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ジョン・ライドン - Wikipedia

ジョン・ライドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョン・ライドン
基本情報
出生名 ジョン・ジョセフ・ライドン
別名 ジョニー・ロットン
出生日 1956年1月31日(52歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン フィンズベリー・パーク
ジャンル パンク・ロック
担当楽器 ボーカル
活動期間 1975年 -
公式サイト John Lydon.com
  

ジョン・ライドン(本名ジョン・ジョセフ・ライドンJohn Joseph Lydon1956年1月31日 - )は、イギリスのミュージシャン。

ジョニー・ロットンJohnny Rotten:腐れのジョニー)の愛称[1]でパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのリード・ヴォーカルを務め、解散後はパブリック・イメージ・リミテッドを結成した。

目次

[編集] 経歴

[編集] 出生

伝えられるところによれば、ジョン・ライドンは1956年1月31日にロンドンのフィンズベリー・パークで生まれた。これは彼の自叙伝によるもので、彼の出生証明書は失われており事実を確認することはできない。両親は共にアイルランド移民であった。彼は三人の弟と共にフィンズベリー・パークの貧しい労働者階級の中で成長した。当時のイギリスにおけるアイルランド移民は黒人と同様、最下層に近い差別を受けていた。彼は自伝『no dogs, no black, no irish』で子供の頃、通学の途中に差別による投石を頻繁にうけたと語っている。

幼い頃に髄膜炎を患い、半年近く生死の淵を彷徨い、その後遺症で退院した時は“cat(猫)”の綴りや両親の顔すら忘れている記憶喪失の状態で、それが原因で小学生の頃は苛められっ子であった。彼の猫背(脊髄注射の影響)と睨み付けるような目つき(そうしないと焦点が合わないため)も髄膜炎の後遺症である。何もかも一からやり直しの状態であったが、母親の熱心な教育のおかげで人並み以上のレベルまで取り戻すことができた。このため彼は攻撃的なキャラクターに似合わず、大変な母親思いである。彼はこの病気の過去を「“ロットン”への道を歩み始める第一歩」と語っている。

[編集] セックス・ピストルズ

小学生時代とは打って変わり、中学生からのライドンは退学処分されるほどの不良となり、十代後半はマルコム・マクラーレン(デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが共同経営者)のブティック「Sex」をライドンをリーダー格とする不良グループ“ジョンズ”の溜まり場としていた。ジョンズはメンバー全員の名がjohnであることから名づけられた。(当時メンバーだったシド・ヴィシャスの本名もJohn Simon Ritchieである)。

1975年にマクラーレンがアメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズとの小ツアーから帰り、スティーヴ・ジョーンズポール・クックと共に新たなバンドの結成を模索していたとき、ライドンが現れた。ライドンは「I Hate」とサインペンでなぐり書きされたピンク・フロイドのTシャツを着ており、店内でのオーディションでアリス・クーパーの「アイム・エイティーン」を歌った。

セックス・ピストルズの社会風刺の効いた過激でストレートなメッセージ性の強い歌詞はライドンの手によるもので、「Anarchy in the U.K.」での“アンチ・キリスト”発言(キリスト教圏内ではありえないタブー)や「God save the Queen」では“女王は人間じゃない”“王室は民衆を白痴にする”などの痛烈な王室制批判など、現在でも考えられないような過激な歌詞をぶちまけている。これらの歌詞や言動によって、ライドンは右翼や国家警察の目の敵となり、ピストルズ時代には愛国主義者に襲われ、ナイフで足や左手の平を貫通するほどの怪我を負っている。この後遺症で左の拳が握れず、ギターも弾けなくなった。警察にも嫌がらせのように幾度となく家宅捜索や別件逮捕をされ、そのため2007年現在もイギリスからアメリカに居住を移したままである。ライドンはイギリスの保守派全般に危険人物とみなされたと言ってよいだろう。

ピストルズの後半、ライドンは、ヘロイン中毒である親友のシド・ヴィシャスの薬物治療の手助けするが、結局シド・ヴィシャスはヘロインをやめられずまともに演奏できる状態ではなくなった。メンバー間の不仲も頂点に達し、バンドは最悪の状態になり、アメリカツアーのサンフランシスコ最終公演を最後にライドンは脱退を表明。ラストライブの最後に言い放った彼の「アハハ、騙された気分はどうだい?」と、脱退表明時の「ロックは死んだ」はロック界の名言として残っている。

[編集] パブリック・イメージ・リミテッド

ライドンは1978年4月に、ベースのジャー・ウォブル、ギターのキース・レヴィン、ドラムのジム・ウオーカーと共にパブリック・イメージ・リミテッドを結成し、ファースト・アルバム『First Issue』を発表する。その音楽は、まさにポスト・パンクといえる内容であった。その後メンバーの変遷を経て、パブリック・イメージ・リミテッドは徐々にライドンのワンマン・バンドと化していった。

1996年のセックス・ピストルズ再結成を経て、1997年に初のソロ・アルバム『Psychos-Path』を発表。ここでパブリック・イメージ・リミテッドの歴史は途絶えた。

[編集] 突然の変貌

2004年にイギリスITVリアリティ番組I'm A Celebrity Get Me Out Of Here」に出演。落ちぶれた芸能人がジャングルでサバイバルを行う番組で、ライドンは尻をカメラにつきだしたり、ダチョウにつつかれたりと「醜態」をさらすが、この番組によって、皮肉にも彼は「一流コメディアン」として世間に再認識されることとなった。

その後、イギリス・ディスカバリー・チャンネルにて「john lydon's megabugs」なる昆虫をテーマにしたシリーズ物にメインパーソナリティーとして出演。その他、白いチンパンジーやホオジロザメの特集番組にもそれぞれ出演し、特に「俺はガキの頃『ジョーズ』って映画を見て以来、ずっとサメの生態に興味を持っていた」らしく、スイムスーツに着替えて水中ケージの中でサメと対面する事に嬉々とし、更に番組中ホオジロザメに対する人々の認識の誤解を説く擁護派の一面を見せる。

英国及びその隣国の現代史をテーマにした番組にも出演し「英国を偉大なものにしたのは何か?」というテーマに対し、「俺だろ」とわざとシニカルに振舞うあたりは以前のままに、音楽以外の仕事ばかりが目に付く一方、タイム誌に於ける第二次世界大戦後「60年来の偉大な人物」の一人に選ばれるなど本国で再評価されている。ただし、本人のスタンスは変わっておらず、相変わらずその時期にやりたい事しかしないという気分のムラがあり人々を惑わせ続けている。

[編集] 近年の活動

ギターヒーロー3 レジェンド オブ ロック」に「Anarchy in the U.K.」が採用されたことで、本作のPRを始めるようになりセックス・ピストルズとして久しぶりに活動することに。

[編集] 性格

反抗的で不良じみたスタイルをアピールしているものの、実際はかなりのインテリで聡明な一面を持っており、ピストルズ以降の音楽活動でもパンクにとらわれない幅広い音楽性を見せた。

[編集] こぼれ話

母親が音楽ファンであり、少年時代から様々な音楽に触れて来ている。彼が「嫌いだ」と言う音楽は、殆どの場合実は理解のある音楽であり、一概に発言をそのまま受け取ることは出来ない。

セックスピストルズ時代、マネージャーのマルコム・マクラレンに「Submission(=服従、屈服)」に関しての詩を書けと言われたライドン。後日持って来た詩はなんと「Sub Mission(潜水艦の任務)」に関してのものであった。

ライブでは派手なパフォーマンスを見せるライドンだが、実はいつも大変緊張していたらしく、緊張を和らげるためによく著名な舞台俳優の伝記を読み漁っていたという。

1970年代後半、それまでのイギリス、そして世界のロックシーンを支配していたレッド・ツェッペリンピンク・フロイドなどは「ダイナソーロック」と代名され、嘲笑されるものとなった。この頃にライドンはレッド・ツェッペリンのボーカル、ロバート・プラントの前に(ふざけて)ひざまつき、神の如く拝める仕草をし(プラントは70年代、『黄金の神』というニックネームを持っていた)、プラントに頭を蹴られそうになったことがある。しかしレッド・ツェッペリンそのものの音楽性は好みらしく(主に後期ツェッペリン)、後年になるとプラントの作詞能力を認める発言もしている。本人曰く「フィジカル・グラフティこそ最高だ!」。この優柔不断なキャラクターもライドンの魅力の一つであろう。

実はピンク・フロイドの故シド・バレット、デビッド・ギルモアやロジャー・ウォータースとも親交があり、マリブの邸宅はご近所様なのでよく連れだってリムジンに同乗し、パーティーに出かけたりしていた。イギリスのミュージシャンはよくインタビューでは悪態をついているがイメージを演じているだけであって実生活は互いに仲が良いというのはよくある話。

近年、アメリカのテレビ番組でシド・ヴィシャスに関してコメントを求めらた時は、「ピストルズなんて聴いた事ないんだろ?」と悪態をつきながらも、「あの頃はみんな自分の事だけで精一杯で、誰もあいつを助けてやれなかったんだ」と言って涙を見せた。ジョンにとって、シドは悪ガキ時代の大切な仲間だった事が窺える。

女性ボーカルバンドや女性ミュージシャンが大好きでシンディー・ローパーとは特に仲が良い。PIL時代、96年ピストルズ再結成時を通じてツアーの前座には新人女性ミュージシャン&バンドを起用していた。ソニック・ユース、シュガーキューブスやL7などがブレイクを果たし、彼の見る目の確かさを物語っている。PIL時代は開演前のBGMもダイアナ・ロスやマドンナ等およそ彼のイメージからは想像も付かない曲ばかりを流していた。

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ ジョニー・ロットンの愛称は、歯磨きの嫌いな彼の汚い歯の状態から付けられたという説と、ピストルズのギターのスティーブ・ジョーンズが彼の態度の悪さに「お前は腐ってる」と言ったことから付けられたという説がある。


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