See also ebooksgratis.com: no banners, no cookies, totally FREE.

CLASSICISTRANIERI HOME PAGE - YOUTUBE CHANNEL
Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions
阪神7801・7901形電車 - Wikipedia

阪神7801・7901形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阪神7801・7901形電車
営業最高速度 106km/h
設計最高速度 110km/h
車両定員 7801形140 7901形150
全長 18,880(7922のみ19,100)mm
全幅 2,800mm
全高 4,106~4,163mm
車両重量 35.0t(7801形) 30.0t(7901形) *7835~7839のみ36.0t
軌間 1,435mm
電気方式 直流1,500V
歯車比 74:13(5.69)
駆動装置 中空軸平行カルダン駆動
電動機 東洋電機製造製TDK814-1C 110kW/300V×4 TDK814/3-C2 110kW/300V×4(7840~7850)
制御装置 三菱電機製 ABFM-114-15-MA,MB,MC 電動カム軸式抵抗制御
ブレーキ方式 HSC電磁直通ブレーキ
メーカー 川崎車輌汽車製造武庫川車両工業

■Templateノート 解説)鉄道PJ

阪神7801・7901形電車(はんしん7801・7901がたでんしゃ)は阪神電気鉄道が所有する優等列車用の通勤形電車である。架線電圧の直流600Vから1500Vへの昇圧による急行系の小型車置き換えと輸送力増強のために1963年から1971年にかけて合計90両が製造された。製造時期によって車体形状が大きく異なるほか、2連運行や単車増結用に本系列と性能や仕様を同じくする車両が製造された。本項では、本系列と性能や仕様が同じグループ及び本系列グループを省エネ改造した3000系についても述べる。

目次

[編集] 開発の経緯

1963年当時の阪神の新設軌道線[1]は、かつての14m級小型車両一色の態勢から大きく体質を改善し、カルダン駆動方式の19m級電車を多数擁するに至っていた。

同年2月のダイヤ改正で、各駅停車はラッシュ時に一部残っていた1101系各形式の運用を高加減速仕様車の「ジェットカー」各形式に置き換えて高性能化を達成、輸送力向上とスピードアップに大きな威力を発揮した。一方、特急・急行等の優等列車仕業には、1954年登場の2扉クロスシートの特急車である3011形を筆頭に、車体下半分を朱色塗装されたことから「赤胴車」の愛称を授けられた、3301・3501形3601・3701形といった高速型のカルダン駆動電車59両が充当されていた。

新車の投入と、こまめな増解結によって昼間時の特急・急行はカルダン駆動の高性能車のみで充足でき、1960年前後の一時期のように併用軌道線[2]から「金魚鉢」の愛称で知られる71形を借りるほどの車両不足は解消されたものの[3]、ラッシュ時間帯の車両不足は続いており、この時間帯には「喫茶店[4]の愛称で知られる851・861・881形や昭和初期に製造された801・831形といった戦前型の狭幅車体の小型車が、全電動車編成を組んで疾走していた。

これらの小型車は事故廃車となった車両を除いて当時100両前後残存していたが[5]、小型車は居住性や走行性能が新型車に劣るだけでなく、輸送力の面でも不利であったほか、当時建設中であった神戸高速鉄道を介して山陽電気鉄道本線へ乗り入れすることが1968年に予定されており、それに先立って架線電圧も直流600Vから1500Vに昇圧することが決定していた。このような輸送状況の変化を機に、これらの小型車を排除してラッシュ時の大量輸送に対応し、輸送力増強や合理化を図る目的で開発されたのが、7801形である。

ちなみに、阪神社内では他の急行系車両がExpressの頭文字から「E車」と呼ばれるのと異なり、本形式のことを「R車」と呼ぶが、これはRushの頭文字であるRからとったものであり、後述するように本形式の開発時における事情をうかがうことができる[6]

[編集] 車両の分類

本形式の製造期間が1963年から1971年までと比較的長期間であったことから、系列内でも3系統のグループに分けられる。1967年までに登場した1次車及び亜種形式の7861形、3521形と、1969年及び1970年に登場した2次車及び3次車とでは、車体形状に同一形式と言いがたいまでの差がある。

[編集] 1次車(7801-7901~7934-7834)

1963年~1966年川崎車輌汽車製造及び武庫川車両工業の各社にて製造された[7]初期形。先行形式である3601・3701形の編成を踏襲し、MT比(電動車と付随車の比率)1:1の経済編成であるが、3601・3701形とは異なり、Mc-Tの2両ユニットを組成した。このとき登場したT車の7901形は、阪神初の付随車である。このグループは(←梅田)Mc(奇数)-T(奇数)+T(偶数)-Mc(偶数)の2両ユニット×2=4両17編成68両が製造された。うち1両(7922)は後述のとおり3011形3021を電装解除の上中間車化改造を実施して編入した車両である。

車体は側面窓配置先頭車d1D4D4D2、中間車2D4D4D2と[8]、客用ドアは従来どおりの片開き扉であったが、側窓はそれまでの2連窓を改めて、1枚単位の上段下降、下段上昇式の窓となったほか、戸袋窓の支持もHゴムになった。幕板の広いノーシルノーヘッダーの車体に、通風器もグローブ型ベンチレーターを採用ことから、側窓の形状とあいまって72系全金属車によく似た側面となった。ベンチレーターは7801形に2基、7901形に4基搭載し、パンタグラフは7801形に2基搭載した。台車は7801形が阪神急行系車両標準のペデスタル式台車である住友製FS-341を履くが、7901形は全車旧型車から流用した中古台車であった。モーターは110kW/hの東洋電機製造製TDK-814-1Cを、制御器は三菱電機製のABFM-114-15-MAをそれぞれ搭載した。また、空気圧縮機(CP)は7801形にDH-25-Dを搭載し、補助電源(MG)は7801形に12kVAのものを搭載した。

1965年製の車両から、阪神の傍系企業である武庫川車両工業も製造に加わり、1966年以降は阪神・淡路大震災後の車両不足時に登場した9000系1997年に製造された5500系5505F~5509Fを除いた全車が同社において製造された。また、1次車は大量生産を図るために徹底したコストダウンが図られた。その内容については以下のとおり。

[編集] 機能性優先とコストダウンの重視

1次車の製造時には100両近い急行系小型車を数年のうちに置き換え、ラッシュ時における輸送力の増強を図ることを目的としたことから、大量増備を最重点に置いており、随所にコストダウンを徹底させている。故にともすれば「安物」と見られがちなきらいはあった。

  • Mc-Tの2両ユニットを奇数偶数で組み合わせて4連を組成するようにしたのは、輸送力を確保するとともに、運転台を削減することで製造コストを低下させることが目的である。また、McとT間の連結器は、通常切り離すことがないことから、棒連結器が採用された。
  • 車体はそれまでの3面折妻の前面から一変して機能優先の切妻車体となり、車体裾のRが省略された直線的なデザインとなって他の阪神電車のような柔らかな印象を欠いた。ベンチレーターは従来の箱型ベンチレーターから、通風能力最優先のグローブ型ベンチレーターに変更された。貫通幌及び雨樋は外部に露出している。
  • 内装はラッシュ用ということでかなり簡素化され、荷物棚はパイプ製のものをやめて網棚とし、蛍光灯はカバーを省略した上で灯数も削減され、片側6灯×左右2列の12灯となった。また、運転台直後には座席及び荷物棚を設けずに立席スペースとした。なお、当初はラッシュ時のみに運用することを想定したことから、当初の計画案の中には座席をまったく設けないといったものもあった。
  • 優等列車用で加減速能力がさほど重視されない(満車時の起動加速度=2.0km/h/s)ことから、機器類簡素化のため発電ブレーキを省略した[9]が、このため3000番台の急行系車両とは別グループ扱いとなって7000番台を付与され、7801・7901形となった。一方で、主電動機出力110kWとは600V時代の数値であり、昇圧後は端子電圧340V換算で125kWとなる。定格速度も60km/h台と高く、優等列車用としての高速性能は充分に備えている。
  • 7901形の台車は、製造費用を抑えるため、851・861・881形から流用したボールドウィンタイプのイコライザー台車であるBW-78-25AAを改良したBW-78-25RA台車を履いた[10]

このような経済性重視の車両設計は,少し遅れて登場した亜種形式の7861形及び3521形に継承されることとなった。

[編集] 改造車7922

1965年5月に登場した7922号車は、3011形が3561・3061形に改造された際に余剰となった3021号車からの改造編入車であり、車体形状が大きく異なる。相違点については以下のとおり。

  • 種車の車体を生かしたため、車体裾部にRが付いたほか、車体長も他の7901形が18,880mmだったのに対して7922は19,100mmと少し長かった。
  • 窓配置も1D22D22D2と他の7901形とは異なっていたが、種車とは異なる連窓風の窓配置に改造されて登場した。ただ、種車の大きな戸袋窓は継承されている。
  • ベンチレーターは他の7901形同様グローブ型であるが、6基搭載された。

なお、台車は、3021時代履いていた住友製FS-202を、東芝製TT-6を履いていた旧3041Fの機器統一用に拠出したため、他の7901形同様BW-78-25RA台車を履いた。

[編集] 2次車(7835-7935~7839-7939)

7801・7901形2次車
7801・7901形2次車

1969年から1970年にかけて、神戸高速鉄道東西線及び山陽電気鉄道本線須磨浦公園駅までの相互直通運転開始後の急行系車両の輸送力増強用として、武庫川車両工業において2連×5ユニット10両が製造された。1次車の使用実績に鑑み、大きくモデルチェンジされた車体が特徴である。

  • 車体形状は1次車の直線的で簡素なものから一変し、前面は再び3面折妻となり、埋め込み式の貫通幌も復活したほか、車体裾のRが復活した。パンタグラフは7801形の連結面側に1基搭載、通風装置も大きく変更されてラインデリアを装備した[11]。ラインデリアの搭載によって屋根自体は浅くフラットとなり、車高が低下した。なお、1970年に登場した3次車及び7001・7101形以降の車両は全車冷房を搭載して登場したため、阪神にとっては最後の非冷房新車となった。
  • 運転台直後の座席及び荷物棚が復活したほか、蛍光灯が増設のうえカバーが取り付けられ、荷物棚もパイプ棚となった。
  • 客用扉にはジェットカー各形式と同様の幅1400mmの両開きドアを、急行系車両としては初めて採用した。側面窓配置は7801形がd1D3D3D2、7901形が2D3D3D2と、普通系車両と同じものとなった。
  • 7801形の台車は変更ないが、7901形の台車は当初から新造の住友FS-341Tとなった。

電装品は1次車から変更はない。また、2次車で確立された前面及び側面窓配置は、続いて登場した3次車及び7001・7101形以降、1984年に登場した8000系タイプIまでの急行系・普通系車両に継承された。

[編集] 3次車(7940-7840~7950-7850、偶数番のみ)

1970年から1971年にかけて、同時期に登場した阪神初の冷房車である7001・7101形に対応して、当初より冷房を搭載して、武庫川車両工業において2連×6ユニット12両が製造された。

日本初の電機子チョッパ制御を装備した7001・7101形であるが、当時の阪神本線の特急・急行の基本編成が5連であったことと、チョッパ制御器が非常に高価なものであったため、当初は7001・7101形の神戸側Tc車を製造せずに、大阪側の7001・7101形3連に、神戸側に従来同様の抵抗制御車を2両連結した。そのため走行機器類が7801・7901形と同様となり、7940-7840~7950-7850として名目上の同一形式とされた。制御電動車(Mc)はすべて神戸側に向いていたため、7940-7840の次は7942-7842……と偶数番のみが存在し、奇数番はない。車体は2次車を継承したが、冷房風道を通すために屋根が深くなり、幕板もそれに応じて広くなった。台車は2次車と同じ住友FS-341及びFS-341Tであるが、7001・7101形同様台車枠がプレス製のものとなった。モーター及び制御器もTDK814/3-C2及びABFM-114-15-MCに変更されている。必ずしも7940-7840~7950-7850が7001・7101形の増結車というわけではなく、冷房改造後の7861・7961形や7801・7901形1,2次車が7001形・7101形と凸凹編成を組んだりしたこともあった。

細部については7001・7101形の項を参照。

[編集] 亜種形式

本形式以外に同じスペックを持つ2形式が存在する。

[編集] 7861・7961形

阪神西九条駅停車中の7961形電車
阪神西九条駅停車中の7961形電車

1967年の昇圧後には、当時2両編成基本で運行中の3601・3701形を4連化することが決定していたことから、昇圧後も2両編成で運行ができる車両を確保するため、7801・7901形をベースに1966年から1968年にかけて2連×8本16両が武庫川車両工業において製造された。7901形に運転台を取り付けてTc(制御車)としたのが7961形であるといえる。本形式の概要については以下のとおり。

  • 車体は1次車ベースで製造されたが、1968年に製造された7864F以降は車体に雨樋が埋め込まれ、若干洗練された外見となった。
  • 通風器はグローブ型ベンチレーターで変わりはなく、パンタグラフも1966年に登場した7861F~7863Fでは7861形に2基搭載し、昇圧後の1968年に登場した7864F以降では連結面に1基のみとなった。
  • 車内も1966年に登場した7861F~7863Fは1次車同様運転台直後に座席はなく、蛍光灯もむき出しであったが、7864F以降は運転台直後に座席を設置され、蛍光灯にカバーがついて増設された。
  • 台車は住友FS-341及びFS-341Tを履くが、Tc車は当初からFS-341Tを履いていた。
  • モーター及び制御器は、モーターは他の7801・7901形と同じであるが、制御器は1966年製の車両が他の7801・7901形と同じABFM-114-15-MAであるが、1968年製の車両はABFM-114-15-MBとなった。
  • なお、この形式は末尾が奇数か偶数かによって編成の向きが異なっていた。1968年製の車両には、梅田向きに電動車のある編成が存在しない。
    • (←梅田)Mc+Tc 7861F 7863F
    • (←梅田)Tc+Mc 7862F 7864F 7866F 7868F 7870F 7872F
  • 本形式は7801・7901形の増結車という性格が強いが、当時運行されていた西大阪特急に2連で運用されていたことがあるほか、後年7861-7961×3の6両で本線の特急に運用されたこともある。

[編集] 3521形

1960年代から1970年代初頭にかけての阪神では、急行車の基本編成を5両編成としていたが、需要の少ない早朝・深夜等の時間帯に減車可能とするため、1966年から1969年にかけて、7801・7901形の増結車として片運転台の制御電動車のみ12両が武庫川車両工業において製造された。奇数車は大阪向き、偶数車は神戸向きである。発電ブレーキがないにも関わらず、発電ブレーキ車並みに3000番台を名乗っている理由は、片運転台方式で単車運転可能な3501形の後継車両という意味も含まれるからである。本形式の概要については以下のとおり。

  • 1966,1967年に製造された3521~3526は7801・7901形同様雨樋が外部露出しているが、1968,1969年に製造された3527~3532は雨樋が車体に埋め込まれ、断面も変更されている。内装も含めてこのあたりの変化は7861・7961形と同じである。
  • パンタグラフも昇圧前に登場した3521~3526は2基搭載したが、昇圧後に登場した3527~3532は運転台寄りに1基搭載した。
  • 性能面では自車のみ賄う形となっており、主電動機は60kw/hの東洋電機製造製TDK-818-Aを4基装備し、制御器は7861形同様、3521~3526の初期製造車がABFM-114-15-MAを搭載し、3527~3532の後期車がABFM-114-15-MBを搭載した。

[編集] 体質改善工事と冷房化改造

7801形1次車及び7861形、3521形の初期車は、1963年から1967年までの4年間に合計78両が製造され、本線で使われていた急行系小型車を1965年までに置き換え、1967年には全旅客車両の大型化を達成するとともに、同年11月12日に全線の架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧した。その際、パンタグラフを2基搭載していた7801形1次車及び7861形、3521形の初期車は1基撤去することとなったが、運転台側のパンタグラフを撤去した7801形及び7861形に対し、3521形は連結面側のパンタグラフを撤去した。

こうして小型車の置き換えと昇圧対応という所期の目的を達成したが、ラッシュ時向けの通勤車として大量生産されたこれらの形式は、あまりにもコストダウンが徹底していたために、先に登場した急行系各形式に比べると接客レベルの低下が否めなかった。中でも、7901形が履いていたBW-78-25RA台車は小型車用のBW-78-25AAを大型車向けのT台車に改良したものの、原設計が1920年代以前の古典台車で、それを大型車体に履かせたことから、カーブや高速走行時でのローリングがひどいなど、乗り心地が悪く乗客から不評を買った。また、増備が進むにつれてラッシュ時だけでなくデータイムにも運用する機会が増えたことから、接客レベルの低さはいやおうなく目に付いた。特に、1968年4月7日に神戸高速鉄道東西線を介して山陽電気鉄道本線須磨浦公園駅までの相互直通運転を開始したが、旧型車の台車を流用した乗り心地の悪い車両にむき出しの蛍光灯や網棚の荷物棚といった内装が、同じ線路上を走る阪急2000,2300[12],3000,5000系山陽3000系[13]といった7801形1次車及び7861形、3521形と同時期に製造された車両に比べると見劣りし、接客レベルの低さから来るイメージダウンは免れ得なかった。

これらの問題に対する阪神の対応は早かった。当時製造中だった7861形、3521形後期車では運転台直後に座席と荷物棚を設け、蛍光灯もカバー付のものとして増設し、むき出しの雨樋も埋め込み式にするなどのマイナーチェンジを施し、設計中の2次車ではモデルチェンジを行うことで安物イメージの払拭を図る一方で、7801形1次車及び7861形、3521形初期車の体質改善工事を開始した。第1に7901形が履くBW-78-25RA台車は乗り心地が悪いだけでなく高速走行時のローリングが危険だったことから、1970年までに7961形や7901形2次車以降が履く住友FS-341Tを新造して換装した。続いて運転台直後に座席と荷物棚を設置し、荷物棚も網棚からパイプ棚に変更、蛍光灯にカバーを取り付けて増設する工事を開始した。

これらの体質改善工事と並行して、7801形と関係各形式の冷房改造が開始された。冷房改造のトップを切ったのは2連を組んで西大阪特急をはじめ本線の優等列車運用に幅広く使用される7861形で、1971年4月から8月にかけて全車冷房改造された。引き続いて同年11月からは7801形1次車の冷房改造を開始、1972年9月からは3521形を組み込んだ3連の冷房化も行い、1974年11月に冷房改造された7922-7822を最後に冷房改造を完了した。最後に残った2次車は1975年9月から12月にかけて冷房改造され、12月4日に竣工した7938-7838を最後に7801形と関係各形式の冷房改造が完了した。

改造内容であるが、各形式ともMAU-13H形分散式ユニットクーラーをM車は6台、T車は7台搭載、パンタグラフも同時に下枠交差式に交換されたほか、3521形のパンタグラフは連結面側に移設された。補助電源(MG) は70kVAのCLG-346を7901形及び7961形に搭載したほか、3521形を併結する7801-7901~7812-7912のユニットには110kVAのCLG-350-Mを搭載した。なお、一番最初に冷房改造を実施された7861形及び7831-7931~7934-7834の4ユニットはクーラーの取り付け位置が他の車両に比べて高くなっている。

[編集] 変遷

1977年から3521形も含めた1次車に行先方向幕の取付改造を開始、1979年には2次車に、1981年には7861形、1983年には3次車に取り付けることで全車に行先方向幕を装備した。屋根の低い2次車では、行先方向幕が大きく飛び出しているのが特徴である。

1983年には7801-7901~7912-7812と3521形全車の合計36両が1989年にかけて3000系に改造され、モーターと制御器が複巻電動機と回生ブレーキ付き界磁チョッパ制御装置に換装された。翌1984年4月には武庫川線武庫川団地前駅に延伸された際に、同線で使用する車両を従来の3301形単行から7861形2連に変更することによって冷房サービスの提供を実施、前年の全車冷房化に続いて、全線での完全冷房化を実施した。また、同年から車内更新工事を実施、荷物棚のパイプ棚への交換などを実施した。1986年には3301形の廃車に伴い5連を組むことができる車両が減少したことから、7861形のうち7870F,7872Fの2連×2本について、7801,3521形の3000系への改造で生じた電装品を活用して制御車の電装改造を実施、7970→7871,7972→7873に改番、7831-7931+7870,7871+7932-7832,7833-7933+7872,7873+7934-7834の3両×4編成に組成された。この際、7871,7873は前から2つ目のクーラーを撤去して下枠交差式のパンタグラフを搭載した。また、7931~7934に搭載していたMGを110kVAのものに換装している。

7801形の廃車は、初期急行系車両の淘汰が進行した1989年以降、8000系の増備に伴って、3000系に改造されなかった1次車が7813-7913のユニットを皮切りに、翌1990年には3011形の改造編入車である7922を組み込んだ7822のユニットが二番手として廃車され、その他のユニットの廃車も順次進められた。また、3次車は、製造時期を同じくする7001・7101形とともに同年秋から2000系への改造が開始された。1993年1月には3次車の2000系への改造が完了、同年までに急行・準急の5連運用が廃止されたことから、7870,7871,7872,7873及びユニットを組む7831-7931~7934-7834が廃車された。

その後も1次車の廃車は順調に進み、1995年に入った時点では7829-7929+7930-7830の2ユニットが残るのみであり、3月に8000系の最終編成である8249Fが登場した時点で廃車される予定であった。しかし同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災によって急行系車両に多くの被災車が発生、車両不足に陥ったことから廃車は延期されて2次車や7861形とともに阪神本線の優等列車運用に投入されて幅広く使用されていたが、震災被災車両の代替新造車である9000系の投入によって1996年3月に7862Fともども廃車されて1次車は消滅した。それから数年間は2次車及び7861形の廃車は発生しなかったが、1998年4月から1999年1月にかけて5500系5511F,5513F,5515Fが増備されたことにより、1999年3月に2次車のうち7835-7935+7936-7836の4両が5261形1次車や5311形5311-5312とともに廃車された。2000年には7861形のうち7864F,7866F,7868Fの2連×3本に対し、武庫川線向けにワンマン機器の搭載や車椅子スペースの設置などの改造を実施した。

その後は目立った変化がなかったが、1000系の運行開始に先駆けて、2007年8月に7837-7937の2連×1ユニットが、9月には7861Fの2連×1本が廃車、解体され、1000系運行開始後の2008年3月には7839-7939の2連×1ユニットが廃車され、7801形2次車のみで4連を組むことが不可能になった。2008年4月現在では7801形2次車のうち7938-7838の2連×1ユニットと7861形2連×4本の8両が在籍しており、かつて90両の多数派であった7801・7901形はついに残り2両を残すのみとなったが、7861形は現在の阪神の旅客用車両の中では現役最古参であるほか、2連で走行できることから半数の8両が残存している。7801形の運用は7861形と組んで西大阪線で普通系車両に混じって運用されており、7861形も含めて6連を組成して阪神本線を走行することはごくまれである。7861形は7890・7990形とともに武庫川線の運用についているほか、前述のように西大阪線における運用では、7801形2次車と組んだり、あるいは7861形2本で4連を組成して運用されている。

[編集] 3000系

7801・7901形1次車のうち、冷房改造時に大容量の110kVAのMGを搭載して3521形と3両ユニットを組んでいた3連×12本36両を、1983年から1989年にかけて界磁チョッパ制御車に改造した形式である。それまで阪神の車両は、どの車形でも連結して運行ができるようになっていたため、「系」という概念を持たず「形」のみで示していたが、本系列は同一系列だけでの編成を前提にしたことから、阪神で初めて「系」の呼び方が付くようになった。以後、阪神の新形式車は1986年3801・3901形を改造して登場した8801形・7890形を除いて系で呼ばれている。

[編集] 初の界磁チョッパ制御車

阪神では1970年に日本初の営業用電機子チョッパ制御制御車両である7001・7101形を新造し、翌1971年には3601・3701形の冷房改造時に制御装置を電機子チョッパ制御に改造したが、この改造はあくまでもメンテナンスフリーが主眼であって、コストが高く高速走行時のブレーキ特性に問題がある回生ブレーキ回路を省略して登場した。続いて1974年に登場した3801形では、西大阪線難波延長時に連続急勾配区間を走行することが予定されていたことから抑速ブレーキつきの電気制動が搭載されたため、再び抵抗制御車に戻った。

1973年第四次中東戦争1979年イラン革命に端を発した2度のオイルショックによって省エネルギーの重要性が叫ばれる中、阪神においても普通系車両の冷房化に伴う車両更新に際し、平均駅間距離が短くてこまめな加減速が要求される「ジェットカー」の運行特性から回生ブレーキつき電機子チョッパ制御車を採用することととなり、1980年に登場した5151,5311形の冷房改造に際して制御装置を回生ブレーキつき電機子チョッパ制御に改造、翌1981年から両形式の使用実績を踏まえて5131・5331形を新造、全営業用車両の冷房化を達成するとともに消費電力の削減にも貢献した。しかし、前述のように回生ブレーキつき電機子チョッパ制御は加減速が少ない急行系車両には向かないため、モーターを複巻電動機に換装しなくてはいけないものの機器構成が簡単でコストも安いことから他社でも導入が広がっていた、界磁チョッパ制御を採用することとなった。このときも普通系車両における回生ブレーキつき電機子チョッパ制御車採用の例に倣って、まずは在来車を界磁チョッパ制御車に改造することとなり、7801・7901形1次車のうち大容量の110kVAのMGを搭載した7801-7901~7912-7812の2連×12ユニットと冷房電源の関係でこのユニットに併結していた3521形全車の3連×12本を改造して新形式の3000系が登場した。また、これらの形式は経済設計のため、電気制動を持たなかったが、制御装置の改造に併せて回生ブレーキも搭載し性能の向上を図った。

[編集] 改造の概要

編成は梅田方から3101Mc-3001M'-3201Tcで、種車のMc-T-Mc編成とは異なり、中間車を電装改造して神戸側先頭車の電装を解除することでMM'ユニットを組むこととなった。このため編成中の7901形全車に電装改造を実施して中間電動車の3001形としたが、3101形と3201形については、番号の末尾が奇数の編成は7801形が、偶数の編成は3521形が大阪側に連結されることからこれらの車両を制御電動車3101形とし、逆に神戸側の先頭車となる奇数編成の3521形及び偶数編成の7801形の電装を解除して制御車3201形とした。3101形と3201形の連結側に種車同様パンタグラフを各1基装備した。3201形にもパンタグラフが存置されたのは、回生ブレーキ作動時の離線対策のためである。また、3521形から改造された車両と、その車両と連結する3001形の連結器は、それまでのバンドン型密着連結器から棒連結器に換装されている。

外観については大きな変化はなく、3521形後期車から改造された車両(3104,3106,3112,3203,3209,3211)の外観は種車同様前面雨樋が埋め込まれているほか、車体断面や冷房装置取り付け高さも7801形及び3521形前期車から改造された車両と異なっている。内装は荷物棚が網棚からパイプ製のものに交換されたほか、化粧板も当時の阪神車両の標準であった緑系の格子柄のものに張りかえられた。なお、化粧板については1987年に改造された3107Fからは当時新造中だった8000系と同じベージュ系の化粧板に変更された。

主電動機は、東洋電機製造製の直流複巻式電動機(110kW/h)であるTDK-8175-Aに換装した。出力は従来7801形が搭載していたTDK-814-1Cと変わりないが、3521形が搭載していた電動機が60kW/hのTDK-818-Aであったために、MT比は2:1と変わらないものの編成あたりの出力は向上した。電動車の制動装置はHSC-Rに換装され、制御装置は三菱電機製の界磁チョッパ制御装置であるFCM-118-15MRHを3101形に装備した。補助電源装置は7901形が搭載していた110kVAのCLG-350-Mを、改造後も3001形に継続して装備し、空気圧縮機は7901形から流用したDH25-DまたはM-20-Dを3201形に2基搭載したが、3207以降はC-2000-Mに換装された。台車は種車の住友FS-341及びFS-341Tを流用、3001形は3201形になる7801形・3521形にFS-341Tを譲り、自車は逆にFS-341に換装した。

7801形1次車及び3521形から3000系への改番は下表のとおり。

3000系新旧車番対照表
新/旧 梅田   元町 備考
新形式 Mc3101 M'3001 Tc3201 Mc3101 M'3001 Tc3201  
旧形式 Mc7801 T7901 Mc3521 Mc3521 T7901 Mc7801  
3101 3001 3201 3102 3002 3202  
7801 7901 3522 3521 7902 7802  
3103 3003 3203 3104 3004 3204  
7809 7909 3530 3527 7908 7808  
3105 3005 3205 3106 3006 3206  
7803 7903 3524 3531 7912 7812  
3107 3007 3207 3108 3008 3208  
7805 7905 3526 3523 7904 7804  
3109 3009 3209 3110 3010 3210  
7807 7907 3528 3525 7906 7806  
3111 3011 3211 3112 3012 3212  
7811 7911 3532 3529 7910 7810  

[編集] 変遷

3000系は、1983年9月に3101Fと3102Fの2本が竣功し、1989年7月に登場した3111Fが登場して全編成が勢揃いするまで、1年に1~2編成のペースで改造が行われた。登場後は阪神の急行系車両の運行区間である、阪神本線~神戸高速鉄道東西線~山陽電気鉄道本線須磨浦公園駅までの全区間において特急から準急まで全ての優等列車運用に投入された。多くの優等列車運用では3000系3連×2本で6連を組んで運用されていたが、当時は急行・準急運用の一部に5連運行が残っていたため、3000系に3501形2連や7801形・7861形2連を併結して5連を組成して運行されることもあった。7801形や7861形と併結されたときは、3000系の回生ブレーキは作動するが、抑速ノッチは作用しなかった。また、1986年から1993年にかけては7801形と7861形で3両ユニットを組んだ編成とも6連を組んで運用されていた。その後、本線の急行系運用が6連化され、7801形と7861形で3両ユニットを組んだ編成が廃車されると、以後は3000系の連番2本を連結した6連で運用され、実質固定編成化された。このとき中間に入った3101形及び3201形は、幌を先頭車用のものから中間車用の1枚幌に換装されたほか、3102F+3101Fの編成以外は大阪側に奇数番号の編成+神戸側偶数番号の編成で6連を組成したことから、3102,3201の2両を除いて旧3521形改造の先頭車はすべて中間に入り、それまで先頭に立つ機会もあった旧3521形後期車改造の車両も営業運転時に先頭車として運用されることはなくなった。この他、時期は不明であるが3201~3206に搭載の空気圧縮機を3207以降と同じC-2000-Mに換装している。

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、3000系からも2編成[14]が被災した。被災編成とその後の経過については以下のとおり。

  • 3103F+3104F:石屋川車庫12番線において留置中に被災、脱線
  • 3109F+3110F:石屋川車庫6番線において留置中に被災、脱線
  • 3103F+3104Fは大阪市西淀川区に設けられた仮設の車両置き場搬出後、尼崎車庫に搬送の上修繕、3103Fが6月14日に、3104Fが6月26日に復旧した
  • 3109F+3110Fは仮設の車両置き場搬出後、3月31日付で廃車

震災後も急行系車両の主力として、当時最新鋭の9000系や8000系、同じ改造車の2000系とともに運用されていた3000系であったが、主要機器は更新されたとはいえ、7801形1次車の中でも最若番グループの車両から改造したこともあり、同系車が全車廃車された1996年以降は経年による老朽化が目立つようになってきた。1998年2月の直通特急運転開始に伴うダイヤ改正によってダイヤパターンが従来の12分ヘッドから10分ヘッドに変更され、データイムの快速急行が西宮折り返しの急行に変更されたことに伴って急行系車両の運用が減少したことから、3102F+3101F及び3103F+3104Fが2月16日付で5500系5505F,5507F,5509Fに置き換えられて廃車された。その後数年間廃車は発生しなかったが、2001年以降9300系の新造に伴って再び廃車が始まり、3105F+3106Fが9501Fに代替されて同年3月31日付で廃車され、3107F+3108Fが9503Fの代替新造に伴って2002年3月31日付で廃車、最後に残った3111F+3112Fも9505Fの登場により2003年3月14日の運用を最後に営業運行を終了、直後の3月16日付で廃車され、3000系は全車廃車となった。

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目

  • 8000系
  • 西武701・801系電車:同時期にやはり経済性優先で製造された車両。付随車は旧型車の台車を流用した共通点がある。

[編集] 脚注

  1. ^ 阪神本線・西大阪線・武庫川線等の阪神電鉄社内における呼称
  2. ^ 国道線・甲子園線・北大阪線の阪神電鉄社内における呼称
  3. ^ 71形の新設軌道線運行期間は1958年~1962年
  4. ^ 貫通扉が喫茶店や理髪店のドアを思わせる、両開きの縦長ガラス張りであった
  5. ^ 内訳は801,831形49両、851,861,881形52両
  6. ^ 本形式は「経済車」とも呼ばれることから、本形式を「E車」(Economy車)と呼び、他の急行系車両を「R車」(Rapid車)と呼ぶといったような訛伝が残っている
  7. ^ 製造内訳は、7801-7901~7811-7911,7815-7915~7821-7921,7822~7827,7827-7927,7829-7929~7831-7931が川崎車輌、7812-7912~7814-7914が汽車製造、7923~7926,7828-7928,7832-7932~7834-7934が武庫川車両工業
  8. ^ 中間車に関する記事では、特記なき場合を除き7922を除く
  9. ^ 本来なら本形式の名称は3801・3901形となるはずだった
  10. ^ 台車を取り上げられた851・861・881形は廃車になった801・831形のBW-78-25AA台車を履いた
  11. ^ ラインデリアは近鉄と三菱電機の共同開発による製品であることから、両社に特許料を支払って搭載した
  12. ^ 2300系の神戸線運用期間は1969年1月~1971年11月
  13. ^ 山陽3000系の蛍光灯もカバーがないが、荷物棚はパイプ製であり、座席も座面の低いゆったりしたもので、ラッシュ時の大量輸送とデータイムの長距離客の乗車の双方に対応したものであった
  14. ^ 3連単位では4編成になる

[編集] 参考文献

  • 『鉄道ピクトリアル』各号 1975年2月臨時増刊号 No.303 1997年7月臨時増刊号 No.640 特集:阪神電気鉄道
  • 『鉄道ダイヤ情報』1995年3月号 No.131 特集:阪神電車の研究
  • 『サイドビュー阪神』 1996年 レイルロード
  • 『車両発達史シリーズ 7 阪神電気鉄道』 2002年 関西鉄道研究会


aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -