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マドンナ (歌手) - Wikipedia

マドンナ (歌手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マドンナMadonna 本名:Madonna Ciccone Ritchie、1958年8月16日-)は、アメリカ合衆国ミシガン州出身の歌手女優映画監督文筆家実業家イギリス映画監督であるガイ・リッチー。元夫は映画「上海サプライズ」で共演したショーン・ペン1985年8月16日結婚1989年1月10日離婚)。愛称は代表曲から来た「マテリアル・ガール(Material Girl)」、近年では「ポップス界の女王(Queen of Pop)」とも言われる。

80年代初頭のニューヨークのダンスクラブ・シーンに登場し、1984年の大ヒット曲ライク・ア・ヴァージン』を機にポピュラー音楽チャートで成功を収め、その大胆で挑発的なイメージで一躍世界的なメガスターになる。アルバムの代表作に『トゥルー・ブルー』、『ライク・ア・プレイヤー』、『レイ・オブ・ライト』などがあり、シングルの代表作に『ホリディ』、『クレージー・フォー・ユー』、『ヴォーグ』、『ミュージック』、『ハング・アップ』など多数がある。

MTVの登場により人気を得たミュージック・ビデオを巧みに活用しながらポップアートと音楽を融合し、現象的な成功[1]を収める。セックス・シンボルとして不動の位置を固めるが、その後多様なイメージの変遷を繰り返し現在に至る。彼女の活動は音楽にだけに止まらず、レコード会社の設立、映画や舞台への出演、そして近年では児童書の執筆や映画監督なども行っている。2000年の『ギネスブック』では「史上最も成功した女性アーテイスト」とも記録された[2]

2008年には、ロックの殿堂入りを果たしている。

マドンナ(1996年、マドリードにて)
マドンナ(1996年、マドリードにて)
マドンナ(2005年7月、LIVE 8にて)
マドンナ(2005年7月LIVE 8にて)

目次

[編集] 来歴

  • 1958年8月16日、母の実家のあるアメリカ合衆国ミシガン州ベイシティ(Bay City)マーシー病院で、8人兄妹の3番目に出生。1987年ごろまで1961年生まれということにしていた(1989年に出たCD『ライク・ア・プレイヤー』のライナーには1958年生まれとはっきり書いてあるため、この頃までに元に戻したと思われる)。
  • 父はイタリア系シルビオ・チッコーネ、母はフランス系マドンナ・ルイーズ・チッコーネ。(母娘とも同名)
  • このとき家族は、同州ポンティアック市(Pontiac)に住んでおり、彼女もそれ以後そこで成長。後に家族が増えたため、同州ローチェスターヒル市(Rochester Hills)へ転居した。
  • 父は、GMのデザインエンジニア。実母はマドンナ(娘)が6歳の時乳がんで逝去した上,父はほどなく再婚してしまう。母の死や後の父・継母との確執は彼女の精神性に大きな影響を及ぼし、『Promise To Try』『Oh Father オー・ファーザー』などの楽曲で歌われている。弟や妹の面倒もよく見ていた。そんな中でも、多くの習い事を幼い頃からしており、最初はピアノを習っていたが、父親に「バレエを習いたい」と懇願し、変えてもらう。その後、モダンダンス、ジャズダンスなど、ダンスを多く習い始める。
  • 1977年、35ドルを手にグレイハウンドの長距離バスで郷里を後にニューヨークへ出発した。ニューヨーク到着後、タクシーの運転手に「この街で一番大きな場所へ行って!」と言い、タイムズスクウェアで降りたのは有名な話。なおベジタリアンとなったのもNY移住後である。
  • 1978年 ニューヨークで、『パトリック・エルナンデス・レビュー』にダンサーとして出演。他にも数々の職に就く。この頃出演していた成人映画が有名になってからビデオで発売された。
  • Dan Gilroy とバンド「Breakfast Club」を結成。

[編集] 歌手活動の経歴

詳細はマドンナの歌手活動の歴史を参照

[編集] 映画


以上がマドンナが主演してきた映画である。最悪の映画を選ぶゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)の常連でもある。最悪主演女優賞は 『上海サプライズ』 『フーズ・ザット・ガール』 『ボディ』 『2番目に幸せなこと/ネクスト・ベスト・シング』 『スウェプト・アウェイ』 の5回 (『スウェプト・アウェイ』 は最悪スクリーンカップル賞も)、これに最悪助演女優賞の 『フォー・ルームス』 『007 ダイ・アナザー・デイ』、2000年の特別賞としての20世紀最悪主演女優賞とあわせて9回の受賞歴がある。

[編集] 音楽

詳細はマドンナの音楽作品一覧を参照

[編集] 売上記録

全世界でのトータルセールスは2億5000万枚。

[編集] シングルセールス・ベスト10

  1. ハング・アップ(2005):870万枚
  2. ミュージック(2000):760万枚
  3. ヴォーグ(1990):600万枚
  4. アメリカン・パイ(2000):590万枚
  5. ソーリー(2006):540万枚
  6. ドント・テル・ミー(2000):500万枚
  7. ライク・ア・プレイヤー(1989):440万枚
  8. ライク・ア・ヴァージン(1984):400万枚
  9. ジャスティファイ・マイ・ラヴ(1990)、マイ・プレイグラウンド(1992):310万枚
  10. フローズン(1998)、ホワット・イット・フィールズ・ライク・フォー・ア・ガール(2001):300万枚

[編集] 全米1位獲得アルバム

[編集] 全英1位獲得アルバム

[編集] 日本国内での1位獲得アルバム

オリコン集計によるもの。

[編集] 全米1位獲得シングル

[編集] 全英1位獲得シングル

[編集] 『Hot Dance Music/Club Play』No.1獲得曲

米ビルボードにあるチャート・カテゴリーの一つがこの『Hot Dance Music/Club Play』。ダンスソング向けに作られたチャートで、1974年10月26日よりスタートした。マドンナは、これまでに計37曲をチャートNo.1に輝かせている。これは、アーティストの中では第1位の記録である。

[編集] 日本ゴールドディスク大賞

[編集] 1986年(第1回)

[編集] 1989年(第4回)

[編集] 1990年(第5回)

[編集] 1992年(第7回)

[編集] グラミー賞

マドンナは、過去に数多くの音楽賞を受賞またはノミネートされてきたが、実は意外にもグラミー賞は少ない。

ここでは、受賞したものだけ取り上げる。

[編集] 1992

  • Best Music Video,Long Form (Blond Ambition Tour)

[編集] 1999

[編集] 2000

  • Best Song Written for a Motion Picture (Beautiful Stranger)

[編集] 2001

  • Best Recording Package (Music)

[編集] 2007

[編集] アカデミー賞

[編集] 1991

  • Best Original Song "Sooner or Later"

[編集] 1997

  • Best Original Song "You Must Love Me"

[編集] ワールド・ツアー

マドンナのツアーは、開催される度に世界各国のメディアが報じるほど評判が高い。基本的には、アルバムの発売後にツアーを行なう。2001年の「Drowned World Tour」は、1993年の「The Girie Show Tour」から8年後に開催された。1994年にリリースされたアルバム『Bedtime Stories ベッドタイム・ストーリーズ』の後にツアーが予定されていたが、映画『エビータ』の主演が決定したために中止されたという逸話がある。2004年の「The Re-Invention Tour」では、10thアルバム『American Life アメリカン・ライフ』からの楽曲以外にも過去のアルバムからの曲がセットリストに組み込まれ、マドンナの歴代ツアーの中でも1990年の「Blond Ambition Tour」と争うほどの人気のあるツアーである。2001年の「Drowned World Tour」では、過去のツアーと比べかなりダンス・パフォーマンスが減った。

更に毎回、巨大セットにも注目が集まる。過去に登場した代表的なセットとしては、1990年の『Blond Ambition Tour』のオープニングで登場した、工場をモデルにしたセット、2006年の『Confessions Tour』での総額2億円のミラーボールと高さ6メートルの十字架などがある。これらの数々の巨大セットを上手く使用した演出もマドンナ独自のライブ演出としての特徴だろう。

そして、もう一つ欠かせない要素が毎回ファンを魅了するダンス。ツアーを重ねる度に、昔ながらの力強いダンス・パフォーマンスは減っていっているものの、年齢を感じさせない観客を魅了するダンスは常に健在である。

  • 1985年「The Virgin Tour」(4月10日~6月11日 全40公演)

(アメリカ/カナダ)

  • 1987年「Who's That Girl Tour」(6月14日~9月6日 全41公演)

(日本/アメリカ/カナダ/イギリス/ドイツ/オランダ/フランス/イタリア) 日本では同じ年にツアーを行ったマイケル・ジャクソンと合わせ「M・M旋風」と呼ばれた。

  • 1990年「Blond Ambition Tour」(4月13日~8月5日 全57公演)

(日本/アメリカ/カナダ/スウェーデン/フランス/イタリア/ドイツ/イギリス/オランダ/スペイン)

  • 1993年「The Girlie Show Tour」(9月25日~12月19日 全39公演)

(イギリス/フランス/イスラエル/トルコ/カナダ/アメリカ/プエルトリコ/アルゼンチン/ブラジル/メキシコ/オーストラリア/日本)

  • 2001年「Drowned World Tour」(6月9日~9月15日 全47公演)

(スペイン/イタリア/ドイツ/フランス/イギリス/アメリカ)

(アメリカ/カナダ/イギリス/アイルランド/フランス/オランダ/ポルトガル)

(アメリカ/カナダ/イギリス/イタリア/ドイツ/デンマーク/フランス/オランダ/チェコ/ロシア/日本)

  • 2008年「Sticky & Sweet Tour」

[編集] 特徴

[編集] ギター

『Drowned World Tour』から、マドンナはダンスのほかにギターを使用したステージも披露している。エレクトリックギターアコースティック・ギターを使用し、『The Re-Invention Tour』と『Confessions Tour』ではエレキ・ギターを弾くレベルが一段と高くなったことが分かる。

★エレクトリック・ギター

★アコースティック・ギター

[編集] 日本公演

  • 1987年「Who's That Girl Tour」

6月14(ツアー初日公演)・15日、大阪球場 6月21・22日、後楽園球場 東京公演初日6月20日の後楽園球場は雨天により中止となった。

  • 別途:マドンナ日本公演in1987
  • 1990年「Blond Ambition Tour」

4月13(ツアー初日公演)~15日、千葉マリンスタジアム(杮落とし) 4月20~22日、西宮球場 4月25~27日、横浜スタジアム

  • 1993年「The Girlie Show」

12月7~9日、福岡ドーム 12月13・14・16・17・19日(ツアー最終公演)、東京ドーム

12月7日、新木場STUDIO COAST

9月16日・17日(追加公演)、京セラドーム大阪 9月20日・21日(追加公演・ツアー最終公演)、東京ドーム

[編集] 書籍

  • SEX by MADONNA (1992年に発売されたヌード写真集。日本ではヘアが未修正だったことが問題となり増刷されなかった。)

[編集] 絵本

[編集] 映像作品

[編集] プロモーション・ビデオ

  • The Immaculate Collection/ベスト・ヒット・コレクション
  • The Video Collection/ベスト・ヒット・コレクション 93-99

[編集] ツアー

  • Ciao Italia/チャオ・イタリア-ライヴ・フロム・イタリー
  • The Girlie Show-Live Down Under/ザ・ガーリーショウ~from オーストラリア
  • Drowned World Tour 2001/ライヴ・イン・デトロイト 2001
  • The Confessions Tour/ザ・コンフェッションズ・ツアー(DVD+CD)

[編集] ドキュメンタリー

  • In Bed With Madonna/イン・ベッド・ウィズ・マドンナ(1991)
  • I'm Going To Tell You A Secret/アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット(2006)

[編集] アルバムのキャッチコピー

  • 1983:『バーニング・アップ』

A STAR IS BORN キューティ・ルック、キューティ・ヴォイス、ニューヨークの素敵な妖精マドンナ

N.Yからショッキング・センセーション! 時代は今マドンナに首ったけ

自由奔放、しなやかな感性。もっとセクシー、マドンナ86 全世界があなたに夢中

そして、スーパー・ヒロインは21世紀にはばたく

祈りが如く。伝説から神話へ。

完全、マドンナ

マドンナに、この世が燃えてしまう

マドンナがすべての恋人達に贈るロマンティックな夢語り(ベッドタイム・ストーリーズ)

愛の数だけやさしくなれる

愛する人々へ。マドンナが捧ぐひとすじの愛の光(レイ・オブ・ライト)

マドンナが歌う。世界が踊る。

究極、マドンナ

マドンナが語り始めた

YOU CAN DANCE!!

クイーン・オブ・ポップ:マドンナ ダンスフロアへ、ふたたび降臨

私の秘密を、話しましょう

あなた、告白した?-Have You Confessed?

最新型マドンナ・サウンド遂に完成!世界のトップ・ヒット・メーカーがこの1枚に集結!

[編集] チャリティ・ライヴ出演歴

[編集] 1985年 Live Aid

  • Hoiday
  • Into The Groove
  • Love Makes The World Go Round

マドンナは、アメリカのフィラデルフィアにあるJFKスタジアムからの出演となった。『Love Makes The World Go Round』はこのライヴ・エイドのために制作された楽曲で、後に3rdアルバム『トゥルー・ブルー』に収録された。

[編集] 2005年 Tsunami Aid:A Concert of Hope

  • Imagine

2004年12月下旬にスマトラ島沖地震により発生した津波で被害を受けた被災地を救うために放送された番組にマドンナはロンドンのスタジオから出演。前年に行なった自身のツアーでも披露した『Imagine』を熱唱。

[編集] 2005年 Live8

  • Like A Prayer
  • Ray Of Light
  • Music

ライヴ・エイドの第2弾ともいうべき最大のチャリティ・ライヴ。マドンナはロンドンのハイド・パークから出演。聖歌隊やダンサーを従え、自身の代表曲をパワフルに熱唱した。特に『Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー』では飢餓によって危険な状態だったとこから奇跡的に助かった女の子が登場。マドンナと手をつないで歌うステージはライヴ・エイト最大のハイライトの一つと言われている。

[編集] 2007年 Live Earth

地球温暖化の問題を訴えかけるために開催されたLive Earthにマドンナはロンドンのウェンブリー・スタジアムから出演。『Hey You』は、このライヴのために制作されたチャリティソングで、ダウンロードのみでの公開となった。マドンナは、ニューヨークのバンドEugene Hutzと『La Isla Bonita』でコラボ。『Lela Pala Tute』という曲をミックスさせたアレンジで披露した。

[編集] お騒がせ事件集

[編集] 大胆な十字架パフォーマンス

2006年の「Confessions Tour」の中で、マドンナは高さ6メートルの巨大十字架に自ら磔(はりつけ)となり往年の大ヒット曲『Live To Tell』を歌う演出が世界中の宗教団体から非難を浴びた。ヨーロッパ・ツアーの一環としてイタリア・ローマ公演の際、公演前からカトリック教会やイスラム教やユダヤ教指導者からの非難の声が続出。「無礼で悪趣味、かつ挑発的」、「神への冒涜に近い」とカトリック聖職者らは非難。更には、「国に帰ったほうがいい」とイスラム教やユダヤ教の指導者からも非難の声が出ている。 そんな中、8月6日のローマ公演での十字架パフォーマンスが非難を浴びる中で決行された。マドンナは、ローマ教皇ベネディクト16世を招待し、怒りを刺激。カトリック教会の中心地であるバチカン市国からわずか1.6キロ離れたオリンピック・スタジアムに来た約7万人の観客は十字架に磔になったマドンナが登場すると一瞬、静まり返ったという。

[編集] アフターパーティー 

2006年9月20日(水曜)東京ドーム公演終了後「都内某クラブにてマドンナがアフターパーティーを行う」とうたった情報がmixi上で流され、熱心なファンの間で話題に。「早めの入場でないと入れない場合がある」といった煽りもあり、オープンと同時に多数のファンが詰め掛けた。しかしながらマドンナ本人は現れず(公演終了後ホテルに戻り食事をとっていた)、イベント主催であったクラブ側に非難が集中した。またマドンナの娘ローデス、クルー、バックダンサーは来場していた。

[編集] 落馬事故

2005年8月16日、イギリス・ロンドン郊外に所有する18億円の邸宅の庭で47歳の誕生日プレゼントとして夫のガイ・リッチーから贈られた馬に試し乗りをしてたところ、落馬をし全治3ヶ月の大怪我を負った。診断の結果、肋骨3本にひびが入り、鎖骨と手を骨折していたことが判明。すぐに病院に搬送されたが入院はせず、なんとその日に治療を済ませて帰宅したという。医師は「マドンナさんは日ごろからヨガで鍛錬しているため、回復も早いだろう」と語っていた。マドンナは骨折をしているのにも関わらず、事故の3日後にはロンドン市内のカバラ・センターから出てくるのを目撃されたり、携帯メーカーのモトローラのCMの撮影も済ませるなど超人並みなところを見せている。アルバム『Confessions On A Dance Floor』のプロモーションにも支障は出なく、全世界でのメディアはマドンナの驚異的な回復に驚いていた。

因みに病院で撮影されたレントゲン写真8枚は2006年「Confessions Tour」で「ライク・ア・ヴァージン」を歌っているときに演出としてスクリーンに映し出された[3]

[編集] 人物

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 公式サイト

[編集] ウェブ・ディレクトリ

[編集] 参考文献・出典

  1. ^ 広告景気年表 株式会社電通1987年。 (参照:2008年5月12日) 
  2. ^ Bowman, Edith; Sellars, Peter "BBC World Visionaries: Madonna Vs. Mozart" 英国放送協会 2007年5月26日。(参照:2008年5月12日)
  3. ^ 2006年10月号「日経エンタテインメント!」


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