阪神5500系電車
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阪神5500系電車 | |
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阪神5500系電車(連結器交換済) | |
編成両数 | 4(オールM) |
起動加速度 | 4.0km/h/s |
営業最高速度 | 91km/h |
設計最高速度 | 110km/h |
減速度 | 4.5km/h/s(常用最大)
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車両定員 | 座席48・立席84(先頭車) 座席50・立席82(中間車) |
全長 | 18,980(先頭車) 18,880(中間車)mm |
全幅 | 2,800mm |
全高 | 4,060(先頭車) 4,160(中間車)mm |
編成重量 | 34.0(先頭車) 35.0(中間車) |
軌間 | 1,435mm |
電気方式 | 直流1,500V |
編成出力 | 110kW×16=1760kW/h |
歯車比 | 99:14(7.07) |
駆動装置 | カルダン駆動方式 |
電動機 | かご形三相誘導電動機 東洋電機製造製TDK-6145-A |
制御装置 | 三菱電機製MAP-118-15V55 GTO方式VVVFインバータ制御 |
ブレーキ方式 | MBSA 回生制動併用全電気指令式電磁直通制動 |
保安装置 | 阪神・山陽・阪急形ATS |
メーカー | 武庫川車両工業、川崎重工業 |
阪神5500系電車(はんしん5500けいでんしゃ)は、阪神電気鉄道が所有する各駅停車用の通勤形電車で、8000系をベースにモデルチェンジした、阪神初のVVVFインバータ制御車である。続いて登場した9000系や9300系などの急行系車両とともに1990年代後半から2000年代前半の阪神を代表する車両形式である。
目次 |
[編集] 震災と代替計画
1990年代前半の阪神は、初期の急行系車両の老朽化が進行していたことから、8000系を大量増備してこれらの車両の置き換えを推進していた。一方、普通系車両については1983年までに製造された5001形 (2代)と5131・5331形によって「ジェットカー」第一世代の代替が完了していたことから、これらの形式の4両固定編成化改造と更新工事を推進していた。しかし、5151形や5261形、5311形といった「ジェットカー」第二世代を中心とした冷房改造車グループは車齢も高く、苛酷な走行環境によって老朽化も進行[1]していたことから、これらの工事の対象外となり、8000系の増備が終了する1996年以降に普通系車両の新形式を投入して、5151・5261・5311の各形式を置き換える予定であった。
しかし、阪神・淡路大震災によってそのスケジュールは狂わされてしまう。普通系車両は急行系車両ほど大きな被害を受けなかったが、それでも8両が被災廃車されており[2]、震災前に比べると2編成分不足することとなった。これらの被災車両の代替として、この時点で設計計画がほぼ固まっていた普通系新形式の投入予定を前倒しして対応することとなり、同年秋に2編成8両が登場、その後急行系車両の代替として7編成28両が登場した。
このような経緯で本形式は登場したが、次世代ジェットカーの標準形式として数年前から計画されていたために、塗色の変更やVVVFインバータ制御の採用をはじめ数々の新機軸を採り入れて登場した。
[編集] 概要
本形式は内外装とも8000系タイプIVとほぼ同一の車体設計で製造されるなど、1980年代後半に確立された阪神の車両スタイルを継承しているが、機能面で随所に改良点が見られるほか、塗色や搭載機器などは後に登場する各形式の基本モデルとなった。また、本形式は新型のジェットカーであることから、雑誌等ではしばしば「ニュー・ジェットカー」と紹介されることがある。
編成は、普通運用が4両編成であることから、3両ユニット基本の急行系車両とは異なり、制御電動車の5501形と阪神の普通系車両では初の中間電動車である5601形の2両ユニットを2組連結して4両で運用され、他形式同様、車両番号の末尾が奇数の車両が大阪側、偶数の車両が神戸側に連結される。ただし、5601形のパンタグラフは2両とも車両の大阪側車端に設置されているなど、全く同じものを背中合わせに2つ連結しているわけではない。また、本形式は高加速度と加速時の粘着力を確保するため阪神の普通系車両では標準の全電動車編成であるが、車体の軽量化とモーターの高出力化に伴って電動車の比率が半分にも満たないことさえ普通となっていたこの時期の鉄道車両では極めて珍しい構成となっている。
車体は鋼鉄製であるが、屋根や床下等腐食しやすい箇所はステンレス製となっている。車体長及びドア数は、阪神はじめ関西の多くの私鉄が標準としている19m級の3扉車で、側面窓配置は5501形がd1D3D32、5601形が2D3D3D2となっており、客用ドア間の4か所が開閉可能となっているほかはすべて固定窓となっている。前面は8000系とは大きくイメージを変えたものとなり、8000系の額縁スタイルから、Hゴムが復活したもののフラッシュ化されたほか、貫通扉上半部と前照灯、種別表示幕及び行き先方向幕周りがブラックフェイス化され、前面下部の尾灯は白熱球から埋め込み式のLED式となり、灯具周りの金属枠が廃止された。このような変化のほか、車体断面が変更されて丸みがきつくなったことから、8000系に比べると柔らかい雰囲気の前面となった。屋根は前述のようにステンレスとなったことから長手方向にビードが入っており、屋根上には阪神初の冷房装置が集約分散式インバータクーラー(CU703)2基/両[3]を搭載したほか、前述のように5601形の大阪側には下枠交差式のパンタグラフを搭載している。連結器は8000系同様ユニット端部になる5501形前面にバンドン式密着連結器を、5601形奇数車神戸側および偶数車大阪側には廻り子式密着連結器を装備し、ユニット中間は棒連結器を搭載、併せて5601形奇数車神戸側および偶数車大阪側には簡易運転台を設置して工場入場時の構内入換に配慮している。
内装は基本的に8000系タイプIV後期製造車を踏襲し、バケットタイプのロングシートや路線図と電光掲示板を一体化した旅客案内表示器、フットライン入りの床、車椅子スペースを設置するが、座席モケットは車体塗色に合わせた空色(優先席部分のみ他車と同じ灰色)となり、ドアには開閉予告ブザー(扉開閉時に「プー」という音を発する)が新たに設置された。運転台は阪神初となるデスク型を採用して機能的ですっきりとしたものとなった。
台車や電装品などの走行機器は、台車が阪神初のモノリンク式ボルスタレス台車である住友金属工業製SS-144を採用、くら型軸受の採用によって整備が容易になったほか、車輪径が従来のジェットカー標準の762mmから急行系車両と同じ860mmとなった。モーターは東洋電機製造製のTDK-6145-A 110kW/hを搭載し、制御器は阪神初のVVVFインバータ制御である三菱電機製MAP-118-15V55を5601形に搭載した。これによって従来の「青胴車」の弱点だった中高速域の加速の伸びが向上したことから、反対に低速域では加速、減速共に従来よりも0.5km/h/sずつ落とされたものの、結果的に相殺以上の性能となっており、起動から80km/hまで21秒という性能を有しているほか、乗り心地も滑らかなものとなった。この制御器は高く長い、独特の加減速音が特徴である。補助機器については、SIVはINV094-HOを、CPはC-2000-Lを5501形に搭載している。
[編集] 新塗色
外部塗色は登場当時に「震災を乗り越えて新たに出発する」という気持ちを込めて従来の「青胴車」のイメージを一新し、かつて8233の新造時に実施された試験塗装のうちの1案をもとに、長年利用者に親しまれている「普通=青色」のイメージを継承しながらも、36年ぶりの新色として、上部をアレグロブルー(空色)、下部をシルキーグレイ(淡灰)というパステル調のツートンカラーが採用された。このパステル調のツートンカラーは、2001年に登場した急行系のセミクロスシート車の9300系にも、「優等列車=赤色」のイメージをもとにした上部「プレストオレンジ」下部「シルキーベージュ」が採用され、利用者や沿線住民に新車の登場を印象付けた[4]。
ただ、9300系の塗色が読売ジャイアンツのシンボルカラーそっくりだったことから、阪神タイガースファンからさまざまな蔑称が付けられたことに対して、空色の本形式のことをチームカラーがブルーの中日ドラゴンズや横浜ベイスターズに引っかけた蔑称である「シャオロンカー」や「横浜電車」と呼ぶ人もいるが、同キャラクターや両チームのチームカラーと色調が全く異なることもあってかなり稀である。
[編集] 登場・増備
5501Fは1995年10月27日に竣工、11月1日に梅田駅で出発式を実施後、営業運転を開始した。引き続いて12月に竣工した5503Fが翌1996年1月から営業運転に投入され、両編成とも阪神本線と西大阪線の普通運用に充当された。この時点で被災廃車の補充が完了したことから、1年以上本形式の増備は行われなかった。
1997年には、5505F・5507F・5509Fの4両編成3本が製造された。このときの増備は1998年2月の直通特急運転開始に伴うダイヤ改正によってダイヤパターンが従来の12分ヘッドから10分ヘッドに変更され、データイムの快速急行が西宮折り返しの急行に変更されたことに伴って普通系車両の運用数が増加するとともに、急行系車両の運用が減少したことから、運用増に対応するとともに3000系3102F+3101F及び3103F+3104Fを代替した。この増備車ではドアに複層ガラスが、車両間に転落防止幌が採用されるなどのマイナーチェンジが行われ、以降の増備車に継承された。これまでは武庫川車両工業で製造されていたが、この3編成は川崎重工業で製造されている。
1998年4月から1999年1月にかけて、前年に引き続いて5511F・5513F・5515Fが再び武庫川車両工業において製造された。この時の増備から5500系本来の目的である5261形等の置き換えを実施、1999年3月に5261形1次車の残存全車と5311形5311-5312、7801形7835-7935+7936-7836を代替廃車に追い込んだ。2000年2月には5517Fが登場、5261形で最後まで残っていた2次車の5271-5272+5273-5274を代替、ジェットカー第二世代の置き換えを完了するとともに、この時点で5001形 (2代)を抜いて普通系車両の中で最大勢力となった。
[編集] 変遷と現状
現在、座席のモケットは9300系と同じデザインのものに張り替えられたが、青系なのは変わっていない。また、転落防止幌は2006年に1本目の5501Fにも追加で設置されたほか、同年以降2009年4月に予定されている近鉄奈良線との直通準備として、先頭車の連結器をバンドン式密着連結器から廻り子式密着連結器に換装中である。現在のところ近鉄への乗り入れ予定はない。
定期運用としては2006年10月のダイヤ改正までは神戸高速鉄道東西線新開地駅が運行区間の西限であったが、このダイヤ改正で運行区間が短縮された準急の代わりに普通が山陽電気鉄道本線東須磨駅まで乗り入れることになったことから、定期運用としては初めて山陽電鉄線内に乗り入れることとなった[5]。
2008年3月現在、4両編成9本36両全車が在籍して、本線および西大阪線の普通列車で使用されている。
[編集] テレビ番組での登場
1998年に阪神電気鉄道社員で鉄道ファンの河渕則彦が、「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ系)に「日本一速い電車」として書き込みをしたことから、同番組の「リレー対決!○○ VS TOKIOシリーズ」の企画で5500系とTOKIOの5人が深江駅で250m競争(TOKIOは50m×5人のリレー)をしたことがある。
勝負は二回行われ、共に5500系が勝ったので(通常、一回目で電車が勝利し、二回目でTOKIOがリベンジを果たすという番組構成になっている)、リベンジは後の放送に持ち越されるという異例の結果に終わった。
再戦は打出駅で行われ、この時はTOKIO側が勝ったものの、これには不正が行われたのではないかとの見方もある(参考)。
なお、河渕は実際にこの収録に2回共立ち会い、阪神だけに阪神タイガースの六甲おろしのBGM付きで出演していた。
[編集] 脚注
- ^ 5001形 (初代)や5101・5201形、5231形、5151形といったジェットカー第一世代に属する各形式は、冷房改造を受けた5151形を除いて製造後20年前後で廃車された。同時期に製造された3561・3061形や3301・3501形などの急行系車両が30年前後で廃車されたことに比べると、冷房化の時期に重なったとはいえ廃車の早さに高加減速運用の苛酷さを窺い知ることができる。
- ^ 内訳は5151形2両、5261形4両、5331形2両。
- ^ JR西日本223系などと類似の形状。
- ^ 急行系車両の新塗色は2002年に登場した8000系リニューアル車にも採用されている。
- ^ 臨時列車としては乗り入れ実績あり。
[編集] 参考文献
- 『鉄道ピクトリアル』1997年7月臨時増刊号 No.640 特集:阪神電気鉄道
- 『関西の鉄道』 No.49 特集 『阪神電気鉄道 山陽電気鉄道 兵庫県の私鉄PartII』
- 『サイドビュー阪神』 1996年 レイルロード
- 『車両発達史シリーズ 7 阪神電気鉄道』 2002年 関西鉄道研究会
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