 5位 プラチナム(UK)、世界総売り上げ100万枚
- 2002年『ヒーザン・ケミストリー』 - Heathen Chemistry
- 1位 3xプラチナム(UK)、世界総売り上げ350万枚
- 2005年『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』 - Don't Believe The Truth
- 1位 3xプラチナム(UK)、世界総売り上げ400万枚
- 2007年『ストップ・ザ・クロックス』 - Stop The Clocks 【ベスト盤】
- 2位 4xプラチナム(UK)、世界総売り上げ200万枚
[編集] シングル
- スーパーソニック - Supersonic(1994年) UK 31位
- シェイカーメイカー - Shakermaker(1994年)UK 11位
- リヴ・フォーエヴァー - Live Forever(1994年)UK 10位
- シガレッツ・アンド・アルコール - Cigarettes & Alcohol(1994年)UK 7位
- ホワットエヴァー - Whatever(1994年)UK 3位
- ソニー『VAIO W』CMソング (2002年)
- トヨタ『マークXジオ(Zio)』CMソング(2007年)
- サム・マイト・セイ - Some Might Say(1995年)UK 1位
- ロール・ウィズ・イット - Roll With It(1995年)UK 2位
- モーニング・グローリー - Morning Glory(1995年 オーストラリアなどの一部のみの発売)
- ソニー『ウォークマンAシリーズ』CMソング(2007年)
- ワンダーウォール - Wonderwall(1995年)UK 2位
- ドント・ルック・バック・イン・アンガー - Don't Look Back In Anger(1996年)UK 1位
- シャンペン・スーパーノヴァ - Champagne Supernova(1996年 オーストラリアなど一部のみの発売)
- ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン - D'You Know What I Mean?(1997年)UK 1位
- スタンド・バイ・ミー - Stand By Me(1997年) UK 2位
- オール・アラウンド・ザ・ワールド - All Around The World(1998年)UK 1位
- ドント・ゴー・アウェイ - Don't Go Away(1998年 日本のみの発売)
- ゴー・レット・イット・アウト! - Go Let It Out!(2000年)UK 1位
- フー・フィールズ・ラヴ? - Who Feels Love?(2000年)UK 4位
- サンデー・モーニング・コール - Sunday Morning Call(2000年)UK 4位
- ヒンドゥ・タイムズ - The Hindu Times(2002年)UK 1位
- ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト - Stop Crying Your Heart Out(2002年)UK 2位
- リトル・バイ・リトル/シー・イズ・ラヴ - Little By Little/She Is Love(2002年)UK 2位
- ソングバード - Songbird(2003年)UK 3位
- ライラ - Lyla(2005年)UK 1位
- ソニー『ウォークマンSシリーズ』『NETJUKE』CMソング(2006年)
- インポータンス・オヴ・ビーイング・アイドル - The Importance Of Being Idle(2005年)UK 1位
- レット・ゼア・ビー・ラヴ - Let There Be Love(2005年)UK 2位
- ストップ・ザ・クロックスEP - Acquiesce/The Masterplan (Stop The Clocks EP)(2006年)ベスト盤 『Stop The Clocks』 の先行シングル
- ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン - Lord Don't Slow Me Down(2007年 ダウンロード限定販売)
[編集] 映像
- ライブ・バイ・ザ・シー - Live By The Sea(1995年)(ライヴヴィデオ・DVD)
- ゼア・アンド・ゼン - There And Then(1996年)(ライヴヴィデオ・DVD)
- ファミリアー・トゥ・ミリオンズ - Familiar To Milions(2000年)(ライブDVD)
- リヴ・フォーエヴァー - Live Forever(2004年)(ドキュメントDVD)
- デフィニトリー・メイビー - Definitely Maybe(2004年)(ドキュメントDVD)
- ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン - Lord Don't Slow Me Down(2007年)(ツアードキュメントDVD)
[編集] その他
- デビュー後オアシスのロゴは3度にわたり変更されており、現在のロゴは4代目。
- ギャラガー兄弟は熱心なマンチェスター・シティのファンで、普通のファンに混じってスタジアムで応援している所を目撃されたりしている。 ライバルのマンチェスター・ユナイテッドに対して暴言を吐くこともしばしば。 「ストーン・ローゼズは尊敬するが、彼らが揃いも揃ってMan Uのファンなのは情けない」と発言したことがある。[要出典]
- W杯やヨーロッパ選手権の際はイングランド代表についてコメントする事がある。 だが、その内容は 「クラウチはクソだな。 フットボーラーとしては背が高すぎる。 今まで背が高すぎる選手にロクな奴がいた例がないだろ」 など、毒を含んだものが多い。
- ノエルの前妻メグ・マシューズとジョニー・デップの元恋人であったケイト・モスは友人であることから、ジョニー・デップとノエルは親交があり、その縁もあって、デップはオアシスの 3rdアルバム 『ビィ・ヒア・ナウ』 収録の 「フェイド・イン・アウト」 にスライドギターで参加している。 その礼としてデップは 「P」 という文字の入った白いギターをノエルに贈っている。
- 1995年にBBCのテレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演して 『ロール・ウィズ・イット』 を演奏した際、口パクであることをネタにして、兄弟の役割を入れ替え、リアムがギターを弾くふりをし、ノエルがリードヴォーカルとして歌った(歌うふりをした) ことがある。これはブリットポップ期に、ブラーの『カントリー・ハウス』とシングル順位を争った際に負けたためである。[11]
[編集] オアシス (ギャラガー兄弟) が影響を受けた主なバンド
ビートルズには常に敬意を払っており、「ビートルズを超えるバンドになることが目標」 とデビュー当時のインタヴューで語っている[2]。 ただし、'06年に発表されたアルバム 「ラヴ」 だけは 「無意味」、「ビートルズを理解できていない」 と兄弟共に酷評している[3]。
ノエルは 「自分たちの世代で彼らの影響を受けていない奴はいない」 と発言した (だが最近のストーンズに関してミック・ジャガーのライヴ時の服装やツアーをしていること自体について苦言を呈している)。キース・リチャーズは「オアシスやアークティック・モンキーズはあんまり好きじゃない」と発言。
ライヴのラストはフーの代表曲 『マイ・ジェネレーション』 のカヴァーで締められる事が多い。 ノエルはザ・フーのライヴにゲストとして参加した事がある。
ブリットポップ・ムーヴメントはモッズのリバイバルという側面も持っており、70年代後半パンク/モッズリバイバルの旗手的存在であったジャムの影響も大きい。特に現在もソロとして活動を続けるポール・ウェラーとは旧知の仲で多大な尊敬を寄せており、彼のことに話題が及ぶといつも最大限の賛辞を送っている。
ピストルズ側はオアシスを軽蔑しているらしく、再結成のときのインタヴューで「オアシスは好きですか?」 という質問にジョン・ライドンは 「奴らなんてただのポップ・バンドだろうが」 とコメントした。しかし彼が「嫌いだ」と言う音楽は、多くの場合その逆であり、彼の発言をそのまま受け取ることは出来ない。
リアムはローゼズのライヴを何度も見に行くうちに、バンド結成を決意した(偶然にも同日ノエルも同じステージを見ていた)。 初期のオアシスのデモ音源はローゼズの影響を色濃く感じさせる楽曲が多い。
『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』 収録曲の Mucky Fingers は、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』 の I'm Waiting for the Man (邦題:僕は待ち人) に影響を受けた、とノエル自身が語っている。
ノエルは 2001年、故スティーヴ・マリオットのトリビュート・コンサートで、元メンバーのイアン・マクレガンやケニー・ジョーンズと共演し、彼らのヒット曲 Here Come The Nice を歌う。 このコンサートには、ザック・スターキーも出演していた。
ノエルはジョニー・マーがテレビで演奏しているのをきっかけにギターを手にしたのノエル自身が語っており、ジョニー・マーは 『ヒーザン・ケミストリー』 にも参加している。
ノエルは 「ソング・ライティングの見地から言わせてもらうと、彼らほど素晴らしいアーティストはいない」 とコメント[4]。
ノエルはカート・コベインに、「オレたちの時代のジョン・レノンに成り得た」と発言しているが、リアムはニルヴァーナに対し「2曲ほど良いと思うのはあるけど、あとはクソだな」 とコメントしている。 ノエルは、ニルヴァーナ の I Hate Myself and I Want to Die への反発から Live Forever を書き上げた。 カートの遺書にはニール・ヤングの "Hey Hey My My" の歌詞の一部が引用されていた事から、シアトルに公演で訪れたのをきっかけに、ライヴで "Hey Hey My My" を演奏するようになった。
[編集] オアシス (ギャラガー兄弟) と友好関係にある主なアーティスト
モリッシーの発言について彼らを擁護し、モリッシーは彼らに謝罪した[5]。
ノエルは、ストーン・ローゼズ解散後ソロとして活動しているイアンに 「Keep What You Got」 を提供し、共演している。
ギャラガー兄弟との仲が非常に良く、オアシス 2ndアルバム収録の 「Cast No Shadow」 は、当時活動休止中だったリチャード・アシュクロフトに向けられたものである。 リチャードがソロとなった現在でも交流は続いており、リチャードはオアシスを 「この国が生んだ最高のロック・スター」 「俺の人生を変えたバンド」 と評している。
ギャラガー兄弟はカサビアンを絶賛している。カサビアンのオアシスに対する発言は崇拝に近い。 名古屋で開催されたサマーソニック '05も含め、過去数回ステージで共演しており、ギャラガー兄弟とカサビアンのメンバーとはプライベートでも親交がある。
クーラ・シェイカーがデビューしたての頃、彼らをサポート・アクトに抜擢した。 バンドが一旦解散した際は、メンバーのジェイ・ダーリントンをサポート・キーボーディストに迎え、以後10年近くツアーに帯同させている。 また、ザック・スターキーは以前、クーラ・シェイカーのベーシストであるアロンザ・ベヴァンと上記のジョニー・マーと3人で 「ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズ」 というバンドを組んだことがある。
ノエルは何度か彼らのアルバムに参加したことがあり、「ケミカル・ブラザーズとはまたコラボしたい。 “Setting Sun” は俺が製作に関わった曲の中でも最高傑作だと思ってる。 リアムが聞いたら怒るだろうがな」 と語っている。 なお、ノエルがヴォーカルを担当した 『Setting Sun』 は2007年から日産・エクストレイルのCMに採用されている。
ノエルはかねてから彼らを 「いいバンド」 と評していた。 コーラル側は当初、「口の悪いオアシスから褒められてもうれしくない」 と迷惑顔をしていたが、新作のレコーディングはノエル所有のスタジオで行われるなど結局仲は良い。
2004年のプロディジーのアルバムに、ゲストとして兄弟で参加した。
2ndアルバム 『モーニング・グローリー』 の “Champagne Supernova” ではウェラーがギターを演奏し、『ザ・マスタープラン』 収録の “The Swamp Song” ではブルースハープとギターを担当。 ノエルの方も、ウェラーの傑作と名高いソロ3作目 『スタンリー・ロード』 収録の “I Walk on Gilded Splinters” にゲスト参加。互いにたびたびライブでサポートとして登場したりテレビ番組で共演するなど、多岐に渡って交流している。
ノエルは彼らのファンであると公言している。 1997年にオアシスのツアーで前座を務め、同年12月のマンチェスターのライヴではノエル自身がゲスト参加したことがある。 アルバム 『The Man Who』 収録曲の 「Writing to Reach You」 では歌詞に 「ワンダーウォール」 という単語が登場し、イントロも 「ワンダーウォール」 に酷似したコード進行であるが、楽曲のクオリティから後にノエルの公認を受けている。
U2のアルバムハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボムの収録曲 「One Step Closer」 は、U2のヴォーカル・ボノに対し、ノエルがかけた言葉をもとに歌詞が作られた。 だがノエルはボノに対し 「"One" を演奏してろ。 アフリカについては一言も喋らずに、だ」 と発言している[6]。
2001年のロックインリオフェスティバルに出演した際、オアシスの後にトリで出演したガンズ・アンド・ローゼズのヴォーカル・アクセル・ローズに 『Rock 'n' Roll Star』 を捧げたことがある。 ノエルはアメリカのハードロックに対し、「聴く価値が無いものだ」 と発言しているが、ガンズ・アンド・ローゼズ はとても良いバンドだと認めている。また、ノエルはガンズ・アンド・ローゼズ の楽曲『Sweet Child O' Mine』と『November Rain』を絶賛している。
ノエルは彼らが 「オアシスと同じくらいビッグになるかも」 という旨の発言をした[7]。
ノエルは懇意のピート・ドハーティ率いるベイビーシャンブルズを 7thアルバムのワールドツアーのオープニングアクトに起用した (しかし、ピートのドラッグ問題等のためにツアー帯同はキャンセルとなった)。 一方のリアムはピートを嫌っている模様。
意外だがリアムはバンドについてアドバイスをした [8]。
上記にもあるが、ノエルはフー・ファイターズのフロントマンであるデイヴ・グロールが以前在籍していたニルヴァーナを尊敬している。 フー・ファイターズもオアシスの 「Lyla」 をカヴァーしている。
デビュー当時のステージで共演した時、リアムとクリス・ロビンソン(ブラック・クロウズのヴォーカル) が一触即発となるが、ノエルが謝罪して親交が始まる。 『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』 以降、オアシスのレコーディングをサポートしてきたポール・ステイシー(キーボード、ギター) は、2006年から2007年にかけてブラック・クロウズのギタリストとして活動。
[編集] オアシス (ギャラガー兄弟) が嫌っている主なアーティスト
リアム曰く 「あいつらはイキがってるだけで、やってる音楽は大したことないクソバンド」。 ノエルは 「アメリカのパンクロックが好きな奴ら、特にグリーン・デイのファンは大っ嫌いだ」 とコメント。
リアム曰く 「ブリンクなんちゃら… いくつだっけ? 3ケタの数字 (笑)。」
ノエルはアメリカ人は悪趣味であると主張し、その一例としてバックストリート・ボーイズを挙げ、「歌も踊りも演技もだめ」 と批判し、彼らの歌を 「クズ」 と酷評。更にバックストリート・ボーイズは 「撃たれちまえばいい」 と語った。
リアム曰く 「見栄えのいい鼻くそ」。
ノエルはレディオヘッドのインテリ性でネガティヴなところを嫌っている一方で、その前衛性を評価している。近年では「新作がリリースされたら聴きたいミュージシャンは?」と言う質問に、「彼らが何をやっているか気になる」と言う理由で、コールドプレイと共にレディオヘッドの名を挙げている。ノエルはトム・ヨークに対し、「アンタがどれだけ"オレ達は不運だ"って嘆く事に時間を空費したところで、最終的にはみんな、アンタには「Creep」を歌って欲しいだけなのさ」とコメント(近年のレディオヘッドは「Creep」をライブではあまり頻繁には演奏しない)。その後ノエルが、「俺は大学なんか行ってねえ。絵筆が何なのかも知らねえよ。アート・スクールなんか行った事ないからな」と発言した事を受けて、トム・ヨークは、「僕は行ったよ。他のアーティストをリスペクトするよう教わった」とコメントしている。 リアムは、「レディオヘッドのどこが良いか分からない。 眠くなるだけじゃねえか」 とのこと。
リアムは、UKシーンを盛り上げている新世代バンドの筆頭であるフランツ・フェルディナンドに対して、「インディーとか何とか言って、キツキツの服を着て、爪先が尖った靴を履いて歩き回っているだけのケチ野郎だ」と語り、更にフランツ・フェルディナンドの代表曲の一つ『マイケル』の演奏を見て、「演奏中、フロントの2人(アレックスとニック)が互いに見つめ合う時間が長過ぎる!奴らはゲイに違いない。奴らはライト・セッド・フレッドみたいだ」と切り捨てた。それについてアレックスは、「リアムはノイローゼ気味の女子高生だ」とコメント。
リアム曰く 「やつらはくそいまいましいクソバンドなのに、注目されすぎだ。 やつらはただザ・スミスみたいになろうとしてるだけだし、ヴォーカルはまるでビョークみたいだぜ」。
リアム曰く 「あの名前、ひでえもんだ。 嫌いだ」
リアム曰く 「劣化したブラーだろ?」
'90年代後半まではギャラガー兄弟とは親しい仲であったが、2000年の雑誌のインタヴューでノエルが「テイク・ザットのデブダンサー」と発言したあたりから、互いに嫌い合う存在となる。 ノエルは売れ行きが思わしくなかったロビーのアルバムに対して 「当然だ、あれは犬の糞だからな」 と酷評したり、ロビーの悪口なら3時間は言えるとコメント。 リアムは 「鼻をへし折ってやる」 と脅迫したり、Qアウォーズの授賞式時に、壇上からロビーをからかう発言をしたこともある。
ノエルの悪口に対し、エルトンは 「オアシスには我慢ならない。 オアシスのベストアルバムがチャート一位を取れなくて本当に嬉しい。 最大のヒット曲が抜けてて何がベストだ。 奴らには一位の資格は無い」 と反発。
ノエルはかつて、「銃に1発だけ弾丸が込められているとしたら、誰を撃つか?」 という質問に、フィル・コリンズかロビー・ウィリアムズと答えていた。
ノエルは 「俺はヒップホップを軽蔑してる。 大っ嫌いだ。 エミネムはアホ。 50セントは、俺がいままでの人生で会った最低の人間。 あいつらに直接責任があるとは言わねぇけど、結局、若いガキが人を刺すってことが起きてるだろ」 とコメント[9]。
ノエルは、2008年のグラストンベリー・フェスティバルにてヘッドライナーに抜擢されたジェイ・Zに対し、「“壊れてないものは修理するな”だ。(主催者が同フェスの長年の伝統を)壊してこれまでと違うことをし始めるのなら、観衆はみんな行かなくなるだろうよ。悪いがな、ジェイ・Zだって? あり得ない。グラストンベリーはギター・ミュージックってキマリがあるだろ。俺は、グラストンベリーにヒップホップなんて許さねえよ。間違ってる。」と、同フェスの方針に絡めてジェイ・Zを口撃。これに対し、ジェイ・Zは「「俺たちはギターは弾かない。だがな、ノエル、ヒップホップだってほかの音楽同様(ギターを)使ってんだよ」と反論している。
ノエルは彼を一発屋だと非難。 また最近では、イビザにある別荘をブラントが引っ越してきたことで手放そうとしている。
[編集] オアシス(ギャラガー兄弟) の、他アーティストに対する評価が変わった例
このように、頻繁に特定のアーティストたちを扱き下ろす彼等だが、その態度を一転させることも多い(特にリアムにはその傾向が顕著であり、恒例化している面もある)。 また酷評されたことをオアシスから認められたと受け取り、酷評に感謝するバンドも少なからず存在する(シザー・シスターズ、マルーン5など)[10]。
マンチェスターの労働者階級出身のオアシスとは対照的に、ロンドンの中流階級出身である彼らとのいさかいはあまりに有名。 シングル対決で敗れた後、ブチ切れたノエルが 「ブラーのデーモンとアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」 とコメントしたことがある(社会問題まで発展しのちに謝罪)。 一方で、グレアム・コクソンとデイヴ・ロウントゥリーの2人は 「良い奴ら」 とのこと。 現在ではノエルは 「現在のあいつらの音楽は最高だ」 と認めていたり、リアムもデーモンに対して 「息子がお前のゴリラズのファンなんだぜ」 と直接語っている所から、評価が完全に一変したと言える。 また、「もし今、デーモンに会ったら、俺はその場からとっとと失せるだろうな。 いまだに首を突っ込むようじゃ、俺も単なるアホってことになるからな。 今となりゃ笑い話だ。 若気の至りってヤツさ」 と因縁の対決に終止符を打つ発言も。 メディアがネタを作って売り上げを上げるのために必要以上に両者の対立を煽っていたのを本人たちも自覚していただろうし、両者ともに密かにこの状況からのうまみも享受していたと思われるが、余りに邪険にメディアに利用され続けるのにほとほと疲れ果てたともいえよう。
彼らのメディアの露出が著しくなった際、リアムは、「お行儀のいい学生による芸術ごっこ」 や 「騒音」 とか 「演奏が学園祭のバンドと同じ」 といったような発言をしていたが、彼らのアルバム 『ア・ウィークエンド・イン・ザ・シティ』 を聴き、リアムは過去の否定的な考えを撤回した。 そして彼は、彼がそのアルバムの最後の曲 『SRXT』 を聴いた後、クッションに向かって15分間泣いた、とも告白している。
- スターセイラー
デビュー・アルバムを聴いたノエルとリアムは揃って彼等に対し嫌悪感を示す。 しかし彼らのセカンド・アルバムに収録されている 『Four to the Floor』 を聴いたリアムは、その曲の質の高さを評価した。
リアム曰く 「コールドプレイの曲を聴くと自殺したくなる」 とのこと[11]。 また、ヴォーカルのクリス・マーティンのことを 「ロンドンのキツネ」 と揶揄した (クリスは切れ長でややつり上がった目尻をしている)。 アワード授賞式にて一悶着あったと伝えられているが、現在、リアムのコールドプレイに対する評価はいくぶんか軟化した様子で、「確かに奴らは "ロック・バンド" かもしれねぇな。 だが、"ロック・スター" では決してない。 ああいうのが好きな奴もいるだろうが、俺はロックにはもっとワイルドな要素を求めるな」 と珍しくスマートなコメントをしている。 一方のノエルは、彼らの 『イエロー』 がフェイヴァリットソングで、チャリティライヴのステージでクリス・マーティンと 『リヴ・フォーエヴァー』 他を競演したこともある。 また意外にもコールドプレイはライヴでリアムが作曲した Songbird をカヴァーしている。
[編集] 関連項目
- TBS「いのちの響」
[編集] 出典 、脚注
[編集] 外部リンク
- 公式サイト(英語)
- 公式サイト(日本語)
- UNIVERSAL MUSIC 公式サイト(日本語)
- オアシスの公式Myspaceプロファイル
- HMVによるOasisとギャラガー兄弟の詳細なバイオグラフィー
- オアシス歌詞
- WHO FEELS OASIS?
- Stop Crying Your Heart Out
- Cigarettes & Alcohol
- Oasis Live
- Oasisr - The Oasis social network