テイク・ザット
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テイク・ザット(Take That)はイギリスのポップ・グループ。マンチェスターで結成され、ポップ・ミュージックの先駆者として認められており、後のバックストリート・ボーイズ、スパイス・ガールズ、5ive、ウエストライフなどのポップ・グループ、そしてボーイズバンドの流行を作った。1990年から1996年の間に2500万枚を売り上げた。1991年に初めてシングルをリリースしてから解散する1996年までの間イギリスのテレビ局、BBCでは「UK音楽史上、ビートルズ以来、最も成功したバンドで老若男女問わずに愛されている」とたびたび報じられたほど。ダンス・ポップ調やバラードの曲に人気があり、1990年代前半のチャートを占めていた。1993年にアルバム、Everything Changes、1996年にGreatest Hitsをリリースしている。1996年に解散しているが、2005年にはテイク・ザット特集のドキュメンタリー番組が放送され、また同年にはベスト盤を再度リリース。2006年にはイギリスでツアーを開始すると発表された。同年5月9日には10年ぶりにニューアルバム製作にむけてスタジオ入りした。2006年のイギリスでの再結成ツアーは大成功を収め、2006年末には再結成後初のアルバムもリリース。2007年3月には再結成後初めて日本でのアルバムのプロモーション来日を果たした。2007年秋からは世界ツアーと称してイギリスとヨーロッパ各地で再び大々的なライブツアーが行われた。
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[編集] 結成
イギリスのチェシャーで生まれたゲイリー・バーロウは15歳のときにイギリスのテレビ局、BBCで主催で開催されたA Song For Christmasというコンテストに出場。Let's Pray For Christmasをパフォーマンスした。そのコンテストで準決勝まで勝ち進むと、London's West Health Studiosにレコーディングをしないかと招待される。これがきっかけで、Northern club circuitというところで彼自身の歌やカバー・ソングを披露するようになった。18歳になるとマンチェスターでカーティス・ラッシュという名前でレコーディング活動をはじめた。ここでランカシャーで生まれたマーク・オーウェンと出会う。意気投合した2人は共にパフォーマンスをするようになり、歌唱力を認められつつあった2人はマネージャーを探すように薦められる。ブレイク・ダンサー、DJをしていたジェイソン・オレンジはRDS Royalというグループでクラブでパフォーマンスしていた。画家、室内装飾業者をしていたハワード・ドナルドはストリート・ダンスで一躍有名となり、テレビ番組、 The Hitman and Herという番組にたびたび出演するようになる。ドナルドがかねてからオレンジのダンスに感銘をうけており、2人はStreetbeatというグループを結成する。1990年にイギリスの有名なマネージャーであるマーティン・スミスが「いまのUKチャートには新しいバンドが必要」と思いたち、バーロウが歌詞をつくり、オーウェンがそれを歌い、ハワードとオレンジがダンスを披露するというまさにボーイ・バンドを作りはじめる。しかし、スミスはそれでも踊れて歌える才能がある人を探していた。これをある雑誌の広告で見たロビー・ウィリアムズがサラリーマンをやめ、オーディションに参加する。スミスはウィリアムズをあまり好まなかったが彼の才能を認め、ウィリアムズはテイク・ザットのメンバーになる。
[編集] デビュー当初
そろった5人は自らテイク・ザット(Take That)と呼ぶようになる。この名前はある日読んだ新聞にマドンナについて記事が書かれていて、そこに書いてあった単語、"Take That"からとった。また、バーロウは次のようにコメントをしている。「これはいくつもの案の中でも悪いやつ。でも最初のアイディアよりはまし。だって最初のアイディアはKick Itだったんだから。」最初の2年はイギリスのゲイ・クラブや高校で主にプロモーションを兼ねたライブ活動をしてた。ゲイ・クラブでの活動やそのパフォーマンス・ファッションに注目が集まり、「マネージャーのマーティン・スミス氏はゲイだ」というパロディ・ソングなども歌われた。結果、1992年には念願のメジャー・レーベルと契約。ファースト・シングル、"Do What U Like"(UKチャート82位)のプロモーション・ビデオでは、メンバーが裸になり、ゼリーを体に塗りつけるという過激な内容であった。こうしたゲイ・クラブでのライブの経歴などから、「ゲイ・バンド」という先行したイメージがもたれ、また重要である10代の女性層に人気がなく、その後リリースされた"Once You've Tasted Love" と"Promises" はUKチャートにもやっとランクインする程度であった。
[編集] 成功
ジョナサン・キングのカバー曲、"It Only Takes A Minute"をリリースすると、たちまちヒット曲となる。テンポが早く、ダンス調のこの曲はUKチャート7位をマークした。この動きから、次のバラードソング"A Million Love Songs" と "I Found Heaven"は両方ともトップ20にランクインした。しかしこれらの曲は、UKチャートのトップテン上位には及ばなかった。起死回生を図るため、ボーカルをこれまでのゲイリー・バーロウからロビー・ウイリアムスに変更し、バリー・マニロウ、ドナ・サマーのヒットをカバーした"Could It Be Magic"をリリースすると大ヒットとなった。この4曲のヒットでテイク・ザットは公の場でパフォーマンスを行うようになる。1992年にはアルバム、"Take That & Party"をリリースした。1993年は アルバム、"Everything Changes"をリリース。このアルバムは、バリー・マニロウのヒット曲をカバーしたものがほとんどであった。このアルバムからの1stシングル、"Why Can't I Wake Up With You"がUKチャート2位をマークすると、その次のシングル、Prayが初めてUKチャート・ナンバー1を獲得する。それに続き、"Relight My Fire"、"Babe" (しかし、この曲は・クリスマス・ナンバー1ソングを逃した。)、そして"Everything Changes"が1位をマークする。5枚目のシングル"Love Ain't Here Anymore"はUKチャート3位を記録した。またダイアナ元妃との会談、エルトン・ジョンとのテレビ番組など、一時代を築いた。1995年に"Nobody Else"をリリースし、このアルバムからのシングル"Sure"はUKチャート1位をマークすると、次のシングル"Back For Good"はアメリカで大ヒットとなった。この間も日本にプロモーションやライブで何度も来日している。
[編集] ロビー・ウィリアムズの脱退
1995年7月にロビー・ウィリアムズがマネージャー、メンバーとの意見の食い違いからテイク・ザットを脱退する。テイク・ザットはそれでもアルバム、"Nobody Else"のプロモーション活動を続けた。特に人気のあった"Never Forget"をパフォーマンスし続け、日本にも4人で4度目の来日を果たし、国立代々木競技場にて2日連続のライブを行なった。しかし、これが解散前の最後のテイクザットとしての来日公演となってしまった。
[編集] 解散
ロビー・ウイリアムスなきテイクザットの行く末は、マネージャーのマーティン・スミス氏が初めから目論んでいた、ゲイリー・バーロウの単独ソロでの成功しかなかった。1996年2月13日、テイク・ザットは解散を発表する。このニュースは世界中のファンの心に衝撃を与え、電話相談サービスが設けられたほどである。ファンの悲嘆は予想以上で、メンバーのハワード・ドナルドも自殺未遂をするほどの状況であった。解散前最後のアルバムとして、1996年にベスト盤、"Greatest Hits"をリリース。またこのアルバムに新曲、"How Deep Is Your Love(愛はきらめきの中に)"が加えられ、最後のナンバー1シングルとなった。同曲はビー・ジーズの大ヒット曲でもある。
[編集] 解散後
[編集] ゲイリー・バーロウ
解散後、バーロウはソロ活動を始め、アルバム、"Open Road"を1997年にリリース。また、シングル、"Forever Love"はUKチャート1位をマークした。この後、2枚目のアルバム、"Twelve Months, Eleven Days"をリリースしたが前作ほどのヒットには至らず、レーベルと契約を解除。するとメディアはそろって、「バーロウは遅いテンポのバラードしか歌えない」と報じられた。アメリカ進出を目指すも、難しくストレスによる肥満などに悩まされた。チェシャーにスタジオを作ってからは、作詞家やプロデューサーとして活動していた(主にドニー・オズモンド、ブルー、デルタ・グッドレムに楽曲をあたえた)。
[編集] ロビー・ウィリアムズ
1997年にソロアルバム、"Life Thru A Lens"をリリース。ファースト・シングル、"Freedom '90"はジョージ・マイケルのカバー・ソングである。5枚目のシングル、"Angels"が大ヒットし、これは彼の代表的な曲といえる。それからは"I've Been Expecting You"、"Sing When You're Winning"、"Escapology"と数々のアルバムをリリースし、2005年には世界中でトータル4,500万枚を売り上げたとしてUKで「最も売り上げの多い歌手」、「イギリス音楽史上、もっとも成功した男性ソロアーティスト」と名づけられた。
[編集] マーク・オーウェン
今までにソロで3枚のアルバムをリリースしている。解散後、ソロとしてのデビューシングル"Child"はUKチャート3位になる。続くセカンドシングル"Clementine"もUKチャートの3位を記録する。他のメンバーに先駆けて1996年12月に"Green Man"を発売。その後もシングル"I Am What I Am"をUKにてリリースする。 2002年には、テレビ番組"Celebrity Big Brother"で勝ち残りナンバー1になったことで、再び世間の注目を集める。2004年にイギリスで4位にチャートインした"Four Minute Warning"を含む"In Your Own Time"(日本では未発売)を発売。その後もシングル“Alone Without You”をUKリリース。 そして2006年1月には"How the Mighty Fall"をリリース。シングル曲"Hail Mary"も同年UKリリース。
ソロでもイギリスや、ヨーロッパ各地で何度もプロモーション&ライブツアーが行なわれている。すべてのソロアルバムで自身が作詞作曲し、"How the Mighty Fall"では独自のレーベルを立ち上げ制作したほど、ソングライティングにはとても熱心で意欲的である。日本でも"Green Man"発売時にプロモーションで単独で来日、2006年にも"How the Mighty Fall"発売時に、プロモーションとミニライブでの単独来日を果たしている。また、バンド結成時からの親友ロビー・ウィリアムズのライブやツアーに予告なく登場するなどして、2人は今でも良い関係だと言われている。2007年の夏に再びソロアルバムの制作に取り組むという噂があったが実際のところは定かでない。
[編集] ハワード・ドナルド
シングル、"Speak Without Words"を収録したが、発売までには至らなかった。その後、イギリス、ドイツでDJとして活躍しクラブをめぐるツアーを何度も行なっている。
[編集] ジェイソン・オレンジ
アクターズスクールにて演技を学び、俳優として、イギリスのミュージカルやTVドラマに出演。
[編集] 再結成
テイク・ザットはまだ終わっていない・・・新しいアルバムの製作にとりかかるよう、”合法的”に契約を結ばされた。2005年11月16日、ITVに出演、解散時どのような気持ちであったか、また解散してから今までの10年、何をしていたかなどをテーマにした、ドキュメンタリー番組を放送。(脱退したロビー・ウィリアムズも出演)この番組ではテイク・ザットの本音、関係者の暴露、共に共演したアーティストの暴露などが放送された。テイク・ザットはデビュー当時からマネージャーの「お酒、タバコはだめ、ガールフレンドは絶対につくらない」という方針に縛られていた。そんな中でメンバーのウィリアムズがドラッグとアルコール中毒になったのは有名な話。(関係者によると一番ひどいときで1時間に2回コカインを使っていた。)また、ハワードが「マネージャーは知らないけど、実際何人もの女性と一緒に寝た。」と暴露。すると共演したある女性アーティストが「ええ、それは私よ。ウィリアムズとも寝たわ。」とコメントを残した。同月26日には2006年からロビー・ウィリアムズを除く4人でツアーを開始すると発表。2006年4月から当初11公演の予定であったツアーはすぐにチケット完売となり、19公演を追加。2ヶ月に渡るツアーを成功させた。また、アメリカの人気女性グループ、プッシー・キャット・ドールズやシュガーベイブスなどがゲストとしてテイク・ザットと共にパフォーマンスをした。ウィリアムズがツアーに参加しない間、メンバーはしきりにライブでこのようにコメントした。「ロビーを迎え入れるドアはいつも開いている!もしなにか退屈になってもし歌が唄いたくなったら、いつでも準備はできてる!僕達は彼のためにもう1つ余分にマイクを用意しているんだ!」新しく発売されたテイク・ザットのベスト・アルバムには新曲、"Today I've Lost You"が収録されている。(同曲は解散する直前に仕上げられ、未発表となっていた。)
テイク・ザットの再結成、そして成功は他のアーティストに多大な影響を与えた。後に説明するブリット・アウォーズでは受賞の際、ナレーションで「解散してから再結成して、ここまで成功するアーティストはいままでにはなく、これからもないだろう。」と言われた。また、5ive、ボーイゾーンの再結成に影響をあたえた。(5iveは契約できるレコード会社がなく再び解散。)長期にわたって再結成が噂されていたスパイス・ガールズも2007年6月28日に正式に再結成を発表し、「テイク・ザットに影響されている。」と語っている。
[編集] PatienceとBeautiful World
2006年5月9日にテイク・ザットは約10年ぶりにレコーディング活動を再開する。メンバーのオーウェンは「これまでにない最高のアルバムをつくる。」とコメント。また、ドナルドがロビー・ウィリアムズに再結成、レコーディング活動再開のことを伝えたとコメントするとウィリアムズが戻ってくるのではないか、と噂が流れ始めた。同年9月10日にはシングル、Patienceがテイク・ザット再結成後初のシングルになると発表。音楽産業界は「待つ価値がある。」とそろってコメントをした。2006年11月20日にシングル、"Patience"をリリースすると、2週目にはUKチャート1位をマーク。テイクザット9度目のチャート1位を記録した。また同曲は2006年シングル売り上げランキング8位に輝く。ドイツでは1週目のチャートで"Back For Good"(1995年)以来のチャート1位をマーク。アルバム、"Beautiful World"は2006年12月6日にUKチャート1位を記録。6週間連続でUKチャート1位をマークし、2006年アルバム売り上げランキングでは2位に輝いた。また同アルバムは"Nobody Else"以来、約11年ぶりのトップ・アルバムになった。
2007年1月にはイギリスの女性雑誌、『New Woman』でジョニー・デップ(3位)、オーランド・ブルーム(4位)、ジョージ・クルーニー(6位)、ブラッド・ピット(7位)、ジャスティン・ティンバーレイク(10位)、デビッド・ベッカム(20位)を抑えてテイク・ザットとして世界で1番セクシーな男性に選ばれた。
[編集] Shine
2007年の初頭にはアメリカのレコード会社と契約し、ニューアルバムである"Beautiful World"はカナダでもリリースされることになった。約10年ぶりにニューアルバムをリリースし1ヶ月でUKのみで150万枚を売り上げ、見事音楽シーンにカムバックしたテイク・ザットはスペイン、デンマーク、イタリア、ドイツ、台湾、日本でプロモーション活動をし、2007年10月にはイギリスとヨーロッパ各地で世界ツアーを開始する。
このニューアルバム、"Beautiful World"から、"Patience"につづく2ndシングルとして"Shine"が2007年2月26日にリリースされた。それにさきがけ、イギリスの番組、チャンネル4ではビデオが同年1月15日に放送された。2007年2月14日にはイギリス、Earl's Courtで開催された音楽の祭典、ブリット・アウォーズで"Patience"をパフォーマンスし、同曲は見事ベスト・シングル賞を受賞した。3月4日には"Shine"がUKチャート1位を記録し、生涯で10度目のナンバー1シングルとなった。これはアバ、スパイス・ガールズの記録、9曲を抜いたことになる。マーク・オーウェンによって歌われる"Shine"の歌詞は脱退したロビー・ウィリアムズに対するものではないかと噂されているが定かではない。 "Shine"につづく3rdシングルとして"I'd Wait For Life"がUKで6月18日にリリースされたが、この曲は、なぜかUKチャート上位をマークできなかった。しかし、1stシングルの"Patience"と2ndシングルの"Shine"はUKチャートでロングランし続けた。
[編集] 2007年
2007年8月に欧米にかけてヒットしたマシュー・ヴォーン監督作映画、スターダストのメインテーマとして新曲、ゲイリーがメイン・ヴォーカルを努める"Rule The World"をレコーディング。ITV2ではプロモーションビデオが公開された。この映画のサウンドトラックには収録されない予定でテイク・ザット自身の新作アルバムに収録される予定である。また、同曲は2008年度のアカデミー賞(歌曲賞部門)にノミネートされる期待がたかまったが、結局ノミネートされなかった。シングルとしては2007年10月22日にUKでリリースされた。
2007年秋からはヨーロッパをツアーで回った。一時メンバーのハワードが出演中に怪我をしたため、数公演を3人で回ったことがあったが後に復帰して無事最後の公演を終えた。
[編集] 2008年
2007年の成功により、2008年のブリット・アウォーズにベスト・グループ、ベスト・シングル(Shine)、ベスト・アルバム(Beautiful World)、ベスト・ライブ・アクト部門の計4部門にノミネートされた。このうちベスト・シングルとライブ・アクト部門の2部門を受賞した。
再結成ライブとBeautiful World Liveの2つの大規模なライブを成功させたテイク・ザットは2008年は8月まで休暇を取り、秋から新たなアルバム制作に取り組む予定である。
[編集] ロビー・ウィリアムズの復帰について
2007年4月、元テイク・ザットメンバーのロビー・ウィリアムズの母が、彼自身テイク・ザットの最近の功績やまたメンバーの一員になることに興味があると大衆紙に発表。またロビー自身もテイク・ザットに近い将来戻ることは「必然的なことである」とコメントした。2007年7月1日にイギリスで放送される故ダイアナ元妃の追悼コンサートであるコンサート・フォー・ダイアナでロビーが合流するのでは、と噂されたが、実現しなかった。 2007年夏にも再結成したメンバーらがLAで再度ロビーのメンバー入りを口説くが失敗に終わる。最終的にはしびれを切らしたかのごとく、インタビューでゲイリーらは「彼の居場所はもうない」と語った。
[編集] ディスコグラフティ
[編集] オリジナルアルバム
- テイク・ザット&パーティ - Take That and Party
- エヴリシング・チェンジズ - Everything Changes
- ノーバディ・エルス - Nobody Else
- ビューティフル・ワールド - Beautiful World
[編集] シングル
- Do What U Like - Do What U Like(1991年)
- プロミス - Promises(1991年)
- ワンス・ユー テイステッド・ラヴ - Once You've Tasted Love(1992年)
- イット・オンリー・テイクス・ア・ミニット - It Only Takes A Minute(1992年)
- アイ・ファウンド・ヘブン - I Found Heaven(1992年)
- ア・ミリオン・ラヴ・ソングス - A Million Love Songs(1992年)
- 恋はマジック - Could It Be Magic(1992年)
- Why Can't I Wake Up With You - Why Can't I Wake Up With You(1993年)
- プレイ - Pray(1993年)
- リライト・マイ・ファイア - Relight My Fire(1993年)
- ベイブ - Babe(1993年)
- エヴリシング・チェンジズ - Everything Changes(1994年)
- ラヴ・エイント・ヒア・エニモア - Love Ain't Here Anymore(1994年)
- シュア - Sure (1994年)
- バック・フォー・グッド - Back For Good(1995年)
- ネヴァー・フォーゲット - Never Forget(1995年)
- 愛はきらめきの中に - How Deep Is Your Love(1996年)
- ペイシェンス - Patience (2006年)
- シャイン - Patience(2006年)
- アイド・ウェイト・フォー・ライフ - I'd Wait for Life(2007年)
- リーチ・アウト - Reach Out(2007年)
- ルール・ザ・ワールド - Rule The World (2007年)
[編集] 外部リンク
- TakeThatTV.comOfficial Website(UK所属レコード会社Polydorの公式サイト)
- テイク・ザット (Take That) 歌詞
- TakeThat4ever.dk Danish Fan Website