ノエル・ギャラガー
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ノエル・ギャラガー | |
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基本情報 | |
出生名 | ノエル・トーマス・デイヴィッド・ギャラガー Noel Thomas David Gallagher |
出生日 | 1967年5月29日 |
出身地 | イングランド・マンチェスター |
ジャンル | ロック ブリットポップ |
担当楽器 | ギター ボーカル |
活動期間 | 1991年~現在 |
レーベル | クリエイション・レコーズ ソニーBMG |
共同作業者 | オアシス |
公式サイト | oasisinet.com |
ノエル・ギャラガー(Noel Gallagher, 1967年5月29日 -)は、イギリス・マンチェスター・バーネイジ出身のミュージシャン。本名はノエル・トーマス・デヴィッド・ギャラガー(Noel Thomas David Gallagher)。血液型はO型。
目次 |
[編集] 概説
英国を代表するバンド、オアシスのギタリスト・ボーカリストであり、バンドの楽曲のうち、ほとんどの作詞作曲を手がけている。近年では他のメンバーの楽曲がアルバムに占める割合が増えたものの、「バンドを国連で例えるのなら、俺はアメリカ」と発言。実質的なリーダーであることに変わりはない。
同バンドのリード・ボーカリスト、リアム・ギャラガーの実兄。
「Don't Look Back In Anger」や「Wonderwall」に象徴されるような卓越したメロディ・センス、高いソングライティング能力で、オアシスを一躍世界的ロックバンドに押し上げた。「Don't Look Back In Anger」など、いくつかの楽曲ではリアムに変わってリードボーカルも担当し、リアムに劣らぬ歌唱力を持つ。
ビートルズをこよなく愛する、実はトラッドなロックスター。弟リアムが熱烈なジョン・レノン派であるのに対し、ノエルはポール・マッカートニー派。
しばしばアコースティック・ギターでソロ・パフォーマンスをすることがあり、ノエル単独のラジオ出演の際などにはアコースティック・ライブが行われることが極めて多い。
ベストアルバム「Stop The Clocks」のプロモーションツアーでは、ノエル、ゲム、テリー・カークブライドの3人でのアコースティックライブも披露している。このプロモーションツアーで来日した際も、アルバム発売日である11月15日に恵比寿リキッドルームでシークレットライブを行ったり、僕らの音楽などにも出演し、2曲演奏している。
[編集] 生い立ち
ノエル・ギャラガーは1967年、母ペギーと建築現場作業員の父トミーギャラガーとの間に3兄弟の次男として生まれた(長男ポール、三男リアム)。ノエルと彼の兄弟はアルコール依存症であった父親から暴力を受けて育ち、後に母と3兄弟全員で父のもとから夜逃げし、ギャラガー兄弟の両親は離婚している。長男ポールと次男ノエルの2人は、幼少の頃、父からのDVによる不安、緊張、ストレス等の心理的影響から吃音を発達させた。現在、父親とギャラガー兄弟とは長らく絶縁状態にある。逆に、ギャラガー兄弟は母親を大切に思っており、ノエルは、母ペギーが学校のカフェで働いていた時、学校の昼食の時間には母のもとにいつも立ち寄っていたという。ノエルはよく授業をサボる生徒であり、「学校に関しちゃ良い思い出が全くない。教師も学校もクラスにいるやつらもみんな大嫌いだったからな。」とも語っている。ノエルは13歳の時、万引きで6ヶ月の保護観察処分を受け、それと同時期に、ギターでラジオから聴こえてくる音楽を独学で模倣し始める。彼は、1983年ザ・スミスがトップ・オブ・ザ・ポップスでパフォーマンスした"This Charming Man"から強くインスパイアされている。後に彼は、「その日から、ジョニー・マーになってやろう、そう思うようになったんだ」と語っている。
彼はティーンエイジャーの頃から父親の働いている建築会社で働き始める(その為、彼がティーンの頃は父とのコンタクトを断続的にだが継続させた。)が、後にそれを辞め、ブリティッシュ・ガス(英国のガス会社)に下請けされた別の工務店に配管工として就職する。そこで彼は、鋼鉄製のガスパイプのキャップを右足に落とし負傷するが、その怪我が回復する間、会社は肉体的にそれほど負担にならない倉庫での仕事をノエルに任せるようになる。その期間、彼はギター練習やソングライティングに時間を割く余裕が持てるようになったという。この時期に書き上げた曲には、後にオアシスの1stアルバムに収録されることとなる名曲「Live Forever」や「Columbia」等が含まれる。ノエルは1980年代後期の多くの期間を失業しており、この時期は気晴らしにドラッグをやったり、ソングライティング、ギターの練習などをして過ごした。この時期の彼の音楽的な関心は、ビートルズが主であり、他にはT・レックス、ザ・フー、ローリング・ストーンズ、スレイド、ザ・キンクス、スモール・フェイセズなどを熱心に聴いていた。
1988年5月、ストーン・ローゼズのギグを見に行った時、ノエルはインスパイラル・カーペッツのギタリストであるグラハム・ランバートと会い、知り合いとなる。後に、インスパイラルのボーカルであったスティーブ・ホルトがバンドを抜けた時、ノエルはインスパイラルの新しいボーカリストのオーディションを受ける。オーディションには落選してしまうものの、代わりに、彼らのローディーとしての職を得ることになる。ノエルはインスパイラル・カーペッツのローディーを約2年間務め、この間、アメリカツアーなども経験。ドラムの演奏などもローディ時代に覚えたもののようである。彼は当時を振り返って、「あの頃はとても良い思い出になっている。1週間働いて750ユーロの生活。身なりを気にする必要もなくて、インタビューも受けなくていい。面倒なことは何も無いだろ。」と語っている。1992年、ノエル24歳の時にオアシスに加入。1992年1月15日、オアシスがノエル加入後初のライブを行う。彼にとって、バンドをやるのはこれが初めてであった。
以降の歴史はオアシスの歴史の項を参照のこと。
[編集] 家族
1997年にメグ・マシューズと結婚。2000年1月にマシューズはアナイス・ギャラガーを出産するものの、同年9月にノエルとマシューズは離婚。ノエルは「(結婚を)よく考えずに決めたから離婚する羽目になった。一番の犠牲者は元妻との間に生まれた子供だ。」と後にコメントしている。ノエルの現在のガールフレンド、サラ・マクドナルドは、2007年9月22日にDonovan Rory MacDonald Gallagherを出産。(ちなみに、リアム35歳の誕生日の一日後のことである。)
[編集] 使用楽器
エレクトリック・ギターは1998年頃までエピフォンをメインで、現在ではギブソンのES-355をメインで使用している。特にエピフォンのギターはデビュー初期より愛用しており、自身のシグネチャーモデル、その名も「supernova」というギターも発売されている。但し生産数も僅かな為入手は年々困難になりつつある。
アコースティック・ギターはギブソン・J-200など。
かなりのギター・コレクターでもあり、オフには楽器店を訪れることが多い。50年代~60年代のギブソンのギターがお気に入りである。95年のインタビューではギターは18本持っていると答えていたが、サマーソニックで来日した2005年では「93本所有している」と発言していた。
レコーディングでは、ベースやドラム、キーボードも担当するマルチプレイヤーである。
本来は左利きであるが、ギターは右利きで演奏する。
[編集] エピソード・人物
- 1995年に"Don't Look Back In Anger"をどちらが歌うかでリアムとケンカ。兄弟げんかのエピソードは枚挙に暇がない。
- 1996年にポール・マッカートニーと対面した際「俺が今日交通事故で死んでも、世界一幸せな人間として死ねる」と発言した。
- 1996年のMTV Unpluggedにオアシスとして出演予定だったが、リアムが喉の不調を理由に出演を拒否したため全曲でボーカルを務めた。このためリアム以外のメンバーも参加したにも拘らず出演名義は「ノエル・ギャラガー」になっている。ちなみにリアムはバルコニー席で酒を飲み、(喉の不調であるはずにも関わらず)タバコをふかしながら観覧している姿がカメラに捕らえられているので、単なるサボリとの説もある。
- 他のバンドを名指しで酷評するなど、ビッグマウスで有名だが、ノエルは、「ドラッグなんて紅茶を飲むようなもの」「スーパーのレジが混んでる時はムカつくから、しかえしに万引きしてる」といった問題発言をかつてしたことがある。
- ノエルの最も有名かつ悪名高いものとして95年の、「ブラーのデーモンとアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」という発言がある。プレスなどを通じて日常的に互いのバンドをけなし合っていたブラーとオアシスだが、シングル同時発売対決でオアシスの方が破れ、その後悪態をつきまくったノエルが発言したものである。当時のマスコミやエイズ関連団体はノエルを大バッシングし、社会問題にまで発展、ノエルは謝罪した。現在、ブラーとの確執はすっかりなくなった模様。近年、気に入らない他のバンドの音楽は相変わらず酷評しているが、こういった(音楽とは別次元の)暴言を吐くことはほとんどなくなった。
- 大好きな酒とタバコは現在も続けているが、ドラッグに関しては98年で止めた。
- 2006年11月15日、オアシスのベストアルバム「Stop The Clocks」の日本盤発売日に「笑っていいとも!」のエンディングゲストとして出演し、司会のタモリにノエル自身のサイン入りのアナログ盤をプレゼントした。
- 意外であるが、いくつかのインタビューで「ビートルズは大好きだし、彼らと比べられるのは光栄だけど、オアシスとビートルズが音楽的に似ていると感じた事はない。彼らのファッションとか物の見方には影響を受けているけど、音楽的にはローリング・ストーンズやセックス・ピストルズの方がより近いんじゃないかな。」という旨の発言をしている。
- クラークスの靴を愛用。アディダスも愛用ブランドの1つ。自身のアコースティックギターにもアディダスのロゴシールが貼られている。日本のファッション雑誌でも、私服写真が掲載されるなど、オシャレ好きである。
- 一般的なイメージとは裏腹にファンに優しく接しサインも気軽に応じるリアムとは対照的に、ノエルは比較的ファンに冷たくサイン嫌いを公言している。
- クリスマスが嫌いであると発言している。曰く「俺はクリスマスが大っ嫌いなんだ。ラジオから流れる馬鹿らしい音楽やCMには我慢ならない。」また、「“サンタクロースなんて、この世にはいない”って娘に言いたくて仕方なかった。」ともコメントしている。
- 無神論者である。ノエル曰く、「俺は信じていない。信仰はあるけど、神の存在なんて有り得ないだろう?」「すべてを支配する大きな存在を信じている人もいるようだけど、俺はそんなことはくだらないと思ってる。もし神が存在するんなら、あまりにも役に立ってなさすぎだよ。毎年テロ、飢え、津波とかで人が死んでる。ツインタワーに飛行機で突っ込んだヤツらだって神のためだって言ったけど、ふざけんなって感じだよ。」
- 大のサッカーファンであり、イギリスでは有名なサッカー番組であるSoccer AMにも何度か出演している。マンチェスター・シティFCのサポーターであり、マンチェスター・ユナイテッドFCが大嫌いであると度々発言している。
- 2007年10月、ウェイン・ルーニーの婚約者であるコリーン嬢は、ギブソン社のレス・ポールをルーニーの22歳の誕生日にプレゼントする際、ノエル・ギャラガーにサインを入れてくれるよう申し出た。ノエル・ギャラガーはルーニーが所属するマンチェスター・ユナイテッドが大嫌いであり、逆にユナイテッドのライバルであるマンチェスター・シティの熱狂的ファンとして有名だが、これを絶好の機会と考えて快諾。バンドのギター・テクニシャンに命じてギターをマンチェスター・シティのイメージカラーである空色に塗り直させ、マンチェスター・シティのクラブ・アンセムである「ブルー・ムーン」の歌詞をボディ・トップに書き込んでルーニーに届けさせた。ルーニーはこれを見て大爆笑したが、さすがに自宅にこれを置いておくわけにもいかず、チャリティ・オークションに出品した[1]。
- 日本のロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONのバンド名を「クソ素晴らしいバンド名だ。」と評価している。
[編集] バンド外の活動
ソロ活動を何度となく噂されているが、現段階ではソロ名義の作品は劇場版Xファイルのサントラに提供されたインスト曲"Teotihuacan"だけである。この曲はメキシコのティオティワカン遺跡にインスパイアされて作られた作品である。
しかしながら、「曲もあるしいつかはソロ・アルバムを1枚くらいリリースしたい」ともインタビューで語っている。
他アーティストとの競演(一部、正式な音源のみ)
- Setting Sun/ケミカル・ブラザーズ。ボーカルで参加(1995)。この曲は日産、エクストレイルのCMにタイアップされている。
- Come Together/Mojo Filters ギターで参加。ボーカルはポール・ウェラー、ベースはポール・マッカートニー(1996)
- Temper Temper/Goldie ギターで参加。PVにも出演。(1997)
- Let Forever Be/ケミカル・ブラザーズ ボーカルで参加(1999)
- Keep What Ya Got/イアン・ブラウン 楽曲提供。(2004)
- Shoot Down/プロディジー ベースで参加。(2004)
ポール・ウェラーとの共演
- 1995年のアルバム、Stanley Road(英1位)のI Wark On Gilted splintersにギターで参加
- 1999年のThe Jamのトリビュートアルバム、Fire And SkilのTo Be Someoneをカバー、LiamのCarnationにギターで参加
- 2002年のアルバム、Illumination(英1位)のOneXOneにベース、パーカッション、ドラムで参加(ギターはゲム)